草野唯雄『クルーザー殺人事件』(角川文庫)

 早朝、三浦半島・油壺――。散歩中の老人が海上で炎上する一艘のクルーザーを目撃した。船室では男女二人の焼死体が発見された。事故か? だが船室には、外側から鍵をかけた形跡が見られた。殺人事件として追う捜査陣の前に、被害者の複雑な人間関係が次々と現われてきた。怨恨か、財産目当ての殺しか、それとも――。
 人間の愛憎を中心に、いりくんだ謎を描ききる長編推理。 (粗筋紹介より引用)
 1985年カドカワノベルズより刊行。1987年12月、角川文庫で文庫化。初出は不明。

 千街晶之が読売新聞で「百人中九十九人は犯人を当てられない。「こんなのありか?」と唖然とした」と書いたせいか、一時期ヤフオクなどで急騰したらしい。私はそんな騒動が起きる前にブックオフから105円で購入していました。なぜ買ったのかは記憶がありませんが。
 粗筋だけ読むと普通の作品。元会社社長で多額の資産を持つ男が愛人とともに殺された。炎上するクルーザーの部屋は外から掛け金がかかっていたので、殺人事件として捜査が始まる。残された証拠品から男の後妻が逮捕されるが、別居している女の娘が恋人とともに事件を追う。
 一昔前の推理小説ならよくあるストーリー。冒頭で出てくる意味のないエロシーンや、いい年をした大人の恋人たちなのに1年経っても未経験というのはよくわからないが、普通といえば普通のストーリーだろう。
 しかし、終盤の展開は確かに唖然とする。裁判が始まってから、被告人の無罪を立証するような証拠が出てくるのはまだわかるが、簡単に裁判が終わって、警察が簡単に捜査を始めるというのもどうかと思う。しかも自分たちの捜査結果を覆した恋人たちと手を組むし。警察のプライドがないのかね、彼らは。
 さらに唖然とさせるのはトリックの部分。実行可能なのか、これ。おまけに犯人も意外といえば意外だが、読んだ瞬間脱力すること間違いなし。高い金を出していたら、「金返せ」と言いたくなる、絶対。
 ということで、間違いなく「ダメミス」。話のネタにしたいという人以外には、読む必要がありません。

 どうでもいいが、ミスター梅介の飲酒運転ネタをマジに書くなよ。




下村明『風花島殺人事件』(桃源社)

 4月22日、私立探偵事務所を営む葉山俊二のところに、26,7ぐらいの青江糸代が訪ねてきた。一昨日に囲碁クラブの大会に出かけたまま帰ってこない内縁の夫を捜してほしいという依頼である。行方不明になっているのは花紋鶴吉、52歳。大分県の南端にある風花島(ふかしま)の網元だったが、神経痛の湯治で別府に出てきたときに、看護で派出されてきた糸代を気に入り、高台に引っ越して一緒に住むようになった。現金を市内の金融業者に委託し、利息で十分な生活を送っており、失踪する理由は何もなかった。
 鶴吉の失踪と同じ20日、風花島にいた鶴吉の妻、多加江が失踪していた。そして23日、海の真ん中で多加江の死体が見つかった。首を絞められた他殺体として。警察は鶴吉が犯人であると疑うが、失踪時間に囲碁クラブにいたというアリバイが証明される。
 葉山は依頼を受けて風花島に渡る。風花島は元々豊後佐伯藩の流人島だった。薬師堂の堂守である老婆が語るところには、島脱けを計った流人の首を斬ったのが花紋の先祖であり、その流人の呪いがかかっているという。そして花紋家は、かなり複雑な事情を抱えていることがわかった。花紋には不具で横にしか歩くことのできない芙佐という娘しかいなかった。芙佐と結婚したのは仙丸亀吉。二人の間に生まれたのが竜一だった。ところが亀吉は出漁中に事故死。後夫に入ったのが、亀吉の弟である鶴吉だった。ところが鶴吉は平然な顔で多加江と浮気をしていた。その証拠をつかもうと、不自由な体で芙佐は山道を歩いたが、転落して死亡。多加江は後妻として花紋の家に入り、華子という子供が産まれた。しかし華子は鶴吉の出征中に産まれた子で、多加江が旅芸人と浮気してできた子供ではないかという噂があった。
 多額の慰謝料とともに離婚を勧める多加江の弟や酒とばくちばかりの花紋家の親族なども絡み、小さな島では様々な思惑が渦巻いていた。
 葉山は多加江の犯人を追う警察官たちとともに捜査を始めるが、捜査は暗礁に乗り上げる。そして再度葉山が島へ渡ったとき、季節外れの台風が島を襲う。島の住人が避難所に集まった中で起こる第二、第三の事件。
 「読切倶楽部」に連載、1961年に桃源社より刊行。

 山前譲が『硝子の家』(光文社文庫)内の「必読本格推理三十編」に入れたことから、一気に注目が集まった作品。その後、『日本ミステリーの100年―おすすめ本ガイド・ブック』の昭和36年の項でも選外ながら挙げていることから、この作品にご執心であることは間違いない。話題になったこともあって読んでみたいと言ったら、持っている方からお借りすることができた。それから10年近く経って、とある事情によりようやく読む気になった。まずは常識外れの長期間お借りしていたことを、この場でもその方にお詫びしたい。
 作者の名前も当時さっぱり知らなかったが、昭和20年代から30年代、普通小説や娯楽小説などを書いている人らしい。社会派推理小説ブームにあわせて何冊か書いたというところか。
 さて中身の方であるが、思ったより本格推理小説っぽい仕上がりなので驚き。どういう背景で事務所を開いているのか、どういう経緯で若い助手がいるのかという背景がまったく描かれていない私立探偵が出てくるところはいい加減だが、風花島の舞台設定はやや浅いところはあるもののそれなりに作られており、横溝正史のような本格探偵小説の作りである。とはいえ、謎もトリックも底が浅いというのはちょっと問題。台風を利用して物語を一気に進めるあたりはそれなりに面白いけれど、もう少しひねりを加えて謎を複雑にしてもよかったところ。とりあえず推理小説に手を染めてみることになったから、一応過去の作品を読んで自分なりに考えて作ってみました、というのが正直なところか。
 山前譲がなぜこの作品を必読に入れたのかはさっぱりわからないが、社会派推理小説全盛の時代にこういう本格推理小説を書いた人もいましたよ、という点においては記憶されていいかもしれない。
 それにしても山前譲があそこまで煽るからには、絶対復刊されると思ったけれど、音沙汰なしなのはちょっと残念かも。




結城昌治『白昼堂々』(光文社文庫 結城昌治コレクション)

 筑豊の廃坑の村。スリを生業とする人々の住むその村に、デパートの保安係をしている昔の仲間・銀三が現れて、もっと安全で割のいい仕事――デパートの集団万引を勧めた。チームワークと巧妙な手口で、窃盗団の稼ぎは上々、前途は洋々と思われたが、ベテラン刑事も黙ってはいない。陽気な泥棒集団の破天荒な活躍を軽妙諧謔の筆致で描いた、著者会心の悪漢小説。(粗筋紹介より引用)
 「週刊朝日」1965年6月4日号〜12月31日号連載。1966年2月、朝日新聞社より刊行。その後報知新聞社、角川文庫、朝日新聞社版『結城昌治作品集』第4巻、講談社大衆文学館に収録された。

 これで4回目か5回目の再読。
 本格ミステリ、サスペンス、ハードボイルド、スパイ小説など様々なジャンルを書いてきた作者による、悪漢小説の傑作。犯罪者を主人公に置く、真っ向から犯罪ものに取り込んだ小説だが、取り扱っているのがスリであるということと、作者の持ち味の一つであるユーモアが、犯罪小説にありがちな後味の悪さをうち消している。被害者が個人ではなく、デパートという大きな組織であることも、悪漢小説でありながらコメディとしても成功した大きな一因だろう。
 作者は1959年に逮捕された万引団をヒントにした、あくまで創作であると書いている。ところが連載終了後、本当に北九州から上京した万引団が逮捕されたから、一部でモデルだったとされるなど色々な騒動があったらしい。まさに、事実は小説より奇なりである。
 作品が発表されたのは今から40年以上も前だが、今読んでも十分に面白い。万引団を構成していた彼らのその後がどうなったか気になるところだが、続きを読むことはすでに叶わない夢である。




アンドリュー・ヴァクス『フラッド』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 一週間千ドルで、コブラという男を捜してほしい――フラッドと名乗る小娘の依頼は、バークにはうまい話に思われた。だが彼女は、幼児虐待殺人鬼コブラに復讐を誓う女性武術家だった……前科27犯のアウトロー探偵バークが、聾唖の武術の達人、黒人の預言者、マッドサイエンティスト、魅惑的な男娼らをひきつれ、NYの暗黒街で最低のうじ虫を追いつめる。ポスト・ネオ・ハードボイルドの旗手ヴァクス、衝撃のデビュー作。(粗筋紹介より引用)
 1985年発表、1992年翻訳。ドイツ・ミステリ大賞受賞作。1994年、文庫化。

 池上冬樹の解説がわかりやすいので、まずは簡単なハードボイルド史を抜粋する。
 ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドなどの正統派、ミッキー・スピレインのタフガイ・ノヴェルに代表される通俗派のハードボイルドは、50年代から60年代後半まで、一部の作家が活躍するだけで、やや停滞の感があった。ところが、70年代に入って、マイクル・Z・リューイン、ロバート・B・パーカー、ジョゼフ・ハンセン、ジョー・ゴアズ、ビル・プロンジーニ(この順序は池上の好みの順であり、発表年順ではない)などの、ネオ・ハードボイルド派(小鷹信光命名)が登場した。さらに80年代に入ると、サラ・パレツキー、スー・グラフトンを代表とするレディ・ガムシューが隆盛し、ジョナサン・ケラーマン、ベンジャミン・シュッツ、マックス・アラン・コリンズ、ビル・クライダー、ロバート・クレイス、アンドリュー・ヴァクスといったポスト・ネオ・ハードボイルド派が登場する。

 ということで、アンドリュー・ヴァクスは、粗筋紹介にもあるとおりポスト・ネオ・ハードボイルド派の旗手である。ネオだの、ポストだの、評論家ではない読者にとってはある意味どうでもいい区分けであり、私個人としても面白ければそれでいい。そして本書は、とても面白かったのだ。
「悪をもって悪を制す」という言葉が日本にはあるが、本作品にその言葉は当てはまらない。探偵バークは前科があるし、金がないときはちょっとした詐欺行為に手を染める。付き合っている仲間もアンダーグラウンドの世界の人間ばかりだ。しかし、バークにとって正義か悪かということは関係ない。頼まれた依頼を、そして怒りを覚える相手にぶつけるために使う手段が、法律上で認められていないものが多いというだけだ。社会を乱す存在かもしれないが、そんなアウトローの姿がとても魅力的だ。
 さらに事件を頼むフラッドも魅力的。彼らのやり取りは、時に笑えるし、時に怒りを覚え、そして時に共感する。
 作者は青少年犯罪と幼児虐待専門の弁護士であり、解説に出てくるインタビュー記事でも、作家となった理由について触れられている。しかしこの作品は、単なる告発を小説化しただけではない。それだけで、バークのような存在を書けるとは思えないし、書けるはずもない。やはり作者が書きたいのはバークであり、バークの周囲を取り巻く人たちであり、そして魅力なヒロインたちなのだろう。その造型と心理描写が素晴らしい。
 ということで、噂にたがわぬ傑作。さて、次はこれまたダンボールにあった『ブルーベル』に手を付けることにしよう。




ポール・リンゼイ『目撃』(講談社文庫)

 P・コーンウェル氏も激賞! 現職のFBI捜査官が犯人逮捕の合間を縫って書き上げた話題騒然の犯罪小説。捜査当局内部にマフィアのスパイが潜入。警察協力者のリストが盗み出され、罪もない市民に処刑の危機が! 同じ頃、同僚の娘も誘拐され――。経験者のみが書き尽くせた驚くべきFBI内部の腐敗。(粗筋紹介より引用)
 1992年発表、1993年翻訳。

 自分の地位を守ることだけに力を使う官僚的上司とそのイエスマン部下、それに対抗するかのように自らの信念に基づき真実と犯人を追い求める刑事。警察小説ならよくある設定である。本作もそんな作品の一つだが、理解ある上司のおかげでチームを組んで捜査にあたるところが珍しいといえば珍しいか。ベトナム戦争の経験があるFBI特別捜査官マイク・デヴリンが主人公だが、作者も同様の経験を持っているところから、この主人公はほぼ作者の姿を投影したものであるのだろう。
 本書がヒットした大きな理由の一つは、現職のFBI捜査官というところだろう。ピラミッドの組織と自らの地位を守るだけの上司の姿というのは、作者自身こそモデルはないと書いていても、結局はそういう上司がいるからこそ書けた内容である。とはいえ、いくら現職捜査官がこういう作品を書いても、FBIの組織が変わるということは絶対に有り得ない。そういう点で虚しさを感じるのは私だけだろうか。
 現職ではあまり見られないと思われるスピーディーでドラマティックな展開は、ありきたりでも警察小説の王道を守っており、読者を飽きさせない。二作目を読もうという気にはならないが、とりあえず面白かったとだけは書いておこう。




水上勉『眼』(光文社文庫 水上勉ミステリーセレクション)

 東京、神田岩本町は繊維問屋街。なかの一軒、婦人服問屋「ローヤル商会」は不況の煽りを受け、大量にストックを抱えていた。そこに舞い込んだ絶好の商談。社長の即断で取引は成立するものの、専務の不安が的中し、詐欺と判明。その後、詐欺の中心人物が殺され、専務は失踪する。絡み合う事件、混迷を深める謎に刑事たちは挑む。文豪の筆が冴える重厚なミステリー世界!(粗筋紹介より引用)
 経済雑誌「評」に1960年10月号から1961年12月号にかけて連載された「蒼い渦」という約250枚の小説に380枚の新稿を追加し、新たな長編小説として1962年12月、カッパノベルスより刊行。

 水上勉お得意(と本人が言っているが、私は『霧と影』ぐらいしか知らない)の繊維業界もの。詐欺事件を追う警視庁捜査二課の遠山刑事と、殺人事件を追う茨城県警の車谷刑事の捜査が交互に書かれ、そして二つの事件が交差し、互いに意識しながら捜査を続けるという、刑事物としてはよくある姿の初期のものといってよいだろう。刑事が一人で単独仁追うところとか、容疑も固まっていないのに平気で容疑者に尋問する(そんなことしたら相手が警戒するだろう)といったところがお粗末ともいえるが、詐欺事件と殺人事件を絡める姿はこの頃のリアルっぽい姿を書き表したものといって間違いない。今読むと稚拙かもしれないが。
 本書の恐ろしさは結末にある。被害者の執念というものが集中したこのラストだけは読む価値があるといってよい。私はトリックこそ知っていたものの、こういう風に使われているとは知らず、読み終わって思わず震えてしまった。トリックそのものは大したことがないのだが、それを成立させる過程を蓄積してきた筆に、水上勉のすごさを私は知った。
 扱われる舞台も、散りばめられた謎も、使われたトリックも大したことがないのに、それらの要素をとりまとめると一つの作品ができるといういい典型。社会派推理小説全盛の頃の一つの形として、記憶されてもいい推理小説ではないだろうか。




笹本稜平『素行調査官』(光文社)

 勤めていた探偵事務所が倒産した本郷岳志は、高校時代のクラスメートで警視庁警務部首席監察官である入江透警視正の誘いに応じて警視庁に入り、警務部人事一課監察係に配属された。監察係は服務規程違反、つまり警察官の不品行や不正を取り締まる部署であり、他の部署からは蛇蝎のごとく嫌われる。今回初めて任された仕事は、公安部外事二課に所属する浅野光男という警部補の不倫に関わる疑惑だった。相手は中国系の貿易会社経営者。本郷は同じ同僚である北本一弘巡査部長とともに経営者の女性のマンションを盗聴することにした。
 警視庁第一機動捜査隊の小松佳文警部補は、相方の斉藤巡査部長と警邏中に通信司令本部からの命令を受け、公園内にある女性の刺殺死体がある現場へ急行した。現場で拾ったのは名刺入れ。その名刺の肩書きと名前を見て、小松は証拠物件を隠匿することを決意した。後日、小松はその名刺の持ち主のところを訪れようとしたが、自宅前で彼は二人の男に命を狙われた。彼を助ける結果となった小松は、自らの出世を夢見て、彼の依頼を引き受けることとした。彼の名前は、警察庁長官と警視総監の椅子にもっとも近いポジションといわれる警察庁警部局長、本田義久警視監であった。
 警察内部に蔓延る公私混同と不正。出世と保身の毎日。探偵上がりの本郷が、事件の真相に迫る。
 「小説宝石」2008年3月号〜9月号掲載。

 笹本稜平の新作は警察内部の不正を探る警察小説。設定そのものはそれほど珍しくないが、主人公が元私立探偵で、警視庁には中途採用されたという経歴が珍しい。本編でも、元私立探偵というキャリアを生かした捜査手法、眼力を示すが、警察官という仕事になれないのか、中盤まではややもたもたした感があった。終盤になってようやく主人公らしい動きを見せるが、どちらかといえば小松の方の印象が強いのは私だけだろうか。
 笹本の欠点なのかどうかわからないが、ときどき妙にリアリティな動きを優先してしまい、読者の爽快感を二の次にするところがある。本作でも結末に関していえば欲求不満のたまるところだろう。
 本郷や北本、入江といったキャラクター造形が作りすぎているぐらい作っているので、続編でも考えているのだろうか。ただ、ファンとしてはあまりこういったような作品を乱作してほしくないのである。



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