西村京太郎『寝台特急(ブルートレイン)殺人事件』(光文社文庫)

 寝台特急列車(ブルートレイン)の人気の秘密を探るため、週刊誌記者の青木は東京駅発下り<はやぶさ>に乗り込む。彼は個室寝台で隣室の“薄茶のコートの女”を取材し写真に撮るが、そのフィルムを何者かに抜きとられてしまう。翌日、東京の多摩川にその女の水死体が浮かんだ。彼女をそこまで運んだ方法は? トラベル・ミステリーの決定版!(粗筋紹介より引用)
 1978年10月、カッパ・ノベルスより刊行。1984年10月、文庫化。

 ベストセラー作家、西村京太郎が最初に手掛けたトラベル・ミステリーもの。当時人気のブルートレインに目を付けて書いたのだろうが、長年書き続け、いつしかこのジャンルが「トラベル・ミステリー」と呼ばれるようになり、ベストセラー作家になるとは夢にも思わなかっただろう。
 西村京太郎というと、実は何でも書ける器用な作家だから、ブルートレインに載っていたはずの女性が東京で死体となったトリックについても、それほど悩まず考え付いただろう。ただ作者のさすがなところは、そのトリック、殺人事件に頼らず、さらにタイムリミット・サスペンスをかみ合わせたところにある。当時の国鉄問題も絡め、社会派の要素も絡めるところも巧い。読者を退屈させないその筆は、将来ブームを巻き起こすだけの片鱗が見える。
 西村京太郎=トラベル・ミステリーとなり、その膨大な作品量から、ミステリファンからはかえって敬遠されているところがあるけれども、初期の作品には魅力あふれる作品が多いし、トラベル・ミステリーものにしても初期の作品は非常に力が入っている(中期以降に力が入っていないというわけではないが……)。出来る限り頑張ってほしいものだ。




エドマンド・クリスピン『愛は血を流して横たわる』(国書刊行会 世界探偵小説全集5)

 美しい女子生徒の失踪、化学実験室の盗難事件と終業式を前にあいつぐ不祥事に校長は頭を悩ませていた。しかし、終業式前夜、この学園の小さなミステリは、突如として教員の二重殺人事件へと発展した。来賓として居合わせたオックスフォード大学の名探偵ジャーヴァス・フェン教授は協力を請われ、さっそく事件現場へ急行、酸鼻な犯行に目を見張った。さらに翌日、郊外のあばら家で第三の死体が発見され、事件はますます混迷の度を深めていった……。連続殺人、失蹟事件、シェイクスピア原稿の謎と、息もつがせぬ展開の底に流れる不気味なユーモア、錯綜する論理と巧みなサスペンス。ポスト黄金時代を代表する本格派クリスピンの最高傑作。(粗筋紹介より引用)
 1948年、発表。1995年、翻訳。

 私が英国のドタバタ風本格ミステリを嫌いになった原因である、クリスピンの代表作……らしい。私が嫌いになったのは、シェイクスピアなどの英国文学や演劇が絡みまくる展開が多い点もあるのだが、やはり英国風ユーモアが全く理解できない点が大きいだろう。ビブリオミステリ自体は嫌いじゃないんだが。
 本作はそこまでドタバタしているわけではないものの、やっぱりシェイクスピアが絡むのか、と少々引き気味に読んでみた。そういう読み方をしていたら、駄目だね。全く楽しめなかった。
 本作は英国の学校が舞台。学校が舞台な作品は何作も読んでいるが、未だに学校のルールが理解できない。本作は教師たちが主な登場人物だから、まだ読めたが。
 連続殺人で、犯人が不明、動機も不明、アリバイがある、などと本格ミステリファンなら喜びそうな設定である、とだけは言っておこう。
 ちなみにタイトルだが、元々は"Love Lies Bleeding"。このLoveは登場人物の姓であり、「愛」が絡むわけではない。実際、作中の章題では「ラブは血を流して横たわる」となっている。このような邦題にした理由は、訳者があとがきで書いているのだが、やはりピンと来ないことも事実。




西澤保彦『悪魔を憐れむ』(幻冬舎)

 匠千暁シリーズ最新作となる中短編集。『PONTOON』掲載の「無間呪縛」「悪魔を憐れむ」「意匠の切断」に、書き下ろし「死は天秤にかけられて」の4作を収録。
 2016年11月、単行本刊行。

 安槻署の平塚総一郎刑事の依頼で、平塚の実家の母屋に泊まり、母屋で起きる心霊現象の謎を解くこととなった匠千暁(タック)と羽迫由起子(ウサコ)。その母屋では23年前、主人の隠し子とされる女児が殺害され、その母親が自殺したという悲しい事件があった。以後、亡くなった主人も、その妻も母屋の取り壊しに反対し続けていた。ウサコと平塚刑事の出会いを描く「無間呪縛」。
 大学OBである居酒屋「篠」の主人・篠塚佳男から、11年前に家庭教師をしていた孫が自殺した小岩井教授が、同じ12月21日の午前11時に、取り壊される一般教育棟の五階で自殺するかもしれないので見張って欲しいと頼まれたタック。暇だったタックは言われたとおり見張っていたが、いつの間にか教授は教育棟に入り、飛び降り自殺をした。いったい教授はどうやってタックの目を盗み、教育棟に入ったのか。「悪魔を憐れむ」。
 正月休みで安槻市に帰ってきた高瀬千帆(タカチ)とタックの前に現れた安槻署の佐伯刑事。恋人同士の男2人女1人がアパートの部屋で殺害され、男女1人ずつの首と手首だけがゴミ集積所に捨てられたバラバラ殺人事件の謎をタカチとタックが解く。「意匠の切断」。
 ようやく丘陽女子学園に就職が決まった辺見祐輔(ボアン)と久しぶりに酒を飲むタック。その飲み屋で偶然見かけた男性・梅景は、1月にタカチが安槻市に帰ってきた夜、待っていたホテルのロビーで見かけた男性だった。梅景は午後6時にエレベータで九階へ行き、午後9時に降りてきてホテルを出て行った。午前0時、ホテルに戻ってきた梅景は九階ではなく七階で降りた。十二階の部屋に行ったタックとタカチの部屋の近くで、女性が転んで顔面を強打したと従業員と話をしていた。そして梅景は飲み屋で電話の相手に勝手に転んでおいて、と話をしていた。梅景は十二階に居たのだろうか。そしてこの行動の意味は。「死は天秤にかけられて」。

 『身代わり』以来7年ぶりとなる匠千暁シリーズ最新作。今回は年月が初めて書かれており、「無間呪縛」は1993年8月。タック、タカチ、ウサコは卒業し、タックがフリーター、タカチはタックのアドバイスにより東京に就職、ウサコが大学院へ進学している。ボアンは未だ学生でさすがに焦り、卒業へ向けてまっしぐらという状態のため、今回はほとんど登場せず。ウサコと平塚刑事が出会って一目惚れしてしまった、という話だが、事件を覆う動機がどことなく『依存』の別バージョンという気がして興味深い。タックとウサコの二人だが、タカチからの手紙に書かれた謎を解く話を交え、お互いに色々意見を出し合いながら事件の真相にたどり着くというパターンは変わらず。
 「悪魔を憐れむ」は1993年12月。ウサコと平塚刑事が婚約して籍を入れ、という状況のため、タック一人が事件に向き合っている。本作品中でも特に力が入った中編だが、"悪魔"を"憐れむ"というタイトルが何とも絶妙。誰が悪魔かは読めばわかるのでここでは記さないが、自殺に至るまでの悪意、踊らされる人々も含め、心理サスペンスとして読み応えがある一編である。時々憂鬱になるぐらいダークな部分を描く西澤らしい作品。
 「意匠の切断」は1994年1月。佐伯刑事がタックとタカチに未解決の事件を話して真相を推理してもらう話。いつの間にか安槻署の面々から絶大な信頼を受けているというタックの状況がちょっと笑える。本作ではどちらかと言えばタカチの方がより早く真相にたどり着いていたようだが、タックとタカチの関係が互いにわかり合って信頼し合っている状況が描かれていて、何となく安心する。ただ、バラバラ殺人事件の真相はかなり突飛なものであり、ちょっと許容し難いものではあったが。それにしても、久しぶりに会う恋人同士が酒を飲み続けるというのは、彼ららしいとはいえ、ちょっと突っ込みたくなった。
「死は天秤にかけられて」は1994年8月。タックとボアンが居酒屋で飲みながら事件の真相を探すという、ある意味今までのスタンダードな作品。珍しくボアンの方が最初に仮説を立てて真相を探っている。それにしてもボアン、この話の続きとなる「夜空の向こう側」(『黒の貴婦人』収録)の段階でも、ウサコが結婚していることを知らなかったんかーいと突っ込みたい。

 今まで構想していたであろう卒業編、ウサコ結婚編、ボアン就職編を一気に書いてしまった感がある。卒業編、特にタカチの葛藤とタックの説得(ついでにボアンが置いてけぼりを食らって裏切り者と叫びそうな場面など)は長編で詳細を読んでみたかった気もするが、もう書かないような気がする。できれば4回生の4人も読んでみたかったのだが。
 そんな卒業後と言うこともあり、4人全員がそろった話のなかったことが残念。なんだかんだ言ってもこのシリーズは、仲のよい4人が酒を飲んで旨いものを食べて(ここが最も重要)ワイワイやる姿が一番楽しいのだ。だからこそ、ウサコ結婚で4人がそろう姿を見たかった気がする。
 勝手な想像だけど、あとはタックとタカチの結婚?編の1冊でこのシリーズが終わると思っている。タックが就職できるのか、タカチに養ってもらうのかは知らないが、フリーターではないタックを見てみたい。もしかして、小説でも書いていたりして。




レジナルド・ヒル『骨と沈黙』(ハヤカワ・ポケットミステリ)

 酔って帰宅したダルジール警視は、裏手の家の寝室で展開される光景に思わず目をこらした。灯がともり、カーテンがひらかれたかと思うと、裸身の女性があらわれたのである。だが、つぎの瞬間、女性のわきには銃を手にした男が立ち、夜のしじまに銃声が轟いた!
 女の死体をまえにたたずむ男は、現場に駆けつけたダルジール警視にむかって、妻の自殺を止めようとして銃が暴発したのだと主張した。しかし、目撃者のダルジール警視は、こいつは殺人だと自信満々だった。はたしてどちらの主張が正しいのか? 一方パスコー主任警部は、つぎつぎと警察に送られてくる自殺をほのめかす手紙の差出人をつきとめるよう、ダルジール警部に命じられていた。内容からして、謎の差出人は今度の事件に関わりのある女性と推察されたが……。
 人間の生と死に秘められた苦痛と謎を鮮烈に描いた本格傑作。英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー受賞作。(粗筋紹介より引用)
 ダルジール警視シリーズ第11作目。1990年発表。1992年5月邦訳発売。

 レジナルド・ヒルを読むのは多分『子供の悪戯』以来。近代の英国ミステリらしい重厚さが、どうも今一つ受け付けないのだが、それは本書でも一緒だった。そもそもダルジール警視という人物が受け付けない。これがドーヴァーぐらいまでかっとんでくれると、ユーモアとして楽しめるのだが。
 本書はダルジール警視が目撃した事件の捜査、事件の被害者である女性から出てきた麻薬をめぐる捜査、警察に次々と届けられる自殺をほのめかす「黒婦人」からの手紙、、フーリガンの取り締まり、そしてダルジールが神を演じるという中世の聖史劇をめぐる劇団の話が絡み合い、物語が進んでいく。一つ一つ丁寧に人物と背景が語られるものだから、長い、長い。いや、読んでいて退屈するわけではないんですがね。なんか英国ミステリって、どんどん普通小説に近づいているんじゃないかという気がしなくもない。
 色々と深くて重いストーリーであることは間違いないのだが、読み終わってみるとなんだかもやもや感が残るというか。これでいいの、という気もした。それと、聖史劇のくだり、もっと減らせられるだろう。あのあたりは読むのが本当に苦痛だった。
 英国ミステリって、英国の素養がないと楽しめない部分が多い。本書で言うと、やはり聖史劇の部分。全然興味がない分野で、作者としては読者がわかっているという前提で話を進めるのだから、困ってしまう。傑作という評判は聞いていたが、面白かったかと聞かれたら微妙。




道尾秀介『貘の檻』(新潮社)

 あの女が、私の目の前で死んだ。かつて父親が犯した殺人に関わり、行方不明だった女が、今になってなぜ……。真相を求めて信州の寒村を訪ねた私を次々に襲う異様な出来事。果たして、誰が誰を殺したのか? 薬物、写真、昆虫、地下水路など多彩な道具立てを駆使したトリックで驚愕の世界に誘う、待望の超本格ミステリー!(帯より引用)
 書下ろしで2014年4月、単行本刊行。

 道尾秀介8年ぶりの書き下ろし長編だということだ。そんなに好きな作家でもないので、あまり気にしたこともなかったが。
 主人公は職を失って自殺未遂するわ、離婚するわ、薬物で溺れているわといった人間。小学三年生の息子と久しぶりに会った帰り、駅でホームからの転落事故を目撃するが、それが32年前、自分が小学三年生の時に行方不明になった女。しかも、当時の故郷で殺人事件があり、容疑者の父親が水死体で発見されてそのまま迷宮入りしたとき、父と一緒に行方不明になった女。元妻が仕事があるからと預かった息子とともにゴールデンウィーク、長野県の故郷の村に帰り、当時の事件の真相を探る。
 作者が時々書く、土着もののミステリ。当時の事件の容疑者の息子だからあまり歓迎されていないという設定は読んでいて少々心苦しいのだが、それは仕方がない。ただ、主人公が飲んでいる薬物の影響もあって時々見る悪夢が何ともウザったい。丁寧と見る向きもあるだろうが、個人的には読んでいて退屈だったし、時にはそれを通り越して苦痛ですらあった。息子の連れ去り事件はあったにせよ、特に事件が起きるわけではなく、寒村の独特の風習や行事などが密接に絡み合っている点がかえって説明が多くなる結果となり、はっきり言って退屈。何度投げ出そうとしたことか。
 最後の方でようやく物語が動き出し、過去も含めて事件の真相が明かされるのだが、読後感は今一つ。息子の存在がなかったら、救いはゼロだったに違いない。事件と解決があるけれど、ミステリというよりは純文学か幻想小説の方が近いんじゃないかという気もする。それを抜きにしても、エンタテイメント性はあまりないと言っていいだろう。いや、多分好きな人には好きな話なのかもしれないけれど。
 肌が合わないの一言で片づけてもいいけれど、それを抜きにしても、長いだけじゃないのかと言いたくなる。それだけ。




フィリップ・マクドナルド『Xに対する逮捕状』(国書刊行会 世界探偵小説全集3)

 シェルドン・ギャレットはふと立ち寄った喫茶店で、二人連れの女の奇妙な会話を耳にした。どこかで、何か恐るべき犯罪が計画されているらしい。この雲をつかむような事件を持ち込まれたゲスリン大佐は、残されたわずかな手がかりをもとに推理と探索を積み重ね、知られざる犯罪者を一歩一歩追いつめていく。しかしゲスリンの懸命の努力を嘲笑うかのように、関係者は次々と姿を消し、あるいは殺され、やがてギャレットにも魔の手が迫った。はたしてゲスリンは事件を未然に防ぐことが出来るのか?
 サスペンスにとんだ発端、中盤の論理的な展開と緊迫のクライマックス。エラリー・クイーンら多くの評者が推賞した、幻の本格派マクドナルドの代表作。(粗筋紹介より引用)
 1938年、発表。1963年、浪花書房より翻訳発売。1994年12月、新訳発売。

 幻の本格派、フィリップ・マクドナルドの代表作の一つ。マクドナルドと言えば、やはり『鑢』が本格ミステリとして面白かった。だから期待していたんだけどなあ。
 二人連れの女の会話と、バスの切符と買い物メモの切れ端から犯罪集団を暴き立てるまでの展開は、本格ミステリとして読んでいても実に面白く、これはと期待させたのだが、だんだんと展開がスピーディーになり、主人公であるギャレットの言動がどことなくコメディチックで、それでいてサスペンス風味が強くなり、めまぐるしい展開が待ち構えている。気が付いたら、前章まで語られていた謎はどこへ行ったんだ、と言いたくなるぐらいどんどんスピードが速くなっていき、最後に事件は解決するのだが、どことなく曖昧な部分を残し……。どう考えても、続編期待のサスペンスドラマと一緒じゃないか、と言いたくなった。マクドナルドは1931年からアメリカにわたり、ハリウッドでスクリプトライターとして活動していたとのことだから、この映画のような展開は作者のお得意といったところだったのだろうか。
 クイーンにどこが良かったのか、尋ねたくなってくる。まあ、本格ミステリとして読んだら、大きな期待外れであると言っておこう。



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