A.E.W. メイスン『薔薇荘にて』(国書刊行会 世界探偵小説全集1)

 南フランスの避暑地エクス・レ・バンで、宝石の収集家として知られる<薔薇荘>の富裕な女主人が惨殺された。室内は荒らされ、同居人の若い女性が姿を消していた。事件の状況は一見明白に見えた。しかし、少女の恋人の求めに応じて立ち上がったパリ警視庁の名探偵アノーの活躍によって、捜査は意外な展開を見せ始める。少女の秘められた過去、降霊会の実験、消えた自動車と足跡の謎。事件の夜、一体何が<薔薇荘>に起こったのか? 素晴らしいプロットと人物造型の妙、古き良き時代のロマンの香り漂うメイスンの古典的名作、待望の完訳。(粗筋紹介より引用)
 1910年発表。1995年5月、新訳刊行。

 メイスンと言えば『矢の家』。というか、それしか読めなかった。戦前にはいくつか邦訳されていたが、そのうちの一つ、アノー探偵もので『薔薇の別荘』という作品が1924年に抄訳で連載され、1925年に出版されていた。本作はその幻の作品の完全版。クラシックミステリファンにはたまらないだろう。本作は、アノー探偵の初登場作品とのこと。
 このアノー探偵というのが実に嫌味な男で、みんなが焦っているのに優雅に食事を楽しみ、自分が知らないことを突っ込まれるとむきになって否定する、自分の知っていることは解決まで隠す、とまあ、名探偵にありがちなタイプ。少しいらいらしながら読んでいたが、展開はめまぐるしく変わり、いつしか失踪していた女性が悲劇のヒロインであることが分かるなど、どちらかと言えば謎解きではなく、警察小説の追跡ものといった感がある。
 それにしても中盤過ぎで犯人が捕まるし、ここからどんでん返しがあるのかと思ったら、後半からは事件の再現ドラマが始まってしまう。ガボリオとかドイルなどが長編で書いていたやり方。うーん、ここで時を戻されると、せっかくの盛り上がりが萎んでしまったなあ、というのが本当のところ。こういうやり方が受ける作品もあるだろうけれど、基本的には好きになれない。とはいえ、戦前の抄訳はここをバッサリ落としていたとのことだから、そりゃ評価されないのも仕方がない。
 読みやすいのは事実なので、古き良き探偵小説というよりも、当時の大衆小説だなあ、と思って読めばそれなりに楽しめる。少なくとも、読んでいて退屈はしない。そんな作品である。
 それにしても、『矢の家』って新訳出ているんですかね。とても読みにくかったことしか覚えていないから、新訳で出してほしいところ。




叶紙器『伽羅の橋』(光文社)

 介護老人保健施設の職員・四条典座は、認知症の老人・安土マサヲと出会い、その凄惨な過去を知る。昭和二十年八月十四日、大阪を最大の空襲が襲った終戦前日、マサヲは夫と子供二人を殺し、首を刎ねたという――穏やかそうなマサヲが何故そんなことをしたのか?
 典座は調査を進めるうちに彼女の無実を確信し、冤罪を晴らす決意をする。死んだはずの夫からの大量の手紙、犯行時刻に別の場所でマサヲを目撃したという証言、大阪大空襲を描いた一編の不思議な詩……様々な事実を積み重ね、典座にある推理が浮かんだそのとき、大阪の街を未曽有の災害・阪神大震災が襲う――!!
 時を経た大戦下の悲劇を、胸がすくようなダイナミックな展開で解き明かしてゆく、人間味あふれる本格ミステリー!(帯より引用)
 2009年、第2回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞受賞。応募時筆名、糸冬了。加筆改稿の上、2010年3月、単行本発売。

 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞は、広島県福山市主催のミステリ新人賞。同市出身の島田荘司が一人で選んでいるという時点で、作品に期待が持てないのだが、偶々手に入ったので読んでみた。予想通り、島田荘司しか選ばないような中身だった。
 戦時下の冤罪を解き晴らそうと若い女性が事件関係者を駆けずり回るのだが、そもそも50年以上も昔の事件関係者が存命で、さらに言えば当時の状況をくわしく話してくれるという時点であまりにも嘘くさいのだが、その展開がただ会話が続くだけという、話の盛り上がりも何もないので、読んでいて退屈で眠くなってくる。選評で島田荘司が「前半は退屈し、読みながら何度も舟をこぐありさまだった」と書くぐらいだからわかるわあ、などと思っていたら、修正して問題点をクリアしたと最後に書いてあったからびっくり。修正してこの退屈さなら、修正前はどんなにひどかったのだろうと目の前が真っ暗になった。前半は半分に整理出来るだろう。それに介護施設の職員って、こんなに時間の余裕があるのか?
 阪神大震災が起きて、過去の事件とシンクロさせる手法はなかなかだと思ったが、やはり筆が追い付いていない。この緊急事態に呑気に事件の謎を解き明かしているのだが、この会話中にばあちゃん、着いちゃうんじゃないか。というかこのばあちゃん、どれだけスーパーウーマンなんだよ、と言いたくなる。最初の認知症という設定と、かけ離れすぎ。一応症状が改善されたとは書かれているが、あまりにも違いすぎて首をひねるばかり。それに謎の解き明かしだが、クランクとかあったらどうしていたのだろうと首をひねりたくなる。
 社会派的なテーマに、奇想天外なトリックが絡みつくという、島田荘司が好きそうなテーマの作品だが、まあ突っ込みどころ満載。出版するにはまだ早い、と言いたくなる作品だった。




東野圭吾『聖女の救済』(文藝春秋)

 IT関連会社の社長である真柴義孝は、鍵のかかった自宅で亜ヒ酸の入ったコーヒーを飲んで死亡した。自殺する原因はないが、どこに亜ヒ酸が入っていたのかが不明。義孝は、パッチワーク作家として有名な妻の三田綾音に、1年以内に子供ができなかったから、と離婚を継げていた。そして、自らの子供を妊娠した、綾音の弟子の若山宏美と結婚するつもりだった。動機は十分だが、綾音に魅かれた草薙刑事は犯人説を否定。さらに綾音には実家のある札幌にいた鉄壁のアリバイがあった。そして、毒物の入手先も混入方法も不明だった。内海薫刑事は些細な言動から綾音が犯人ではないかと疑り、草薙と対立する。内海が相談した“ガリレオ”こと物理学者・湯川が出した答えは「虚数解」。これは完全犯罪なのか。
 ガリレオシリーズ第5作、第2長編。『オール讀物』2006年11月号~2008年4月号連載。2008年10月発売。

 今頃手に取るかと言われそうだが、興味が湧いたので家にあったのを読んでみた。
 事件そのものはシンプル。犯人はわかっており、どうやって毒を飲ますことが出来たのか、という一点に事件の謎はかかっている。ちょっとした引っ掛かりがあったとはいえ、まさに「女の勘」で綾音を追いかける内海刑事。一方綾音に魅かれてしまい、綾音の無実を証明するかのように「男の意地」で被害者の周辺を追いかける草薙刑事。女と男の闘いみたいな状況になっているが、事件そのものも女と男の考え方の違いから発生している。はっきり言って男の我儘というような事件ではあるが、それにしても綾音の心情が悲しすぎる。「毒の混入」だけだったら予想は付くかもしれないが、現場の状況がそれを否定している。その「トリック」には、泣けてくるといってよい。
 なんだかんだ言っても、やはり東野圭吾は読ませるだけのミステリを書いてくれる。さすがとしか言いようがない。




ジェフリー・ディーヴァ―『ウォッチメイカー』上下(文春文庫)

 “ウォッチメイカー”と名乗る殺人者あらわる! 手口は残忍で、いずれの現場にもアンティークの時計が残されていた。やがて犯人が同じ時計を10個買っていることが判明、被害者候補はあと8人いる――尋問の天才ダンスとともに、ライムはウォッチメイカー阻止に奔走する。2007年度のミステリ各賞を総なめにしたシリーズ第7弾。(上巻粗筋紹介より引用)
 サックスは別の事件を抱えていた。公認会計士が自殺に擬装して殺された事件には、NY市警の腐敗警官が関わっているらしい。捜査を続けるサックスの身に危険が迫る。二つの事件はどう交差しているのか!? どんでん返しに次ぐどんでん返し。あまりに緻密な犯罪計画で、読者を驚愕の淵に叩き込んだ傑作ミステリ。(下巻粗筋紹介より引用)
 2006年発表。リンカーン・ライムシリーズ第7作目。2007年10月、邦訳の単行本発売。2010年11月、文庫化。

 名前だけは知っていたが、ライムシリーズを読むのは初めて。シリーズ最高傑作と言われている本書を手に取ってみたが、こんなに面白いとは思わなかった。これは他のシリーズも読んでみたくなる。
 ライムが追いかけるのは、残忍な殺人者で、アンティークの時計を残す“ウォッチメイカー”。かたやサックスが追いかけるのは、偽装自殺の事件から浮かび上がったNY市警の腐敗捜査。どちらも意外な展開が待ち受けており、二つが意外なところでぶつかり、さらなるどんでん返しが待ち受けている。
 スピード、サスペンスは一級品。登場人物は魅力的。先の読めないプロットが最高。そして全く予想もできない展開に驚愕。まさに言うことなしの傑作である。上下巻の長さが全く苦にならない。いや、むしろ読み終わって、これで終わりなのかと残念な気持ちになるぐらい。まあ、最後は筆が滑りすぎたという気がしなくもないが。
 シリーズものだから、最初から読んだ方が書く登場人物の背景がわかっただろうが、全く知らない自分でもほぼ登場人物の背景はつかめたし、問題ないだろう。これは下手に感想を書くよりも、いいから手に取れ、絶対後悔しない、と言った方がいい作品。




桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』(創元推理文庫)

 「辺境の人」に置き去られた幼子。この子は村の若夫婦に引き取られ、長じて製鉄業で財を成した旧家赤朽葉家に望まれ輿入れし、赤朽葉家の「千里眼奥様」と呼ばれることになる。これが、私の祖母である赤朽葉万葉だ。――千里眼の祖母、漫画家の母、そして何者でもないわたし。高度経済成長、バブル景気を経て平成の世に至る現代史を背景に、鳥取の旧家に生きる三代の女たち、そして彼女らを取り巻く不思議な一族の姿を、比類なき筆致で鮮やかに描き上げた渾身の雄編。第60回日本推理作家協会賞受賞作。ようこそ、ビューティフル・ワールドへ。(粗筋紹介より引用)
 2006年12月、東京創元社より書き下ろし刊行。2007年、第60回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門受賞。2010年9月、文庫化。

 鳥取県にある架空の紅緑村で製鉄業を営む旧家赤朽葉家の祖母万葉、母毛毬、私瞳子と女性三代に亘る赤朽葉家サーガ。作者によると、万葉の物語である第一部が歴史小説、毛毬の物語である第二部が少女漫画、瞳子の物語である第三部が青春ミステリであるとのこと。第一部で出てくる空飛ぶ男の謎を第三部で解き明かすわけだが、第二部ではその話が関わってこないため、第三部でその謎が復活しても何をいまさらという感がする。不思議な一族なら、そのまま不思議な一族で押し通せばよかったのではないだろうか。
 書いてある通り、一部から三部までトーンが違うのだが、そのせいでぶつ切りの短編3本を読まされた気がしてならない。わざわざ「ビューティフル・ワールド」なんて書かなくてもいいと思うけれどね。
 出張中の電車の中で読んでいたから一気読みだったが、それほど面白かったとは思えない。間違いなく、この作者とは肌が合わない。




冲方丁『天地明察』上下(角川文庫)

 徳川四代将軍家綱の治世、ある「プロジェクト」が立ちあがる。即ち、日本独自の暦を作り上げること。当時使われていた暦・宣明暦は正確さを失い、ずれが生じ始めていた。改暦の実行者として選ばれたのは渋川春海。碁打ちの名門に生まれた春海は己の境遇に飽き、算術に生き甲斐を見出していた。彼と「天」との壮絶な勝負が今、幕開く――。日本文化を変えた大計画をみずみずしくも重厚に描いた傑作時代小説。第7回本屋大賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 「この国の老いた暦を斬ってくれぬか」会津藩藩主にして将軍家綱の後見人、保科正之から春海に告げられた重き言葉。武家と公家、士と農、そして天と地を強靭な絆で結ぶこの改暦事業は、文治国家として日本が変革を遂げる象徴でもあった。改暦の「総大将」に任じられた春海だが、ここから想像を絶する苦闘の道が始まることになる――。碁打ちにして暦法家・渋川春海の20年に亘る奮闘・挫折・喜び、そして恋!!(粗筋紹介より引用)
 『野性時代』2009年1月号~7月号連載。2009年11月、単行本発行。2010年、第31回吉川英治文学新人賞、第7回本屋大賞、第4回船橋聖一文学賞などを受賞。加筆修正のうえ、2012年5月、文庫化。

 冲方丁初の時代小説ということで話題にもなった作品。それにしても、選んだ主人公が渋川春海とは、ずいぶん渋い人物だと思っていたが、読んでみるとこれがとても面白い。
 渋川春海が暦を作ったことぐらいしか知らなかったが、その暦が800年ぶり、そして国産の暦だとは全く知らなかった。ただそれでも、日本史を学んでいても、せいぜい教科書に一行載るか載らないか程度の扱いのはずだ。江戸時代に至る日本の暦がこれほどばらばらで、しかもずれていたとは全く知らず、さらにとてつもない苦労があったとは……。こういうことを、もっと日本史の授業でやるべきだと思うけれどなあ。本作でも重要な位置を占める関孝和にしてもそうだが、浮世絵や読物だけではなく、もっとこういう方面にも力を入れるべきだと思う。参考文献を見ても、渋川春海についてはあまり多くないようだし。
 そんな悲しい現状はさておいて、小説の方だが、碁打ちで算術好きの渋川春海が多くのものに見いだされ、いつしか改暦事業の中心となり、多くの出会いと挫折を経て、ついに狂いのない暦、大和暦を作り上げ、霊元天皇によって採用の詔が発布され、「貞享暦」の勅命を賜り、施行されることとなる。まさに渋川春海の一代記であるのだが、当然事実にもとづいたフィクションであることは言うまでもない。ライバルであり尊敬し合う間柄となる関孝和とのやり取りにしたって、完璧な創作だ。それでも作品に引きずり込まれ、本当にあった出来事ではないかと思ってしまうのは、読者にとって幸せである。
 暦を作るという話になると、どうしても学術的方面に偏りがちだ。それを多数の人との触れ合いを通し、ドラマティックな展開に仕立て上げてしまうのだから、やはり作者はすごい。とくにえんとのやり取りはユーモアをまじえつつ、互いに相手を認めあい、それでいてえんが春海の事業を支えようとする姿が実に美しい。
 今更ながら読んでみたが、傑作は傑作。素直に面白かったと言える。数々の賞をとったのもわかる気がする。あまり大きく取り上げられることのない人物が、日本にはまだまだ埋もれているのだなと感じさせる。
 作品や作者の評価とは関係ないどうでもいいことだが、粗筋紹介の方で「吉川英治文学新人賞」より「本屋大賞」の方が載っているというのはどうかと思うけれどね。単に字数の問題かもしれないけれど。
 本作品、映画化されているけれど、主役が岡田准一と宮崎あおい。何とも意味深。




霞流一『スティームタイガーの死走―大列車殺人―』(ケイブンシャノベルス)

 コハダトーイの小羽田伝介は、設計はされたものの幻に終わったC63型蒸気機関車を心血注ぎ再現させた。しかも彼は虎徹と名づけたその機関車を本物(’’)の中央線では走らせようとした。その記念すべき日、出発地の東甲府駅で死体が発見された。不吉な予感を抱く伝介。果たしてその予感は走行中の虎徹が忽然と消えるという驚愕の結果となって当たってしまう。消えた虎徹はどこへ…そして死体との関連は? 書き下ろし長篇推理。(粗筋紹介より引用)
 2001年1月、書き下ろし刊行。

 バカミスの雄、霞流一の7作目。どうでもいいが、著者紹介でバカミステリ大賞受賞なんて書くと、本当にそんな賞があるのかと思う読者もいるんじゃないかと思ってしまう。
 粗筋紹介だけ見るとまともだが、中身はとんでもない。一応主人公?は警視庁の警部である唐須太。とはいえマゾ体質だし、特別列車の乗車券を職権乱用で入手するような情けない男。そんな唐須をカータと呼ぶのが、唐須が通う漢方委員の女性経営者、蜂草輝良里、三十五歳。カータはキラリの親友で警視庁検視官の女性を誘う予定だったが、仕事があったため、押しかけで彼女が行くことに。一方蒸気機関車の運転手が失踪、しかも処女雪の上の途中で足跡が急に消えると不可能事象。そして運転当日、コハダトーイの創業者かつ相談役でもある伝介の幼なじみでもある総理大臣までがテープカットに参加し、伝介の息子である社長の虎志郎は大喜び。もっとも、ライバル会社の社長も現れて、一悶着。そこへ、抽選に当たった客が駅舎の斜め後ろにある記念館の裏の空き地で死体となって発見される。一方、蒸気機関車は二人組の男に乗っ取られる。多くの客やキラリは逃げられたものの、カータを含む一部の客は場内に取り残されたまま。さらに全身の皮膚がはがされた状態になった死体がコンパーメントの中から発見される。そして最後、中央線を走っていたはずの蒸気機関車が姿を消してしまった。
 こうやって書くと不可能事件が連続して続く緊迫した展開になるはずなのだが、如何せん登場人部がギャグなせいか、コメディな展開になってしまうのはいつものこと。何か勿体ない気もするのだが、列車を消すトリックなど、この展開以外では不可能というか、怒りだしそうなぐらい笑えるものなので、仕方のないところかも。それにしても、冒頭の敏腕という言葉が全く似合わない社長とか、本当に警視庁の警部かと言いたくなるぐらい情けないカータとか、本当に一病院の経営者なのかと言いたくなるぐらい勇ましいキサラとか、本当に列車強盗犯かと言いたくなる二人組とか、まあ、深刻になりそうな展開をよくぞここまでコメディにしてくれたものだと言いたい。一応、本格ミステリの体には仕上がっているが。
 ある意味呆れかえりながらも読んでいたら、最後にオッと驚く展開が立て続けに。伏線は無かったようだが、まあこれは霞流一だから許せるか、といったもの。まあ、色々な意味で、最後まで驚かせてくれる作品ではあった。
 特筆すべきは、この内容をこのページ数で収めたこと。ノベルス版でわずか200ページ。もっとも、これ以上読ませられたら、怒っていたかもしれないが。




フィリップ・カー『偽りの街』(新潮文庫)

 1936年、ベルリン。オリンピックを間近に控えながらも、ナチ党の独裁に屈し、ユダヤ人への迫害が始まったこの街で、失踪人探しを仕事にするグンターに、鉄鋼王ジクスから調査の依頼が舞い込んだ。ジクスの一人娘とその夫が殺され、高価な首飾りが盗まれたという。グンターはナチ党政府高官だった娘婿の身辺を洗い始めるが……。破局の予感に震える街を舞台に書く傑作ハードボイルド。(粗筋紹介より引用)
 1989年、イギリスで出版。1992年、翻訳発表。

 東京で働いていたころ、「深夜プラス1」にサイン本が置いてあったので、なんとなく購入したままになっていた本。サイン本といっても、名前が書いてあるだけの、ものすごく素っ気ないものだが(苦笑)。
 一人称主人公、タフな私立探偵など、典型的なハードボイルドものだが、舞台がナチス台頭中のベルリンというだけで世界はガラッと一転する。正直言って法律や正義など通用しない時代でどのようにしてハードボイルドの世界を作り上げることができるのだろうと思いながら読んでいたが、予想通りナチスのメンツとやり合いながらもしっかりと正統派ハードボイルドになっていることに素直に感動。相手がゲーリングだろうと、皮肉な口調が全く変わらないのはお見事といってよい。よくぞ、この世界観を作りあげた。
 当時のドイツの状況なども描写されているし、ゲシュタポの理不尽さ、恐怖などもしっかり描かれている。まあ、権力による圧倒的な暴力が苦手なので、読んでいてちょっと苦労したが。結末がどことなく霞がかかったようになっているのは、シリーズものを最初から想定していたのだろうか。
 本書は作者のデビュー作であり、以後書かれた「ベルリン三部作」の第一作。続きは気になるけれど、読むのはしんどそう。




小杉健治『二重裁判』(集英社文庫)

 東京高輪でおきた社長殺しの容疑で逮捕された古沢克彦は無実を叫びながら、獄中で自殺した。兄の無実を信じ名誉回復の再審を弁護士に依頼する妹秀美。だが、公判中の被告人の死は、有罪ではなく無実というのが法律上の建前で再審請求には該当しない。マスコミが騒ぎ、殺人者に仕立て上げられた兄の無実を晴らすために、秀美が打った奇策と意外な事実とは…。真実を問う長編法廷ミステリー。
 1986年6月、廣済堂出版ブルーブックスより書き下ろし刊行。作者の第三長編。1991年4月、集英社より文庫化。

 当時、法廷ミステリの旗手として話題になっていた作者の出世作と言ってもいい長編。週刊文春ベストでは第8位、さらにSRの会のベストでも第8位とランキングされている。
 「裁判で有罪の判決が出るまでは無罪」と言いながらも、社会的には逮捕された時点で有罪になっているという法の建前と一般社会のずれを書こうとしたこの作品。そしてその目論見は、高いレベルで成功しているといってよい。
 兄は本当に無実だったのか。逮捕された時点で有罪と社会的にみなされ、マスコミは周囲の人物へ容赦なく押しかけ、迷惑を顧みず取材を続け、話を捻じ曲げ、世間を扇情していく。妹の秀美も婚約者と別れることとなる。妹の秀美が取った「奇策」は予想の付くものだったが、社長殺しの事件も含め、その真相は意外なもの。できれば裁判やマスコミの後日談を書いてほしかったところだが、現実では同じ問題点が上がっても反省するのは一時だけで、また人権侵害を繰り返すのがマスコミだから、書くだけ無駄だと思ったのかもしれない。
 汚職代議士などの弁護も引きうけて高額な報酬を取る替りに、貧しい人々の弁護には自腹を切るという瀬能寿夫は、本書と短編「動機」にしか登場しない。事件資料を見ただけで事件の矛盾を見つけ出すほどの有能な弁護士なので、かえって使いづらかったのかも知れないが、もっと他でも活躍を見てみたかったほどのキャラクターである。
 法廷ものの傑作の一つ。日本ミステリ史に残る作品だろう。小杉健治は今の若い人にももっと評価されてもいいと思うのだが。本格ミステリの要素もあるし。



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