倉知淳『猫丸先輩の空論』(講談社ノベルス)

 年齢・職業ともに不詳の童顔探偵猫丸先輩が、日常を"本格推理"する! イラストレーターの家のベランダに毎朝決まって置かれるペットボトル、交通事故現場に集結させられた無線タクシー、密室状態のテントの中で割れ、散乱していた7個のスイカ……などなど不可解で理不尽な謎がスラリと解かれる推理の極み6編。(粗筋紹介より引用)
 『メフィスト』掲載の短編5本に、書下ろし1本を加え、2005年9月、刊行。

 新進イラストレーターのベランダに毎朝ペットボトルが置かれる。中に入っているのはただの水。「水のそとの何か」。
 友人が交通事故に遭った場所へ来た大西。そこに複数の会社のタクシーが、鈴木という客を送迎に来たと何台も現れて。「とむらい自動車」。
 幼馴染の真美に誘われ、虐待されている猫を救出することになった幸太。そこの館では、複数のネコのうちたった一匹だけが虐待されているという。「子ねこを救え」。
 スナックの常連である支部長に誘われ、全日本スイカ割り愛好会の大会を手伝うことになった新井。支部長と飲み物を買いに行って砂浜に帰ってくると、テントの中にあったスイカ15個のうち7個が割られていた。「な、なつのこ」。
 恐るべき大食いの早苗と、その友人明日香。今日はステーキ屋で食べたいと、5kgのお肉に挑戦。ところが早苗は肉を目の前にして、いきなり店の外に飛び出してしまった。「魚か肉か食い物」。
 一人で残業をしている部屋に、電話が次々と掛かってくる。目的は何か。「夜の猫丸」。

 作者のデビュー作から続く猫丸先輩シリーズ。今のところ、これが最新刊かな。相変わらず寡作というか、仕事をしないというか。
 不思議な日常の現象に猫丸が推理するのだが、はっきり言って推理ではなく、タイトルにある通り「空論」である。まあ、つじつま合わせの推理が妙に説得力あるところが楽しいので、合っているかどうかなんてどうでもいい。ユーモアとして楽しめれば、それでいい。
 イラストの猫丸は妙に可愛いが、実際の猫丸は結構ブラック。どうやって生きているのかわからないが、作者はこういう風に生きたかったんじゃないかなと思ってしまう。




島田荘司『写楽 閉じた国の幻』(新潮文庫)

 世界三大肖像画家、写楽。彼は江戸時代を生きた。たった10ヵ月だけ。その前も、その後も、彼が何者だったのか、誰も知らない。歴史すら、覚えていない。残ったのは、謎、謎、謎―。発見された肉筆画。埋もれていた日記。そして、浮かび上がる「真犯人」。元大学講師が突き止めた写楽の正体とは……。構想20年、美術史上最大の「迷宮事件」を解決へと導く、究極のミステリー小説。(上巻粗筋紹介より引用)
 謎の浮世絵師・写楽の正体を追う佐藤貞三は、ある仮説にたどり着く。それは「写楽探し」の常識を根底から覆すものだった……。田沼意次の開放政策と喜多川歌麿の激怒。オランダ人の墓石。東洲斎写楽という号の意味。すべての欠片が揃うとき、世界を、歴史を騙した「天才画家」の真実が白日の下に晒される―。推理と論理によって現実を超克した、空前絶後の小説。写楽、証明終了。(下巻粗筋紹介より引用)
 『週刊新潮』2008年9月4日号〜2009年10月29日号連載。2010年6月、新潮社より単行本刊行。2013年1月、文庫化。

 久しぶりに島田荘司を手に取った。私の中で島田荘司は、既に「さして読みたいとは思わない作家」までランクが落ちているのだが、本作品は構想20年ということと御手洗が出てこないというので読んでみようと思った。やっぱり読まなくてもよかった、という結論に達したが。
 東洲斎写楽とは誰か、という話は山ほどあるので、よっぽどの新説でもないと面白味に欠ける。どう持っていくかと思っていたら、主人公である浮世絵研究家・佐藤貞三の息子が回転ドアに挟まれて死亡したという、現実を模した事件でスタートする。もうこれだけで読む気を無くしたのだが、さらに義父が回転ドアのビルの持ち主と設計会社を訴え、逆に佐藤貞三の過去の研究書が週刊誌上でバッシングされるという展開。ええっと、写楽は一体どこへ、といったあたりから、ようやく写楽の正体探しが本格化。これ、どう考えても、上巻要らないだろう。
 写楽=外人説も過去に読んだ記憶があるのでそんなに目新しいものではないと思う。ただ、江戸編において蔦屋重三郎と絡む部分の話は面白かった。もちろん、小説としての話であり、現実味がとても欠ける話だったが。空想として読む分にはいいけれど、これで正体看破!と言われても、誰も納得しないな。
 あとがきで島田荘司はページが足りないだのなどと言い訳しているが、現在編一切要らない。子供が死ぬ話は不要かつ不愉快だし、署名の入った肉筆画の謎もそのまま。美人教授が佐藤に絡んでくる理由も不明。いくら金を出しても、無名の研究家の売れてもいない著書なんか、週刊誌で取り上げるとはとても思えない。そもそも佐藤の陰々滅々たる愚痴なんか、読みたくもなかったし、写楽と何も絡まない。息子のことも欠片も思い出さず、嬉々として写楽を追う姿は、もはや吐き気もの。
 現在、最も有力な写楽=斎藤十郎兵衛説を否定する根拠が弱すぎ。ドイツの浮世絵研究家ユリウス・クルトが1910年に発表した『SHARAKU』で、「レンブラント、ベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家」と評したとあるけれど、クルトはそんなこと書いていないはず(昔、そう読んだ記憶がある)。調べてみたけれど、そう書いていたという証拠(文章)は見つからなかった。なんかこういうのを見てしまうと、後の部分もどこまで信用してよいのやら、疑問。
 こうやって見てみると、作品の悪いところばかりを見つけてしまう。島田荘司は昔から強引だったが、それを読者に納得させる力を持っていた。ところが本書を読む限り、その力が無くなっているとしか思えない。手を出す分野を間違えたんじゃないの、と言いたい。




米澤穂信『犬はどこだ』(創元推理文庫)

 何か自営業を始めようと決めたとき、最初に思い浮かべたのはお好み焼き屋だった。しかしお好み焼き屋は支障があって叶わなかった。そこで探偵事務所を開いた。この事務所<紺屋S&R>が想定している業務内容は、ただ一種類。犬だ。犬捜しをするのだ。……それなのに、開業するや否や舞い込んだ依頼は、失踪人探しと古文書の解読。しかもこのふたつは、調査の過程でなぜか微妙にクロスして――いったいこの事件の全体像とは? 犬捜し専門(希望)、25歳の私立探偵、最初の事件。青春ミステリの旗手が新境地に挑んで喝采を浴びた私立探偵小説。(粗筋紹介より引用)
 2005年7月、東京創元社より単行本刊行。2008年2月、文庫化。

 米澤穂信が青春ミステリではなく、私立探偵小説に挑んだ一冊。皮膚病で会社を辞め、地元に帰ってきて犬専門の探偵事務所を開いたはずの紺屋長一郎のところに訪れてきたのは、失踪した孫を探してほしいという依頼。続けてきた依頼は、神社で見つかった古文書の解読。失踪人探しを紺屋が、古分署解読を押しかけ助手のハンペーこと半田平吉が調査するも、いつしか二つの事件がクロスする。
 構成は、二つの捜査が紺屋とハンペーの視点で交互に語られる。どことなくユーモアにあふれた作品だが、調査の方はやや都合のよい点が目立ち、読んでいて苛立つ。特にチャット仲間の〈GEN〉にインターネット上のトラブルを探してもらうくだりは、図々しいプロットである。
 本書の肝は二つの調査がクロスするところと、その裏に隠された秘密である。徐々に真相に近づいて、最後に明かされる展開はかなりブラック。何となくこれが、作者の本性じゃないかと思われる。読んでいて、後味のよいものではない。前半の緩い展開に騙されてはいけない。
 米澤流の私立探偵小説の結果が、この作品なのだろう。正直、あまり感心するところはないのだが、評判が良いから不思議だ。シリーズ化前提、という感じの登場人物の配置だが、今のところ本作しか書かれていないらしい。




東野圭吾『禁断の魔術 ガリレオ8』(文藝春秋)

 草薙に連れられて行った銀座のクラブ「ハープ」で湯川は、ホステスのアイが披露した黒い封筒に入った名刺を透視する芸に驚く。4ヶ月後、アイこと相本美香が殺害された。当初は顔見知りの犯行と思われたが、容疑者は見つからず、捜査は難航。草薙は美香に付着していた煙草の葉を手がかりに犯人を突き止めるが、動機がわからない。湯川が透視の謎を解き明かすと同時に、美香と継母との過去に光を当てる。「第一章・透視す(みとおす)」。
 戦力外通告を受けたばかりのプロ野球投手、柳沢忠正の妻・妙子がスポーツクラブの駐車場で殺害された。犯人はすぐに捕まったが、妙子が生前に置時計を買った理由が謎として残った。専属トレーナー宗田を通して柳沢と知り合った湯川は、柳沢の投球フォーム等を科学的にチェックするようになる。「第二章・曲球る(まがる)」。
 アンティークショップを経営する磯谷若菜が自宅で襲われ、意識不明の重体となった。発見並びに通報は若菜の夫、磯谷和宏とその部下だったが、磯谷が訪れた理由は、若菜の双子の妹、御厨春菜からの依頼だった。長野にいた春菜はテレパシーで、若菜の危機を知ったというのだ。草薙と内海は当然テレパシーなど信じないが、湯川は春菜と共にテレパシーの実験を始める。「第三章・念波る(おくる)」。
 フリーライターの長岡修が殺害された。長岡は元文部科学大臣で、「スーパー・テクノポリス計画」の推進者である大賀仁策代議士のスキャンダルを追っていた。草薙と内海はやがて、一人の容疑者を見つける。小芝伸吾。湯川がいる帝都大学を退学し、金属加工製造会社に勤めていたが、現在は行方不明になっていた。そして小芝は高校時代に物理サークルに所属し、OBである湯川に指導を受けていた。その指導で作ったのは"レールガン"だった。「第四章・猛射つ(うつ)」。
 2012年10月、全作書き下ろしで文藝春秋より刊行。ガリレオシリーズ第8作。

 テレビでも人気となったガリレオシリーズの短編集。前作『虚像の道化師』からわずか2ヶ月後の刊行である。
 いつも通りの湯川と草薙+内海のやりとりや科学トリックと、ある意味パターン化された図式ではあるが、それでも読んでいて面白いのは、登場人物や事件の背景の描き方が上手いからだろう。同じようなストーリーを続けて読んでも飽きが来ない、というのは簡単なようで非常に難しいこと。やはり東野圭吾は巧い作家である。
 本作品集で特に力が入っていると思われるのは、「第四章・猛射つ(うつ)」。湯川の教え子が科学を利用して殺人に手を染めようとする話であり、それに対する湯川の行動と発言が見物。正直このままでは勿体ないと思わせる設定であり、さらにこの後どうなったんだともやもやさせる終わり方でもあった。後に長編化されているのも、納得である。これはドラマ化されると、映えるだろうなあ……。
 手軽に読めて面白く、それでいてトリックに驚き、包括されている話に深く考えさせられてしまう。素直に脱帽である。




ディーン・R・クーンツ『ライトニング』(文春文庫)

 いまは流行作家としてときめくローラ・シェーン、かつては孤児院で辛酸をなめた薄倖の美少女だった。これまでの生涯、何度か人生の危機や事故に見舞われそうになったが、そのつど、どこからともなく立ち現われて危難から救ってくれた"騎士"がいた。そのたびに、空には閃光が……。ジャンルを超えた傑作スーパー・スリラー。(粗筋紹介より引用)
 1988年、発表。1989年10月、邦訳、文春文庫より刊行。

 クーンツブームのころに出版された一冊。この時のクーンツは、いったい何社から出版されたのだろう、というぐらい、数が出ていた。元々多作家だから、それも当然のことか。その中でも、傑作と呼ばれている作品の一つが本書。
 それこそ生まれたときから何度も危機に陥ったローラを助けたのが、閃光とともに現れた守護の使い。いったいこれが誰なんだ、ときたら、いやいや、びっくりしました。
 あっさりネタバレしますが、これはタイムトラベルもの。前半はローラが生まれてから結婚し、子どもが生まれ、流行作家となり、そして最愛の夫が殺されるまで。その途中、何度か危機に陥るも、必ず守護の使いが助けてくれる。この使いの正体は、なんとナチスドイツ時代のSS将校で、しかも当時のヒトラーたちまで絡んでくるというトンデモな展開。やはりこの強引な展開こそが、クーンツの真骨頂だろう。
 ある意味作者にとって都合のよいタイムトラベルルールを設け、後はそれに従ってコマとサスペンスを配置するだけ。それなのにここまで面白くなるのは、やはりストーリーの組み立て方が抜群だからである。主人公であるローラの強さ、愛の深さだけでなく、息子クリスの愛らしさと、子どもならではの強かさも絶妙である。そしてどんなことがあろうとも相手を信じる親友セルマとの深い友情もスパイスとして効いてくる。
 前半は主人公の半生で時々退屈になるのだが、本を置きたくなるところで事件を起こし、読者の興味を残したまま、後半からの一気呵成な展開。いやはや、娯楽小説として一流、サスペンスとして超一流。これこそがクーンツだ、と言いたくなる傑作である。何を今更だが。




早坂吝『○○○○○○○○殺人事件』(講談社ノベルス)

 アウトドアが趣味の公務員・沖らは、フリーライター・成瀬のブログで知り合い、仮面の男・黒沼が所有する孤島で毎年オフ会を行っていた。沖は、今年こそ大学院生・渚と両想いになりたいと思っていたが、成瀬が若い恋人を勝手に連れて来るなど波乱の予感。孤島に着いた翌朝、参加者の二人が失踪、続いて殺人事件が! さらには意図不明の密室が連続し……。果たして犯人は? そしてこの作品のタイトルとは?(※真相とタイトルが分かっても、決して人には話さないで下さい)(粗筋紹介より引用)
 2014年、第50回メフィスト賞受賞。同年9月、講談社よりノベルス刊行。

 「前代未聞」かどうかは知らないが(昔あったような気もするし……)、ここまで堂々とタイトル当てを表題に持ってきたのは初めてではないか。そのこと自体は評価してもよいと思う。
 こういうケースだと大体が叙述トリックを使い、何らかの「事実」を隠しているのだろうと思いながら読んでいたが、残念ながら見破ることができなかった。海に行くシーンで本来描写されるべき記述がなかったことなど、不審な点はいくつもあったのに、気づくことができなかったというのは無念である。
 テンポもよいし、短いしで、快調にページは進むのだが、事件とトリック自体はつまらないもの。途中で「神の視点」が挿話として挟まれるけれど、何のためにあるのだか。本格ミステリへの皮肉なんだろうか。
 何と評価したらよいかわからないが、まあ、こういう本格ミステリもあるよ、と言う意味でだけならありだろう。二作目もこれじゃ、やってられないだろうが。アイディア一発物としてみれば、完成度は高い作品。バカバカしいけれど。




ジェフリー・ディーヴァー『ボーン・コレクター』(文春文庫)

 ケネディ国際空港からタクシーに乗った出張帰りの男女が忽然と消えた。やがて生き埋めにされた男が発見されたが、地面に突き出た薬指の肉はすっかり削ぎ落とされ、女物の指輪が光っていた……女はどこに!?  NY市警は科学捜査専門家リンカーン・ライムに協力を要請する。彼は四肢麻痺でベッドから一歩も動けないのだが……!?(上巻粗筋より引用)
 連続殺人鬼ボーン・コレクターは被害者の周辺に、次の犯行現場と殺害手口を暗示する手掛かりを残しながら次々と凶悪な殺人を重ねてゆく。現場鑑識にあたるアメリア・サックス巡査は、ライムの目・耳・手・足となり犯人を追う。次に狙われるのは誰か? そして何のために……。ジェットコースター・サスペンスの王道を往く傑作。(下巻粗筋より引用)
 1997年、発表。1999年、ネロ・ウルフ賞受賞。1999年9月、邦訳単行本刊行。2003年5月、文庫化。

 大ヒットしているリンカーン・ライム・シリーズの第1作。『ウォッチメイカー』が面白かったから、第1作から読んでみようと思って手に取ったけれど、確かに面白いわ、これ。評価が高いのも納得である。
 犯人が残したわずかな手がかりから、次の犯行現場を当てていくライム。反発を覚えながらも、ライムの指示に従うアメリア。あまりにも作りすぎなキャラクターだと思いつつ、いつしか物語に引き込んでいく作者の力に感動。本当にここまでピタリピタリと当てられるか、という疑問すら置いてけぼりにし、読者を結末まで引っ張っていく、そのジェットコースターぶりには感動すら覚える。
 主人公たる二人の造形がここまで作られると、他の人物はおざなりになってしまいがちだが、本書ではそんなことは無い。介護士のトムも、NY市警鑑識課員のメルも、捜査主任のロン・セリットーもきっちりとした造形がなされている。さらに捜査の主導権を握ろうとするフレッド・デルレイもまた、非常に憎々しい。
 ただ、犯人であるボーン・コレクター自身が今一つだった。このような連続事件を引き起こすには、動機が少々弱いと感じた。ここだけはもう少し、書き込みがほしかったところ。
 「息もつかせず」という慣用句がぴったりくる傑作。これだけの登場人物の造形を作ってしまえば、確かに続編を作りたくなる気持ちは分かる。時間があれば、その他の作品も読んでみるつもりである。




松本泰『松本泰探偵小説選I』(論創社 論創ミステリ叢書4)

 永く海員生活をしていた伯父に呼ばれ、三か月前に倫敦に来た坂口は、ここの所家にいない伯父がいるのではないかと、伯父の古い友達であるエリス・コックスの家に向かうと、家の前で女性が酒を飲み過ぎたせいで蹲っていた。家に帰ると、数日旅行へ行くという伯父の書置きが残っていた。そんなある日、エリスの娘であるビアトレスが誘拐される。「P丘の殺人事件」。女性が誘拐されて捜すというサスペンスだが、単調な流れで、読んでいても退屈。“殺人事件”という今では当たり前の言葉をタイトルに使った早い例らしい。
 警察に追われている男が自殺する前に、友人のAに手紙を残す。そこには麻薬密売人まで落ちた流れが書いてあった。「最後の日」。少しずつ犯罪に手を染めていくようになる男の感情が描かれているが、短すぎて迫力に欠ける。
 帰朝した私の歓迎会の席で、大阪の貿易商だった水野と再会する。水野は、英国美術院で有名な若手画家のHの絵を、私の名前で美術学校へ寄付してほしいと依頼する。数日後、私のところに叔父の警部補がやってきて、先日起きた殺人事件の話をするが、写真を見るとそれは水野だった。「眼鏡の男」。家には厳重に鍵がかかっているか、というから密室かと思ったら、窓のガラスが割れているというからなんじゃそりゃ。迷宮入りかと警察で騒ぐわりに、私のひとことで簡単に事件が解決してしまうのだから、つまらない。
 2年前に銀行の貯金帳をさらって逃げていったグインという女を、泉原は今も想って倫敦にいた。ある日、泉原は停車場で二人の男女と歩くグインを見かけ、後を追ってマーゲートまで来たが、出札口で手間取って見失った。すると車に乗った三人がそのまま走り去ってしまった。明日から探そうとホテルを探していると、ギル探偵が声をかけ、部屋まで提供してくれる。「緑衣の女」。女に捨てられた男が女を追いかけるうちに、偶然犯罪と遭遇するサスペンス。主人公の姿が何とも情けなく、この時代にしては珍しい気がする。
 湘南K町に居住し、記者で東京あるいは横浜へ通う連中で成り立っている社交クラブ、K会の友人富田に誘われ、榎は飛び入りで出席した。会員の広井と一緒に帰った後、自宅に付いたら、広井の妻から電話がかかってきて、広井がまだ帰っていないから何か知らないかと電話が来た。広井の事務所があるY町が火事なのに、連絡が取れず困っていた。気になった榎は、広井家を訪れた。警察へ行くと、焼けた事務所から黒焦げの死体が見つかった。名前入りのカフスから、死体は広井のものと判明。「焼跡の死骸」。珍しい本格探偵小説。時代としてはあまりにも古いからかもしれないが、内容は他愛ない。
 5年住んでいた倫敦を離れることとなった私は、かつて事件のあった家の近くに滞在したことがあったという理由で、ノルマン・ベイリー事件のことが気にかかっていた。それは休職中の陸軍少佐、ノルマン・ベイリーが妻を殺害した後、今も逃走中という事件である。ある日、外から帰ってきた私は下宿に戻ったが、玄関には見慣れぬ女中がいるし、部屋は片づけられていて、トランクが2つだけ残っていた。よくよく考えるとそこは自分の下宿ではなかったことに気付いたが、そのとき隣の部屋の美人が出てきて、荷物を届けてほしいと私に封書と十円を渡したのだった。「ガラスの橋」。巻き込まれ型のサスペンスかと思ったら、最後は夢オチ。ガクッと来た。ロンドンを騒がしたという設定のノルマン・ベイリー事件だが、本当にあったわけではなく、創作らしい。
 私は雷屋という金融取扱の店に給仕として勤め、早川という出納係とともに店で寝泊まりをしていた。ある日、私は早川に頼まれ、店員の進藤が忘れていった小包と封書を出しに行き、ついでに早川が頼んだ煙草のバットを二つ買ったはいいが、帰り道に喧嘩の野次馬をして遅くなってしまった。慌てて店に代えると、早川が死んでいて、店にいたはずの店主、小山がいなくなっていた。さらに三千円が盗まれていた。「タバコ」。意外な証拠からあっという間に犯人が捕まってしまう話。他愛ないものだが、警察が自殺ではなく他殺だと断定してからのたたみかけはなかなか。
 警察の目を隠れて賭博が行われている支那料理店で、中毒者のジョンス夫人がコカインを摂りすぎて死亡した。その際、右手の指環が紛失していた。脛に傷を持つ亀田は警察に追われて逃げ出していると、横浜で出会った支那人から、月給百円で百日間、決められた下宿に住むという仕事を請け負った。「ゆびわ」。冒頭の指環紛失と、それ以後の亀田の奇怪な体験が如何にして交わるかというのが話の興味の一つだが、冒頭と結末だけが指輪の話で、後は亀田の話という点が、物語を断絶してしまっている。
 倫敦で遊民生活を送っていた私は、親が残してくれた金をほとんど使い果たしてしまった。そして、残った百円を友人で画家の柏と使い果たそうとホテルで晩餐を取っていたら、美人と出会った。柏と別れた後、サボイ劇場へ行った帰り、街角で先ほどの美女と出会い、タクシーを呼んでほしいと叫ぶ。私は大通りへ出てタクシーを掴まえ、彼女を載せると、近くの路地で人だかりを見つけた。前に出てみると、劇場の隣に座っていたフランス人が刺されて死んでいた。「日陰の街」。本作品集の中ではやや長め。そのせいか、町の風景なども描写されており、多少読みごたえがある。巻き込まれ型スリラーは相変わらずだが、結末の虚しさがちょっといい。
 遠戚の商家に寄宿している私は、商家の御嬢さんと仲良くなっていた。一方、商家の旦那は震災で商売が思わしくないせいで酒が増え、芸者を落籍して家を建てていた。そんな旦那が、ネズミ用に用意した猫いらず入りのおはぎをつまみ食いして死んでしまった。「毒死」。短くて、話の盛り上がりも何もないが、明るい希望を抱いた結末だけはちょっと良い。
 寺田刑事は目を付けている隼の哲治が川崎家に入った帰り、百円という大金を持っていたから問い質したが、川崎さんが渡したと本人も認めたため、やむなく開放する。しかし哲治の態度が気になっていた。「指輪」。小品すぎて、特に書くこともない。
 青物を商っている村田屋の亭主は、先妻が残した10歳のお千香に煙草を買って来いと金を渡したが、そのまま帰ってこなかった。そして翌日、絞殺死体となって発見された。「蝙蝠傘」。意外な手がかりから犯人がわかる話。枚数がもうちょっとあれば、事件周辺の書き込みができたと思うと、ちょっと惜しい作品。事件が起きた土地の見取り図が掲載されており、このような試みとしては最初期のものらしい。
 私立探偵事務所を細菌学者の沢井博士が訪れ、もうすぐ結婚する姪へ送ろうと首飾りを買ったが、テーブルの上に置いたまま窓際でぼんやり外を見ていたたった5分の間に盗まれてしまった。警察を呼びたくないという博士の依頼に応じ、探偵は捜査を始める。「不思議な盗難」。密室状態からの消失という不可能犯罪を取り扱ったものかと思って期待したら、最後は裏切られてしまった。ただ、ちょっとペーソスにあふれているかも。笑い話と思って読んだ方がいいかもしれない。
 金持ちのワット氏が、永い間別居している夫人と和解したいので斡旋してほしいとマーシャル探偵のところへ依頼に来た。マーシャルは夫人のところへ行くが、家に帰るつもりはないと追い返される。「ワット事件<土曜物語―その一>」。作者が土曜日ごとに聞き行くという老探偵の回顧録だが、翻訳かどうかは不明とのこと。変梃りんな事件だが、なんとなく創作という気がする。
 未亡人からの依頼は、モルヒネを愛用する17歳の息子が、夏休みが終わって学校の寄宿舎へ帰るのを停車場から見送ったが、学校へ着いていないので捜してほしいというものだった。「少年の死<土曜物語―その二>」。タイトルでネタバレしているが、最後が悲しい物語。
 未亡人からの依頼は、目をかけている女性秘書のところに、毎日気味の悪い脅迫状が投げ込まれ、しかも探偵を雇って見張らせていたのにだれがいつ持ってくるのか全くわからないままなので、解決してほしいというものだった。「毒筆<土曜物語―その三>」。筆跡で犯人がすぐにわかるという、あまりにも退屈な話。

 作者が主宰していた『秘密探偵雑誌』『探偵文藝』へ大正時代に発表した作品を中心に構成された作品選。江戸川乱歩以前にデビューした作者の一人だが、何とも捉え難い作風である。乱歩の「軽い意味の「謎」と、停車場の待合室に佇んで静かに雑踏を眺めているような旅行記風の、「味」のある文章とが、記憶に残っている」というのが的確な評だろう。とはいえ、本格でも変格でもない作風が、探偵小説界からはさして評価されてこなかったのも仕方がなかったかもしれない。本作品集はとにかく短く、筆足らずなものが多い。読んでいて物足りなさを覚えるものばかり。そのせいで、作者が売りにすべき異国情緒も今一つ。まあはっきり言って、読んでいても退屈だった。それ以上、どういいようもない。



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