宮部みゆき『ぼんくら』上下(講談社文庫)

 「殺し屋が来て、兄さんを殺してしまったんです」――江戸・深川の鉄瓶長屋で八百屋の太助が殺された。その後、評判の良かった差配人が姿を消し、三つの家族も次々と失踪してしまった。いったい、この長屋には何が起きているのか。ぼんくらな同心・平四郎が動き始めた。著者渾身の長編時代ミステリー。(上巻粗筋紹介より引用)
 「俺、ここでいったい何をやっているんだろう」。江戸・深川の鉄瓶長屋を舞台に店子が次々と姿を消すと、差配人の佐吉は蒼白な顔をした。親思いの娘・お露、煮売屋の未亡人・お徳ら個性的な住人たちを脅えさせる怪事件。同心の平四郎と甥の美少年・弓之助が、事件の裏に潜む陰謀に迫る「宮部ワールド」の傑作。(下巻粗筋紹介より引用)
 『小説現代』1996年3月号~2000年1月号まで連載。加筆・訂正後、2000年4月、講談社より単行本刊行。2004年4月、文庫化。

 「殺し屋」「博打うち」「通い番頭」「ひさぐ女」「拝む男」「長い影」「幽霊」を収録。江戸・深川の鉄瓶長屋を舞台に事件が起き、長屋の店子が次々と姿を消していく。南町奉行所の同心、町方役人の井筒平四郎が事件の裏に潜む謎に迫っていく。とはいえ、タイトルの「ぼんくら」にあるとおり、この平四郎、楽な仕事の方がいいという「適度にいい加減な男」。事を荒立てず、事件が収まればそれでいいというのだから、何とも頼りない。
 鉄瓶長屋は一代で財を築いた築地の湊屋総右衛門が持つ長屋。表通りには八百屋、煮売屋、魚屋、駄菓子屋などが並んでいる。後家で煮売屋のお徳が住人達を束ね、平四郎は中間の小平次とともにそこによっては何か食べて時間を潰すというありさまである。
 「殺し屋」から「拝む男」までは短編。平四郎がどのような人物であるか少しずつ紹介され、そして彼を取り巻く人たちも徐々に登場していく。また鉄瓶長屋をめぐる謎が少しずつ深まっていく。そして本編の半分以上を占める「長い影」。妻の姉が嫁いでいる河合屋の五人目の子供、12歳の美少年・弓之助が登場し、平四郎と一緒に事件の後を追う。
 連作短編集の形を取っているかと見せかけて、実は長編時代小説。思っているより入り組んだ謎。複雑な人間関係。利発な弓之助とぼんくらな平四郎が辿り着いた真相は意外な、そして哀しいもの。事件の組み立て、人物の造形、配置、さらに小説の構成など、見事な仕上がり。さすが宮部みゆき、としか言いようがない。
 時代小説ならではの人情味あふれた、そしてミステリならではの謎に酔わせてくれる傑作。続編も読みたくなってくる。




飴村行『粘膜蜥蜴』(角川ホラー文庫)

 国民学校初等科に通う堀川真樹夫と中沢大吉は、ある時同級生の月ノ森雪麻呂から自宅に招待された。父は町で唯一の病院、月ノ森総合病院の院長であり、権勢を誇る月ノ森家に、2人は畏怖を抱いていた。〈ヘルビノ〉と呼ばれる頭部が蜥蜴の爬虫人に出迎えられた2人は、自宅に併設された病院地下の死体安置所に連れて行かれた。だがそこでは、権力を笠に着た雪麻呂の傍若無人な振る舞いと、凄惨な事件が待ち受けていた……。(粗筋紹介より引用)
 2009年8月、角川ホラー文庫から書下ろし刊行。2010年、第63回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞。

 デビュー作『粘膜人間』に続く粘膜シリーズ(でいいのか?)第二弾。全作と同様、戦争前の軍国主義の日本を舞台としているが、それ以外の共通点は特にない。何といっても今回は、蜥蜴そっくりの爬虫人が登場。東南アジアのナムールで生まれ育った爬虫人・ヘルビノがキーワードとなる。
 「第壱章 屍体童子」は、町唯一の病院である月ノ森総合病院の院長、しかも医師で富豪で軍や中央の政治家とも結びつきのある月ノ森大蔵の一人息子、雪麻呂に招待された同級生の真樹夫と大吉の話。病院の死体安置所に連れられた後、特別病棟に連れて行かれる。
 「第弐章 蜥蜴地獄」は、真樹夫の11歳年上の兄、美樹夫の話。東南アジアのフランス領ナムールに赴任している少尉の美樹夫は、軍と癒着して阿片を売りさばいている間宮勝一を経験豊富な部下の坂井総長、野田伍長とともに五〇キロ先の村落まで護衛する任務を受けた。しかしその道中で野田はゲリラに撃たれて死亡。徒歩の移動中、坂井は巨大肉食ミミズ・ゼムリアに食べられ死亡。何とか村に着くも、近くに棲家があるヘルビノに全滅させられていた。
 「第参章 童帝戦慄」は、月ノ森雪麻呂の話。雪麻呂の母親は三ヶ月前に家出して行方が知れず、時々手紙が届くのみだった。そして父親の大蔵は部屋に閉じこもって小説を書いていた。雪麻呂が結婚を熱望する2歳年上の従姉・魅和子は、1歳年上の従兄・清輔と雪麻呂が決闘して勝った方の許婚になると宣言。互いに代理人を出して決闘を行湖ととなったが。
 第壱章はプロローグ。異常ともいえる月ノ森家や爬虫人の紹介、そして唯一の肉親である兄を慕う真樹夫の物語である。まずは爬虫人という存在に圧倒されるが、容貌を除けば至ってまとも(この世界では、という前提でだが)。むしろ特別病棟に収容されている人たちの狂った心の方が恐ろしい。ただ、作者の本領が発揮されるのは第弐章。舞台を東南アジアに移し、爬虫人・ヘルビノの部落が登場。さらにナムールでの脱出行に出てくる怪物たちは、作者の本領がいかんなく発揮されたグロテスクさである。第参章は今までの伏線回収と、雪麻呂の母親失踪の真相、父親の研究が重なり合っての結末が待っている。暴力シーンの残酷さは、まさに作者ならでは。
 爬虫人という造形だけでも十分物語として成立するだろうに、さらに月ノ森家の謎や美樹夫・真樹夫兄弟の絡みなど、印象深いシーンが盛りだくさん。雪麻呂のどこがいいんだろう、という疑問はあるのだが(笑)、いずれにしろ設定の奇抜さと残酷さと暴力、グロテスクに加え、ファンタジーや謎解きの要素も加味するなど、まさに至れり尽くせりのホラー。これだけ残酷な話なのに、なぜか最後は余韻が心地よいという不思議な作品である。よくぞここまで、といっていいだろう。




三津田信三『厭魅(まじもの)の如き憑くもの』(講談社文庫)

 神々櫛(かがぐし)村。谺呀治(かがち)家と神櫛(かみぐし)家、二つの旧家が微妙な関係で並び立ち、神隠しを始めとする無数の怪異に彩られた場所である。戦争からそう遠くない昭和の年、ある怪奇幻想作家がこの地を訪れてまもなく、最初の怪死事件が起こる。本格ミステリーとホラーの魅力が圧倒的世界観で迫る「刀城(とうじょう)言耶(げんや)」シリーズ第一長編。(粗筋紹介より引用)
 2006年月、原書房より書き下ろし刊行。2009年3月、講談社文庫より刊行。

 本格ミステリとホラーを融合させた刀城言耶シリーズだが、リストを見ていると第1長編を読んでいないことに今更気づき、慌てて未読本リストから探してきて読了。
 旧家が対立する村というのは横溝正史を思い出させる設定だが、読んでみると怪異現象の方が強く、かなりホラー寄り。こういう状況下で連続殺人が起きても、あまり恐怖感が迫ってくることはないし、謎解きをしようという気も起きない。正直言って、ダラダラしすぎ。もう少し短くまとめればよかったのに。それでいて最後に探偵役の刀城言耶が最後に事件関係者をみんな集めて謎解きを始めるのだから、どことなくちぐはぐな印象はぬぐえない。シリーズ第1作目ということもあってか、刀城というキャラクターがまだしっかりと固定されていない感もある。
 最後に謎解きを始めるのだが、なぜか推理がふらふら。おいおい、ページ数も少なくなるというのに、こんなので大丈夫かよ、と思っていたら、最後にうっちゃられました。なるほど、これをやりたかったのね。正直、嫌いなネタですが、びっくりしたことは事実。違和感があった部分は伏線だったのね、と改めて思った次第。
 ただ、成功したかどうかという点では微妙。やはりページ配分、間違えているんじゃないかな。最後こそページ数をしっかり確保すべきだったんだじゃないだろうか。疑問が残る終わり方はホラーだからなのかもしれないが、尻切れトンボと言われても仕方のないくらいあっさりしすぎ。
 作者が目指す方向性がまだ小説の中で固まり切っていない、という感のある作品。これはシリーズの他の長編を先に読んでいるための感想かもしれない。悪くはない作品だが。




クリスチアナ・ブランド『招かれざる客たちのビュッフェ』(創元推理文庫)

 ブランドご自慢のビュッフェへようこそ。今宵カクテルは、芳醇な香りに満ちたコックリル(ブランド)。本場英国のコンテストで一席となった「婚姻飛翔」をはじめ、めまいと紛う酔い心地が魅力です。アントレには、独特の調理(レシピ)による歯ごたえ充分の品々。ことに「ジェミニ―・クリケット事件」は逸品との評判を得ております。食後のコーヒーでございますか? 当店の規則に従いまして、ブラックでお召しあがりください。いえ決して毒などは……。とにもかくにも、稀代の料理長(シェフ)がその腕を存分にふるった名品揃い。ぜひ一度ご来店のうえ、ご賞味くださいませ。(粗筋紹介より引用)
 1983年、アメリカで刊行。1990年3月、邦訳刊行。
 収録作品は以下。
 「クリスチアナ・ブランドの世界」(ロバート・E・ブライニー)
 【第一部 コックリル・カクテル】は「事件のあとに」「血兄弟」「婚姻飛翔」「カップの中の毒」
 【第二部 アントレ】は「ジェミニー・クリケット事件」「スケープゴート」「もう山査子摘みもおしまい」
 【第三部 口なおしの一品】は「スコットランドの姪」
 【第四部 プチ・フール】は「ジャケット」「メリーゴーラウンド」「目撃」「バルコニーからの眺め」
 【第五部 ブラック・コーヒー】は「この家に祝福あれ」「ごくふつうの男」「囁き」「神の御業」
 巻末に「クリスチアナ・ブランド書誌」(ロバート・E・ブライニー作成)
 解説は北村薫。

 殺人事件の解決に失敗したことが無いと自慢する老刑事が、コックリル警部に語った昔の事件。俳優ジェイムズ・ドラゴンが主役を務める一座の舞台『オセロー』終了後、主演女優でジェイムズの妻・グレンダが殺害された。俳優たちは舞台終了後、衣装を脱いでメイクを落とし、戦略会議を開いていた。しかしグレンダの死体を発見した後、なぜかメイクをして元の舞台衣装に戻っていた。「事件のあとに」。意外な謎とその真相もさることながら、老刑事の自慢話のいいところで必ず先回りして発言するコックリルが愉快である。
 おれとフレッドは瓜二つの双子の兄弟。おれはブラック・ウイルが刑務所にいる間にウイルの妻のリディアと出来てしまった。おれはリディアをさそってドライブ中、男の子を轢いてしまった。フレッドはおれを助けるために、ある提案をした。「血兄弟」。倒叙もので、最後にコックリルが登場。血を分けた兄弟なのに、というオチがお見事。
 横暴な富豪のキャクストンは、亡くなった夫人の看護婦だった若いエリザベスと二度目の結婚式のパーディーで毒殺された。そして蜂退治のための青酸の罐が無くなっていた。コックリルは、夫人、息子、義理の息子、医者の4人に直接尋問する。「婚姻飛翔」。コックリルが何気ない一言から真相を導き出す推理もさることながら、エンディングの犯人の姿が恐ろしい。
 医師リチャードの家に、看護婦のケリーが訪れ、モルヒネを致死量飲んだと告げる。それは狂言だったが、ケリーは赤ん坊ができて父親がリチャードだと訴える。帰ってきたリチャードはそれを否定するも、逆上した妻のステラはケリーを毒殺してしまった。しかし事実は違い、ステラはコックリル警部の尋問に嘘を重ねるが。「カップの中の毒」。これはわかりやすい倒叙もの。まあ主眼となるのは、ステラの心理描写であろうが。
 老刑事弁護士のトマス・ジェミニ―は、犯罪者の家族を世間の目から守るために心血を注いでいた。ジェミニ―の家は気の毒な子供たちに開放され、子供たちはジェミニ―・クリケットと呼ばれた。そんなジェミニ―が、四階のかんぬきが内側からかかった事務所の部屋で殺害された。「ジェミニー・クリケット事件」。名作だが、英米版で結末が違うとのこと。本作品は英版。当時ジェミニ―・クリケットの一人だったジャイルズが老人に事件を放し、その老人が容疑者を次々と上げ、真相に迫るのだが、二重三重に繰り広げられるどんでん返しがお見事である。
 5年前の事故で足が不自由となった偉大な奇術師、ミスター・ミステリオーゾが、病院の第二新館建設のための定礎式で狙撃され、付人兼運転手の男が庇って死亡した。建築中の第一新館の最上階に小銃が固定されていたが、屋上には報道カメラマンが、入口には警備の警官がおり、誰も入ることはできなかった。13年後、職務怠慢で警察を追われた警官の息子の疑念を晴らすため、ミステリオーゾは当時の関係者たちを集め、疑似裁判を始める。「スケープゴート」。本格ミステリかと思ったら、意外な真相が待ち受けていて面白い。やはり一筋縄ではいかない。
 ヒッピーのクリストウは、農夫の娘ミーガン・トマスとの待ち合わせ場所に遅れていくと、ミーガンは川へ身投げをしていた。クリストウは、自分が疑われて牢屋に連れて行かれるかと思うと震えだした。クリストウは、閉所恐怖症だった。「もう山査子摘みもおしまい」。これはどう形容すればいいのだろう。しかしクリストウの恐怖がしんしんと伝わってくる。
 エドガーとパッツィーは、レディ・ブラチェットの真珠の首飾りを盗もうと、家政婦のグラディスを籠絡する。レディはかつて一家の財産を独り占めにした、スコットランドの姪が殺しに来ると怯えていた。「スコットランドの姪」。いったい誰がスコットランドの姪なのか。結末のどんでん返しはお見事としか言いようがない。ややコメディチックなのが珍しい。
 三流作家のジェラルドは、優れた妻のエルサを殺すために、完全犯罪を計画する。「ジャケット」。これはよくあるパターンの作品だが、それでも結末までの流れが巧い。
 リンダ・ハートリイは、ビンデル家の双子のジョイとロイと一緒に即興の替え歌で縄跳びをしていた。リンダの父、ハロルドが亡くなり、事務弁護士のビンデルはリンダの母、ルイーザに、ハロルドから預かっていたあるものを見せる。「メリーゴーラウンド」。子どもたちの替え歌が、何とも恐ろしい。タイトルが秀逸。
 アラブの富豪、シェイク・ホラー・ホラー(ミセス・ジョーンズが勝手に付けた呼び名)が、ロールスロイスの車内で背中を刺され、殺された。運転手のスミスが重要参考人となるも、たまたまロールスロイスの隣でタクシーに乗っていたミセス・ジョーンズはスコットランドヤードに、シェイクはスミスだけではなく、粗野な感じの男が乗っていたと連絡する。「目撃」。これは小品。
 ミセス・ジェニングスは、隣に住む車椅子の老夫人からいつも見張られていた。老夫人はミセスの行動を常に家族に言いふらしていた。太りすぎているミセス・ジェニングスは、ダイエットを始めるも、見張られていることが気になり、夫との仲も険悪になっていく。「バルコニーからの眺め」。だんだんおかしくなっていくミセス・ジェニングスと、結末との対比が素晴らしい。
 ミセス・ボーンは雨の晩、美しい夫婦が軒先で雨宿りをしているのを見つけ注意するも、行くところがないと聞いて可哀想になり、納屋を貸す。その夜、若夫婦の妻は男の子を産む。ミセス・ボーンはこの男の子を、イエスの再臨と思い込む。「この家に祝福あれ」。これぞブラック、という作品である。日本ではありえない思い込みと狂気だなと思ってしまった。
 善良そうだったので家に入れてしまったが、実は悪戯電話をかけ続けてきた男だった。「ごくふつうの男」。うーん、これはちょっとだめ。どこがいいのかわからない。
 ダフィ・ジョーンズは従兄のサイモンにせがみ、船乗りや娼婦などが集まるブルーバーに連れて行ってもらうも、ハッシッシで酔っぱらい、レイプされてしまう。そのことを父親に知られたくないダフィは嘘を吐く。「囁き」。何とも怖い作品。嘘が嘘を重ね、悲劇を招く。
 ビル・エバンズ巡査は自分の娘と孫を轢き殺したジェリンクスに対し、スピードは出していなかったと目撃証言を述べ、唯一無二の正直さを称賛された。「神の御業」。ありがちなストーリーだが、ブランドにかかると一品料理として食べられるものになっているから不思議だ。

 本格から奇妙な味、ブラックやサスペンスなど、様々な内容がそろった一冊。クリスチアナ・ブランドの確かな腕に感心し、上等の作品群に酔いしれる一冊。これはもう、素直に脱帽するしかない。逸品ぞろいの傑作短編集。これを読まないと、損をする。
 そういう作品を今頃読む自分に飽きれるのだが。しかも新刊で買っているのに。




宮部みゆき『ペテロの葬列』(集英社)

 今多コンツェルン会長室直属・グループ広報室に勤める杉村三郎はある日、拳銃を持った老人によるバスジャックに遭遇。事件は3時間ほどであっけなく解決したかに見えたのだが――。しかし、そこからが本当の謎の始まりだった! 事件の真の動機の裏側には、日本という国、そして人間の本質に潜む闇が隠されていた! あの杉村三郎が巻き込まれる最凶最悪の事件!? 息もつけない緊迫感の中、物語は二転三転、そして驚愕のラストへ!(帯より引用)
 『千葉日報』など22紙に2010年9月12日~2013年10月3日の期間、順次掲載。加筆修正のうえ、2013年12月、単行本刊行。

 『誰か』『名もなき毒』に続く杉村三郎シリーズ長編3作目。老人がバスジャックし、3人の人物を連れてくるように要求するも、警察の突入と拳銃の暴発で犯人が死亡し、3時間で事件は解決。ところが事件後、老人から迷惑料が贈られてきたため、受け取るべきかどうか、杉村達元人質たちは悩む。
 何とも長い作品。場面の転換や話の切り替えがうまいので厚さはそれほど感じないが、それでも読んでいて重くなってくる。肉体的にも、精神的にも。
 バスジャックをめぐる背景については、ああ、日本人って(自分も含めて)こうだよな、と思わせるもの。もちろん日本人だけには限らないが、この手の話は日本が一番多いような気がする。別に海外の事例を確認せず、報道量だけで判断したものだから、全然違うかもしれないけれど。世の中、こんなにうまくいく話があるわけでもないのに、なぜ騙されるのだろうと思ってしまうのだが、そこがコントロールなんだろうなあ。
 問題は杉村の家のこと。多分最初からこの流れを想定してシリーズを書いていたのだろうけれど、こればっかりはやってほしくなかったな。むしろこのシリーズでやってしまってはいけなかったと思う。それが多くの読者の本音ではないだろうか。
 なぜハッピーエンドで終わらないのだろう。そう、疑問を持ってしまうことが時々ある。それが次につながる話だとしても。宮部みゆきで時々首をひねるのはそういう点だが、それがまた現実を突き付けているようで、やりきれない。




伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』(新潮文庫)

 衆人環視の中、首相が爆殺された。そして犯人は俺だと報道されている。なぜだ? 何が起こっているんだ? 俺はやっていない――。首相暗殺の濡れ衣をきせられ、巨大な陰謀に包囲された青年・青柳雅春。暴力も辞さぬ追手集団からの、孤独な必死の逃走。行く手に見え隠れする謎の人物達。運命の鍵を握る古い記憶の断片とビートルズのメロディ。スリル炸裂超弩級エンタテインメント巨編。(粗筋紹介より引用)
 2007年11月、新潮社より単行本書下ろし刊行。2008年、第21回山本周五郎賞受賞、本屋大賞受賞。『2010年12月、文庫化。

 首相爆殺事件の濡れ衣を着せられた青年が、警察の追っ手から必死に逃げる話。逃げる話は面白いけれど、肝心の事件について真相も結末も書かれていないというのは呆気にとられた。それは無いだろうと言いたい。
 会話のやり取りなんかは巧いなと思うが、いくら犯人ではないと思っていても、もしかしたら今の生活を壊される可能性があるのに、数年間会っていない友人にここまでするか、って思ってしまう。ピンチになると通りすがりの人が助けてくれるなど、ご都合主義満載。追っている警察やマスコミだって、もう少し疑問に思う人がいたっておかしくないだろうけれどね。車のバッテリーの件は、笑うしかなかった。バレバレだろ、おい。
 作者が「物語の風呂敷は、畳む過程が一番つまらない」と思うのは自由だけど、いくら模様が綺麗だとはいっても畳まれない風呂敷を見せられる読者は辛い。もちろん、それが気にならない読者がいることを承知で言う。読み終わって、欲求不満しか残らなかった。
 新人賞に送られたら、間違いなく二次予選ぐらいで落ちるだろう。それを有名な作者が書いたら絶賛される。わからんなあ。




アダム・ファウアー『数学的にありえない』上下(文春文庫)

 ポーカーで1万1千ドル大敗し、マフィアに追われる天才数学者ケイン。だがその時、彼を悩ませていた神経失調が、驚異の「能力」に変わった。それを狙う政府の秘密機関と女スパイ。彼らが権力を駆使して追う「能力」とは? 執拗な追手にケインはどう立ち向かうのか? 幾つもの物語が絡み合う超絶ノンストップ・サスペンス。(上巻粗筋紹介より引用)
 数学者ケインとCIA工作員ナヴァ。窮地に陥った二人の共闘に、戦闘のプロが動員され、捕捉作戦は激化した。非力な民間人にすぎないケインの唯一の「武器」が引き起こす、ありえない連鎖反応。炸裂する伏線また伏線、予想を裏切る拷問と人体実験。長く壮絶な戦いの行方は? 世界が興奮した徹夜必至の傑作。(下巻粗筋紹介より引用)
 2005年7月、アメリカで刊行。2006年7月、第1回世界スリラー作家クラブ最優秀新人賞受賞。2006年8月、文藝春秋より上下巻単行本で刊行。2009年8月、文庫化。

 新人作家アダム・ファウアーのデビュー作。ある能力を持ってしまった天才数学者ケイン、一卵性双生児の兄で総合失調症のジャスパー、CIA工作員でその正体は、となるナヴァを軸に、科学者トヴァスキー、国家安全保障局科学技術研究所所長のフォーサイス、宝くじを当てたケインの友人のトミー・ダソーザ、ケインたちを追うマーティン・クロウなど、様々な人物の思惑が絡みながら、追いつ追われつの奮闘を繰り返しながら結末まで流れるノンストップ・サスペンス。
 この手のジェットコースター的なサスペンス、多くなってきているんだよななどと思いながらも作者の思惑に流されながら読んでいた。数学などの理論が特に上巻でいろいろ出てくるが、講義風景の描写にするなどの工夫によってわかりやすく説明しているところは巧いと思った。ただ、追う方と追われる方の展開はどことなくテンプレートっぽく、予想外の展開がないことがちょっと残念。その分安心して流し読み(いや、一応ちゃんと読んでいる)できた、とも言えるのだが。ケインが持つ能力については、もっと逃げるにはいい方法があったんじゃない、とも思ってしまうが、それを言い出すとジョーカー的な能力だから何でもできるようになるし、仕方がないか。
 面白いのだが、なんとなく安っぽさが気にかかった。数学的な理論のからめ型は悪くないのだが、それでもB級の匂いが消えないというか。面白ければ何でもいいんだけれど。



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