戸川昌子『火の接吻』(扶桑社文庫 昭和ミステリ秘宝)

 洋画家宅から出火し、療養中だった画家が逃げ遅れて焼死した。出火の原因は三人の幼稚園児たちの火遊びによるものと思われた。それから二十六年、きまって五のつく日に現れる放火魔、後を追う刑事、パトロールを続ける消防員、三人は意外な形で再会をとげることになる。やがて殺人事件が起こるが、その裏には―。「Kiss of Fire」として翻訳され世界各国でベストセラーとなりながら、国内では入手困難となっていた幻の傑作、ついに文庫化。(粗筋紹介より引用)
 1984年、講談社ノベルスの乱歩賞スペシャルとして書き下ろしされた作品。

 放火魔、刑事、消防員。三人の視点で語られる物語は、時々微妙に重なり合い、そして微妙に離れながら進行していく。三人の物語はいつしかクロスし、そしてまた分かれた道を歩いていく。三人がクロスする地点、それが悲劇のスタートであり、かつエンディングでもあった。この悲劇を演出したのはいったい誰か。三人と、三人に絡む女性の想いが交錯しながら、物語は結末まで淀みなく流れていく。
 三人の人生に罠が仕掛けられている。読者もそこに罠があるとわかっていながら、いつしか作者の罠にはまっていく。後半から急転し、目の前に襲い掛かってくる事件の数々。その全てを見切ることは不可能であり、読者は結末まで一気に読み進めたとき、初めて作者の罠の全貌を知ることになるだろう。そしてまた、作者の類まれなる才能も。
 登場人物がこれだけ限定されているのに、作者の罠にかかってしまうのはなぜか。読者もまた、火に魅せられるのだろうか。
 名前のみ知っていて、読めなかった作品は数多くあるのだが、本作もそんな一冊。今更ながら昭和ミステリ秘宝とはすばらしい企画だったと思う。




大谷羊太郎『大密室殺人事件』(光文社 カッパノベルス)

 実業家・黒住泰造のもとに、"殺されかけたお前の息子より"という奇妙な脅迫状が届いた。脅迫者は、25年前に岩手県宮古市で起きた母子放火殺人事件の犯人が黒住であると述べ、その口止め料として3千万円を要求してきた。殺されかけた息子とは誰なのか!?公になることを恐れた黒住が、独自に脅迫者の正体を調査し始めた矢先、執事の池上が密室状態の部屋で短剣で刺されて殺された。謎の脅迫者の犯行なのか。捜査に乗り出した警視庁捜査一課の八木沢警部補と新米刑事の村岡は、殺人と脅迫事件とを結ぶ鍵となる25年前の惨劇を追うが…黒住の別荘で第二の密室殺人が。密室トリックで読者に挑戦、書下ろし長編推理小説渾身作。(粗筋紹介より引用)
 乱歩賞受賞20年、1989年に書き下ろされた一冊。

 大谷羊太郎というと「トリック・メーカー」というイメージしかなかったのだが、本書はトリックが突出することなく、物語や登場人物とトリックのバランスがうまく取れているので、読んでいて楽しい。タイトルの“大密室”を期待すると、肩透かしを食うことになるだろう。トリックそのものは機械的で、しかもやや陳腐といってもいいかもしれない。本書が面白いのは、2つの密室事件によって動き出す登場人物たちの人間模様、そして事件を追う警察官たちの内面である。題材としてはありきたりかもしれないけれど。
 ただ、今のミステリ読者から見ると、退屈と思われるかもしれない。機械トリック、登場人物たちの恋愛模様、刑事による事件解決、さらにこの犯人像。新本格全盛になる前の、本格ミステリのあだ花だったのが、この頃脂がのっていた大谷羊太郎だったんじゃないかと思える。



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