香納諒一『あの夏、風の街に消えた』(角川書店)

 その夏、バブル絶頂期の新宿。僕は事件に遭遇し、人生を決めた。
 バブル絶頂期の新宿。行方をくらました父と、祖父の死をめぐる地上げ、中国の民主化運動が複雑に交錯し、夏の終わりと共に事件が解決したとき、僕は進むべき道を見つけていた。青春を想いを印象深く描く長編小説。(粗筋紹介より引用)
 「KADOKAWAミステリ」等に連載後、大幅に加筆訂正を行って単行本化。4年ぶりの長編。

 帯の言葉を読んでわけが分からなかった。「天安門事件、地底探険、バブル崩壊、終わりゆくホテル。淡い恋の行方と出生の秘密。そして僕の人生が始まった夏」。全然関係が無いと思われるようなセンテンスがどうやって結びつくのか不思議だったが、読んでみて納得。全部つながっているよ、これ。
 内容的には、青春時代の甘くほろ苦い一ページの回想といったところか。とても一ページにはおさまりきらない事件と冒険ではあるが。
 登場人物も皆魅力的に書かれているし、舞台や事件も文句なし。ただ、ちょっと盛り込みすぎたんじゃないかなと思ってしまう。さすがに最後の地底探検(という表現が正しいのかどうか疑問だ)はやりすぎじゃないだろうか。これが別の作家だったらサービス精神満載というところなんだけど、作者が作者だから何かイメージが狂うね。もっと骨太で、シニカルな視線がこの人の持ち味だと思っていたので。
 読んでいる途中は面白いし、読み終わった後は満足。ただなあ、と何となく首をひねってしまいたくなる一冊。力作だと思うけれど。




夏樹静子『螺旋階段をおりる男 女検事霞夕子』(新潮文庫)

 現代人が直面するさまざまな疲労・倦怠・空虚と、一歩間違えれば悲劇が生まれる現代の恐怖を題材にした表題作ほか、いずれも一見平穏な日常背活の下に潜む意外な犯意や、犯人の心理を鮮やかに捉えた二編を収録。(粗筋紹介より引用)
 衣服や調味料などをねだってくる隣の主婦の行動についに怒り、殺害してしまった主婦の偽装工作は成功するか。「予期せぬ殺人」。
 表では人格者だが、家では嫉妬に狂い妻を虐める弁護士が、不倫相手と邪推しているソフト会社社長を殺害。違法コピーでトラブルになっていた容疑者もいるので、自分に疑いはかかる恐れはなかった。「螺旋階段をおりる男」。
 新興宗教の教祖に次期参議院選挙には立候補しないと宣告された女タレント議員は、思わず教祖を殺害してしまった。「白い影」。
 1985年、新潮社より発行。女検事霞夕子シリーズ三編を収録。

 名前だけ知っていた霞夕子シリーズを初めて読んだ。倒叙ものだとは知らなかった。いずれも犯人が殺害後に偽装工作を行い、霞夕子が捜査に乗り出してちょっとした綻びから犯人のミスを見付ける、倒叙ものの典型的な作品集。
 時代を切り取る鏡であるかのようにその当時の風俗や流行りものを物語にうまく織り込み、犯人の心理を適度に書き込み、出来上がりみたいな感じですか。時間つぶしに読む分にはちょうどいいね。読んでいる間は退屈しません。その点はさすがだと思うが、それ以上の何かがあるわけでもないし、積極的に薦めようという一冊ではない。




久世光彦『一九三四年冬−乱歩』(新潮文庫)

 昭和九年冬、江戸川乱歩はスランプに陥り、麻布の「張ホテル」に身を隠した。時に乱歩四十歳。滞在中の探偵小説マニアの人妻や、謎めいた美貌の中国人青年に心乱されながらも、乱歩はこの世のものとは思えぬエロティシズムにあふれた短編「梔子姫」を書き始めた――。乱歩以上に乱歩らしく濃密で妖しい作中作を織り込み、昭和初期の時代の匂いをリアルに描いた山本周五郎賞受賞作。(粗筋紹介より引用)

 人気テレビ演出家であり、作家でもある久世光彦が1993年に集英社より発表。翌年、山本周五郎賞を受賞した一作。

 今頃読むのかいと突っ込まれそうだが、これは面白い。乱歩を扱った小説では一位に輝く作品だろう。乱歩より乱歩を乱歩らしく書き、さらに昭和初期という混沌の時代をリアルに描き、さらに乱歩が書いたと思われても当然ともいえる作品「梔子姫」を作中に織り込んでいるのだからすごい。麻布のホテルという舞台、探偵小説マニアの美貌の人妻や美貌の中国人ボーイと、登場人物も乱歩の世界そのまま。これはもう、読めとしか言いようがない。乱歩の世界に浸りたい人には特にお薦め。
 「梔子姫」は小栗虫太郎の作品に似たようなものがなかったかという宿題があったのだが、残念ながら思いつかなかった。考えてみれば、小栗の作品自体あまり読んでいないので何ともいえないのだが。今度は小栗の作品も読み返してみよう。




芦辺拓『紅楼夢の殺人』(文芸春秋 本格ミステリ・マスターズ)

 あるいは衆目を前にして死し、あるいは死して宙に浮かび、あるいは忽然として屍を現わし……。絶世の貴公子と少女たちが遊ぶ理想郷で、謎の詩句に導かれるように起こる連続殺人の真相とは? 中国最大の奇書『紅楼夢』を舞台に、著者が放つ入魂の本格巨編(帯より引用)

 こういう形の本格ミステリもあったのかと、結末を読んで驚いた。横溝正史の某作品を思い出したが、それとも違うパターンであるし。『紅楼夢』という舞台であるからこそ、成立する謎とトリック。そういう意味では感心した。問題は、登場人物と舞台を把握するのにとても苦労することか。特に中国の作品は、似たような名前の人物が多いので、覚えきるまで苦労する。一々人物紹介に戻らなければいけないのが、特に前半は苦痛だった。ただ、『妖異金瓶梅』ではそんなに困った記憶がないんだよな。まあ、本作品は一族内での殺人事件だから、似たような名前が多くなっても仕方がないし、登場人物も『紅楼夢』を基にしているのだから変えようがないのだが、どうにかならなかったのかな。
 個人的に残念なのは、『紅楼夢』という作品自体を知らなかったことである。作者が嘆くように、中国文学というと四大奇書と『史記』ぐらいしか思いつかない人間である。それも『三国志』『水滸伝』『史記』は横山作品、『西遊記』というと手塚作品と魔夜作品(おまけで諏訪作品)、『金瓶梅』といえば山風作品しか連想できない人間なので、開いた口がふさがらないだろう。基となった作品を知っていれば、もう少し違った感銘を受けたかもしれない。
 タイプ的には『薫大将と匂の宮』系列に連なる作品だろう。作者はまた一つ、新たな宝を掘り当てた。本年度の収穫といっていい作品。ただし、一気読みしないと、面白さは半減するだろう。




大下英治『悪魔の女 実録愛欲殺人』(祥伝社文庫)

 「あたしはあんたを殺す、かもしれない」悪女の系譜に新たな伝説が加わった…。紅蓮の愛欲地獄に堕ちた男と女の実録犯罪。(粗筋紹介より引用)
 二代目歯科医と人妻の不倫の成れの果ては。平成10年に起きた「歯科治療室の秘悦」
 大学生の男に金を貢ぎ続けた女が裏切られたことを知ったとき。平成9年に起きた「大学生ジゴロ殺人事件」
 逃亡生活5454日。時効直前で捕まった女の半生とは。「逃げる女」
 すべてにおいてだらしない男が前の妻に罵られた時、事件は起きた。平成10年に起きた「名古屋美人妻絞殺」
 砒素カレー事件が起きた時、妻の本当の姿がわかる。「毒殺妻」

 平成9〜10年に実際に起きた福田和子事件、毒入りカレー事件などを基に書かれたドキュメンタリー・ノベル短編集。ドキュメントものには定評のある作者のことだから、きっちりと取材などもしているのだろうけれど、こういう風に少ない枚数で小説風に書かれてしまうと、新聞紙上の記事を読んで物語を仕立て上げたというイメージしか湧いてこないんだよな。偏見なんだろうけれど。
 無難に読めるけれど、それ以上でもそれ以下でもない。




吉岡忍『「事件」を見にゆく』(文春文庫)

 元首相の死、芸能人のスキャンダルから殺人・詐欺・窃盗、地方紙が豆記事で報じた珍騒動まで、'87〜'88年に日本各地で起きた44の事件から、「繁栄の時代」の裏に潜む様々な捩れや歪み、人びとの暮らしの中の哀歓を、卓抜な取材力と見事な切り口で鮮やかに焙り出す。ニュージャーナリズムの旗手の傑作ルポルタージュ。(粗筋紹介より引用)
 「週刊文春」1987年5月7日号〜1988年3月31日号まで約一年間にわたって連載されたルポルタージュ。

 本書では事件、繁栄、政治、ハイテク、故郷、青春の六章に分けられて掲載されているが、実際の連載ではばらばらだったのだろう。粗筋紹介にもあるとおり、政治から地方紙での珍騒動まで、ありとあらゆるジャンルにわたり、作者の鋭い視線が事件を切り開いている。
 一回の連載はせいぜい数ページだろう。文庫本でもせいぜい10ページ程度だ。突っ込んだ取材は難しいだろうが、奥まで踏み込まなければ正しい取材をしたとはいえない。それを毎週、違った事件についてルポを書くのだから大変だ。かなりの難題といえるが、作者は時には軽妙に、時には深刻に、そして時には冷酷な目で事件に隠された部分を焙り出している。もうちょっとページを使えば、もっといいものが書けるだろうにと思ったルポがないでもないが、それは贅沢な話なのだろう。1987〜1988年という時代を思い出すには、いい一冊かもしれない。




柳広司『聖フランシスコ・ザビエルの首』(講談社ノベルス)

 聖フランシスコ・ザビエルの遺骸は、死後も腐敗することがなかったという。鹿児島で新しく見つかった「ザビエルの首」を取材した修平は、ミイラと視線を交わした瞬間、過去に飛ばされ、ザビエルが遭遇した殺人事件の解決を託される。修平が共鳴したザビエルの慟哭の正体とは……?(粗筋紹介より引用)

 あの柳広司が講談社ノベルス初登場ということで、どのような作品を持ってくるか興味があったんだけどね。連作短編集っぽい4つの事件に、一応ラストで根本の謎が解けるという構成。ただ、個々の事件があっさりと修平の手によって解かれてしまうので、事件や推理の部分を楽しむことはできない。また、4つの事件の根本に流れている謎も、どうも観念的で魅力に乏しい。謎と歴史的事象がうまく絡み合えば、柳広司の作品は楽しいんだけどね。どうも本作は空回りして終わっている。もっとためが必要だと思うね、本作では。



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