小林泰三『大きな森の小さな密室』(創元推理文庫)

 会社の書類を届けにきただけなのに……。森の奥深くの別荘で幸子が巻き込まれたのは密室殺人だった! 閉ざされた扉の奥で無残に殺された別荘の主人、そしてそれぞれ被害者とトラブルを抱えた、一癖も二癖もある六人の客。犯人はこの中にいる――。犯人当ての「大きな森の小さな密室」。遺跡の発掘現場で発見されたのは、絞殺された若い女性の遺体。死亡推定時期は百五十万年前!? 抱腹絶倒の「幸精機の殺人」。ミステリでおなじみの七つの「お題」を天才殺人者やマッドサイエンティストなど一筋縄ではいかない探偵たちが解く。精密な論理が黒い笑いを構築する全七篇のミステリ連作集。(粗筋紹介より引用)
 『ミステリーズ!』掲載作品に書下ろしを加え、2008年2月、『モザイク事件帳』のタイトルで東京創元社の創元クライム・クラブより単行本刊行。2011年10月、改題の上、文庫化。
 金貸しの蓮井錬治が森の奥深くに住む別荘へ来た男女5人+近所に住む老人・岡崎。昼飯だからと待たされたため、近くを散歩していた5人だったが、戻ってきてみると蓮井の部屋のドアに何かが引っかかって開かない。皆で押すとドアが開き、血だまりの中に蓮井の死体があった。ドアに引っかかっていたのは蓮井の死体だった。窓も鍵がかかっており、部屋は密室だった。謎の老人、徳さんこと岡崎徳三郎が事件の謎を解く、犯人当ての「大きな森の小さな密室」。
 編集者の乙田三郎太は、担当作家で不倫相手の二ノ宮里香美をホテルで感電させ殺害する。アリバイトリックは完璧、しかも里香美の夫である一の谷淳が偶然ホテルを訪れていたことで、警察は重要参考人として扱うが、一の谷は弁護士の西条源治に助けを求める。西条は、乙田にまとわりつく。倒叙ミステリの「氷橋」。
 コンビニ店員の長柄宮菜穂子は、水にコミュニケーション能力があるという研究をしている秋葉猛士と付き合っているが、最近はストーカーがいるから菜穂子が危ない、という理由で会っていない。猛士からメールで来てほしいと言われた菜穂子は、同じ店員の睦月早苗に励まされ、猛士がいる研究所へ行くが、猛士は殺害されていた。コンビニ店員仲間の新藤礼都が謎を解く。西条も登場。安楽椅子探偵ものの「自らの伝言」。
 NPO団体超考古学研究所が行っている発掘現場で、アルバイトの女子学生、中野幸代が血まみれの腕を発見した。その後、発見された死体は助手の荒川純だった。しかし、彼女が埋まっていたのは、第四期更新世の地層。彼女は百五十万年前に殺害されたのか。超限探偵Σが謎を解く。新藤礼都も登場。バカミス、「更新世の殺人」。
 探偵を始めたマッドサイエンティスト、丸鋸遁吉に無理矢理助手に任命されたわたしは、丸鋸の友人である資産家の金盥狆平の別荘へ行き、狆平の甥と姪とともにタクシーに乗って別荘へ行くも、吹雪にあって命からがら別荘に辿り着く。狆平はここ半年、原因不明の下痢や腹痛、病気に見舞われたが、医者の梅安に見てもらった結果、実は砒素を盛られていたことが判明。その夜、狆平が毒殺された。??ミステリ、「正直者の逆説」。
 前向性健忘症の田村二吉は、マッドサイエンティスト、丸鋸遁吉によって改造され、亡くなった事件の被害者の被害者の脳の記憶を移植されてしまう。SFミステリ、「遺体の代弁者」。
 サラリーマンの田村二吉のところへ、高名な探偵だから事件の謎を解いてほしいと岡崎徳三郎が現れる。ただし田村には、探偵だったという記憶がない。岡崎は、二、三日ごとに決まった十七か所にパン屑が落ちている謎を解いてほしいという。日常の謎、「路上に放置されたパン屑の研究」。

 「大きな森の小さな密室」はストレートな犯人当て、「氷橋」はわかりやすい倒叙ミステリであるが、「自らの伝言」には怪しげなニューサイエンス(エセ科学)が出てくるし、「更新世の殺人」に至っては登場人物が皆おかしく、さすがの新藤礼都も呆れるしかないバカミス。「正直者の逆説」では丸鋸が開発したという万能推理ソフトウェアに出てくるΣが事件のヒントを言い残すし、最後は小説の冒頭の条件を基に事件の謎を解き明かすというアホらしい展開。「遺体の代弁者」に至っては、口をあんぐりとするしかない設定。「路上に放置されたパン屑の研究」はもはや、何も語りたくないという境地に達せられる。
 作者の暴走ぶりを楽しむしかない短編集だが、はっきり言ってこのような暴走が苦手な私には、読めば読むほど苦痛になっていくしかなかった。ちなみに登場人物は、作者の過去作品の再登場となっているが、過去作品をほとんど読んでおらず、読んだ作品もすっかり忘れている自分にとっては、何の意味ももたらさなかった趣向であり、あくまでファン向けと作者の自己満足でしかない。
 まあ、色々な意味で、「ひどい」短編集である。好きな人は好きだろうけれど。




森村誠一『密閉山脈』(角川文庫)

 約束の九時が過ぎた。貴久子は何度も合図をくりかえしたが、K岳山頂からは何の応答もない。<もしや、あの人の身に……> 重苦しい不安が次第に彼女を押し包んでいった。――その時、遂にみかん色の灯が山頂に灯った。だが、それは二人が誓った愛の信号ではなく、絶望的なSOSだった……。
 翌日、K岳頂上付近で、半身雪に埋もれた男の死体が発見された。遭難死か? しかし、死者は海外登山の経験も豊富なベテラン登山家で、事故死に疑問が残った。そして徹底的な調査の結果、ヘルメットの破損部分に重大な事実が!
 北アルプスの高峰に密室を構築、森村誠一の本格推理最高傑作。(粗筋紹介より引用)
 1971年2月、<乱歩賞作家書下ろしシリーズ>第一回として、講談社より単行本刊行。1976年6月、角川文庫化。

 森村誠一の長編第五作。初期の長編は本格ミステリに挑む意気込みが強く、いずれも読みごたえがあるのだが、なぜかこれは読み落としていた。
 恋人に捨てられ自殺目的で山に入った湯浅貴久子は、遭難死寸前のところを下山中の影山隼人と真柄信二に助けられる。二人とも美しい貴久子にアプローチするも、いつしか貴久子は影山と付き合うようになる。そしてプロポーズの返事をしようとした旅行先の登山で、影山は落石と思われる事故で亡くなる。遭難救助隊の熊耳敬助警部補は、事故死ではなく殺人ではないかと疑問を抱く。しかし他の誰かが登山した痕は無く、そして下山に必要なライトも夜は光っておらず、さらに早朝には救助隊がすでにいたから、下山することは不可能であった。すなわち、山頂は密室状態にあったのだ。喜久子も熊耳も動機のある真柄を疑うも、犯行は不可能だった。
 主要登場人物は貴久子と影山、真柄、熊耳しかいなく、はっきり言ってしまえば犯人は真柄しかいない。しかし、どうやって犯行に及ぶことができたのか。一応アリバイトリックもあるものの、メイントリックは山頂という開かれた密室での殺人である。スケールの大きい密室なのだが、問題はトリックが今一つなところ。丁寧に舞台は書かれているのだろうが、推理するのも難しいと思う。謎が明かされる部分を読んで、そんな単純な方法なの、とちょっと失望してしまった。悪い意味で、騙された気分になった。
 まあ、貴久子というヒロインをめぐる葛藤などは読んでいて楽しいし、運命に翻弄されるヒロインでありながらも実はヒロインに翻弄されているのは周りの男たちという逆転劇も悪くない。なんだかんだ言って、力が入っていることが分かる一冊であった。




北重人『火の闇 飴売り三左事件帖』(徳間文庫)

 金が、金のあるところにしか回らない。盗人も増え、百姓が逃散する時代、河井田藩家中の権力争いに巻き込まれ、武士を捨てた飴売り三左。顔はいかついが、笑顔は天下一品、人の心を溶かす。腕が立ち、肝も座っている。けんかの仲裁から殺人事件の下手人探しまで、鮮やかに処理。今日も江戸の町に、辻から辻へ、飴売り三左の声が響く。抑制された哀感が胸を打つ遺作。(粗筋紹介より引用)
 2009年12月、徳間書店より単行本刊行。2011年9月、徳間文庫化。

 元武士の土屋三左衛門、江戸で飴売りを続けて15,6年になる。久しぶりに会った金貸しのお辰が痩せていたのに驚く。武士を辞めた頃、恋女房の小紋が病になったとき、お辰に金を借りたことがあった。借金に借金を重ねた三左を見かね、飴売りの仕事をあっせんしたのもお辰だった。二、三日後、お辰が殺され、凶器の匕首から博打好きの太平次が、岡っ引の鎌五郎に引っ張られた。しかし太平次はお辰から金を借りていたものの男女の仲であり、動機は無い。それに鎌五郎はあくどいことで有名だ。香具師の元締め、与左衛門に頼まれた三左は、事件の謎を追う。「観音のお辰」。
 唐辛子売りの宗次の恋女房、お由が入水自殺をした。お由に横恋慕した御家人の曾根来三郎が納所坊主の西慶と手を組んだ。西慶は宗次にいい店があると言って、高利で金を貸して買わせた。そして店の悪口を言い触らし、売れ行きを落とした。借金に四苦八苦しているお由に西慶が近寄り、こっそりと金を貸し続けた。そのことに気づいた宗次がお由を問い詰めると、お由は家を空け、曾根に身を任し、証文を返してもらった。その翌日、入水自殺をした。宗次は店を売り払い、借金を返したが、曾根を殺すと息巻いている。何とかしてほしいと、香具師の元締めである吉兵衛に頼まれた三左は、宗次を説得する。「唐辛子売り宗次」。
 河井田藩の頃の友人である多度津瓶右衛門に頼まれ、領内の百姓の了五郎を飴売りとして預かってほしいと頼まれた。了五郎は眼鏡と髭を付け、鳥笛で様々なと鳥の鳴き声を吹分け、子どもたちの人気を得、一か月で売り上げが一番にちかくなるほどだった。そんなある日、藩の同僚であった水野六兵衛と偶然出会い、酒の席で領内の不穏な状況を聞かされる。「鳥笛の了五」。
 三左衛門が住む神田佐久間町の長屋には、三十年以上住んでいるお円婆さんがいる。面倒見がよく人柄もよいことから、本人のいないところで佛のお円さんと呼んでいる。同じ長屋に住む鍵職人の勘助は身持ちがよくなく、恋女房のおすみに逃げられてしまった。お円はこどものおちかの面倒を見ていた。辻芸の触頭に呼び出された三左は、岡っ引の五十鈴屋久蔵から、近頃土蔵破りがあちこちで起きていて、十年前に江戸を荒らした連中と手口が似ているとのこと、手がかりがあったら教えてほしいと頼み込まれる。「佛のお円」。
 譜代十二万石河井田藩の士、土屋三左衛門は江戸詰めを申し渡された。河井田家では後継や藩政などが絡み、三つの閥が作られていたが、三左衛門はどこにも属していなかった。合点のいかぬまま、三左衛門は江戸に来て、好きな剣術修行を続けていた。藩では弟子のような存在だった八瀬与十郎と再会するも、江戸屋敷では派閥も絡み、ほとんど接することができなかったものの、一か月後にようやく茶屋で話をすることができた。江戸と国許の派閥争いなどを話す与十郎。さらに二十日後、三左衛門は与十郎が囲っている三弦師匠の小紋を紹介される。「火の闇」。

 時代小説作家、北重人の絶筆。『蒼火』にも出てくる飴売り三左を主人公とした連作短編集であり、いわばスピンオフ作品である。最初の四篇は三左が巻き込まれた事件を解決するものだが、必ずしもハッピーエンドとなるわけではない。最後の「火の闇」は、三左武士を辞めるきっかけとなった事件や小紋との出会いが語られる作品である。
 主人公である三左に心温められるもの、それでもどこか寂しい風が吹くような哀愁感が漂うのは、作者の特徴なのだろう。人の世の無常観と、それでも精一杯生きていく人たちの姿、そして温かい三左の目線が、読者を柔らかく包み込んでくれる。
 『蒼火』が気に入ったので、脇役が主人公となっている本作を知り、すぐに購入。やはりこの人の作品は面白い。他にも読んでみようと思う。作家活動わずか五年で亡くなられたのは本当に残念。




今野敏『同期』(講談社ノベルス)

 家宅捜査中に逃走した暴力団組員に捜査一課の宇田川が発砲された。すると突如、同期の公安刑事・蘇我が現れ宇田川を助ける。だが3日後、蘇我は懲戒免職となり姿を消す。そして連続殺人の容疑者に。同期を救おうと宇田川は独自捜査を始めるが、組織の論理が高い壁となる――。予測不能! 怒涛の展開が続く、警察小説の大傑作。(粗筋紹介より引用)
 2009年7月、講談社より単行本刊行。2011年7月、ノベルス化。

 『隠蔽捜査』でようやく人気作家の仲間入りを果たし、絶好調の頃に書かれた警察小説。対立関係にある暴力団組員の連続殺人に隠された裏、組対四課との合同捜査本部における主導権争い、右翼の超大物。次から次へと変ってゆく捜査状況。警視庁刑事部捜査一課に来て一年となる巡査部長、32歳の宇田川と、公安総務課の蘇我。そして宇田川と組んでいる51歳の警部補、植松と下谷署強行犯係の部長刑事、土岐。二組の同期が絡み合う。
 事件に隠された謎はなかなか面白い。しかも各組織やトップが隠している裏に立ち向かう刑事たちの姿も、読んでいて感動する。次から次へと事件の景色が変わるため、その度に驚かされる。そして宇田川と蘇我の同期の絆。単なる同期でありながらも、なぜかつながっているという関係は、読者の会社の同期を思い浮かべさせるものであり、どことなく微笑ましく、そして心打たれるものがある。植松と土岐という、すでに出世街道からは外れていても、刑事としての本分を持ち合わせた二人が宇田川を導く姿も、熱いものがある。
 残り数ページとなってまでも事態が変化する展開はお見事としか言いようがない。かなり複雑な構図であったが、多分頭の中で地図を描きながら、少しずつ修正していったのだろう。お見事といってよい作品。警察小説というジャンルを説明するときに、残しておきたい一冊である。




笹本稜平『ボス・イズ・バック』(光文社)

 S市最大の暴力団、山藤組の山藤虎二組長、通称山虎が引退して堅気になると聞き、大事な顧客を失うことになると大いに慌てた私立探偵のおれ。慌てていくと、何と山虎は仏門に入るという。右腕である若頭の近眼のマサに聞いても、どうも本当らしい。山虎は得度し、山藤組は解散届を出した。おれは何か裏があるものと思って調査する。「ボス・イズ・バック」。
 S署の悪徳刑事、ゴリラこと門倉権蔵が事務所にやってきて、おれに調査を依頼した。新婚のゴリラは隣の町内にある一戸建ての家を買おうとしたが、相場に比べればべらぼうに安く、しかも事件があったというわけでもないのに三年で四回も売りに出ている。住みやすい場所と評判の場所なのに、なぜその家だけ何回も売りに出されるのか。「師走の怪談」。
 近眼のマサはなんと、宝くじが当たって5億5千万円の大金が転がりこんだ。その金を元手に、マサは介護ビジネスを始めるという。しかもその会社の社長におれがなってほしいと依頼してきた。ヤクザは表立てないので、飾りとしてだが、年収は今の探偵家業より高い。しかしどこか腑に落ちないところがある。「任侠ビジネス」。
 朴念寺の喜多村向春和尚の依頼内容は、50年前の高校二年の時に結婚を誓い合った幼馴染みの久美ちゃんこと木村久美子を探してほしいというものだった。女房子供に逃げられ独り身のまま好き放題やってきた和尚だったが、ここ一週間ほど夢の中に出てくるという。さっそく調査を始めたおれだった。「和尚の初恋」。
 山虎の愛犬、ブルテリアのベルが三日前から縁の下に潜り込んで出てこないという。山虎以外でベルに気にいられている助手の由子の頼みで、山虎の元をおとずれたおれはベルを縁の下から連れ出す計画を立てる。そんなころ、対抗組織の橋爪組の組長から、おれのもとへ探りの電話がかかってきた。「ベルちゃんの憂鬱」。
 由子が失踪して三日たった。家族にも思い当たる節は無いという。ゴリラに相談し、近眼のマサのところへ行くと、組長のお気に入りの壷を割ってしまい逃げ出した砂だという組員を探してほしいと依頼された。ガラクタの壷だったが、割られた壷は二重底になっていて、一億はくだらない宝飾品が出てきたので、報奨金を出すと山虎はご機嫌であった。するとゴリラから連絡があり、なんと由子は殺人事件の容疑者として指名手配されているという。「由子の守護神」。
 『宝石 ザ・ミステリー』他に2011〜2015年に掲載。2015年10月、刊行。

 『恋する組長』のまさかの続編。前作の単行本が2007年5月。短編「ボス・イズ・バック」の掲載が2011年12月。一体何をやっていたんですか、作者は。他の連載が忙しかったんだろうなあ。しかも年に1〜2本しか掲載されないし。
 前作同様、しがない私立探偵が暴力団やその周辺の人たちの調査を受け付け、事件にまきこまれる軽ハードボイルド。暴力団排除条例に四苦八苦する暴力団の姿というのも、こういう形で読まされると思わず同情してしまうが、実態とは違うから楽しめるのだろう。
 何も考えず、頭をからっぽにして楽しめれば、それでいい作品集。偶には堅苦しいことを考えずに本を読むのもいいことだ。




海渡英祐『燃えつきる日々』(講談社)

 昭和15年、歴史の転換期にある日本国内の政局は、枢軸派が親英米派を凌駕し始めていた。物語は海軍省詰め新聞記者、中沢靖彦が密室状況での殺人事件に巻き込まれるところから始まる。――暗雲漂う日米開戦前夜の、嵐の季節を背景に、それぞれの信念にもとづいて時代をひたむきに生きた人々を迫真の筆で描く青春ミステリー・ロマン。『伯林―一八八八年』の著者が、構想五年、ここに完成した書下ろし推理小説巨編。(帯より引用)
 1977年8月、書き下ろし刊行。

 作者は結構力作を書いていると思いつつ、乱歩賞受賞作と苦虫警部補ぐらいしか読んだことが無かったなと思った時に古本屋で見つけたので手に取ってみた本。もっとも買ってから20年以上、ダンボールの底に沈んだままになっていたが。
 舞台は太平洋戦争が始まる直前の昭和15年。まずはアメリカで、外交官の日本人の父と、アメリカ人の母を持つ香代子が、正体不明の日本人・田村と知り合い、恋してしまうところから始まる。それから5か月後、米国から帰国したばかりの大学助教授の岩本の家を訪ねた中沢と香代子が、岩本の射殺死体を発見する。直後に陸軍少佐の根本が岩本を訪ねてきた。玄関には濡れたままの二本の傘があったが、犯人は傘を差さずに帰ったのか。容疑者であるアメリカ帰りの山崎は憲兵隊の取り調べを受けていたという鉄壁のアリバイがあり、捜査は難航。迷宮入りかと思われた。さらに5か月後、銀座に出てきた香代子は手持ちが少ないことに気づき、父のいるクラブへいき、金を受け取った。帰ろうとした時、香代子は田村と再会。数日後、中沢は岩本の婚約者だった輝子と山崎宅を訪れると、山崎が殺されており、そばに岩本と同じ大学の藤田が倒れていた。
 戦争前夜という舞台のせいか、作者の戦争に対する否定的な思いが文中に出てきて、納得しつつもやや物語に没頭できない面がある。また、香代子と田代の恋愛が前面に出てくるメロドラマの要素も大きく、推理を楽しむ小説というよりも、戦争前夜を舞台にしたロマン小説の面が強い。特に推理に関する謎の解明が取ってつけたようなものになってしまっており、非常に残念である。
 まあ、逆の言い方をすれば、戦争前夜を舞台にしたラブロマンの秀作、という見方もあるわけだが。どっちに重点を置いて読むか、という点で評価が変わるだろう。ただ先にも書いたが、作者の思いが強すぎる部分が、読者には受け容れ難いかもしれない。もうちょっとオブラートに包む書き方もできただろうにと思ってしまう。




藤田宜永『還らざるサハラ』(講談社文庫)

 パリで恋人ファティを誘拐拉致された春樹は、恋人の故郷アルジェリアに向かう。砂塵舞う果てしなき荒野へ、恋人を求めてどこまでも追跡する春樹の執念は、やがてサハラ北端の街ガルダイヤへ到達する。宗教の戒律に縛られる恋人を何としてもわが胸に取り戻すため、春樹は決死の作戦を敢行した!(粗筋紹介より引用)
 1990年1月、講談社より刊行。1993年8月、講談社文庫化。

 最初の舞台は1980年のパリ。映画の発破技師のアシスタントであった有曾奈春樹と、端役女優だったアルジェリア人のファティハ・メルバが発破事故を発端として知り合い、恋に堕ちた。しかしファティは拉致される。犯人が兄のセリムであることを知った春樹は、天然ガスプラントを建設中の日本企業に通訳として雇われ、アルジェリアに飛ぶ。建設現場での日本人とアルジェリア人との争い、日本人同士の争いなどに巻き込まれながらも、サハラ北端の街ガルダイヤに住む大金持ちのセルバ家から、春樹はファティの奪還を試みる。
 かつてパリに住んでいた作者だから、パリの描写はお手の物だろうが、アルジェリアの描写もまた綿密。当時の社会情勢、同じイスラム教でも宗派や思想の違いによる争い、そして建設現場での荒んだ様子などがリアルに描かれている。もちろんそれだけ取材を試みたのだろうが、それにしてもアルジェリア人の心情まで細かく描いた日本の作品があっただろうか。
 恋人を追ってアルジェリアまで追いかける主人公の執念もすごいが、そんな執念を簡単にはねつけてしまうアラブ社会というのはとても複雑だ。新聞社の外信部の記者で、フランスとアルジェリアで停戦協定が結ばれた1962年4月にアルジェリアのカスバで殺害された有曾奈の父親が、物語に絡んでくるところは、少々出来過ぎ。やや物語が主人公に都合よく進んでいる部分があるのは否めないが、これだけ描き切ることができたのであれば作者も満足であろう。
 骨太の冒険小説兼恋愛小説、さらに当時のアルジェリアを知りたい人にもお勧めした一冊。恋愛の情熱とは、ここまで熱いものだろうかと思わせる作品である。




リチャード・マシスン『奇術師の密室』(扶桑社ミステリー文庫)

 往年の名奇術師も、脱出マジックに失敗し、いまは身動きもできずに、小道具満載の部屋の車椅子のうえ。屋敷に住むのは、2代目として活躍する息子と、その野心的な妻、そして妻の弟。ある日、腹にいち物秘めたマネージャーが訪ねてきたとき、ショッキングな密室劇の幕が開く! 老奇術師の眼のまえで展開する、奇妙にして華麗、空前絶後のだまし合い。息も継がせぬどんでん返しの連続。さて、その結末やいかに――鬼才マシスンが贈る、ミステリーの楽しさあふれる殺人悲喜劇。(粗筋紹介より引用)
 1994年、刊行。2006年7月、邦訳刊行。

 スピルバーグの映画『激突』の原作「激突!」や、『トワイライトゾーン』などのシナリオライターとしても有名なマシスンによる、書き下ろし長編ミステリー。「偉大なるデラコート」とかつて呼ばれたエミール・デラコートが語り手だが、脳溢血によって身動きが全くできない植物人間状態。本作品でも車椅子に座ったまま、ただ見ているだけである。マサチューセッツ州の屋敷にある、息子である二代目デラコート、マックス・デラコートが増やした奇術の小道具などで満載のマックスの書斎、マジックルームで繰りひろげられる密室劇。登場人物はマックス、妻のカサンドラ、カサンドラの弟のブライアン・クレイン、マックスのマネージャーであるハリー・ケンダル、そして保安官のグローヴァー・プラム。
 最初からマジックルームの装飾など細かい点が書かれているのだが、それでも不思議とくどさを感じないのは作者の腕だろう。マックス、カサンドラ、ブライアン、ハリーとたった4人しかいないのに、どろどろとした人間模様と、それを彩るマジックが披露され、そして殺人劇が開幕する。たった一人の観客は車椅子のうえ、そしてプラムが登場してからは、奇術の舞台らしいどんでん返しがこれでもかとばかりに繰り広げられる。
 わずかな登場人物で、よくぞこれだけどんでん返しが続くものだと感心。全く持って、何が真実で、何がフェイクかさっぱりわからないまま、作者に翻弄されてしまった。読み終わって、そう着地するのか、と唖然としてしまった。
 これは素直に作者に脱帽しよう。面白かった。




稲見一良『ダック・コール』(ハヤカワ文庫JA)

 石に鳥の絵を描く不思議な男に河原で出会った青年は、微睡むうち鳥と男たちについての六つの夢を見る――絶滅する鳥たち、少年のパチンコ名人と中年男の密猟の冒険、脱獄囚を追っての山中のマンハント、人と鳥と亀との漂流譚、デコイと少年の友情などを。ブラッドベリの『刺青の男』にヒントをえた、ハードボイルドと幻想が交差する異色作品集。"まれに見る美しさを持った小説"と絶賛された第四回山本周五郎賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 第二話「パッセンジャー」(『ミステリマガジン』1990年6月号掲載)、第六話「デコイとブンタ」(『奇想天外』1989年第10号掲載)に書下ろしを加え、1991年2月、早川書房より単行本刊行。1994年2月、文庫化。

 CMプロダクションに勤めるカメラマンの若者は、大金をかけた市のPR映画でラストシーンとなるビルの間に昇る太陽を撮るという仕事を任されたが、日本では珍しいシベリヤ・オオハシシギを見かけてしまい、そちらにカメラを向けてしまう。「第一話 望遠」。本人の感動と世間のギャップの違いを描いた作品のように思える。世間の冷たさを如実に描いたような内容で、どうも好きになれない。
 猟の失敗で仲間外れになったサムは、村同士が仲の悪いサザンビルの村へ猟へ行ったが、そこで何万羽という鳩の群れに出会う。サムは森にとまった鳩を銃を撃ち続け、何羽も撃ち落とすも、サザンビルの村の連中がやってきた。慌てて隠れるサム。鳩の大量虐殺が始まった。20世紀初めに絶滅したリョコウバトの話。「第二話 パッセンジャー」。人間のエゴイズムを見せつけられているような一編。人は簡単に残酷になれるのだと思わせられると、少々憂鬱になる。
 二度のがん手術の後、早期退職してキャンピングカーを買った私は、ボウガンやアーチェリーで鳥の密漁を試みるが失敗ばかり。そんなある日、パチンコで器用に鳥を撃つ、少年ヒロと出会う。二人の奇妙な付き合いが始まった。「第三話 密漁志願」。初老の男と少年の心の触れ合いを描いた傑作。素直に心に染み入ります、これは。
 州刑務所から4人が脱獄した。そのうちの1人がたまたま家に忍び込んだところを捕まえた日系二世のケン・タカハシは、アル・ダンカン保安官に誘われ残り3人を捕まえるためのパーティーに参加する。脱獄を仕掛けたオーキィは、ナバホ・インディアンの酋長の後裔だった。「第四話 ホイッパーウィル」。脱獄班を追うハードボイルドな展開から、最後は意外な感動物語で終結する。ケンとアルとの心の触れ合いもさり気なく、それでいて染み入るような描かれ方がが絶妙。これまた傑作。ちなみにホッパーウィルとはヨタカの一種。
 南シナ海の真っただ中、漁船が燃え海の中に源三は放り出された。潮の流れに身を任せて浮かんでいたが、2m以上の大きなオサガメが伸ばした首を厚い板に載せて泳いでいるところを見つけた。「第五話 波の枕」。自然の神秘と、海の長老とでも言いたくなるような亀の懐の大きさを書いた作品。海はまだまだ神秘に充ち溢れている。
 俺はダック・デコイ。鴨をおびき寄せる罠として作られた、木の鴨である。去年の秋、池で使われたまま捨てられ、岸辺に押し流されてしまった。不法行為で池の水は枯れて干からび、泥に埋まっていた。そんなデコイをブンタが拾った。ブンタは虐められ、登校を拒否していた。「第六話 デコイとブンタ」。結構暗い内容を含む作品だが、最後は閉じ込められた大観覧車からの脱出という意外な展開と感動が待っている。
 “ダック・コール”とは鴨笛のこと。本編に鴨笛は出てこないが、青年が石に描かれた鳥の絵を見て、青年は鳥にまつわる6つの夢を見る。表題にある通り、ハードボイルドを幻想が交差する不思議な作品が並ぶ。自然というものに触れるときの奇妙な感情と不思議な暖かさ。それがまた、心に染みてくる。言葉にできない感情が、ここにある。全てを通して読むと、本当に傑作な短編集であると感じる。
 何で今まで読まなかったのだろうと、自分の見る目の無さにあきれる。それでも、今読めたからいい。傑作であるし、誰かに読んでもらいたい一冊である。



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