倉知淳『幻獣遁走曲』(東京創元社)

 「猫の日の事件」「寝ていてください」「幻獣遁走曲」「たたかえ、よりきり仮面」「トレジャーハント・トラップ・トリップ」の5編を収録。
 幸せになれる本格といったところだろうか。思わず微笑んでしまいたくなるような5編。動機が弱いものもあるが、いずれの作品も佳作揃い。もっと猫丸先輩の活躍を見たいですね。★★★☆。




横溝正史『双生児は囁く』カドカワ・エンタテイメント

 「汁粉屋の娘」「三年の命」「空家の怪死体」「怪犯人」「蟹」「心」「双生児は囁く」の単行本未収録7編を収録。
 未収録作品を読めることは横溝ファンとして嬉しい。昔好きだった駄菓子を久しぶりに食べたという感じだろうか。ファンなら満点を当然付ける所なんだろうけれど、出来でいったら並といった所か。★★☆。




島田荘司『Pの密室』(講談社)

 御手洗潔は幼年時代から名探偵だった。
 あの不思議な力は、5歳の時には既に具わっていた。幼稚園時代と小学校2年生時、現在の御手洗を決定づけた不可解で陰惨な大事件。あの名探偵の過去がここに明かされる!

 御手洗潔の過去に重点が置かれていた「鈴蘭事件」は謎解きの面で今ひとつだが、「Pの密室」は久々に御手洗ものらしい謎解きに浸ることが出来た。島田荘司はやはり小説がうまい作家だなと思わせる中編集。ようやくミステリに本腰を入れてくれたみたいだ。★★★★。




貫井徳郎『転生』(幻冬舎)

 心臓移植がテーマ。心臓移植を受けた主人公の心情や取り巻く周囲の動きなどの描写は細かく、しかし簡潔に書かれていて読む方を飽きさせない。特に主人公の母親や親友、そして隣に住む全聾の少年などはまた会ってみたいキャラクターである。ところが、主人公が全く経験したことのないことを夢で見たり、今まで全く聞いたことのないショパンの曲を知っていたり指が鍵盤を追ったり、食事の好みや性格が変わっている事に気付くところから物語はミステリになっていく。この記憶は移植された心臓の前の持ち主の記憶ではないかと考え、本来なら秘密にされているドナーが誰かを探る。ところが新聞記事から探し当てたはずのドナーの痕跡はどこにもなかったのだ。
 前半部分のムードが実に良い。だからこそこの作品、何もミステリに仕立て上げる必要はなかったと思う。いや、ミステリでもよかったかもしれないが、無理に込み入った謎を設定する必要はなかったのではないか。後半無理矢理ミステリに仕立ててしまったため、せっかくの魅力的なキャラクターたちが生かされなかったのはとても惜しい。主人公の母親や友人のライター、親友などをさらに深く主人公と絡ませればもっと面白くなったと思う。また、心臓移植による記憶の移植という事象は珍しいものの、自分に移植された他人の記憶の過去を探ろうという展開は陳腐な展開であると言ってよい。さらに最後の真相も陳腐であるとしかいいようがない。ましてや結末の付け方に至っては、あまりにも単純すぎる。貫井徳郎の「本格」にこだわる姿勢はとても好きなのだが、本作品ではそれが欠点となって作品に現れてしまったようだ。無理矢理謎を設定してしまっているので、その軋みが作品に出てしまっている。残念としかいいようがない。




清涼院流水『カーニバル・デイ』(講談社ノベルス)

 JDC(日本探偵倶楽部)本部ビルが爆破。それは犯罪オリンピック現象の開幕だった…。犯罪ビッグバン、人類進化の謎、新人類の記念日―様々なキーワードが見え隠れする現在と未来の犯罪現実と人類の結末。(粗筋紹介より引用)

 ようやくの完結編。確か7の月までに刊行するんじゃなかったっけという皮肉はさておこう。しかしこの厚さは読むものを退かせるものがある。清涼院流水が好きでなければ誰も読まないだろう。そして、清涼院流水が好きでなければこの話、誰も付いていくことが出来ない。付いていく気力もないに違いない。九十九十九があっさり殺されてしまったのは予想外だったが、他は正直言ってもうどうにでもして状態。どの探偵がどういう行動を取ろうと勝手にやればと思ってしまう。清涼院流水という存在、過去の作品である『コズミック』『ジョーカー』『19ボックス』をも物語の中に取り込んでしまうその情熱には恐れ入る。結局この作品、清涼院流水がどういうホラを付くかにかかっているのだ。それ以上でもそれ以下でもない。だからたとえ本で調べたことを並べて最後にそれをただぶちこわすだけだろうが、『カーニバル』の事件郡を『カーニバル・デイ』前半部ではただ別の視点から書きつづっているだけであろうとどうでもよいことなのだ。『コズミック』『ジョーカー』ではなんとかミステリの体裁を保とうとした部分が見えたがこの一連の『カーニバル』物ではミステリの枠を全て突っ切っている。事件が起きて解決されるのだが、謎は何ら解決されていない。それもどうでもよいことなのだ。いかに「カーニバル」を実現させるか。それだけでしかない。
 それにしても「言葉」にこだわる清涼院流水の態度には恐れ入る。どんな壮大な事件でも最後まで「言葉」遊びにこだわる。ここまでのこだわりはいったい何なのだろう。「言葉」に「言霊」があると言ったのは誰だったか。