小酒井不木『殺人論』(国書刊行会)

 人はなぜ<殺人>に見せられるのか――医学博士、探偵作家にして犯罪学の権威、小酒井不木が、原始人類における殺人から説きおこし、多くの実例をひきながら、その歴史的、文学的、心理的、法医学的側面を縦横に論じつくした、犯罪学研究の金字塔「殺人論」。古代エジプト・ローマから西欧近代、本邦毒殺史まで、古今東西の毒に関する薀蓄を傾けた名エッセイ「毒及び毒殺の研究」。実在の名探偵たちの活躍を描いた「西洋探偵譚」(抄)に、西欧古代・中世の奇怪な風習、捜査・裁判法を紹介したエッセイ「錬金術」「古代の裁判探偵法」「西洋中世の拷問」「動物裁判」「屍体刑罰」を併録。(粗筋妖怪より引用)
 1991年10月刊行。

【目次】
 殺人論(抄)
 西洋探偵譚(抄)
 毒および毒殺の研究
 錬金術
 古代の裁判探偵法
 西洋中世の拷問
 動物裁判
 屍体刑罰

 1991年に国書刊行会で編まれたCRIME BOOKSの1冊。
 何といっても大正時代に書かれた「論」である。当然今の時代とは進歩具合が違うし、歴史的事実の解明度も異なる。今ではありえないような偏見、科学的見地の異なりもある。それらの事実を踏まえ、読むのが正しい。あくまで当時の見解を知るには勉強になるし、今ではあまり触れられることのない事件などもある。そういう意味では楽しかったが、まあ、それ以上を求めるのは非常につらい。




月村了衛『機龍警察』(ハヤカワ文庫JA)

 大量破壊兵器の衰退に伴い台頭した近接戦闘兵器体系・機甲兵装。『龍機兵(ドラグーン)』と呼ばれる新型機を導入した警視庁特捜部は、その搭乗要員として姿(すがた)俊之(としゆき)ら3人の傭兵と契約した。閉鎖的な警察組織内に大きな軋轢をもたらした彼らは、密造機甲兵装による立て篭もり事件の現場で、SATと激しく対立する。だが、事件の背後には想像を絶する巨大な闇が広がっていた……“至近未来”警察小説を描く実力派脚本家の小説デビュー作!(粗筋紹介より引用)
 2010年3月、書き下ろし刊行。

 人気脚本家によるデビュー作。話題になっているのは知っていたけれど、どちらかといえばSFよりっぽく見えたので、なんとなく手に取るのをひかえていたが、別作が面白かったので、読んでみることにした。
 舞台は近未来で、警視庁特捜部SIPD(Special Investigators, Police Dragoon)に装備された新型機「龍機兵」をめぐる争いが中心。もっとも、機甲兵装同士の闘いよりも、取り巻く人物や事件の捜査の方が中心となっている。
 搭乗員である姿俊之、ユーリ・オズノフ、ライザ・ラードナー。特捜部部長で元外務官僚でもある沖津旬一郎。理事官である城木貴彦と宮近浩二。特捜部捜査主任である由起谷志郎と夏川大悟。特捜部技術主任である鈴石緑。主要登場人物は一癖も二癖もある人物ばかりかと思ったら、意外とストレートな人物もいる。多種多様な人物を配置し、警視庁ばかりでなく、警察庁などの複雑な人間関係も見どころ。
 どことなく『機動警察パトレイバー』に似ているな(といっても、漫画、アニメのどちらも見ていない)などと勝手に思いながら読んでいたが、近未来という舞台や、SIPDという特殊な組織、そして機甲兵装があることを除いたら、警察小説になっていることに驚き。組織同士の争いや駆け引きなど、ドロドロした部分は読み応え十分。
 アニメを中心とした脚本で人気を馳せていたからか、どことなくアニメっぽさが感じられたし、最後の方は駆け足になっている点は気になったけれど、デビュー作なら合格点が付く出来だろう。次作に続くであろうという引きも悪くない。




桜田一男『ケンドー・ナガサキ自伝』(辰巳出版)

 桜田一男は1948年、北海道網走市生まれ。中学卒業後、立浪部屋に入門し、最高位幕下十三枚目まで上がるも、親方との確執で廃業。1971年、日本プロレスに入門し、戸口正徳戦でデビュー。崩壊後は全日本プロレスに移籍。1976年、天龍源一郎の床山として一緒にアメリカに渡った後、一匹狼として海外でヒールとして活動。1981年からはケンドー・ナガサキに変身。海外、新日本プロレスなどで活躍。1990年、SWSに参加。崩壊後はNOWを立ち上げ、さらに大日本プロレスでエースとして活躍。  2018年5月、書き下ろし。

 ケンドー・ナガサキとして活躍した桜田一男の自伝。新日本プロレスでしか見たことがないけれど、ちょっと地味だったが頑丈で受けっぷりもよく、玄人受けするレスラーだった。ただ新日本では、しょっぱいミスター・ポーゴがパートナーであったこともあり、活躍できなかったことも覚えている。ザ・グレート・カブキの陰に隠れていた感はあったが、良いレスラーだった。
 そんな桜田の自伝だが、結構辛辣に書いているところも多い。もちろん、そういう方が楽しいのだが。自分がよければそれでいいというミル・マスカラスの評は、万国共通、誰もが同じことを思っているようだ。ブルーザー・ブロディについても同様。逆にプロとして仕事をするレスラーについては高評価だ。やはり自分の腕だけで海外マットを渡り歩いていたのだから、色々とシビアにならざるを得ないだろう。
 宝島のインタビューだと、結構削られているとのこと。確かに内容については、思ったほど書かれていない、ソフトな内容だなと思わせる部分もある。実際のところ、もう少しぶっちゃけてほしかったと思った。新日本、全日本、国際プロレスの違いなんかは、もっと書いてほしかった。海外レスラーの薬事情もそれなりに書かれているが、その気になればもっと実名がポンポン出てきたのだろう。
 大日本プロレスの退団後はNOWを再開するも徐々にフェードアウトし、飲食店を経営後、いまではマンションの管理人をやっているとのこと。このへんは書かれていなかったなあ。その気になればプロレスのマットに上がることは可能だろうが、年を取った姿でリングに上がろうとしない姿勢もまた美学の一つだろう。
 しかしこういう本を読むと、レスラーの評価が世間の見方と異なっている部分が多いことがわかる。もちろんレスラー同士の裏側を当時知る必要はないだろうが、そういう技術の面もわかるようになりたいなあと思ってしまう。




斎藤栄『真夜中の意匠』(徳間文庫)

 岡弘が絞殺された。発見者は弘の継母、久子。父、一夫はがんセンターに入院中で余命幾ばくも無い。ちょうど岡家代々の土地が、ニュータウン計画に莫大な金額で買収されることが決まった時であり、遺産相続がらみの殺人との観点で捜査が始まった。もっとも有力な容疑者は弘の叔父の京一郎だが、彼には鉄壁のアリバイがある……。幾重にも連なるアリバイの巧妙さで、推理小説界に反響を巻き起こした、傑作長篇!(粗筋紹介より引用)
 1967年11月、講談社より書き下ろし刊行。1998年4月、徳間文庫化。

 斎藤栄が1966年に『殺人の棋譜』で第12回江戸川乱歩賞を受賞後、1年半かけて書かれた受賞後第一作長編。
 作者自身が代表作という通り、力の入った作品となっている。警察の捜査が中心で、もっとも有力な容疑者のアリバイ破りが基本路線。アリバイトリックを一つ破ると、実はと言いだして別のアリバイを持ち出し、の繰り返し。一つ一つのアリバイトリックに工夫が凝らされており、そして徐々に難解なものとなっていく。そして最後に出てくるトリックは、作者の知識をふんだんに詰め込んだ新しいもの(当時)であり、これだけでも十分読み応えがある。しかし本作について語るべきは、幾重にも重なったアリバイトリックだろう。これはよく考え抜かれたトリックで、作者自身が代表作というのもわかる気がする。
 斎藤作品はトリッキーなものも多いが、本作はプロットとトリックが融合した傑作。これは読むべし。何をいまさら、と言われるだろうが。




矢作俊彦+司城志朗『犬なら普通のこと』(早川書房 ハヤカワ・ミステリワールド)

 暑熱の沖縄。ドブを這い回る犬のような人生。もう沢山だ――ヤクザのヨシミは、組で現金約2億円の大取引があると知り、強奪計画を練る。金を奪ってこの島を出るのだ。だが襲撃の夜、ヨシミの放った弾は思いがけない人物の胸を貫く。それは、そこにいるはずのない組長だった。犯人探しに組は騒然とし、警察や米軍までが入り乱れる。次々と起こる不測の事態をヨシミは乗り切れるのか。血と暴力の犯罪寓話。(粗筋紹介より引用)
 『ミステリマガジン』2009年6月号~10月号連載。大幅に加筆修正し、2009年10月、早川書房より単行本刊行。

 矢作+司城コンビと言えば、やはり『暗闇にノーサイド』。他にも『ブロードウェイの戦車』『海から来たサムライ』を上梓するも、単独の仕事の方が忙しくなったか、合作は書かれなくなった。本作は25年ぶりの新作。沖縄を舞台にしたノワールものである。
 沖縄のヤクザの裏事情が、本土では見られない沖縄ならではのものがある。さらに沖縄ならではの暑さが作品世界を覆っており、そこから脱出しようとする者たちの汗がにじみだしてきているかのようだ。それでいてどことなく洒脱な会話は作者ならではだと思うし、最後のドンパチから始まる怒涛の展開もさすがと言いたくなる巧さである。視点がヨシミとその舎弟の彬、そしてヨシミの妻の森の3人が中心で書かれており、ところどころでは彼らを取り巻く人物の支店にも切り替わる。それぞれの視点によって互いの印象が変わる点は思わずうなってしまった。
 展開が目まぐるしく、ちょっと戻らないと着いていけないところがあった。これって、年を取った証拠かな。




トマス・H. クック『夜の記憶』(文春文庫)

 ミステリー作家ポールは悲劇の人だった。少年の頃、事故で両親をなくし、その直後、目の前で姉を惨殺されたのだ。長じて彼は「恐怖」の描写を生業としたが、ある日、50年前の少女殺害事件の謎ときを依頼される。それを機に"身の毛もよだつ"シーンが、ポールを執拗に苛みはじめた――人間のもっとも暗い部分が美しく描かれる。(粗筋紹介より引用)
 1998年発表。2000年5月、邦訳、文庫本刊行。

 暗い過去がキズとなっているミステリー作家ポール・グレーヴズが、50年前の事件の解決を依頼され、捜査を始めるのだが、聞きこみと仮説ばかりでこれが何とも地味。正直途中まで苦痛だったのだが、中盤からだんだん怖くなっていく。人が持つ闇とはこれほどまで深いものなのか、と思わせる作品だった。
 現在と過去、さらにポールの小説世界が絡み合って反転していく展開は圧巻。ただ、読みこむほど心が暗くなっていきそうだ。明るい作品が好みの方には全くお勧めできない。
 どうでもいいけれど、ポールではなく、脚本家のエレナ―・スターンに最初から頼めばよかったんじゃないか。




平林初之輔『平林初之輔探偵小説選I』(論創社 論創ミステリ)

 原田老教授は篠崎予審判事に、息子が殺人を犯したと自首したのは精神病にかかっているためだと訴える。篠崎は原田に、事件にはあいまいな点があると言って、状況を説明する。「予審調書」。平林の探偵小説の代表作。展開に無理があるような気もするが、当時の状況なら仕方のないところか。親子の情愛といった意外な面白さもある。
 船の中で起こった惨劇の記事を、夕刊までに間に合わせなければいけない。競争相手である新聞記者の田中と里村は、港から郵便局へ駈け込んだ。「頭と足」。掌編ともいうべきものだが、ちょっとしたコントになっている。
 事務員の今村謹太郎は、平凡ながらも一戸建てを夢みて暮らしていた。ところが会社からの帰り道、誰かに頭を殴られ、気絶。目が覚めたのは1時間後だった。ようやく家に着いた途端刑事に捕まった。会社で小使が殺害され、手袋がそばに落ちていたのだ。「犠牲者」。冤罪の恐怖を書いた社会派色の強い一編。この頃からこのような小説があったことに驚く。
 4年前に行方不明となった恋人の浅田雪子から便りが届いた私は、日曜日、外出した妻のみな子に黙って雪子へ会いに横浜へ行った。ところが外出中、みな子らしき姿を見かける。もしかして後を付けているのでは。「秘密」。出だしからは予想もできなかったラストに驚くが、何もそこまで、とは思ってしまう。現代感覚からすると、ラストに首をひねる作品。
 大宅三四郎は大学三年の時、カフェの女給だった朝吹光子と秘密裏に親しくなり、就職後はカフェを辞めた光子に毎月三十円を渡していた。二人は綺麗な関係であったが、許婚の嘉子は二人の仲を誤解していた。三四郎と嘉子は同棲していたが、今日の朝、光子の件で二人は喧嘩をし、嘉子は光子のところに行くと宣言していた。そして役所からの帰る途中で光子の家に行ったが、光子は殺されていた。「山吹町の殺人」。倒叙ものとみせかけて心理サスペンスに変わり、最後は名探偵によるアリバイ崩しという意外な作品。この時代に時刻表トリックが出て来るとは。心理描写面にもっと筆を割くことができれば、中編ぐらいには仕上がったかもしれない。そうすれば傑作になったかも。考えてみると、惜しい一作。
 地蔵盆の京都の夜。二人の私服刑事は、強欲な金貸しの島田家から男が逃げ出したのを怪しんで入ってみると、島田が殴られ両手を縛られ、猿轡をはめられていた。金庫の中にあった証文は灰になっていた。そして娘が麻酔薬を嗅がされていた。警察の捜査中、「覆面の男」から犯行内容について書かれた手紙が速達で届く。「祭の夜」。背景の説明が不足しているので、わけがわからない。どんでん返しの結末も、本来なら有り得ないはず。
 寒い朝、下田の妻は隣の柴田が門の前で死体となっているのを発見する。叫び声で気づいた下田、そして間借りしている安田も駆け付けた。細君は柴田の妻を家から呼び、隣の林夫妻も出てきた。柴田は2年前にこの家に来てから5度も細君を変えており、今の妻も「妻求」という新聞広告を見てきたものであり、虐待されていた。柴田は結婚詐欺師で、毎晩のように二課で賭博を開いていた。「誰が何故彼を殺したか」。迷宮入りした事件を、ある事件をきっかけに推理するもの。何ら証拠もない想像でしかないし、つまらない。
 村木博士は動物実験で人工生殖の実験を成功させた。そして人間についても実験を始め、第二村木液に浸けた妊娠三ヶ月くらいの人造胎児が試験管の中にいると学会で報告する。「人造人間」。オチは見えているし、ネタもありきたりなものだが、時代を考えるとアイディアとしては早いほうか。意外な作者による古典SFと言えるかもしれない。
 半年ほど前に会社を放り出され、下宿代すら払えなくなった私は、最後の十選を20年ぶりに訪れた上野動物園の入場料に代えた。近くに落ちていた動物にあげるはずのビスケットを拾って空腹をしのぐ。橋の真下に隠れ、夜になって出てきた私に、ピストルを持った男が声をかけた。「動物園の一夜」。意外な展開が待ち受けているのだが、前半のムードと比べると唐突過ぎ。
 成金実業家の青木夫妻は、明日の園遊会を世間に吹聴させるため、金持ちばかりから宝石や貴金属を奪って慈善団体へ寄付するという、いつもおかめの仮面をかぶっていて話題の「仮面強盗」に扮することを計画する。一方、警視庁の芦田名探偵のところに亜細亜新聞の東山社会部長が訪れ、明日青木邸の園遊会に訪れるという予告状を持ってくる。「探偵戯曲 仮面の男」。ありきたりというか、つまらない戯曲。宝石の隠し場所も、普通ならもっと調べるだろうと言いたいところ。
 鉄工だった船井三郎の死後1年経ってから手紙が届いた、不思議な物語。普通選挙による第一回の総選挙が行われた時、船井は某無産党から公認され、東京から立候補しようとしたが、戸籍抄本を取り寄せようとした郷里の役場から、船井は3日前に死亡したという驚きの通知が届いた。「私はかうして死んだ!」。動機としては面白いが、なぜ結末のような判断を取ったのか、そしてなぜ手紙を送ったのかが何も書かれていないので、不自然なままの話で終わっているのが残念。
 妻が夫の書斎に入り、本を借りようとしたら、その本からオパール色の一通の封書が足元に落ちた。その手紙の送り主であるT子が、夫と通じ合っているというものだった。さらにオパール色の封書が届き、妻は思わず中身を見てしまう。「オパール色の手紙―ある女の日記―」。妻の日記形式で書かれた短編。よくある話かと思ったら続きがあり、全てが疑惑につつまれたままに終わっている。どちらかといえば、こういう話は苦手。あ、乱歩もよくこの手の話があったな。影響されているのか。
 菅井博士の帰朝歓迎会で、あの人は私のテーブルの前に座った。会では何もしゃべらなかったが、帰り道が一緒になり、二人は名刺を交換する。いつしか二人は愛し合うが、あの人には妻も子供もいた。私は舞台で、カルメンを演じる。「華やかな罪過」。『朝日』に掲載され、ヒロインの行動の是非と、自分ならどうするかという二点について、読者の意見を求める懸賞が掛けられたが、回答18,234通のうち是が9,198通、非が9,026通と僅差だった。恋愛小説であり、探偵小説ではない。
 遠藤博士は、妊娠中に夫人が思想や徳行の勘かを受けると、それが胎児に影響して精神のみならず容貌や肉体上の特質まで似てくるという「胎教」についての新学説を発表した。もちろん、専門家から見たらあり得ない話。新聞記者の私は、博士がなぜこのような出鱈目な学説を言いだしたのか、調べることとした。「或る探訪記者の話」。特ダネが悲劇をもたらした話。どちらかといえば今向きな話で、この時代にマスコミに対する批判的な視線を向けていたことには感心する。
 2003年10月刊行。

 プロレタリア文学の理論家であったが、関東大震災後は民衆不在であったと反省し、大衆文学に活路を求めたという平林初之輔。その過程で、探偵小説の批評と実作に手を染めるようになった。本作品集は1926年に書かれた探偵小説デビュー作「予審調書」から1929年までに書かれた作品のうち、連作『五階の窓』第2回と、長編『悪魔の戯れ』を除いた短編すべてが収録されている。
 「健全派」「不健全派」の名前を提唱した平林。後の「本格」「変格」という概念を日本探偵小説界にもたらしたことで有名な平林だが、今まで探偵小説評論は余技と見られていたが、近年は積極的な意味を見出そうとする論文があるとのこと。そして創作はさらに余技と見られており、「予審調書」を除くといくつかの短編がアンソロジーに編まれているに過ぎない。  帯に「本格派探偵小説の先駆!」と書かれているが、残念ながら「本格」と思われる作品は「山吹町の殺人」と、広義的に「予審調書」ぐらいしかない。そしてまた、改めてこれは、と思わせる作品もない。せいぜい「人造人間」が、日本の古典SFと思わせるぐらいだ。これでは創作が余技だったと思われても仕方がないし、今まで纏められてこなかったのも当然と言える内容である。
 厚さのわりに活字が大きいからスカスカ読めるが、内容も今一つ。まあ、こんな作品もあったよ、程度の一冊である。




キャサリン・ネヴィル『8(エイト)』上下(文春文庫)

 革命の嵐吹きすさぶ18世紀末のフランス。存亡の危機にたつ修道院では、宇宙を動かすほどの力を秘めているという伝説のチェス・セット「モングラン・サーヴィス」を守るため、修道女たちが駒を手に旅にでた。世界じゅうに散逸した駒を求め、時を超えた壮絶な争奪戦が繰り広げられる! 壮大かつスリリングな冒険ファンタジー。(上巻粗筋紹介より引用)
 コンピュータ専門家キャサリンは、左遷されたアルジェで「モングラン・サーヴィス」の秘密を握る人物をついに探し当て、駒の在り処めざして決死の砂漠縦断を試みる。二世紀の時間に隔てられた物語が一つに溶け合うとき、意外な結末が……。推理・歴史・伝奇・冒険などあらゆる要素がふんだんに盛り込まれた傑作。(下巻粗筋紹介より引用)
 1998年12月、発表。1991年10月、邦訳単行本刊行。1998年9月、文春文庫化。

 フランス革命前後の18世紀末と、1972~1973年の現代。「モングラン・サーヴィス」を巡り、過酷な争奪戦が繰り広げられる。そしていつしか舞台はアルジェリアまで飛び、二つの歴史が融合する。
 ファンタジーであり、冒険小説であり、歴史小説であり、SFであり……、そしてミステリであり。粗筋紹介にある通り、あらゆる要素がふんだんに盛り込まれている。
 特に過去パートにおいては、歴史の教科書に出てくるような偉人たちが数多く登場し、「モングラン・サーヴィス」を巡って様々な駆け引きが繰り広げられる。現代パートにおいては、チェスの大会で起きた奇怪な自殺事件を皮切りに、主人公であり、コンピュータの専門家であるキャサリン・ヴェリスが様々な思惑に巻き込まれながらも、自ら運命を切り開いていく。
 よくぞまあ、ここまでスケールの大きい内容をまとめられたものだと素直に感心。上下巻の長さを感じなかった。ただ、過去パートに比べると現代パートが見劣りしてしまうのは、登場人物と舞台のスケールが違いすぎるから仕方のないことかもしれないが、上巻に比べ下巻の後半になると失速してしまうのが残念。それと、海外ではチェスは当たり前なのだろうが、日本ではルールがそれほど知られているというわけではないので、チェスの知識が必要な部分があったところはルールブックを見直したりしたため、ちょっと流れを削いでしまったのは、個人的に残念なところである。
 キャサリンよりも、過去パートの主人公である見習い修道女のミレーユの方があまりにも魅力的で、こっちに感情移入してしまったなあ。まあ、好みの問題だろうが。
 ちなみに続編があるらしい。翻訳されているのなら読んでみたい。




井上真偽『恋と禁忌の述語論理』(講談社ノベルス)

 真実は、演算できる。
 大学生の詠彦は、天才数理論理学者の叔母、硯さんを訪ねる。独身でアラサー美女の彼女に、名探偵が解決したはずの、殺人事件の真相を証明してもらうために。詠彦が次々と持ち込む事件――「手料理は殺意か祝福か?」「『幽霊の証明』で絞殺犯を特定できるか?」「双子の『どちらが』殺したのか?」――と、個性豊かすぎる名探偵たち。すべての人間の思索活動の頂点に立つ、という数理論理学で、硯さんはすべての謎を、証明できるのか!?(粗筋紹介より引用)
 「レッスンI スターアニスと命題論理」「レッスンII クロスノットと述語論理」「レッスンIII トリプレッツと様相論理」「進級試験 「恋と禁忌の……?」を収録。
 2014年、第51回メフィスト賞受賞。2015年1月、講談社ノベルスより刊行。

 名探偵が解決したはずの事件を、別の登場人物がもう一度解き明かすという設定。他人の推理を真の名探偵が訂正するというのはよくある話だが、話毎に違う名探偵が登場するというのは珍しい。数理論理学で事件の真相を見破るというのは、最近の本格ミステリではありがちな別理論から真の解を導き出すという設定に則っているものの、色付けとしては悪くないだろう。
 ただ、物理系の大学出身なんだが、数理論理学なんて読まされてもちっとも面白くないんだよね。せめて『Q.E.D.』ぐらい咀嚼して手短に話してくれればいいのだが、残念ながらそこまでの域には達していなかった。
 逆に、各話に出てくる名探偵の設定が笑える。幼馴染みの姉で「花占い推理」をする美人の花屋探偵。大学の剣道サークルの先輩で、相談を受けては事件に巻き込まれる、主人公を助手にしたがる天才経営戦略コンサルタント女性。借金癖があり、女性にモテ、あらゆる可能性を考え、奇跡を探し続ける探偵。どれ一つとっても、一冊のミステリができそうだ。いや、実際に三番目の探偵は次作以降の主人公探偵となっている。ある意味勿体ない使い方をしていると言えそうだ。
 推理の部分よりも、主人公を巡る人間関係の方が面白かったな。まあ、なぜか異様にモテているように見える(本人に自覚は無いようだが)主人公にやきもきする年上の女性という設定は何とも言えないおかしさがある。オチは見え見えだったが、結構面白く読めた。これがデビュー作なら、十分合格点だろう。




ジェフリー・ディーヴァー『ソウル・コレクター』上下(文春文庫)

 リンカーン・ライムのいとこアーサーが殺人容疑で逮捕された。アーサーは一貫して無実を主張するも、犯行現場や自宅から多数の証拠がみつかり有罪は確定的にみえた。だがライムは不審に思う――証拠が揃い過ぎている。アーサーは濡れ衣を着せられたのでは? そう睨んだライムは、サックスらとともに独自の捜査を開始する。(上巻粗筋紹介より引用)
 殺人容疑で逮捕されたいとこを無実とみたライムは、冤罪と思しき同様の事件の発生を突き止める。共通の手掛りが示したのは、膨大な情報を操る犯人像。真相を究明すべく、ライムのチームは世界最大のデータマイニング会社に乗り込むが――。データ社会がもたらす闇と戦慄を描く傑作! 巻末に著者と児玉清氏の対談を特別収録。(下巻粗筋紹介より引用)
 2008年、発表。2009年10月、邦訳単行本が文藝春秋より刊行。2012年10月、文庫化。

 リンカーン・ライムシリーズ8作目。今回はいとこの無罪を証明すべく動くうちに、似たような冤罪事件の発生を突き止め、世界最大のデータマイニング会社と対峙することになる。
 相変わらずテンポよく読ませてはくれるものの、本作は今まであったようなどんでん返しが連続するジェットコースター的な展開は無く、情報社会の薀蓄部分が多いため、今一つ乗り切れなかった。説明が多すぎたのだろう。その気になってしまえば世界を乗っ取ることも可能な犯罪なのに、ここまで小さな世界でとどまってしまっているのも残念。本来だったら政府まで出てこなければならない内容なのにね。
 悪くはないけれど今一つ乗り切れなかったし、作者もライムシリーズに疲れているのかな、と思わせた作品だった。



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