ロバート・L・フィッシュ『シュロック・ホームズの迷推理』(光文社文庫 英米短編ミステリー名人選集7)

 ベイグル街221Bに住む名探偵、シュロック・ホームズは、些細な手がかりから迷推理を繰り広げ、簡単な事件を難解に解き明かすのだが、それはいずれも的外れ。そんなホームズの活躍は、同居人である医師ワトニイによってまとめられていた。
 ロバート・L・フィッシュがデビューするきっかけとなったシュロック・ホームズものを日本独自で編集した短編集。他にMWA短編賞受賞作「月下の庭師」等を収録。

 ロバート・L・フィッシュといって即座に思い浮かぶのは、『懐しい殺人』等の「殺人同盟」シリーズと、本作の主人公であるシュロック・ホームズものの短編集である。「シュロック」がイディッシュ語で「三文」とか「安物」とか「まやかし」を意味するというのは、解説で初めて知った。シュロック・ホームズものをまとめて読むのは今回が初めて。ホームズは嫌いだが、ホームズのパロディものは好きという私は大いに期待していたのだが、全然わからん(苦笑)。
 基本的にシュロック・ホームズシリーズは、本家ホームズのパロディになっているのだが、その笑いの方向や迷推理が基本的に駄洒落を中心としているので、英語の弱い私にとっては、どこで笑えばよいのかさっぱりわからない。どこでどう間違えれば推理が明後日の方向に向かうのかが不思議でたまらないのだが、英語が分かればもう少し楽しめたのかと思うと残念。まあそれ以上に不思議なのは、そんな彼に事件を依頼する人が出てくることと、どうやって生活をしているのかということなんだが。
 今回収録されたのは、第一作品で、かつEQMMに初投稿した「アスコット・タイ事件」、宿敵マーティ教授との死闘の末行方不明になったホームズが帰ってきた「シュロック・ホームズの復活」他、「奇人ロッタリーズ氏」「シュロック・ホームズの迷推理」「動物輸送車事件」「謎の郵便番号」「不思議なレストラン」「純文字の殺人」「短気な導火線」「ウクライナの孤児」と、最後の短編である「ハメルンの酔いどれ笛吹き」。
 それにしても「短気な導火線」「ハメルンの酔いどれ笛吹き」の結末、ブラック過ぎるんだけどいいの、本当に?
「ラッキー・ナンバー」は予言能力を持つ老婆と賭博物を絡めた短編。オチが軽妙。
「月下の庭師」はノンシリーズの短編。1972年、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞の最優秀短編賞を受賞。サスペンスたっぷりの佳作である。
「一万対一の賭け」は密輸人ケック・ハウゲンスシリーズもの。これはまとめた短編集を読んだ方が楽しめるかもしれない。
「クランシーと飛びこみ自殺者」は、ロバート・L・パイクというペンネームで発表されたクランシー警部補ものの第一作。ニューヨーク市警52分署に移ったばかりで、よそ者感を漂わせていたクランシーが仲間として溶け込むようになったという意味では重要かも。警察小説として、無難な作品。シリーズ長編第一作『ブリット』は、スティーヴ・マックイーン主演で1968年に映画化されている。
「よそ者」はノンシリーズの短編。これもまた結末でお見事とうなるしかない。フィッシュが短編の名手なんだと思わせる一品である。




恩田陸『木曜組曲』(徳間書店)

 耽美派女流作家の巨匠、重松時子が薬物死を遂げてから、すでに四年。彼女と縁の深い女たちが、今年もうぐいす館に集まり、時子を偲ぶ宴が催された。なごやかなはずの五人の会話は、謎のメッセージをきっかけにいつしか告発と告白の嵐に飲み込まれ、うぐいす館の夜は疑心暗鬼のまま、更けてゆく。やがて明らかになる、時子の死の真相とは?(帯より引用)
 「問題小説」98年4,7,9,11,99年2,5,8月号に掲載されたものを加筆修正。1999年刊行。

 背景がわからないままゆっくりと話が流れてゆく序盤の退屈さに、何度も読了を挫折していたのだが、今回気合いを入れて本に向かったらあっという間に読了。なんのことはない、序盤の1/5を過ぎれば、結構面白いじゃないか。
 重松時子と縁の深い5人が繰り広げる告発・告白合戦は、今まで表に見えていたものが二転三転する意外な事実の連発。万華鏡をのぞいてくるっと回したら、新しい景色が見えてくるかのよう。しかし万華鏡に入っているビーズに限りがあるように、全ての想いをぶちまけた後には真実が浮かび上がってくるようになっている。ラストの展開は、予想できる人には割と簡単に予想できるかも知れないが、登場人物の心理の綾が垣間見られるラストであるため、読んでいても苦にならないだろう。
 しかし、女性だけで集まると、喋るわ食べるわすごいね。女性作家ならではの作品という気もする。また文学に対する考え方は、作者である恩田陸の想いも入っているのだろう。そういう方面から読んでもまた楽しい。




深谷忠記『悲劇もしくは喜劇』 (実業之日本社)

 タイ人のリャンは、騙されて日本に連れてこられ、売春組織で働いている。そんな彼女に好意を寄せる大学生の石崎文彦。文彦は彼女を救うために、祖母を騙してお金を手に入れ、借金300万円を肩代わりすることにした。しかし文彦は、リャンのボスであるメイの殺人犯として起訴された。私撰弁護人として付いたのは、文彦の母親である悠子の親友、弁護士の村地佐和子。お金を用意できたはずの文彦が、なぜメイを殺害したのか。文彦は盗まれたといっているが、佐和子は何かを隠しているとしか思えなかった。
 裁判が進むにつれ、二転三転する事件の様子。新たに登場する証人。そして明らかになった真相とは。
 2008年7月、書き下ろし。

 冤罪ものなど、社会的なテーマを背景にした力作を書き続ける深谷忠記の新作は、人身売買・売春をテーマにしている。外国人被告における通訳の問題(「道後事件」参照)などよくチェックしているなと思って最後に参考文献を見たら、タイ人売春婦の殺人事件(下館事件及び道後事件)を扱った二冊の本が載っていた。この本を直接読んだことはないが、事件についてはちょっと調べたことがある。事件の全てが同じというわけではもちろんないが、タイから来た3人の売春婦と同国人であるボスとの関係など、両事件と設定が似ているところもある。この辺はどの売春組織も似たようなものなのかも知れないが、実在事件が透けて見えるような設定にする必要もなかったと思うのだが、どうだろうか。
 事件の真相につながる複線の張り方や人物配置にはベテランらしさが伺えるが、あからさまなところが多いので、驚愕の真相、みたいなカタルシスは得られない。「困ったときに力を貸してくれる人を呼び寄せる能力が具わっているような気がする」と悠子に評される主人公の特性(?)を生かして、新たな事実が次々と目の前に出てくるところも、偶然の多用という批判を浴びそうだ。
 事件そのものを見るととても喜劇とは思えないし、読者から見ても喜劇と思えるものではないだろう。裁判の終わった主要人物が「笑うしかないよね」と自嘲するような姿を見せるところが喜劇とでもいうのだろうか。しかし、悲劇と言いたくなるような登場人物が出てくるわけでもない。そもそも行動・考え方に共感できない、同情できない登場人物がほとんどというのは、狙ってやったことなのだろうか。引きこもりである文彦の友人なども、ただの便利屋・推理屋だけではなくてもう少しよい扱いもできただろうに。
 事件の日付を公判前整理手続が導入される以前にするなどの細かい気遣いなどはさすがと思えたが、手持ちの資料とテクニックで長編を構成したという印象しかない。売春問題を扱うのなら、他にもやり方があったと思うし、同一場面における悲劇と喜劇の二面性を持たせようという狙いは買うが、成功したとも思えない。




法月綸太郎『しらみつぶしの時計』(祥伝社)

 中堅推理小説作家新谷弘毅が殺害された。殺害したのはウェイトレスで元ファンの仲田真美子。予定通りにことが進むかと思われたが。「使用中」。
バッティングセンターで出会った男から交換殺人の誘いを受けた。愛情のない妻を殺害するために、その誘いを引き受けるが。「ダブル・プレイ」。
 浪費癖のある妻を注意するうちに、カッとなって殺害してしまった。しかも隣に住む主婦のせいで、二人の警官が彼の部屋を訪ねてきた。「素人芸」。
 G**将軍は、汚職の噂が絶えないD**長官の収賄の証拠をつかんだ。しかし老獪なD**長官は、将軍の若妻がアルゼンチンの外交官に送った情熱的な恋文を入手し、手紙の破棄と引き替えに告発を取り下げるよう圧力をかけてきた。ホルヘ・ルイス・ポルヘス「死のコンパス」に登場するエリック・レンロットが解決するパスティーシュ「盗まれた手紙」。
 作家の追悼文を巡るショートショート。「イン・メモリアム」。
 猫は九歳になると、聖地へ巡礼に行かせる必要があるという。「猫の巡礼」。
 殺害されたのは、人気戦隊ものに出ていた女優。彼女は死ぬ直前、自らの腕にXのような傷をつけていた。都筑道夫「退職刑事」もののパスティーシュ「四色問題」。
 ニューヨークの裏町で、ルンペン達と生活する元私立探偵クォート・ギャロンは、ベンチで寝ているところを外套に火を付けられた。都築道夫「酔いどれ探偵クォート・ギャロン」もののパスティーシュ「幽霊をやとった女」。
 男がいた施設の中の時計は、そのいずれもが異なる時を刻んでいた1440個の時計だった。この施設から出るためには、唯一正確な時計を探し出さなければならない。自らが持ち合わせているのは、論理のみ。都筑道夫『やぶにらみの時計』をもじった「しらみつぶしの時計」。
 同居していた友人の女性に殺害された女性が握りしめていたのは、一個の小さな鍵。捜査するのは法月貞雄警視、事件を特のは息子の法月林太郎。京大ミステリ研機関誌「蒼鴉城」十号(1984年)に掲載された「二人の失楽園」を改題して発表された「トゥ・オブ・アス」。
 「小説新潮」「小説NON」「メフィスト」「小説現代」「ジャーロ」で1998年〜2008年に掲載された非シリーズ短編を集めた一冊。

 法月もので見られる、無理矢理絞り出して文章にしましたみたいな作者の苦悩が全く感じられない短編がそろっている。特に前半の作品を見ると、法月もようやく職業作家としてこういう肩肘張らない作品を書けるようになったのかと思ったが、掲載されたのが過去10年間に掲載されたものと思うと、ちょっとがっくり来る。これぐらいの作品だったら、2年間で短編集1冊がまとめられる位のペースで書けよなんて思ってしまうのは私だけだろうか。
 お手軽に、とまでは言わないが、気軽に読める作品がそろっているので、ページをめくる手はすいすい進む。「しらみつぶしの時計」のように、「頭の体操」ネタを物語性のないつまらない短編に仕立て上げるな、みたいな作品もあるが、パスティーシュも含め平均点揃いといっていいだろう。ただ、この程度の短編集をハードカバーで出すなよ、みたいな気持ちもあるが。失望はしないが、大した満足もしないような一冊。作者は「使用中」をベストに選んでいるが、私が選ぶなら「素人芸」か。着地が決まっているのはこちらの方だと思う。




ジル・マゴーン『騙し絵の檻』(創元推理文庫)

「……被告は良心の呵責もなく、情け容赦なく、いともたやすく人の命を奪った……」ビル・ホルトは冷酷な殺人犯として投獄された。不倫相手の女性を殺害し、さらにその二週間後、事件の手がかりをつかんだと思しき私立探偵をも、計画的に殺害したとして。状況証拠は完璧としか言いようがなかったが、彼は無実だった。十六年後、仮釈放を認められたホルトは、復讐を誓い、真犯人を捜し始める。自分を陥れたのは誰だったのか? 次々に浮かび上がる疑惑と目眩く推理。そして、最終章で明かされる驚愕の真相! 現代本格ミステリの旗手、衝撃の出世作!(粗筋紹介より引用)。
 1987年に発表されたマゴーンの第四長編。2000年翻訳。

 ダンボールの底から出てきた一冊。年末のベストに選ばれる前に買っていたから、帯にある森の言葉を見て手に取ったにちがいない。
 冤罪で投獄された主人公が、出所後に真犯人を捜すという、どちらかといえば連続ドラマの方がお似合いなストーリー。ただ、ここから関係者の証言を元に推理を組み立てる姿は、本格ミステリそのもの。復讐の念に取り憑かれるホルトを主人公にすることにより、読者を一種のミスディレクションに引きずり込むところは思わず膝を打ってしまった。最後に関係者一同を一ヶ所に集め、犯人を追い詰めていくところは、本格ミステリファンのツボを押さえているといってよいだろう。しかもそれが、ホルトという冤罪者を主人公にすることにより、儀式化された虚構の舞台という本格ミステリ特有の批判を避ける結果になっているところが絶妙である。
 主人公であるホルトの心情が巧みに物語に織り込まれており、推理ゲームとなりがちな作品とは一線を画した人間ドラマが描かれているのもお見事。
 ただ、ホルトの復讐心が前面に出てしまったため、謎解きを楽しむという雰囲気には全くならなかった。謎と論理的な解決を楽しむ前に、ホルトの怨念がどのように昇華されるかという方に興味が走ってしまう。何となく本末転倒な気がする。
 そしてこの作品でどうしても気になるのは、ジャンがなぜここまで事件に絡もうとするのかというところに納得いく説明が得られなかったことと、事件関係者がホルトにこうも簡単に裏事情をペラペラとしゃべってしまう点である。前者はまだしも、後者はさすがに納得いかなかった。門前払いをしても周囲からの批判は浴びないだろうし、恐喝めいた行動をホルトが取ろうとすれば、仮釈放を取り消してもらうように働きかければいい。このご都合主義な部分は、大きなマイナス点である。舞台がリアルすぎるため、この矛盾は余計に目立つ。
 法月綸太郎の大絶賛な解説はどうかと思うが、本格ミステリファンなら一読する価値はある。目をつぶった方がよいところはあるが。




ジョン・D・マクドナルド『レモン色の戦慄』(角川文庫)

 明け方の4時。<バスティッド・フラッシュ>号の警報ベルにマッギーは眠りを破られた。
 転がりこんできたのは若い女だった。キャリー・ミリガン。6年前、レイプされかけたところを助けてやり、一度はベッドを共にしたこともある女だ。
 髪振り乱した彼女は、茶色の包みを差しだした。9万2400ドルの札束だ。何も訊かずこれを一か月預かってほしい、保管料は1万ドル、と彼女は言った。マッギーは引きうけた。
 2週間後、キャリーは死んだ。警察発表は交通事故だった。だが事実だろうか? あの大金には事件の臭いがあった…マッギーは相棒マイヤーと共に、愛艇をキャリーの眠るベイサイド市に向けた――(粗筋紹介より引用)
 フロリダを舞台にしたトラヴィス・マッギーシリーズの16冊目の作品。1974年発表、1983年翻訳。

 トラヴィス・マッギーといえば、愛する自家用ヨットを住まいとし、海岸で寂しいご婦人方のお相手をする“ビーチバム”として過ごしながら、ときにもめ事を処理するという程度のことは知っていたが、読むのは初めて。<バスティッド・フラッシュ>という名前は、ポーカーで大連勝したときに手にいれた船で、フラッシュくずれが由来であることは初めて知った。さらにメイヤーという相棒がいることも初めて知った。読んでみるものだな。
 あとがきを読むと、「トラヴィス・マッギーは、ハメットのサム・スペードの足跡をたどる。これは荒々しくも魅力的なスリラーである………マクドナルドの文章はなめらかで、思わずハッとするようなすばらしさを随所に見せる」(ニューズウイーク)、「……マクドナルドは従来のサスペンス物のカテゴリーにおさまりきれない奔放さを発揮する」(ニューヨーク・タイムズ)とか書かれているんだけど、本当かな。魅力がどこにあるのか全然わからなかった。
 江戸時代の渡り鳥が旅の途中で女に惚れられ、地元のヤクザと渡り合ううちにいつの間にかもめ事を解決し、結局女を捨てて次の宿場まで歩くような時代劇をアメリカで見せられた印象。日本を知らない外国人が時代劇を理解できないように、いかにもアメリカ的な人物、舞台を具体的な説明なしで語られても今一つ面白さが理解できない。単に自分が勉強不足ということだけだろうが。
 ということで、自分には肌が合わなかった、理解できなかった。以上。




水上勉『虚名の鎖』(光文社文庫 水上勉ミステリーセレクション)

 新光映画の人気女優・小倉しのぶが千曲川で変死体となって発見された。地元、小諸署の牟田井刑事は、コートのポケットに残された小石の出所を追い、かたや警視庁・梶本警部補は映画界の内情を探った。双方の捜査が真相に肉迫するにつれ、華やかな世界の虚しい裏面が明らかになっていく。日本文学史に多大な功績を遺した水上勉ならではの抒情鮮烈なるミステリー!(粗筋紹介より引用)
「週刊明星」1960年10月30日号〜1961年5月21日号連載。1961年8月、カッパ・ノベルスとして刊行。

 『霧と影』『海の牙』『飢餓海峡』等の作品により、松本清張に続く社会派推理小説作家として一世を風靡した水上勉の作品。粗筋にもあるとおり、コートのポケットに残された小石を手掛かりとして捜査を続ける小諸署の牟田井刑事と、映画界の内情から真相に迫ろうとする警視庁の梶本警部補側からの捜査を交互に書いていき、徐々に事件の全体像や犯人の正体が浮かび上がってくる。
 細谷正充の解説によると、舞台となった新光映画のモデルは、1960年8月に社長と所属女優のスキャンダルがあった新東宝とのこと。関心の高い社会的なテーマを背景に、警察が地道に進める捜査の中で隠された人間像が浮かび上がってくるという手法は、社会派推理小説の一般的なスタイルである。刑事たちが事件の全体像を推理する箇所は出てくるが、それは論理的な思考に基づくものではなく、目の前に現れた事象から適当に作り上げているに過ぎない。歩いて新しい手掛かりを得たとき、再び全体像を推理する過程を繰り返す。現実に即した描き方となっているが、推理するという面白みは全くない。社会派推理小説の楽しみの一つは、捜査の過程によって犯人や社会の今まで見えなかった過去、真実、裏側、苦悩などが徐々に表へ出てくるところにあるのだが、本作品では作者自身が「失敗作でしょう」と書いているとおり、作者が書こうとした映画界の内幕への踏み込みが浅いため、警察側の地道な捜査の方が全面的に出てくるだけの結果となった地味で退屈な仕上がりとなっている。
 ピークを過ぎていたとはいえ、当時の映画界は娯楽の王様であっただろうから、"虚名"というタイトルや犯人の動機などにも納得のいくものがあっただろうが、さすがに今読むとリアリティに欠ける部分があるかもしれない。今の読者からすると、捻りが足りないというところか。
 社会派推理小説というジャンルが形になった頃の作品であり、時代を超えた強烈な感情が読者に訴えてくるわけでもないため、ほとんどの読者には古臭い退屈な作品という読後感しかないだろう。絶版状態だったのも仕方のないことか。現実社会をただ文章にしただけの推理小説では、世代を越えて読み続けられることはないといういいお手本である。
 社会派推理小説ブームを広げるのに一役買った水上勉なので、その推理小説作品がほとんど読めないという現状はちょっと残念である。今回ミステリーセレクションが出るということで少しは期待していたのだが、他の作家と比べると今読むのは少々きつい。4冊で中断しているのも納得はいくのだが、カッパ・ノベルス時代は相当数出版していたのだから、光文社ももう少し出してほしいとも思う。




笹本稜平『サハラ』(徳間書店)

 気がついたとき、男は灼熱の砂漠の中に一人取り残されていた。名前も過去も思い出せない。自分はいったい誰なのか。なぜここにいるのか。そばにあったのは墜落した、国籍の書かれていない軍用ヘリ。残されていたのは日本人のパスポートと、焼けただれていたアラビア語の書類。男を助けに来たポリサリオ戦線軍事部門総司令官ムハンマド・マンスールから、自分は「檜垣耀二」という伝説の傭兵であると知らされる。男はマンスールたちとともにアルジェリアに飛び、日本大使館でパスポートの再発給を依頼するが、男の前に現れたのは防衛駐在官の牛島。牛島は、鴇田一等書記官が檜垣と接触後に失踪し、行方不明であると告げた。さらに鴇田は重大な国家機密を持ち出していた。それは西佐原に埋蔵されているという新油田の調査結果であった。そして男と接触した大使達は自爆テロによって殺害される。
 男は自らの足取りを追ううちに、かつての仲間たちと出会う。マルセイユに住む元傭兵隊長のアラン・ピカール、国際的な武器商人戸崎真人。そして「檜垣」の妻であるミランダと会うために、PTSDを治療しているジュネーブのクリニックを訪ねるが、すでにミランダは「ヒガキ」によって連れ去られていた。自分は本当に「檜垣」なのか。次々と襲ってくる敵の正体は。誰が仲間で誰が敵か。男はひたすらに自分を追い続け、世界中を駆けめぐる。
「問題小説」2006年12月号〜2008年4月号掲載作品を大幅に加筆修正。

『フォックスストーン』『マングースの尻尾』に登場した伝説の傭兵、檜垣耀二が再登場。アフリカ北西部にある西サハラの領有権を巡ってモロッコとサギアエルハムラ・リオデオロ解放戦線(POLISARIO、ポリサリオ戦線)が対立している、いわゆる西サハラ問題を背景としている。いろいろなところで独立問題や紛争が起きているが、そういう世界の動きとは全く無関係のところで生きている日本人とはいえ、こういう問題が存在することを知らなかったというのは少々恥ずかしかった。
 なぜ檜垣耀二が西サハラ問題で動いているのか、檜垣以外は誰もわからず、その檜垣が記憶を失っているという状況なので、敵も味方もさっぱりわからない、という状況である。しかし、そんな彼を無条件で助けようとするピエールや戸崎たちといった仲間との友情と信頼関係が、読むものの心を熱くさせる。
 今回の戦いは、全てを知っているはずの檜垣が記憶を失っているからこそ起きているものであり、檜垣が記憶を取り戻せば、物語の様相はがらりと変わることになる。そこをどううまく処理するかが問題なのだが、この作品に限って言えば大失敗。記憶を取り戻すまでの物語は、冒険小説として満足のいくものであったが、記憶を取り戻してからは事件の背景を淡々と解説するだけで終わってしまう。そこには感動も感情も何もない。目に見える冒険とはまったく裏の世界で、密かに人々が暗躍する姿を箇条書きで並べているだけに過ぎない。記憶を取り戻してからをだらだら書くのは、確かに物語としては間延びしてしまうだけなのだが、読者にとって退屈な文章を読まされて終わってしまうというのは苦痛なこと。これだったら、事件の全てが解決した後で記憶を取り戻した方がずっとよかった。
 竜頭蛇尾という言葉があまりにもぴったりしてしまう、残念な冒険小説。3/4まで面白かったのだから、なおさらである。とはいえ、世界を舞台にした謀略小説を笹本が再び書いてくれたことはうれしいことである。檜垣やピエール、戸崎らの新しい冒険と活躍を読みたいと思うのは、私だけでないはずだ。




垣根涼介『サウダージ』(文春文庫)

 故郷を忘れ、過去を消し、ひたすら悪事を働いてきた日系ブラジル人の高木耕一は、コロンビア人の出稼ぎ売春婦DDと出逢う。気分屋でアタマが悪く、金に汚い女。だが耕一はどうしようもなくDDに惹かれ、引き摺られていく。DDのために大金を獲ようと、耕一はかつて自分を捨てた仲間――裏金強奪のプロである柿沢に接触する。(粗筋紹介より引用)
 「別冊文藝春秋」246〜251号連載。2004年8月に単行本として出版された作品の文庫化。『ヒート・アイランド』『ギャングスター・レッスン』の姉妹編。“サウダージ”とは、「二度と会えぬ人や土地への思慕」とのこと。

 垣根涼介を読むのは初めて。気にはなっていたが、サンミス作家は笹本稜平で充分とでも考えていたのかな。今回、時間が空いたときにたまたま手に取った文庫本を読んでみたのだが、どうもちょっと失敗。実はこの作品がシリーズものとは知らなかった。いきなりこの作品から読んだことで、シリーズとして読むよりも評価はやや落ちているかもしれない。もちろん、この作品を単独で読んでも、話の筋が追えないといった支障はなかったが。
 シリーズとはいえ、過去2作の主役である柿沢、桃井、アキのうち、アキ以外の描写は少ない。そのアキにしても、柿沢や桃井からいろいろと教わっては、時々ふてくされるというだけで、あとは年上の女に溺れてしまうという柔な印象しかない。やはりこの作品の主人公は、耕一であり、DDである。
 ただ、この耕一やDDの描写がどうしても好きになれない。自分勝手なんだか、愛情が深いのかさっぱりわからない出稼ぎ売春婦DD。そんなどうしようもない女になぜか惚れてしまう、悪事をはたらくことしかできない男耕一。好きな人にはたまらないのだろうが、こういう自分勝手な登場人物が苦手な私にとっては苛立つばかり。特に全編にわたって登場する暴力的なセックスシーンの描写には辟易してしまった。不必要と思われる部分も多いと思うのだが。
 垣根涼介といえば犯罪シーンが売り物だと思っていたのだが、この作品に関して言えばあっさりしすぎて面白くない。これだけの計画なら、もっともっと書くことができるはずだと思ってしまう。今回の焦点はあくまで耕一とDDなのだから、犯罪シーンについて多数のページを割くことは好ましくないと思ったのだろうが、どうも柿沢たちや対する暴力団たちのことを考えると、こんなにあっさりとしていていいのと首をひねってしまう。
 何気なく手に取っただけで、それほど期待もしていなかったが、それでも楽しめなかったというのは、たぶん順番通りに読めということなんだろうと思う。とりあえず、他の本を読んでから、垣根涼介についての評価を考えた方がよさそう。




芦辺拓『怪人対名探偵』(講談社文庫)

 下校途中に暴漢に襲われ、顔に傷を負った玲美。頻発する不穏な事件に落ちこむ彼女を励まそうと誘われた"コスプレ・パーティ"で、玲美は謎の<怪人>と出会う。時計台の磔刑、気球の絞首刑、監禁した美女への拷問…そして最後に森江春策が明かす驚愕の真相! 江戸川乱歩へ捧げる著者畢生の傑作本格ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2000年、講談社ノベルスより書き下ろし刊行作品の文庫化。

 著者が江戸川乱歩へ捧げるとあるとおり、乱歩通俗探偵小説を現代に甦らせようとした一作。文庫の帯でも「磔刑、絞首刑、美女監禁」と、いかにもといったキーワードが並ぶ。各章のタイトルも、乱歩らしい言葉が並ぶ。"殺人喜劇王"による復讐劇。残酷な、グロテスクともいえる連続殺人事件。捕らわれる名探偵。花筐城太郎(はながたみじょうたろう)(読めるか!)という名探偵に有明雅彦という少年助手まで登場。さらにメタっぽい要素を取り入れ、さらに本格ミステリとしても成立させようという、無茶すぎる試みに挑戦した努力は買いたい。ただ、さすがに贅沢すぎたか、無駄に長いだけで終わってしまったのは残念だが。通俗探偵小説と本格ミステリを融合させようとしてかえって反発し、現代における乱歩通俗要素が違和感を浮かび上がらせる結果に終わっている。"殺人喜劇王"対"名探偵"だけで通してくれるのなら、展開が大雑把で荒唐無稽だけど面白いという結果に終わったかもしれない。まあ、結果論である。
 荒唐無稽で通そうとしないのなら、やはり現代に"怪人"が甦るだけの意味付けをもうちょっとしっかりしてほしかったところ。乱歩通俗で多くの読者が突っ込んだ、「何でそんな面倒なことをするの?」という疑問を増幅させてはいけない。
 これは個人的に不快だったところだが、殺される側の心理を書きすぎ。乱歩は通俗探偵小説において結構グロテスクな殺人方法を書いてきたけれど、殺される側の恐怖はほとんど書いていないはず。書かれた場合は、死なないですむケースがほとんど。例外は『影男』かな。ただ、あれも後で後悔したと一応のフォローがある。いずれにしても乱歩は、読者にグロテスク以上のやり切れなさというものは与えてこなかった。そこのところを、もう少し作者には考えてほしかった。
 試みは買うけれど、アイデアを詰め込みすぎた失敗作。そんな印象。



【元に戻る】