柚月裕子『最後の証人』(宝島社文庫)

 元検察官の佐方貞人は刑事事件専門の敏腕弁護士。犯罪の背後にある動機を重視し、罪をまっとうに裁かせることが、彼の弁護スタンスだ。そんな彼の許に舞い込んだのは、状況証拠、物的証拠とも被告人有罪を示す殺人事件の弁護だった。果たして佐方は、無実を主張する依頼人を救えるのか。感動を呼ぶ圧倒的人間ドラマとトリッキーなミステリー的興趣が、見事に融合した傑作法廷サスペンス。(粗筋紹介より引用)
 2010年5月、宝島社より書き下ろし刊行。2011年6月、文庫化。

 『臨床真理』で第7回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した作者の受賞後第一作となる長編で、主人公となる佐方貞人弁護士は後にシリーズ化される。
 二つの物語が交互に語られる。一つは佐方弁護士が弁護人を務める裁判員裁判、もう一つは地元建設会社社長・島津が酔っ払って運転する車に小学5年の息子が轢かれた高瀬夫妻の物語である。
 裁判はホテル内で起きた刺殺事件で、被告が無罪を主張するものの、状況証拠も物的証拠もそろって検察側有利の状況で、切れ者のヤメ検である佐方がどのような弁護をするかが焦点となる。高瀬夫妻の方は、一人息子がひき殺され、しかも息子の信号無視が原因とされたことに落ち込んだ七年後、癌にかかった妻の美津子が復習を計画する話である。子供を失った悲しみ、夫婦のつながり、家族愛といった要素がちりばめられ、さらに敏腕弁護士がどのようにして被告を無罪に導くか、タイトルにある最後の証人とは誰か、どのような証言をするのか、といった話題満載の長編……と言いたいけれど、内容は三文ドラマレベルだった。特に、裁判そのものが作者に都合よくねじ曲げられている点は大いに問題である。小説だから現実とはある程度異なる部分が出てくるかもしれないが、社会や法律といった抜本的な部分を変えてはいけないし、変えるならその旨を事前に説明しなければいけない。裁判の初歩ぐらい勉強してきてから、小説を書いてほしいものだ。佐野洋がいたら、怒りまくっていただろう。

 申し訳ないが、ここからはネタバレ有りで話をする。
 裁判中、被告の名前が出てこない時点で、ああ、被告は建設会社社長の島津だな、死んだのは高瀬の妻だな、と簡単に想像が着いてしまう。それぐらいならいいが、佐方は事件の真の「動機」を暴くことで、島津を無罪に導こうとする。いくら何でも被告を守る弁護士が被告の隠された罪を暴き立てるのは、弁護士倫理として問題である。これ一つで懲戒処分を受けたとしても、文句は言えない。
 その点は「正義の弁護士」という言い方でごまかしがきくかもしれない。ただ、問題点は他にもある。ありすぎるぐらいある。
 雨が降るのがわかっているのに、子供を自転車で送り出す母親というのがまず信じられない。仕事で忙しいわけでもないのに。いくら男の子でも、夜の10時なら車で迎えに行くのが普通じゃないだろうか。
 本来酔っ払い運転であったはずの島津を警察が捕まえなかったのは、島津が公安委員長だから、という理由だが、公安委員長なんて警察外部の人間だから、かばうということがまずあり得ない。かばった人間、よっぽど金でももらっていたのか、と言いたくなるぐらい。
 解剖しているのだから、被害者=妻が癌にかかっていることなど、すぐにわかるだろう。そんな人物が不倫をするかなんて、警察だってそこまで間抜けじゃない。
 鑑定内容から、刺されたかどうかぐらい、わかるはず。素人の弁護士ですらわかるものを、プロの警察や鑑定医が分からなかったなんて有り得ない。
 しかも、警察がたかが7年前の過去を調べられなかったなんて考えられない。別の県ならまだしも、同じ市内の話なのに。
 佐方は「最後の証人」にこだわったが、旦那である高瀬をなぜ証人に呼ばないか、理解に苦しむ。高瀬に過去の事実を突きつければ、いくらでも弁護は可能だろう。
 検察側の論告の後、最終弁論の途中で証人を呼び出すなんてまず不可能だし、できたとしてもその裏を取るために検察側の反対尋問だって必要。それが事実だったとしたら、検察側の論告はやり直しだ。そんな当たり前の手続すら取られていない。法律違反そのもの。
 そもそも、裁判官権限で被告でもない人を証人として引っ張りだすことは可能なのか。相当の越権行為なのだが。
 検察側も弁護側も、推論ばかりで腹が立つ。最後の佐方の弁論なんて、手続の取っていない証人の、裏を取っていない証言を元に述べたものでしかない。それを元に裁判官が判決を下すというのも問題だし、しかも裁判官が別の事件について証拠もないまま一証言だけを元に被告を断じるなんて論外。今まで検察側が示していた証拠って何だったの? それだったら、最後の証人なんか出さなくても、無罪が出たでしょう。弁護側も、旧悪を暴かなくても十分弁護できただろうに。
 裁判員裁判で、しかも有罪無罪を争っている裁判で、最終弁論のわずか4時間後に判決を出すわけがない。議論紛糾するのが当たり前じゃないか。有罪の争いがない裁判でも、殺人事件の裁判だったら普通は論告・弁論と判決の期日は分けているし、審議の時間を取っている。
 横山秀夫が絶賛していたらしいけれど、自分、『64』で交通事故の加害者の名前を警察が明かさなかった、と言って記者から責められている主人公の話を書いているだろう。いくら子供の不注意(という警察の見解)だからといっても死亡事故なのだから、加害者の名前が隠蔽できるわけがない。マスコミから名前を明かせと責められるのが当たり前。

 なんか、他にもあったと思うが、ありすぎて思い出せない。それぐらい呆れる内容が多かった。一つや二つぐらいなら笑って許せるかもしれないが、ここまで並べられるとどうにもならない。これを出版させる方もさせる方。ドラマ化されたらしいけれど、よく突っ込まれなかったものだ。あ、テレビドラマなんてそんなものか。
 こういう作品、どう評価すればいいかなあ。駄作、じゃなくて愚作かね。




鮎川哲也『王を探せ』(光文社文庫)

 だから、どの亀取二郎が犯人なんだ!? ――その亀取二郎は、二年前の犯罪をネタに恐喝されていた。耐えきれず、彼は憎き強請屋・木牟田を撲殺する……。警察が被害者のメモから掴んだのは、犯人が「亀取二郎」という名前であること。だが、東京都近郊だけで同姓同名が四十名。やっと絞りだした数人は、みなアリバイをもつ、一筋縄でいかない亀取二郎ばかり。鬼貫・丹那のコンビが捜査するなか、犯人は次なる兇行に及ぼうとしていた!(粗筋紹介より引用)
 『野性時代』1979年4月号に中編「王」として発表。1981年12月、加筆改題の上、カドカワノベルズより刊行。1987年7月、講談社文庫化。2002年5月、光文社文庫化。

 2年前、子供を車で跳ねて死亡させた上、河原に埋めた亀取二郎が、犯行現場を見ていた何でも評論家の木牟田盛隆に脅迫されて毎月金を払っていたが、耐えきれなくなり、殺害。デスクの卓上ダイアリーに亀取二郎との約束が書かれていたことから犯人の名前はすぐわかったが、目撃者の証言から同姓同名4人が容疑者として残るも、皆アリバイを持っていた。捜査中、無職の河井晩介がアリバイは偽であると証拠の写真を持ってきて亀取を脅迫。亀取は河合を殺害した。河合が残したダイイングメッセージは「王」。
 "亀取二郎"という聞き慣れない名前が都内に40人もいるか、とかの突っ込みは作者もわかっていたことだろうからいいが、計画殺人だからデスクのメモぐらい気づきそうなものだと思うし、ダイイングメッセージだってチェックしそうなものだ。この奇妙な設定を生かそうとする点が、あまりにも作り物めいていて、興味を削いでいる。
4人のアリバイを聞いた時点で、誰が犯人かわかってしまうところが非常に残念。となると後はどうやってそのアリバイを崩すかなのだが、ちゃちすぎて呆気にとられてしまう。5人目の"亀取二郎"が出てくる点も、警察ならすぐに調べられるだろうと突っ込みたいのだが、それは置いておくと、こちらのアリバイが見破られてしまう話の方がまだ楽しめた。
 実質5人の容疑者が同じ名前という点が趣向といえば趣向なのだが、別に名前の取り違いによる混乱などがあるわけではないし、同姓同名を使ったトリックがあるわけでもないので、別の名前で5人の容疑者を挙げても大して差がない。タイトルは第二の殺人におけるダイイングメッセージからなのだろうが、はっきりいってこじつけに近いもので、さして面白くもないし、すぐに解かれてしまうため、タイトルに持ってくる必然性にも欠けている。
 まあ、鮎川が書いたから、と褒める人がいるかもしれないが、はっきりいって凡作。鮎川哲也、老いたり、という作品であった。




トマス・ウォルシュ『深夜の張り込み』(創元推理文庫)

 三人の刑事が、凶悪な銀行強盗逮捕のためニューヨークのアパート街に張り込みを開始する。しかし、犯人が強奪した四万ドルの大金に目がくらんだ刑事シェリダンは、ひそかに犯人を射殺して、死体と現金を犯人の自動車の中に隠す。シェリダンの行動に不信の念を抱く同僚の刑事。犯人の自動車発見に全力を挙げる警察の捜査網。その手のうちを知り尽くしたシェリダンは、たくみに警戒陣の裏をかいて脱出の機をうかがう。愛とにくしみ、友情と裏切りの人間模様を織りまぜて、殺人鬼と化していく悪徳警官の心理をヴィヴィッドに描く野心作。(粗筋紹介より引用)
 1950年、アメリカで発表(中島河太郎の解説だと、1952年になっている。どちらが正しいのだろう)。1961年2月、翻訳刊行。

 作者は1930年代から雑誌に短編ばかりを発表。デビューは『ブラック・マスク』で1933年とのこと。1950年に初めての長編『マンハッタンの悪夢』を発表。本作品は、『殺人者はバッジをつけていた』(原題Push-over)のタイトルで映画化されている。
 この頃結構流行っていたと記憶がある、悪徳警官物の一冊。といっても最初から悪人だったわけでなく、目の前に大金がくらんで悪の道に染まったという方が正しいが。
 移り気で喧嘩っ早いリチー・マコ―リスター、気が小さくて用心深く酒好きのパディー・エイハーン、そして主人公のウォルター・シェリダンという三人の刑事が銀行強盗の妻の部屋の張り込みをするところから物語は始まる。
 テンポは非常に速いし、登場人物それぞれの心情はよく描かれていると思うのだが、視点が三人の刑事を中心にころころ変わるので、物語に没頭できないまま話がどんどん進んでいく。こういう悪徳刑事ものは、主人公一人をじっくり描いた方が感情移入しやすいと思うのだが、いかがだろうか。
 ページの薄さもあるだろうが、どことなく海外ドラマを読まされているようだった。まあ、昔のパルプ雑誌を思い出すのならそれでもいいのだろうが、この展開はどちらかといえば犯罪心理小説としてじっくり読みたかったところ。方向違いの感想だが。




東野圭吾『虚像の道化師 ガリレオ7』(文藝春秋)

 新興宗教「クアイの会」の本部で週刊誌の取材中、教祖の連崎至光から横領の指摘を受けた第五部長が連崎の念を受け、窓から飛び降りて死亡した。連崎は自分のせいと言い張り自首する。所轄は扱いに困り、依頼を受けた草薙が聞き取りを始めるも、現場を一部始終見ていた女性記者とカメラマンは、連崎が何一つ手を触れていないことを証言。事件は自殺に落ちつくかに見えた。事件が評判を呼び、「クアイの会」には信者が殺到する。「第一章・幻惑す(まどわす)」。
 最近、羽虫が飛び回るような音に悩まされている脇坂睦美の上司である早見達郎営業部長が、自宅マンションから飛び降りて死亡。草薙と内海は捜査で、3ヶ月前に不倫相手が自殺したなどを突き止めるも、殺人の証拠は見つからなかった。その後、風邪を引いた草薙は病院で暴れた男を取り押さえるも、ナイフで刺されてしまい入院。警察学校の同期である所轄の北原から、犯人の加山幸宏が幻聴に悩まされていたこと、さらに早見と同じ会社の営業部であることを知る。「第二章・心聴る(きこえる)」。
 大学のバトミントン部の友人であり、地元の町長でもある谷内祐介が結婚するので、山中のリゾートホテルまで来た湯川と草薙。ホテルの上にある別荘で、有名作詞家の桂木武久と妻の亜紀子が殺害された。道が土砂崩れで封鎖されたため、結婚式に来ていた熊倉警察署長の依頼で現場を見た草薙と湯川。桂木は弟子で音楽プロデューサーの鳥飼修二が自身の詩を盗作したと主張し、別荘で話し合うこととなっていたため、鳥飼が疑われる。一方湯川は、現場の状況から発見者である娘の多英に疑いの目を向ける。「第三章・偽装う(よそおう)」。
 劇団「青狐」主宰で俳優の駒井良介をナイフで刺して殺害した、元恋人で脚本家兼女優の神原敦子は、駒井の携帯電話を利用してアリバイを作るとともに、同じ劇団の女優・安部由美子とともに第一発見者となる。草薙と内海は、捜査の過程で神原のアリバイにトリックがあると判断。一方、かつて神原が舞台の脚本を書く上で知り合い、劇団のファンクラブ特別会員となっている湯川は、なぜ神原が劇団の小道具であるナイフを使ったのか、疑問を抱く。「第四章・演技る(えんじる)」。
『オール讀物』他掲載。2012年8月、文藝春秋より刊行。ガリレオシリーズ7作目。

 草薙ないし内海が湯川に捜査の協力を依頼し、主に科学知識を用いて事件を解決する、というパターンはそれほど変わらない。ただ、『ガリレオの苦悩』の時にも書いたが、湯川や草薙に血が通うようになったため、物語に深みが増している。そのプラスアルファがあるからこそ、犯罪と謎、解決が映えてくるのであり、登場人物の人生にもスポットが当てられ、読後の余韻が読者に残るようになる。
 「第一章・幻惑す(まどわす)」では今でも続く新興宗教の問題にスポットを当ててているが、たまたまトリックを思いついて舞台を設定しただけに過ぎないとしても、時事的な話題も取り入れるあたり、作者に余裕が出てきた証拠だろう。
 「第四章・演技る(えんじる)」は珍しい倒叙物。裏に隠された動機などが実に興味深く、本作品中のベスト。
 やはり東野圭吾は、読者を飽きさせないツボを完全につかんでいるのだろう。シリーズ物でも飽きが来ないというのはさすがだ。




貴志祐介『狐火の家』(角川文庫)

 長野県の旧家で、中学3年の長女が殺害されるという事件が発生。突き飛ばされて柱に頭をぶつけ、脳内出血を起こしたのが死因と思われた。現場は、築100年は経つ古い日本家屋。玄関は内側から鍵がかけられ、完全な密室状態。第一発見者の父が容疑者となるが……(「狐火の家」)。表題作ほか計4編を収録。防犯コンサルタント(本職は泥棒?)榎本と、美人弁護士・純子のコンビが究極の密室トリックに挑む、防犯探偵シリーズ、第2弾!(粗筋紹介より引用)
 『野性時代』に2005~2007年掲載。2008年3月、単行本刊行。2011年9月、文庫化。

 築100年の旧家、玄関には内側から鍵がかかっており、玄関と勝手口は100m先のリンゴ園で働いていた人物が誰も来なかったと証言。唯一開いていた1階の窓の外は、雨でぬかるんだ草地であり、足跡がなかった、という完全密室状態。第1発見者である父親の容疑を晴らそうとする青砥純子。「狐火の家」。
 事故死した友人の桑島からペットを譲る約束をしてもらっていたが、相続人である古溝の妻・美香が渡そうとしないというトラブルを古溝から相談された純子。美香に掛け合い、受け取る予定の3匹のペットを渡すと言うことで話がついたが、事故死したアパートの部屋に行ってみると、そこにいたペットとは毒蜘蛛。その部屋は蜘蛛を飼うための専用の部屋であり、桑島は鍵のかかった部屋の中で、毒蜘蛛に噛まれて死んだという。警察は事故死と判断したが、純子は他殺だと直感し、榎本に相談する。「黒い牙」。
 ビジネスホテルの一室で、ドアにチェーンがかかった部屋の中で殺害された、将棋プロ棋士の竹脇伸平五段。鴻野刑事は外からチェーンが掛けられるかどうかを、榎本に尋ねるが、答えは不可能。しかし、犯人らしき人物が鍵を掛けていたのに、なぜチェーンを掛けたのかが不明だった。将棋ファンの榎本は、竹脇の恋人だった、元女流名人で将棋界のアイドル、来栖奈穂子三段と出会い、調査を開始する。「盤端の迷宮」。
 『硝子のハンマー』で純子と知り合い、現在は劇団「土性骨」の劇団員である松本さやかは、座長のヘクター釜千代が一升瓶で殴り殺された事件の犯人にされるかもしれないと、純子に相談する。純子は現場を訪れ、アリバイのない劇団員たちと遭遇。団員全員が、動機のある2枚目俳優・飛鳥寺鳳也が犯人だと名指し。しかし、さやかや特定人物以外には飛鳥寺も含め必ず吠える番犬が、事件のあった夜には吠えていなかった。「犬のみぞ知る Dog Knows」。
「防犯探偵・榎本シリーズ」の第2作。いずれも密室殺人事件の謎を解く話だが、謎解きも調査も淡々としか進まないから、読み終わってみると物足りない。事件が起きました、密室でした、榎本が謎を解きました、ハイおしまい、というだけの作品集でしかない。いくら短編とは言え、もう少し登場人物や背景を書き込んでもいいだろう、と思う。
 「狐火の家」は書き込めばもっと面白くなっただろう。第二の殺人については、手を出す必要はなかった、という気もする。
 「黒い牙」は、蜘蛛嫌いの人は読まない方がいい、というぐらい蜘蛛の描写だけは気持ち悪く書かれている。実際には無理だと思うが、よくこんなトリックを考えたものだとは思う。気持ち悪い殺人トリックという意味では、過去のミステリと比較してもナンバー1だろう。
 「盤端の迷宮」は、ちょっと時代を先取りしすぎたか。事件の動機の方は面白かったが、肝心の密室の謎は今ひとつ。チェーンの解釈については、無理がある。
 「犬のみぞ知る Dog Knows」はユーモアタッチで描かれた、シリーズとしては異色の作品。ただ、ユーモア、というよりは悪のり、と言った方が正しいな。読んでいて気分が悪くなってくる。
 本短編集では、弁護士の純子が無能に書かれすぎていて、残念。榎本ともうちょっとやり取りができる程度には優秀だったと思ったのだが、1作目を読む限りでは。この辺も、淡泊さを感じた原因かもしれない。
 密室は考えればいくらでも考えられるのだな、と思わせた一冊。シリーズファンならいいだろうが、シリーズと言うことを無視してミステリ短編集として読んでみると、物足りなかったが残念だ。ただのトリック披露集で終わっている。




周木律『眼球堂の殺人 ~The Book~』(講談社ノベルス)

 天才建築家・驫木(とどろき)(よう)が山奥に建てた巨大な私邸<眼球堂(がんきゅうどう)>。そこに招待された、各界で才能を発揮している著名人たちと、放浪の数学者・十和田(とわだ)只人(ただひと)。彼を追い、眼球堂へと赴いたライター陸奥(むつ)藍子(あいこ)を待っていたのは、奇妙な建物、不穏な夕食会、狂気に取りつかれた驫木……そして奇想天外な状況での変死体。この世界のすべての定理が描かれた神の書『The Book』を探し求める十和田は、一連の事件の「真実」を「証明」できるのか? (粗筋紹介より引用)
 2013年、第47回メフィスト賞受賞。同年4月、講談社ノベルスより刊行。

 天才建築家が建てた奇妙な建物、眼球堂に集まる各界の"天才"たち。不可能連続殺人事件。閉じ込められた山の中の館。いつか見た、昔懐かしの本格ミステリである。新本格ミステリブームの頃ならいざ知らず(その頃でも古い!と言っているだろうが)、何も今時こんなミステリを書く必要もないだろうに、と思いながら読んでいた。しかもトリックは、いつか見たことがあるようなものの組み合わせ。ページを無駄に使っているとしか思えない蘊蓄の数々。"天才"と言われる割に天才ぶりを発揮できない登場人物たち。なんか、新本格の悪いところ(逆にそこがいいという人もいるだろうが)を寄せ集めたような作品。森博嗣と綾辻行人の二番煎じとしか思えない。最後の章なんて、本当に悪影響を受けたとしか思えなかった。
 作者自身のオリジナルな部分(というほどでもないかな……)は、探偵役の十和田只人が神の書『The Book』を探しているところか。残念ながらその設定も作品に溶け込んでいない。
 あまりにも古くさい設定の作品を出すのなら、もう少し新味のあるところが見たい。それがなければ、ただノスタルジーを求めただけの作品に終わってしまう。




大岡昇平編『ミステリーの仕掛け』(社会思想社)

 ミステリーとは読ませる仕掛け、ミステリーを定義するのは読み方である。眼光紙背の達人が魅力の理由とそのセオリイを披瀝する、異色ミステリー論。(帯より引用)
 1986年3月、刊行。

 『野火』で読売文学賞、『事件』で日本推理作家協会賞を受賞した大岡昇平が編集したミステリー論。
 作家、劇作家、評論家、翻訳家、ミステリ研究家、詩人、大学教授など幅広い分野の読書の達人によるミステリ論。初出も1938年から1983年と幅広いし、ジャンルも本格ミステリからハードボイルド、スパイ小説などと幅広い。
 とりあえず目次を書き出してみる。それだけで、どれだけ幅広い内容なのか、わかるはずだ。

I わがミステリー
 犯人当て奨励 大井廣介
 平野探偵の手記 平野謙
 ぼくと探偵小説 遠藤周作
 『新青年』の香気 中田耕治
 私の探偵学入門―一マニアとその時代 紀田順一郎
 ぼくとミステリ 眉村卓
 ミステリーと私―探偵映画のこと 埴谷雄高
II ミステリーの根拠
 推理小説ノート 大岡昇平
 市民社会と探偵小説 荒正人
 行動の理由 山川方夫
 それでも地球は動く? 小池滋
 現代の神話、推理小説―読者が参加する世界創造 栗田勇
III レクチュアー・コーナー
 探偵小説の心理学 波多野完治
 ありそうでいながら実際にはない本 白上謙一
 歴史家と探偵小説 岡田章雄
 事件の典型としての把握―ミス・マープルに学ぶもの 三浦つとむ
IV ミステリー・ア・ラ・カルト
 ミステリーと時刻表 西村京太郎・宮脇俊三(対談)
 推理小説とミステリー映画の間―その壁をはずそう 渡辺剣次
 ネロ・ウルフと料理 日影丈吉
 トリックにひかれて 松田道弘
V スパイのたのしみ
 泣くがいやさに笑い候 開高健
 スパイ小説集のための序 丸谷才一
 スパイ小説作法―グリーンVS.ル・カレ=キム・フィルビー事件をめぐる事実と虚構 中園英助
 バラ色の漿果―スパイ小説について 中井英夫
VI ハードボイルドの時代
 ハード・ボイルド―現在の眼 安倍公房・村松剛・花田清輝・佐伯彰一(座談会)
 ハードボイルド、売切れました 田中小実昌
 小さなハードボイルド論―三浦浩と、その作品について 小松左京
 ハードボイルド試論、序の序―帝国主義下の小説形式について 豊浦志朗(船戸与一)
VII 仕掛けの構図
 推理小説について 坂口安吾
 紳士ワトソン 椎名麟三
 エリオット・ポオルの探偵小説 吉田健一
 クリスチアナ・ブランド論―オットセイか猫か? 関根弘
 フィリップ・マーロウにおける過剰の蕩尽 栗本慎一郎

 アンソロジー形式の評論集は、昨今こそ本格ミステリ関係であるものの、ミステリ全般では非常に珍しい。しかもミステリ評論家やミステリ作家ばかりでなく、これだけ他ジャンルの幅広い人選によるミステリ評論・エッセイである。ある意味形式ばった評論でなく、様々な視点による自由なミステリ論が多く、読んでいて実に楽しい。取り上げる方向も、専門性に寄ったものから、全く違う方向から攻めたものもあり、一つのジャンルでも人によってこうも見方が変わるものかと感心した。
 戦後、大井廣介や平野謙が坂口安吾や荒正人などとミステリ犯人当てを楽しんだのは有名な話だが、どちらも自分の方が名探偵だったと張り合っているのは実に面白い。自慢話というのは得てしてそういうものだが、大の大人が"たかが"犯人当てでここまで張り合うというのも、外野から見たら実に奇妙なことであり、微笑ましくなるものである。
 珍しいところでは、中井英夫がスパイ小説を論じているところか。原稿を依頼されて慌てて最近のスパイ小説を読んだ感想、というのが正直なところであるが、そういうドタバタぶりを楽しむのも一興である。
 こういうのって、名義貸しであることが多いのだろうが、本作は例え候補を集めさせたとしても、大岡昇平が一度は目を通して選んだのだろうな。これ以上はグダグダ言うまい。やはり一度、手に取ってほしい一冊である。
 当時の社会思想社は、結構面白いミステリ本を出していたのだが、版元が倒産したこともあり、そのほとんどが絶版なのは残念だ。どこかで復刊しないだろうか。『緋文字』とか、東京創元社でやってくれませんかね。



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