笹本稜平『ビッグブラザーを撃て!』(光文社文庫)

 ソフト開発会社に勤めていた石黒悠太は、大学の先輩で友人でもある滝本吾郎から呼ばれて彼のオフィスに行くが、目の前で滝本は変死を遂げる。その直前、石黒は滝本からあるMOディスクを受け取っていた。そのディスクの中に入っていたのは、コンピュータセキュリティの専門家として名高い滝本が作り上げた暗号システムであった。<クロノス>と名付けられたそのシステムは、最速のスーパーコンピュータを用いても五十年以上かからないと解読できないという、世界最強の暗号システムであった。しかし、そのシステムを狙って既に<ビッグブラザー>が動いていた。<ビッグブラザー>はインターネットを中心とする地球規模の情報通信インフラを基盤にした世界帝国建設と、サイバーファシズムによる全人類の支配を目的とした国際謀略組織だった。石黒の周囲で変事が次々と起こる。策略に引っかかり、会社を辞めさせられた。石黒は会社を設立し、<クロノス>を完成させ、世界中に売り出そうとした。世界中の企業から引き合いが殺到したが、<ビッグブラザー>の魔の手は石黒やその家族にまで及んできた。
 冒険小説界の大器、笹本稜平が阿由葉稜名義で2000年にカッパノベルスから出版した『暗号』を改題した処女長編。

 何で出版当時、話題にならなかったのだろう。そう首を傾げるぐらい面白い作品である。『天空への回廊』『フォックス・ストーン』『太平洋の薔薇』と、国際謀略小説と冒険小説の融合に成功した傑作を次々と生みだしていった作者であったが、その原点はここにあった。
 サイバーファシズムを企む国際謀略組織に挑む一人の男。武器は世界最強の暗号システム<クロノス>のみ。ここで繰り広げられるのは、頭脳の戦いである。様々な思惑を持って複数の人物が石黒に接近する。誰が味方で誰が敵になるのかわからない。己の頭脳と、家族の信頼、そして<クロノス>だけでいかに立ち向かうことができるか。圧倒的なリアリティ(ここで書かれているコンピュータやインフラ等は正確らしい)と、類い希なる創造力がこの傑作を生みだした。
 この作品が今まで顧みられなかったのは、一つにはサイバーシステムに関する部分が専門的すぎて今ひとつわかりづらいことが挙げられるだろう。きっちりと読めばコンピュータの知識がない人にもわかるように書かれているのだが、わけのわからない単語が色々と出てくると読まずに放り出してしまう人も多いにちがいない。
 そしてもう一つには、タイトルの付け方が悪いことだ。前題である『暗号』。大量に出版されているミステリの中から手を取ろうとするには、あまりにも単純すぎるタイトルである(ともさんがチェックしていたのはさすがだと思いました)。さらに改題した今回のタイトルは、あまりにもチープである。もう少し洒落たタイトルの付け方はできなかったのだろうか。

 インフラがますます進む今だからこそ、本作品の面白さがより伝わってくるに違いない。とにかく読んでみましょう。面白いんだから。
 一つ一つの作品で様々な題材を駆使して素晴らしい作品を書き続けている笹本稜平。今、一番新刊が待ち遠しく、期待できる作家である。




有栖川有栖『スイス時計の謎』(講談社ノベルス)

 殺害されたアマチュアバンドマンが遺したダイイング・メッセージは、Yの文字のように見えた。「あるYの悲劇」。女性彫刻家がアトリエで殺害された。ただ、彫刻家の死体には首がなかった。有力な容疑者である夫にはアリバイがあった。「女彫刻家の首」。強欲な守銭奴の金貸しが殺害された。現場は完全な密室だった。倒叙ミステリ「シャイロックの首」。殺害された経営コンサルタントは、アリスの高校時代の同級生だった。容疑は男性と高校時代同じクラブだった5人にかかる。“犯人はなぜ被害者がはめていたスイス製の腕時計を持ち去ったのか”。火村はその1点から犯人を推察する。「スイス時計の謎」。
 計4編を収録した国名シリーズ第七弾。

 ダイイング・メッセージ、首のない死体、密室、犯人あて。有栖川有栖が真っ向から本格ミステリに挑んだ短編集。「あるYの悲劇」「女彫刻家の首」の二編は別のアンソロジーに収録されていた作品だが、実に無難に仕上がっている。可もなく不可もなく、だけど読める作品。今、こういう本格ミステリを書くことができるのは、有栖川有栖だけだろう。そこそこ面白いが、評価するほどでもない。
「シャイロックの首」は倒叙もの。ただ、犯人が失敗しているところはあるものの、密室そのものについて犯人はミスをしているわけではないので、わざわざ倒除ものに仕立て上げることはなかったと思う。倒叙もの特有の魅力があるわけではないので、面白さが足りない。
 表題作「スイス時計の謎」。これに関しては高く評価したい。“犯人はなぜ被害者がはめていたスイス製の腕時計を持ち去ったのか”という見過ごされやすい一点から火村が極めて論理的に犯人を指摘した本作は、有栖川有栖の実力を再確認させるに十分な作品だろう。アリスの苦い恋物語や過去と事件をうまく絡めた部分もうまいというしかないだろう。最後の謎解きがやや単調になっている気もするが、本格ミステリ特有のたたみ込みを考えれば仕方がないところか。2003年度を代表する本格ミステリ中編だろう。
 表題作レベルをずっと維持するのは難しいだろうが、一般の読者も読める一定のレベルを書き続けている作者の姿勢はもっと高く評価されてもいいだろう。ただ、できれば江神シリーズの新作長編を望みたい。




鮎川哲也『翳ある墓標』(扶桑社文庫 昭和ミステリ秘宝)

 トップ屋集団“メトロ取材グループ”の杉田兼助と高森映子は、ある男をキャバレーに招待してインタビューを行った。その帰り道、二人は映子の友人であるホステスのひふみとともに駅まで歩いていたが、ひふみは急用を思い出し、二人と別れる。しかし翌日、ひふみは熱海で崖から海に飛び込み死亡した。自殺と警察は判断したが、納得のいかない映子は独自に調査を始める。しかし映子は何者かに殺害された。映子に好かれていたことを初めて知った杉田は、彼女が遺したダイイング・メッセージをもとに犯人を追いかけるが、意外な事実が浮かび上がってきた。

 本格ミステリの巨匠、鮎川哲也の珍しいノン・シリーズ長編で1962年の書き下ろし。文庫化は今回が初めてである。
 トップ屋が主人公だし、展開もスピーディー。軽ハードボイルド風の作品だが、鮎川本人は本格推理小説であると宣言している。謎と推理と解決(さらにトリック)があるのだから、十分本格ミステリといえるだろう。ただ、はっきりいってつまらない。アリバイトリックに冴えがないし、動機や事件の結末は風俗小説風味の社会派作品と何ら変わりない。ダイイング・メッセージにいたっては、大笑いするしかないというほどの情けなさである。今まで文庫化されなかった理由もわかる。駄作だろう。

 併録は1949年に銀柳書房から出版されていた翻訳雑誌「マスコット」に掲載された翻訳4編とエッセイ2編。ミルトン・オザーキ「オーム教奇譚」、レオナード・ロスボロー「夢果てぬ」、C・G・ホッジス「茶色の男」、R・カールトン「二重殺人事件」に「地底の王国」「恐竜を追って」である。翻訳の方はB級サスペンス以外の何ものでもなく、鮎川哲也が訳したという事実がなければ本に収録されることはなかっただろう。

 本書はレアといえばレアであるが、作者が葬りたかったものを無理矢理引っ張り出したという印象しかない。




夏樹静子『そして誰かいなくなった』(講談社文庫)

 電鉄、石油、保険、デパートなど、傘下に数々の大企業を擁する一大コンツェルン、宇野財閥から招待された会社役員秘書の桶谷遥は、葉山マリーナに到着した。豪華クルーザー「インディアナ号」に乗り、葉山から沖縄の宜野湾まで一週間の航海を楽しむ予定だった。招待客は遥を含めて五人。エッセイスト、産婦人科医、弁護士、プロゴルファーと多士済々。である。クルー二人を含めた七人を乗せて出航した最初の夜、サロンでの楽しいパーティーの途中に声が聞こえてきた。それは、七人がすべて殺人の罪を犯しているという告発状であった。まるで本棚にあるクリスティ『そして誰もいなくなった』のように。舞台も同じ“インディアナ”。小説の招待主はU・N・オーエン、U・N・O。すなわち、宇野。そして飾り棚には七人の干支である動物の飾り物が七つ置かれていた。姿を見せない招待主のいたずらなのか。それとも『そして誰もいなくなった』のように連続殺人が起きるのか。不安は当たり、一人、また一人と殺害されていく。そして干支の置物も一つ一つなくなっていく。船内には誰も隠れていない。いったい犯人は誰なのか。

 ベテラン夏樹静子がクリスティの有名作に真っ向から挑んだ意欲作。『そして誰もいなくなった』が孤島を舞台としているのに対し、本作は豪華クルーザーを舞台としている。いずれも閉じられた舞台での連続殺人事件である。ただ本作では船の故障や台風なども絡めているため、生き残るかというサスペンス度はより高くなっている。ただ逆に連続殺人の恐怖感が薄らいでいるところがあるのは残念だが。
 干支を扱いながら登場人物が7人しかいないのは片手落ちであるが、作品の流れを考えたら仕方のないことだろう。意外な結末も含め、クリスティに負けない作品に仕上がっている。時事問題を背景にしているのは、作品の鮮度の風化につながっている部分があるので、失敗だったような気もするが。
 本作は1988年の作品であり、すでに綾辻行人がデビューしている。この意欲作が本格ミステリファンのアンテナに引っかかっていない(違ったら申し訳ない)のは少々残念である。ただこの結末、今のすれた本格ミステリファンなら容易に想像がつくかもしれない。現在では使い古された構成となっていることが、本作品の評価を落としている原因と思われる。




西澤保彦『黒の貴婦人』(幻冬舎)

 タックシリーズ短編集。自宅でホームパーティを開いていた金持ちのボンボンである安槻大学新入生の部屋へ訪れた女子大生が殺害された。「招かれざる死者」。タック、タカチ、ボアン、ウサコの行きつけの飲み屋にはいつも白い帽子を被ってくる清楚な三十代後半の女性が座っていた。女性の目的は。「黒の貴婦人」。避暑地に集まった女子大生4人が合宿する別荘に忍び込もうとしていた男性が殺されていた。料理人として参加していたタックが殺人の謎と、4人の心に隠されていた秘密を解き明かす。「スプリット・イメージまたは避暑地の出来心」。実業家が死ぬ直前、自分のジャケットに宝の地図が縫い込まれていることを愛人に明かす。愛人は実業家の死後、そのジャケットを探し求め、ある男性に出会う。「ジャケットの地図」。就職したばかりのボアンとウサコが二人で飲みながら、ご祝儀泥棒の謎を推理する「夜空の向こう側」の5編を収録。

 「すべてはおれの妄想」。このシリーズを語るにはこの一言で十分だと思う。タックシリーズのほとんどは「妄想」でしかない。事件があり、いくつかのデータを基に突飛な推理で意外な解決を導き出す。ただしその「解決」はあくまで「妄想」であり、「真実」とは限らない。ONLY ONEの解答ではなく、あくまでONE OF THEMの解答でしかない。本短編集でも、「招かれざる死者」「黒の貴婦人」「夜空の向こう側」は、あくまでタックやタカチ、ボアンの妄想でしかなく、事件が解決されることはないのだ。これもまた、拡散しつつある本格ミステリの一つの形なのかもしれない。
 本短編集中、本格ミステリの醍醐味を味わえるのは「スプリット・イメージまたは避暑地の出来心」ぐらいか。この作品のみがすべてのピースをきちっとはめて出来上がるジグソーパズルであり、あとはブロックを積み上げて好みの形を作り上げた作品でしかない。
 ただこの短編集は、あくまでタックシリーズであり、タックやタカチ、ボアン、ウサコたちの物語なのだ。謎や推理は、作者の意図に反するだろうがあくまで味つけでしかない。だからこそ、シリーズの今までの作品を読んでいないと、本短編集の面白さは半減する。いや、その魅力のほとんどが伝わらないだろう。シリーズものとして読むから、「黒の貴婦人」のタカチを抱きしめたくなり、「夜空の向こう側」のボアンとウサコに同調してしまう。
 本短編集は、タックシリーズを今まで読んできた読者に勧めたい一冊なのである。




共同通信社社会部編『沈黙のファイル 「瀬島龍三」とは何だったのか』(新潮文庫)

 瀬島龍三。旧陸軍参謀本部作戦課のエリート参謀。1911年富山県に生まれ、38年に陸軍大学校を卒業。三十歳で事実上、対米英戦の作戦主任となる。戦後、十一年間のシベリア抑留を経て伊藤忠商事に入社。対韓賠償などの戦後賠償ビジネス、防衛庁商戦などを通して十年で専務、二十年で会長となる。中曽根康弘、竹下登ら「歴代首相の指南役」「政界の影のキーマン」と呼ばれた。「瀬島龍三」を通して、戦中・戦後日本史の裏面と日本的選良を解き明かすノンフィクション。1997年、第50回日本推理作家協会賞「評論その他部門」賞受賞作。共同通信社社会部、田中章、魚住昭、保坂渉、光益みゆき執筆。

 なぜ日本はあの無謀な太平洋戦争に挑んだのか。なぜ日本は焼け野原から華麗なる発展を遂げることができたのか。様々な人々が、様々な答を出してきた。そして今、ここに新たなる答が誕生した。「瀬島龍三」を軸に、様々な著書、インタビューから戦中、戦後の日本の姿を露わにしていく一冊である。
 多くの参謀たちは、負けるとわかっている戦争を止めることができなかった。そして戦争責任を問われることなく、多くの参謀たちは政治・経済の世界へ復活し、日本復興を蜜に力を伸ばしていった。何事も曖昧に終わらせ、誰一人傷を負うことなく、臭い物にふたをし、忘れ去っていく。日本のトップから一般市民まで染みついている事なかれ主義が、彼らを化け物に成長させていった。そして現代の日本でも、官僚という寄生虫が日本を動かし、バブル崩壊を頂点とする数々の失政を反省することなく、我が物顔で歩きまわっている。戦後の日本は、名ばかりの反省しかできず、過去の失敗で得たはずの教訓をすぐに忘れ去り、羅針盤を見ることもせずに闇雲に歩きまわるだけであった。そんな愚かな繰り返しをまざまざと見せつけられた。「瀬島龍三」という人物は、日本という国の生き方そのものであるともいえる。
 日本はまた、同じ失敗を繰り返すだろう。選挙のことしか考えない政治家と、選ばれた人種であると勘違いしている官僚と、私も含めてそんな体制にどっぷりと浸っている一般市民しかいないのだから。




結城昌治『エリ子、十六歳の夏』(新潮文庫)

 十六歳、高校二年のエリ子が夏に家出をした。勉強が好きで、潔癖な子。遊び歩くような子ではなかった。母は美容師を経営、父は雇われ美容師の入り婿で、どちらもなぜか探す気配がない。元刑事の祖父、田代はエリ子の行方を探し求める。新宿、六本木、吉祥寺。若者たちのたまり場は、孤独の吹き溜まりでもあった。行く先々で起きる殺人事件を解決しながらエリ子の行方を追う田代。そして居場所を突き止めたとき、もう一つの悲劇が待っていた。「バラの耳飾り」「銀のブレスレット」「白鳥のブローチ」「黒揚羽のリボン」「サファイアの指輪」の五作を収録した連作短編集。

 かつて『暗い落日』『公園には誰もいない』『炎の終り』といった真木シリーズという日本ハードボイルドの傑作を書きあげた結城昌治が、老刑事を主人公として今一度挑んだハードボイルドの傑作。枯れた筆致で現代の若者の姿を淡々と書き進める、その姿勢と巧みさに恐れ入った。よけいな修飾語はいらない。ぎりぎりまで言葉を削り、短いセンテンスで最高級の成果をあげる。それがハードボイルドであり、本来の小説の姿だ。宝石のように紡ぎ出されるその言葉から、読者は色鮮やかな景色と登場人物の内面を思い浮かべることが出来る。この作品はハードボイルドであり、青春小説であり、そしてエリ子というほとんど登場しない女の子の成長物語でもあるのだ。



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