中村勝彦監修『推理小説雑学事典』(広済堂 広済堂ブックス)

 本書は、本格推理小説マニアの頂点的集団、慶応大学推理小説同好会が、長年の研究資料をもとに、推理小説を縦横無尽に解剖してみせてくれる。
 まず、面白い作品を創ろうとする側の舞台裏を徹底紹介、あなたを推理作家通に変身させる。本格推理のカタログともいうべき、テーマ、ジャンル別の完全ガイドでは、鑑賞のポイントと着眼点がわかる。作者のワナに勝つ推理能力が、いつの間にか身に付くだろう。また、トリックを扱って作品の興趣をそがない新工夫のなされた、完全犯罪講座も魅力の一章だ。
 本書は、窮め尽くさねばやまぬマニアの鋭い目の光った、楽しさと興味あふれる本である。
(折り返しより引用)


【もくじ】
 第一章 推理小説の創られ方=作家の秘密
 第二章 本格推理アラカルト=何をどう読むか
 第三章 完全犯罪学講座=裏から読むトリック
 第四章 魅力の名探偵解剖=人物を操作法を
 第五章 マニアの読み方、楽しみ方=知恵の遊び


 折り返しにあるとおり、慶応大学推理小説同好会が編集した推理小説の雑学本。とはいえ、マニアの集団が書いているのだから、中身も結構マニアック。一般に推理小説を紹介する以上の裏話が載っていたりするのだから、推理小説ファンにはたまらないだろう。1976年の本なので、中身がやや古い部分があるのは仕方がないか。最新兵器ポケベルとか書かれると、推理小説は時代とともに変遷していくのだなと感じてしまう。
 個人的に面白かったのは、(出版当時)現状の日本本格推理小説に即して作った新たなタブー。ヴァン・ダインの二十則や、ノックスの十戒の後に書かれている。

(1)中途半端に人生問題・社会問題を入れるべからず。
(2)一般常識以前のトリックの使用禁止。
(3)登場人物の行動や事件には必然性、合理性をもたせること。
(4)推理小説も一つの小説である以上、必要以上の大げさな、はったり的修辞、描写はつつしむこと。
(5)毎回毎回同じ題材を使用するな。

 これはいまの本格ミステリにも通用させるべきタブーと思われる。一般常識以前のトリックは確かに問題外。何の意味もなく現場を密室にしたり、無意味な会話(ミステリ談義やトリック講義など)をえんえんと続けられても面白くない。毎回毎回同じ舞台の作品を読まされてもつまらないものだ。

 嗜好にやや偏りが見られる気がしないでもないが、持っていて損はない一冊。




山田正紀『天正マクベス 修道士シャグスペアの華麗なる冒険』(原書房 ミステリー・リーグ)

 織田信長の甥、信輝を主人公に、修道士シャグスペアが遭遇した事件三幕。密室殺人、人間浮遊、人間消失の謎はいかにして解かれるか。そしてまた、歴史を変えた破局は誰が操っていたのか。第一話「颱風(テンペスト)」、第二話「夏の夜の夢」、第三話「マクベス」を収録。

 本能寺の変とシェイクスピアの謎を絡め、さらにシェイクスピアの戯曲を戦国時代に移植しつつ本格ミステリを仕立て上げる。趣向としては素晴らしい。ただ問題は、成功するかどうかである。はっきりいえば、失敗。物語として成立させるために、かなりの無理が生じていることは否めない。戯曲に移植したために、登場人物の性格設定が、各話によって異なって見えてしまうのでは、物語の統一性は望めない。舞台にこだわり、かつ本格、ミステリにこだわるというその姿勢には拍手を送るが、肝心の本格ミステリとしての謎が今ひとつ迫力不足であるので、腰砕けに終わっている。物語そのものがバラバラになっているといえよう。
 狙いはわかるが、さすがに欲張りすぎたのではないか。




藤原宰太郎『死の名場面 古今東西グッドバイ傑作選』(ワニ文庫)

 死というものは何か。それは人生の終点である。しかしその終点がいつ来るかは、本人にもわからない。だからこそ、人は生きる。何かを残そうとする。
 本書は、史上に名を残した偉人の際立った死に方を集めた一冊である。死と対比することにより、生前の業績はよりいっそう輝かしいものとなる。
 面白い視点から捉えた一冊であり、読んでみても退屈しない。様々な死と対することで、生きることのヒントを得ることができる気がするから、不思議なものだ。
 藤原宰太郎といえば推理クイズとすぐに結びつくくらい、推理クイズ作家として有名であるが、ミステリも残しているし、こういう本も残している。藤原宰太郎は昔から偉人の死というものに興味があったのだろう。氏の著書である『世界の偉人は名探偵』と全く同じ文章が出てくるところを見ても、それが伺える。




仁木悦子『林の中の家』(講談社文庫)

 理学部植物学科の大学生である仁木雄太郎と、音楽大学師範科の仁木悦子は、欧州旅行中の水原夫妻に頼まれ、水原邸の留守を預かっていた。ある夜、水原邸に電話がかかってきた。女性の声で、「近越常夫の家です。林の中の……」と言いかけて、悲鳴が起き、不気味な沈黙の後に電話が切れた。探偵マニアでもある兄妹は、電話の声を頼りに林の中の家を探し当てるが、そこにあったのは女性の他殺死体だった。その女性は、内海房子。芸名達岡房子というアルゼンチン・タンゴの歌手で、水原夫人とは知り合いだった。彼女はなぜ、他人の家で殺されたのか。警視庁捜査一課、砧警部補から情報をもらいつつ、二人は事件の謎を追ったが、さらに事件が起きた。
 乱歩賞受賞作『猫は知っていた』に続く仁木兄妹シリーズ。1959年、旧「宝石」連載後、講談社から単行本化された。

 仁木悦子らしい、暖かい視点の一冊。殺人事件を取り扱っているのに暖かい視点と書くのも変な話だが、そう書くのがピッタリ来る。残酷な事件を取り扱っているのに、いや、取り扱っているからかもしれないが、仁木悦子の暖かさが心地よく伝わってくる。仁木兄妹のやり取りもそう。彼らが向ける視線がそう。そこに流れているのは愛情である。
 奇をてらったトリックを扱っているわけではないが、犯人の謎に引き込まれていく。なぜ犯人は殺人を犯したのか。解決編を見ればなるほどと思うし、伏線をきちっと張っているわけだが、解決編を見るまでその真相に気づく人はなかなかいないだろう。
 本書は本格推理小説の形式に則りつつ、作者が持つ人間への愛情を降り注いだ一冊である。この清々しい読了感はなんだろうか。仁木悦子の素晴らしさはそこにある。



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