東野圭吾『秘密』(文藝春秋)

 東野圭吾『秘密』(文藝春秋)を読み終わりました。設定、物語の巧みさにも感動しましたが、この手のタイムスリップものでタブーでもあるセックスの問題にここまで深く突っ込み、うまく処理しているのには非常に感心します。ちょうど結婚直前ということもあったせいか、色々な意味で心に響く重い作品でした。読んだのは今年1999年ですが、もし1998年に読んでいたら1位に挙げていたかもしれません。もっとも、私から見たらミステリの範疇に入らない作品なんで、今回の協会賞受賞にはちょっと違和感を感じています。東野圭吾が書いたのでなければ、たいていの人はミステリとみなさなかったんじゃないでしょうか。
 この作品を読んで思うことは、自分が独身だったらどう感じたんだろう、既婚だったら、女性だったら、…………。大抵の作品において、男性や女性、その他色々な立場によって感じるところが違うのでしょうが、特にこの作品は違った感銘を受けるんじゃないかと思いました。
 一部でこの作品が《リドル・ストーリー》であると書かれていますが、私はそう思っていません。何らかの方向へ導くように書かれている小説、しかも東野圭吾自身が「娘を演じきったつもりで書いた」としているような小説を《リドル・ストーリー》とよぶのは間違っていると考えます。
 私は、“娘の身体に棲んでいるのは妻である”と思っています  結婚指輪の件について、私はむしろ、“悲しい選択”というイメージを思い浮かべたからでした。
 他の男性とのデートシーン(?)もありましたが、娘=藻奈美の身体を持ちながらも妻=直子が夫を愛していることは明らかです。特に、藻奈美の身体を持ちながらも愛する夫の苦悩を見かねてセックスしようと決意する場面などは痛々しささえ感じます。しかしながら、それは道義的に反する行為でもあるわけです。娘の身体に妻の精神、この矛盾に夫は苦しみます。そんな苦しむ夫を見て、直子は「娘を演じる」ことを決意します。
 「娘を演じる」ということは今まで愛していた夫を父親と見なすことです。そしていつかは「嫁」として家を出ていくことになるわけです。愛する男がいるのに、別の男と結ばれ、一生を誓う。私から見たら“悲しい選択”であるとしか思えません。もっとも、最近の女性はその辺ドライに割り切る人も多いらしいので、こういう「健気な」女性の描き方は、男性の目から見た「ヒロインはかくあるべき」姿なのかもしれません。そんな“悲しい選択”の象徴が結婚指輪であったと私は考えます。  もし彼女が藻奈美だったとしたら、形見は形見としてそのまま置いておくものと考えます。わざわざ加工する意味もありません。新しい夫とのペアの指輪をそろえることでしょう。家がそれほど貧乏とも思えませんし(結婚指輪は4〜8万円ぐらいでしょう)、たとえ一時期直子の意識があったからと言って、母の指輪を一生はめる理由にはなりません。それに、直子の意識がなくなった(と思わせた)後の藻奈美は、直子の件を一種の精神病であるといったドライな解釈をしています。少なくとも、直子の件を吹っ切っている(ように見せかけている?)のです。彼女が直子であったからこそ、加工した指輪を指にはめるのです。夫への裏切り行為をいつまでも忘れないための証として。
 この行為は新しい夫に対しては不誠実だ、という思いは拭えません。少なくとも、私が新しい夫の立場で、この事実を知ったなら、不愉快な気持ちになるような気がします。少なくとも、前夫を納得させるために、何年間も娘を装い続けた、という(小説の終盤における)ある意味健気なヒロイン像が、ただこれだけの行動のために、大きく歪んで見えてしまう可能性は否定できないと考えます。新しい夫に対して不誠実であるというのはどうでしょう。私だったら、「今、自分を二番目に愛していたとしても、将来自分を一番に愛してくれればそれでいい」と考えます。だからこそ、一生のパートナーとして選んだのではないでしょうか。少なくとも、自分が一番であるように振る舞ってくれるのであれば問題ありません。
 とはいえ、夫と付き合いのある時計屋に指輪の加工を頼むというのは「軽率な行為」であったかもしれません。時計屋が夫にその指輪の加工の話をするかもしれないからです。いや、むしろ話をする可能性が高いでしょう。実際、いとも簡単に夫に「秘密」をばらしています。逆に、指輪の加工の件が、「別の男の所にいくけれども、本当はあなたのことを一生愛しています」という宣言であることを夫に叫びたいがために、知り合いの時計屋の所にいったというのなら……いや、そこまで勘ぐるのはやめましょう。
 “男の情けなさを描いた、感涙ものの一冊”と言った人もいましたが、私はむしろ、これほど立派な男はいないと思っています。最後まで妻、そして娘に尽くし、夫かつ父の立場を忘れなかった彼のどこが情けないんでしょうか。この一文には全く納得いきません。




山本甲士『騙り屋』(ケイブンシャノベルズ)

巧妙に人を騙し金を奪う一匹狼・沖島は、山中で転落したところを狩猟中の老人に救われる。が、計画中の産廃処分場に反対する老人は彼をスパイと誤解。恩人の誤解を晴らすべく沖島はかつてない詐欺を決意する。(粗筋紹介より引用)

 産廃問題というとてつもなく重く、そしていくらでも書けそうなネタをよくぞこれだけコンパクトにまとめたものだ。その狙い澄まされた軽い処理方法には感心した。こういう「軽さ」は嫌いじゃない。問題は主人公の設定か。せっかくの「軽さ」を特徴とした作品にしてはちょっと暗すぎる。作品トーンも含めてもっと明るくした方が良かったんじゃないだろうか。★★☆。




東野圭吾『私が彼を殺した』(講談社ノベルス)

婚約中の男性の自宅に突然現れた一人の女性。男に裏切られたことを知った彼女は服毒自殺をはかった。男は自分との関わりを隠そうとする。醜い愛憎の果て、殺人は起こった。容疑者は3人。事件の鍵は女が残した毒入りカプセルの数とその行方。加賀刑事が探りあてた真相に、読者のあなたはどこまで迫れるか。(粗筋紹介より引用)

 こういう風に犯人の名を書かない小説ってどうなんでしょう。純粋に本格としては楽しめましたが、果たしてそれが小説の面白さなんだろうか……。小説部分も読ませることは認めるけれど、マニア以外の人には受けない作品。落丁だと思われても仕方がないでしょう。解決部分を袋とじにするならまだしも、こういう手法はもう十分。★★★。




加納朋子『月曜日の水玉模様』(集英社)

 普通の一般事務職OL片桐陶子と取引先信用調査会社社員萩広海が日常のちょっとした事件を解き明かす連作短編集。「月曜日の水玉模様」「火曜日の頭痛発熱」「水曜日の探偵志願」「木曜日の迷子案内」「金曜日の目撃証人」「土曜日の嫁菜寿司」「日曜日の雨天決行」の7編を収録。ちなみに「○曜日の」のあとの一字を上からつなげると……。

 一話一話が独立しながらも、主人公陶子及び周りの時間軸はきっちりと進ませ、次作への期待感を煽る。連作という手法を扱わせると、本当に加納朋子ってうまい。ただ、ミステリとしてはかなり薄味。普通小説に近い。暗い気分をリフレッシュさせるときに読むには最適な明るさです。




大塚公子『死刑』(角川書店)

 「半田保険金殺人事件」と呼ばれる事件で死刑囚となった長谷川(旧姓竹内)敏彦の事件、取り調べ、裁判、そして死刑囚としての監獄での生活を書いたノンフィクション。
 死刑反対派大塚公子の筆のせいか、長谷川敏彦を反省し生まれ変わったかのように書いているが、実際はどうなのだろうか。というのは、別の人から見た長谷川敏彦という人物は、ちょっと人間が単純で、そして自分の都合のいいように物事を解釈してしまう人物として書かれているからだ。私から見ればむしろこちらの方が真実像じゃないかなんて思ってしまう。ちなみに上記の事を話しているのは、長谷川敏彦に殺された被害者の実兄である。長谷川俊彦の反省の手紙に心を動かし、交流するまでになった実兄であるが、だからこそ真実の目で彼を見ているのではないかと思うのである。
 なお、1999年7月には先に死刑判決を受けていた共犯者が処刑されている。同一事件では大抵同時に処刑されると思っていたので、これは珍しいケースだなと思った。




馳星周『夜光虫』(角川書店)

 かつてはプロ野球のエース、今は台湾プロ野球のピッチャーである加倉昭彦が主人公。野球賭博にまみれた台湾プロ野球界、その野球賭博に一役買っているうちに事件に巻き込まれ、堕ちていく加倉。
 新宿の次は台湾、いかにもとうなずかせる黒い舞台を見事に書ききっている。もっとも、大なり小なり、黒い舞台のない国や街はないのだが。ここまで詳細に書かれると、台湾プロ野球というのはほとんど賭博だらけじゃないかと思ってしまう。ただ、本作品はちょっとやりすぎたのではないか。いままでただのプロ野球のピッチャーだった男が殺人に手を染め、ここまで墜ちるというのはさすがに納得しづらい。




森博嗣『地球儀のスライス』(講談社ノベルス)

「小鳥の恩返し」「片方のピアス」「素敵な日記」「僕に似た人」「石塔の屋根飾り」「マン島の蒸気鉄道」「有限要素魔術」「河童」「気さくなお人形、19歳」「僕は秋子に借りがある」の10編を収録。
 犀川と萌絵のその後とか噂の新キャラクターなど話題盛り沢山の短編集……。もっとも「犀川と萌絵のその後」は嘘ではないが、真実でもない。二人のその後の進展具合を書いているわけではなく、ただ一つのエピソードを書いているに過ぎない。しかし、その二編「石塔の屋根飾り」「マン島の蒸気鉄道」がこの短編集で一番面白かった。とはいえ、キャラクターの性格付けが確立されているからこその面白さだろう。やっていることは「黒後家蜘蛛の会」森博嗣バージョンでしかない。
 問題は残りの八編。ひとことで言えば起の次に承や転でなくいきなり結が来ている。元々森博嗣の作品は、わかる人さえわかればいいみたいな突き放した書き方が多いが、短編になるとその傾向が顕著に現れる。とくに「僕に似た人」「有限要素魔術」「河童」にその傾向が強い。同人誌的な読者サービスが好きなくせに何でこんな書き方をするのだろう。逆にこう独りよがりになってしまうところが森博嗣の限界かもしれない。
 これ以上森博嗣を読むとさらにいらつく自分が見えているので、多分もう読みません。




『あなたが名探偵』(講談社文庫)

 犯人当て小説集。収録されているのは西村京太郎、佐野洋、鮎川哲也、仁木悦子、都筑道夫、森村誠一、大谷羊太郎、陳舜臣、多岐川恭、山村正夫、草野唯雄、藤村正太、斎藤栄、夏樹静子、高橋泰邦、千代有三、石沢英太郎、大谷羊太郎、藤村正太の計19本。いずれも1972年3月〜1980年4月に刊行された現代推理小説大系の月報に掲載されていたものである。この手のものはまとめられることもなければ、短編集にも収録されない作品ばかりなので、出版されるのは嬉しいですね。
 1970年代はけっこう犯人当て小説という形の本が出ていました。現在、夏野百合らを中心に「犯人当て小説」が結構出ていますが、ビッグネームの人たちにもこういう企画をやってほしいです。