蘇部健一『六とん3』(講談社ノベルス)

 バカミスから心暖まるファンタジーまで、『六とん』シリーズの最新作。下品で収録が危ぶまれた「×××殺人事件」や、タイムマシンで過去へ行き片思いの女性へ告白する「秘めた想い」、運命の出会いを描く「赤い糸」などドキドキのお話がいっぱい。(粗筋紹介より引用)
「もうひとつの証言」「アリバイの死角」「生涯最良の日」「×××殺人事件」「殺ったのはだれだ!?」「瞳の中の殺人者」「死ぬ」「嘘と真実」「栄光へのステップ」「秘めた想い」「赤い糸」の11編を収録。

 バカミスを通り越して、ついに「トホホミステリ」へ到達してしまったのか。年に数回生存が確認される蘇部健一の最新刊。
 『六枚のとんかつ』で出てきた保険調査員シリーズは、久方ぶりのお下劣ミステリ「×××殺人事件」の1本のみ。どうやったらこんなトリックを思いつくことができるのか、不思議でならない。
 最初の三作は、半下石警部が登場する。うち2作は倒叙もの。フリーマンやクロフツ流の、正当倒叙本格ミステリの系統者は蘇部健一だと思っているので、できたらこのシリーズで1冊書いてほしいところである。ただ、今回収録された3作は、いずれも「トホホミステリ」の枠内で収まっているのが残念である。
 「殺ったのはだれだ!?」は作者の言うとおりコーヒーブレイクのための軽い作品。素人が一度は書きそうなネタである。本当に文章にしたのは、作者ぐらいだろうが。
 「瞳の中の殺人者」「死ぬ」はノンシリーズの短編。オチが見え見えで、ここでもトホホとなる。
 「嘘と真実」についてはどう書けばよいのか。白血病のネタで、ここまでトホホな作品で終わってしまうのは珍しい。
 「栄光へのステップ」はわりと面白かった。本作品ではベストではないか。最後にイラストを持って落とす手法が、ここでは成功している。
 「秘めた想い」は<<想い>>三部作の掉尾を飾る作品、らしい。まあ正体は見え見えだったが、そこに至るまでの過程は面白かった。この三部作、トホホ度がだんだんと増しているのはどういう訳だろう。
 「赤い糸」はタイムマシンものを使った一作。ありがちなネタを、綺麗にまとめた作品である。できれば結末でもう少し一波乱があれば面白かったのだが。

 もう少し出版ペースを早めてほしいところだし、現在の出版ペースで生活できるのか非常に不安なのだが、作者にはこのトホホ感を失わずにがんばってほしい。
 著者紹介で、著作に「〜などがある」と書かれるぐらい、本を出すことができてよかったですね。




黒沼克史『少年にわが子を殺された親たち』(草思社)

 ある日、最愛の子どもの命を奪われる。それは例えようのない苦痛であろう。だがその加害者が未成年であった場合、家族は苦痛ばかりか信じがたい不条理を強いられることになる。
 事件の全貌も加害少年の処遇も知らされず、わが子の最期の様子さえ親は知ることができない。真相を渇望する親たちを置き去りにしたまま、少年法に守られた加害少年たちはまもなく日常生活に復帰する。何事もなかったかのように。
 本書は、こうした理不尽を今まさに体験しつつある六つの家族の物語である。その過酷な日々を静かに見つめつつ、彼らの意識の奥底にまで降りていく。報じられることのなかった少年犯罪被害者の現実がここにある。(折り返しより引用)

 ここに載せられている六つの事件は、いずれも加害者が少年である。本書では、事件の詳細を伝えることを目的としているのではない。加害者が少年であるばかりに、いわれのない苦痛を受け続けている家族の姿を紹介している。
 一番目の家族は、1992年、石垣島で中学二年の次男が中学生9人に集団暴行を受け殺害された事件である。学校の調査結果は驚くべきものだった。中学一・二年生の不良グループが巻き上げた金を三年生のグループに上納するシステムである。三年生のたまり場は、暴力団関係者の事務所であった。アンケートの結果、約2割の生徒が被害にあっており、総額700万円にのぼった。4人は少年院に送られたが、2人は自宅謹慎、そして1年生の3人はすぐに登校していた。
 少年の父親は刑事責任を問えない加害少年とその父親、さらに市を相手に損害賠償を求めた。しかし長期化する裁判の結果、二年後に加害少年たちと1件600万円で和解する。しかし実際に600万円を支払ったのは1件だけ。2件は自己破産を申請、1件は支払えないと通告。分割払いの途中で無視する家族もいた。民事訴訟の和解案に効力は何もない。さらに市側は徹底抗戦。校内暴力には気づかなかったなどと学校は証言した。さらに少年の父親の会社は市からの仕事を発注することができなくなった。裁判費用が1000万円以上を越え、結局和解する。石垣市が最初に提示した金額は500万円。しかも見舞金としてである。結局1200万円で和解はしたが、見舞金というなまえは変わらなかった。
 1996年7月、石垣市内の高校二年生が友人ら5人の集団暴行で殺害された。それが二番目の家族である。4年前の教訓など、何も生かされていなかった。石垣市は一切生かそうともしなかった。しかも新聞には被害者が加害者とともに飲酒したと誤って沖縄タイムスで報道され、それは訂正されることがなかった。五人の加害少年とその家族は謝罪しようとしない(後に一人だけ謝罪した)。民事訴訟の結果、五人の加害少年とその家族は被害者遺族に8400万円とほぼ満額の支払いを命じた。さらに裁判所は親の責任にも追及した。
 他にも載せられている家族たちの状況は似たり寄ったりだ。加害少年とその家族は表面的な謝罪をすればいい方、下手すれば謝罪すら一切ない。事件によっては、警察や報道に被害者少年の人権が阻害されたケースもある。少年法の壁の元に、事件の真相は一切知らされない。家庭が崩壊するケースもある。“加害少年の更生”という名目で、多くの人たちが加害少年たちばかりを手助けしようとし、被害者遺族には一切見向きもしない。被害者遺族が裁判を起こせば、弁護士たちがよってたかって被害者のことをけなし、貶める。
 彼ら家族たちは、少年犯罪被害者当事者の会を結成し、ホームページを立ち上げ、現状を広く訴えている。
 少し前までは、被害者遺族が声を挙げることなど、世間が許さない風潮があった。民事訴訟を起こせば、子どもの命を金に変えるのかと冷たい視線を浴びせるばかりであった。さらに少年法という法律が追い打ちをかけた。人の命を奪った少年は、わずか2〜3年で世の中に舞い戻り、何事もなかったかのように幸せをつかんでいる(もちろん、罪の重さに苦悩している人もいるだろうが)。
 彼ら遺族たちの声が通り、少年法は改正された。しかし、まだ遺族たちが望む状況にはほど遠い。12歳の子どもが、ちょっとしたことで人を殺害する時代である。社会が変容しているのに、未だに戦後の少年法の理念をかかげるのは間違っている。加害者少年の更生も大事ではあるが、まず大事なのは被害者遺族の声に応えることである。




藤田宜永『巴里からの遺言』(文春文庫)

「エトランゼーの自由は甘美な毒」戦前のパリで放蕩の限りを尽くした祖父の手紙に導かれ、僕は70年代のパリにたどりついた。そこで出会った日本人は、イカサマ賭博で食いつなぐ元プロレスラー、高級娼婦となった女子留学生、贋作専門の画家崩れ、謎の剣術指南……。旅情あふれる日本冒険小説協会最優秀短篇賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
「第一話 大無頼漢通りの大男」「第二話 ジャン・ギャバンを愛した女」「第三話 凱旋門のかぐや姫」「第四話 剣士たちのパリ祭」「第五話 マキシムの半貴婦人」「第六話 モン・スニ街の幽霊」を収録。1995年10月、文藝春秋より刊行。1995年、日本冒険小説協会最優秀短篇賞受賞作。

 「花の都パリ」という言葉はいつの時代のものなのか。パリという街には、自由と芸術と、そして“花”が存在する、そういうイメージが私にはある。もちろん、どんな都市にも表と裏があり、表が華やかであればあるほど、深く暗い裏の世界も存在する。作者は1948年にパリに渡り、エール・フランスで働いていた。55年に帰国後、エッセイを執筆するようになる。
 本書の舞台は1970年代のパリであり、作者が滞在していたパリとは時代が異なる。パリで何でも屋として生きている主人公とは職業も背景も異なる。しかし、主人公と作者の姿がダブって見えるのは気のせいだろうか。主人公が遭遇する様々な出来事と人物は、全て作者が遭遇した人物であり、出来事である……そう思わせるぐらい、パリの甘美で退廃的な舞台を描ききっている。
「エトランゼーの自由は甘美な毒」は、読者をも酔わせてしまう。読者は藤田宜永が注ぐワインを飲み、酔っていればそれでよい。




筒井康隆『フェミニズム殺人事件』(集英社文庫)

 南紀・産浜の高級リゾートホテル。待遇、料理が抜群で、選ばれた紳士淑女だけが宿泊できる。作家・石坂は執筆のため、このホテルに滞在した。夜ごとのディナーとお洒落な会話、滞在客は石坂の他5名。会社役員夫妻、美貌のキャリアウーマン、地元の名士、大学助教授だった。サロン的雰囲気、完全密室の中で、三人が次々と殺された―。奇妙なトリックの謎を解く、本格推理長編。(粗筋紹介より引用)
 「小説すばる」1989年夏季号・冬季号に掲載。1989年10月に単行本化。

 食事のシーンは本当に美味しそうである。途中で交わされるフェミニズム論はわからないところがあるものの、会話のシーンもまた楽しい。
 この作品の楽しさはここまで。高級リゾートホテルの中で3人が次々に殺され、しかも1件は完全密室。謎自体は魅力的なのだが、解決を聞くとかなりがっくりと来る。
 作者の狙いは、事件の謎解き以外のところにあるのだろうが、ミステリファンとして「〜殺人事件」というタイトルが付いた作品をミステリ以外のものとして読むことは難しい。そういう目で読み終わった後の感想としては、つまらない、の一言で終わってしまう。
 それ以上は、語る必要はないだろう。




恒川光太郎『雷の季節の終わりに』(角川書店)

 現世から隠れて存在する小さな町・穏で暮らす少年・賢也。彼にはかつて一緒に暮らしていた姉がいた。しかし、姉はある年の雷の季節に行方不明になってしまう。姉の失踪と同時に、賢也は「風わいわい」という物の怪に取り憑かれる。風わいわいは姉を失った賢也を励ましてくれたが、穏では「風わいわい憑き」は忌み嫌われるため、賢也はその存在を隠し続けていた。賢也の穏での生活は、突然に断ち切られる。ある秘密を知ってしまった賢也は、穏を追われる羽目になったのだ。風わいわいと共に穏を出た賢也を待ち受けていたものは―?透明感あふれる筆致と、読者の魂をつかむ圧倒的な描写力。『夜市』で第12回日本ホラー小説大賞を受賞した恒川光太郎、待望の受賞第一作。(「BOOK」データベースより引用)

『夜市』で日本ホラー小説大賞を受賞し、直木賞候補にもなった作者の長編第一作。前作同様、日本の現世には存在しない世界を舞台としており、現世とリンクするところも変わらない。
 雷季という季節、「風わいわい」という物の怪、地図に載っていない土地。どことなく古くて、そして懐かしさを覚えるような舞台設定。そしてある事件に関わり、秘密を知ってしまったために穏から逃げ出す少年・賢也。そして追いかける者たち。物語はここまでで半分以上が過ぎる。
 そして現世での出来事が語られ、徐々に二つの世界がリンクする。現世の出来事で登場する佐竹茜。そして賢也の逃亡の結末が語られ、謎が一気に明かされる。
 舞台の説明と賢也の逃亡劇が半分以上を占め、さらに茜に起きた出来事にも多くの枚数が費やされる。そして事件の結末とその後はアッと言う間に終わってしまう。起承転結の「起」「承」が長すぎ、「転」が短すぎるのだ。そのため、作者が描きたかったはずの「結」が全く生きてこない結果となってしまっている。
 作者は、舞台設定や賢也などの登場人物を生かすための文章に力を入れすぎてしまった。後半のパワーダウンがあまりにも残念である。後半、読者をアッと言わすことができていれば、この作品は傑作となったに違いない。世界観の創世は素晴らしかった。
 前半傑作という言葉がぴったり来る作品である。




飯田譲治『誘発者』(講談社)

人間は脳の容量の約七〇パーセントを使用していないといわれている。
人間の持つ不思議な力は、この部分に秘められていると考えられている。
その使用されていない脳の七〇パーセントは、こう呼ばれることがある―――『NIGHT HEAD』
(本文より引用)

 ロシアの超心理学センターにいた御厨恭二朗になついているナジ・ジュマリは紛争によるアフガニスタンの戦災孤児である。念写の能力を持つナジが深い瞑想状態の中で写し出した一枚の写真。そこにいたのは、霧原直人、直也の兄弟だった。
 直人と直也はロシアで御厨と再会する。二人と会ったナジが新たに念写した一枚の写真。そこには不思議な形の石像が写っていた。そして直也は脳のスクリーンにあるイメージをキャッチする。それは日本のある地方都市を中心として起きる大地震のイメージだった。直人と直也は日本を襲う大地震を阻止することができるのか。
『NIGHT HEAD』シリーズ最新作。前作のラストから4年が経過した話となっている。

 10年ぐらい前にも書いたが、私は「NIGHT HEAD」のファンだった。テレビ版も映画版もビデオを買ったし、小説やマンガ、シナリオ、サントラに写真集まで購入。ついでに『東京BABYLON1999』もビデオ、CDを購入した。さすがに数年経って熱が冷めたが。しかし、直人と直也の新しい物語が出たとあっては、買わないわけにはいかない。  直人・直也の超能力を持つという故の葛藤はかなり影を潜めているが、異端の能力を持つものの苦悩を描くというスタンスは変わっていない。そんなところが、とても嬉しい。
 今回は、地震予知を研究する民間科学者が登場する。大地震を予知しながらも、以前の予知失敗により誰にも相手にされないばかりか、妻も含め大勢の人々から嘲笑と憎悪の対象になってしまう。超能力とはやや違うが、己のことを誰にも理解されないという苦悩は、超能力者と変わらない。人は日常と違う力・現象・行動を嫌う。自分が存在する世界からはみ出すことを、自分自身が認めない。そんなジレンマを描かせると本当にうまいと思う。
 今回の物語では、世界を変える変革の姿が前作と比べてはっきりと描かれている。「変革」というキーワードは残念ながら出てこないが。ミサキにいた者たちは、これからどうなるのか。
 全ては次の直人と直也の行く先が知っている。



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