稲垣高広『藤子不二雄AファンはここにいるBook2 Aマンガ論序説編』(社会評論社)

 子供の頃から30年以上も藤子不二雄Aファンである筆者が、前作『Book.1 座談会編』に続き、今度は自らの言葉で論じる一冊。「第一章 ギャグの世界」「第二章 自伝的な世界」「第三章 ブラックユーモア短編の世界」「第四章 マンガの精神」に分かれている。
 「序説」と付いているが、これは「初心や基本を忘れない、という私の知的態度の表明のつもりである」と書いており、次に「本論編」があるわけではないとのこと。ただ、読み終わった観想をいうと、次に本論があるのではないか、本論が必要ではないか、と思わせる内容であった。筆者は年代順に細かく網羅的に取り上げていくという方法は米沢嘉博が『藤子不二雄論 FとAの方程式』(河出書房新社)でやっているから、自分が論じたい作品を十分に掘り下げる方法を取ったと書いている。この方法論について異論を挟む気はない。ただ、この掘り下げが作品の粗筋紹介とその背景を語る方向に陥ったところが多いのがとても残念である。特に第二章ではその方向が顕著。藤子Aのインタビューや自伝などと比較しながら、結局粗筋を追っているだけに過ぎず、自伝的な作品とはいえ、その作品を論じることすら放棄しているような態度さえ見せている。『夢トンネル』あたりはもっと別な面で語る方法もあったような気がするが。
 「ギャグの世界」では、あまり語られることのなかった藤子Aギャグの世界に迫りつつあるが、『Book.1 座談会編』の内容を整理しているだけに過ぎないところもあって残念。これだったら、『怪物くん』『フータくん』などを単品で取り上げた方が良かったと思う。ギャグを語るなら、後に描かれる大人物ギャグ(『さすらいくん』など)との比較なども読んでみたかったし、ブラックユーモアとの比較も『黒ベエ』だけではなく、もう少し必要だったのではないだろうか。特に『怪物くん』なんかはギャグだけではなく、ホラー、旅、アクション、友情、バトルなどのテーマも垣間見えるから、後のヴァラエティあふれる藤子A作品の原点と言ってもいいと思うんだが。20年前に呼んだきりだから自信ないけれど。
 面白かったのは第四章。「強者と弱者の二元論」や「ダメ少年の系譜」なんかはもっと作品数を取り上げてほしかったし、掘り下げてほしかったところ。これが藤子F作品だったら「ジャイアンとのび太」に集約されてしまうテーマなのだが、藤子Aだと逆に発散している気がする。
 色々と書かせてもらったが、紙数の関係や、一般にもわかりやすい内容で書こうとすると、今回のスタイルは仕方のないところかもしれない。本来だったらもっともっと書ける人だと思うので、できれば一度くらいリミッターを外して書いてほしいものだ。




高田郁『八朔の雪 みをつくし料理帖』(角川春樹事務所 時代小説文庫)

 神田御台所町で江戸の人々には馴染みの薄い上方料理を出す「つる屋」。店を任され、調理場で腕を振るう澪は、故郷の大坂で、少女の頃に水害で両親を失い、天涯孤独の身であった。大坂と江戸の味の違いに戸惑いながらも、天成の味覚と負けん気で、日々研鑽を重ねる澪。しかし、そんなある日、彼女の腕を妬み、名料理屋「登龍楼」が非道な妨害をしかけてきたが……。料理だけが自分の仕合わせへの道筋と定めた澪の奮闘と、それを囲む人々の人情が織り成す、連作時代小説の傑作ここに誕生!(粗筋紹介より引用)
「狐のご祝儀 ぴりから鰹田麩(かつおでんぶ)」「八朔(はっさく)の雪 ひんやり心太(ところてん)」「初星 とろとろ茶碗蒸し」「夜半の梅 ほっこり酒粕汁」の4編を収録。巻末付録に「澪の料理帖」を収録。2009年5月刊行、文庫書下ろし。

 帯に「2009歴史・時代小説ベスト10」(週刊朝日)、「2009年度 最高に面白い本大賞!文庫・時代部門」(一個人)、「第2回R-40本屋さん大賞文庫部門」(週刊文春)で第1位と書かれてあった。新聞広告で気になっていたのだが、本屋で見かけて面白そうだったので購入。時代物を読むのは久し振りだったが、確かに第1位をとっても可笑しくないと思えるほどの面白さだった。
 主人公の澪と、周りにいる蕎麦屋「つる屋」の主人種市、大坂の奉公先であった料理屋「天満一兆庵」の御寮人であった芳、常連客で時々鋭いアドバイスをくれる小松原さま、青年医師永田源斉、向かいに住むおりょうに旦那で大工の伊佐三と息子の太一などが織り成す人情話。良い人に囲まれて幸せですね、的な話ではあるのだが、こういうのは素直に読むに限る。
 上方と江戸の食文化の比較も興味深いし、なにより描写が丁寧なので情景が目に浮かんでくる。それでいて料理ものに在りがちのしつこさはないことも好感が持てる。
 江戸にいるはずの若旦那は行方知れずのままだし、名料理屋「登龍楼」からの妨害などもまだまだ続きそう。旧友との再会についても気がかり。なによりすでにこの時期では適齢期を過ぎているはずの澪に恋物語があるのか。小松原さまの正体は。続編に向けていろいろな引きがあるのは気になるが、これはもう読むしかないな。
 ただ残念なのは、今回出てくる料理のほとんどが私の苦手なものばかりであること。確かに美味しそうに書いているのだが、でも体に染み付いた拒否反応ばかりはどうしようもないからなあ……。




クリスチアナ・ブランド『暗闇の薔薇』(創元推理文庫)

『スペイン階段』のリヴァイヴァル上映を観た帰り道、サリーは一台の車がつかずはなれず、あとをつけてくるのに気がついた。いったんは無事やりすごせたかに思えたが、折りからの嵐に一本の巨木が音をたてて倒れ、行く手をふさいでしまう。進退きわまった彼女は、倒木のむこう側でおなじ目にあっていた未知の男性と車を交換、それぞれの目的地をめざすが……。嵐をついておこなわれた車の交換劇。そこに一個の死体がまぎれこんだことから、とほうもない謎の迷宮が構築される。英国の重鎮が華麗にして巧緻な筆さばきで贈る、型破りの本格傑作!(粗筋紹介より引用)
 ブランド晩年となる1979年の作品。1995年翻訳。

 冒頭で配役が書かれ、「以上の九人のなかに、殺人の被害者と犯人がいる。この殺人には共謀はないものとする」と書かれたら、期待しないわけにはいかない。しかし、前半でヒロインが追われているかもしれないというサスペンス部分はまだしも、そこを過ぎると登場人物を丁寧に書いているからかもしれないが、退屈な展開が続く。特にヒロインの性格というか、言動が好きになれないし、読んでいて苛立ってくる。その退屈な展開の中で様々な伏線が張られているのだから、気が抜けないというか、ちょっとしんどいというか。
 探偵役は処女作『ハイヒールの死』以来38年ぶりに登場するスコットランド・ヤードのチャールズワース警視正。これがまた昔ながらの探偵役そのもの。登場人物一人一人の容疑、動機、反論などを挙げていくところなんか、懐かしさで涙が出てしまった。
 結末で綺麗に謎が解けるところも含め、本格ミステリの名に相応しい作品ではある。それにしても、黄金時代に書かれたかと思われるような作品を1979年に発表するところは素晴らしいというか、今更というべきか。ブランドのこだわりは感じるが、違和感がないとはいえない。
 ただ出来とは別に、こういう作品を読んでも個人的にはそれほど面白く感じられないところに、自分の好みが変わったと思ってしまう。この本を買った頃は多分そうではなかったと思うのだが。




ジョン・ガードナー『マエストロ』上下(創元推理文庫)

 マエストロ・ルイス・パッサウ。世界屈指のオーケストラ指揮者でありながら、ナチやKGBとの関係が噂される謎めいた人物。そんな彼が狙撃されたのは、九十歳の誕生日コンサート終了直後のことだった。FBIの事情聴取を受けるため、移動用の車に乗りこもうとした一瞬の隙をつかれたのだ。だがそばにいた男がマエストロの命を救ったのだ。英国秘密情報部を引退したはずの、ビッグ・ハービー・クルーガーだ。しかも彼は指揮者を誘拐し、とある隠れ家に連れこんでしまう。身柄の保護を交換条件に、一切の過去を告白するよう迫るクルーガー。やがて、マエストロが静かに口を開いた……(上巻粗筋紹介より引用)
 生れ故郷のオーストリア、一家で移住したニューヨーク、ギャング抗争のさなかに過ごしたシカゴ、そしてハリウッド――生い立ちから始まり、自らの生涯を振り返るマエストロの話は、あたかもアラビアン・ナイトのごとく続いてゆく。それも言を左右にし、老獪に確信をぼかしながら。この老人の正体をつかまねばならない。熾烈な心理戦の末、クルーガーの前にあぶりだされる大物スパイのいまひとつの人生。いつしかそれは、合わせ鏡のようにクルーガー自身の過去をも映しだしていった……。両雄の対決の果て、ついに明らかにされたマエストロ衝撃の真実とは!? 著者渾身の大作登場!(下巻粗筋紹介より引用)
 1993年発表、1995年翻訳。

 新007シリーズの作者としても有名なジョン・ガードナーの大作。1979年から書かれた『裏切りのノストラダムス』、『ベルリン 二つの貌』、『沈黙の犬たち』でいったん完結したクルーガーシリーズの続編。上巻651ページ、下巻634ページという厚さである。
 作品のほとんどは、マエストロとまで呼ばれる世界屈指の指揮者、ルイス・パッサウの独白で占める。生を受けてから、今に至るまでの、波乱と屈辱と、そして栄光の一代叙事詩。そしてその裏に隠されたもう一つの素顔。スパイとしての歴史は、いつしかクルーガーの過去と交差する。まさに大作という名に相応しい重厚さ、スケールの大きさである。一人の英雄の人生を丹念に書いているため、費やされる言葉は多くなるばかりだが、それでもこの長さの作品を読ませてしまう筆力は素晴らしい。さらに物語のアクセントとして描かれるクラシック音楽が、まるでBGMであるかのようにページを繰る手を動かす。
 アル・カポネなどの実在人物、第二次世界大戦から冷戦、そしてソビエト崩壊に至るまでの歴史の流れ。史実と虚構が巧みに混ざり合い、さらにマエストロの女性遍歴に登場する美女たちが物語を彩る。様々な要素がブレンドされるばかりでなく、元大物スパイであるクルーガーの過去までが照らし出される。様々な人生が織りなす物語の結末は、まさに「神のみぞ知る」ところだが、当然ガードナーは全てを計算していたのだろう。
 時間があるときに最初から最後まで一気に読んでもらうことが相応しい作品。読み終わって後悔していることは、クルーガーシリーズを先に読んでいなかったことである。



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