【情報、有り難うございました(掲示板)2002年1月〜6月分】


 情報をご提供いただき、有り難うございました。ご提供いただいた情報は、本ページの方に転記させていただきました。今後ともよろしくお願いします。
 読みやすくなるように、漂泊の方で時々、改行を入れております。ご了承下さい。


6/25 あtろ様、有り難うございます。
 怪物ランドの話題が出たので、ひとつ裏ネタを。  怪物ランドがもし、ストレートで10週勝ちぬいてなかったら、第3回Gルーキー賞が画策されていたはずでした。そのときのメンバーは銀賞再挑戦の員数調整をしたとして、ポップコーン、笑ルーム、バッテリー、パート2、コント21世紀、像さんのポット、笑パーティー、らぶこーる、パロル、パロディフライ、パルコ、Wさくらんぼ、浮かれ家×ふ、瀧雅也といったところでしょうか。
 ただ、こう並べてみたところ華がないメンバーになってしまいます。
 当時、スターとしての華があったのは怪物ランドとポップコーンくらいでしょうか。彼らが張り合えばそこそこの展開はあったと予想できるのですが。。。
 それに前回上位のファニーズ、カージナルス、ツーレロもその時点ではブレイクしたなく、そういったことも考慮に入れ、サバイバルシリーズ案が採用されたようです。

6/23 あtろ様、有り難うございます。
 テレビ演芸の場合はあくまでも連続3週でした。途中勝ち抜きの加算はなし。
 あたりとしおがそのケースでした。
 無制限になっても同じで、京丸・京平が病気欠場したときは、その時点で失格になってしまいました。(このときは京平さんだけ出たんですが、やっさんが激怒!)

6/22 三甲みつお様、有り難うございます。
 審査員の中に大野桂というひとがいました。花井伸夫の代わりに出ていました。たぶん後期でしょう。
 テレビ演芸見始めたのはたんごしんの頃からなので、それ以前は全く知らないです。新聞によればトリオ爆笑集団と月下美人がそれぞれ勝ち抜いていたと思われます。
 またダチョウ以降は、テキサスコンビの活動停止もあり、あまり良く見ていません。

 ここのルールでいまひとつ不明な点が有ります。三週勝ち抜きシリーズでの、途中勝ち抜き者の扱いはどうだったのでしょうか。勝ち抜いたところから始めるのか、3週ストレート勝ちでないと認めないのか。どなたか教えてください。私の記憶では、途中勝ち抜き者で3週勝ち抜きチャンピョンになった人はいない。

6/21 あtろ様、有り難うございます。
 まじかるずは太田に入る前には私が主催するライブによく出てました。
 そのころ得意だったのが「朝まで生テレビ」のパネラーものまね。
 その後、テレ東のものまね番組で優勝して、大田入り。一時はイチオシ芸人だったんですが。。。
「東尾の万引き」ネタと「風間もりお由美かおる」ネタでテレビ演芸で勝ち抜きました、プロ野球選手のものまねが上手くナイターのレポなんかもやってました。
 そのあと、独立−解散。藤代は解散後に「ガキ使」のクイズで優勝して、一瞬テレビに映りました。

 テレビ演芸出演者も大助・花子、竹中直人、中村ゆうじ、ダチョウ倶楽部、B21スペシャル、浅草キッドと豪華ですよね。あと忘れちゃいけないキンゾー&冬樹のAJAPAと昇太がいたまんだらーず。カージナルス、ダウンタウン、バカルディ、キッチュ、山田雅人、トミーズも出てました。バイキングやせーのやダンディ小森とびっくりキャットはどこをホームグラウンドにしてたんでしょう。不明です。キワモノ系ではなんといってもグレートひまのすけでしょう。このへんのネタはまたの機会に。。。

6/18 ハンバーグ様、有り難うございます。
テレビ演芸に出ていた芸人です。まじかるずもメキシコ台風も10週勝ち抜きの挑戦者です。
まじかるず(5週勝ち抜き)
堀井祥明1968年5月11日、埼玉県出身。
藤城。詳細不明。高校の同級生で、よく授業中に笑わせていたそうです。太田プロ所属。
ものまね漫才をしていました。ネタですが、「もしもこんな人がこんな職業をしていたら」という漫才で、藤城が喪黒福造のまねをして人生相談をするというネタをしていました。
ただものまねを見せるのではなく、漫才をしながらものまねを見せ、かつそのものまねもなかなか上手かったので結構面白かったです。ただ、「お笑いシャンテライブ」では普通の漫才で、テレビ演芸で見たほどのパワーが感じられませんでした。
94〜96年ころに解散。堀井は「堀井宇宙」の名で「003MANIA」というトリオを結成し、1998年NHK新人演芸大賞(演芸部門)を受賞しました(そのころはまた堀井祥明の名に戻した)が、2001年にトリオを脱退しました。

メキシコ台風(1週目で敗退)
メガネをかけていた方ともう一人のコンビ。メガネの方は相方を代えて2度チャレンジしています(コンビ名は同じ)が、2度とも1週目で敗退しています。
名古屋で活動していたコンビです。
(2度目の時)「遠山の金さん」のおしらすの場面のネタ。
A:北町奉行、遠山左衛門尉様、ご出棺〜(お経読む)
めがね:(泣きながら出てくる)
A:まだまだ若いのに、このたびは・・・
めがね:(泣く)・・・おい!違うだろ!
A:ああ、そうか。北町奉行、遠山左衛門尉様、ご出産〜(産声上げる)
めがね:(お腹を抱えて出てくる)
A:おめでとうございます。元気な男の子ですよ。
こんな感じのネタだったと思います。
現在は不明。

6/18 ハンバーグ様、有り難うございます。
今日の「おはスタ」を何気につけていたら、大森うたえもんがでていました。
火曜日のレギュラーがお休みのためのピンチヒッターでの出演でした。
新曲を出したらしく、番組内で歌っていました。
「Wedding eve」という曲です。なかなかいい曲でした。
探してみようかな?

6/15 あtろ様、有り難うございます。
 実は一番最初に私が漫才のネタを書かせてもらったのが彼ら。  Wけんじ門下で、あまみけんじの相方はふじ健介です。  ふじさんは東京助さんとも最近コンビ組んでやっています。  大和演芸会の司会もやっています。近影はこちらで。

6/14 マッチ次長様、有り難うございます。
(平光さんのポルノ出演)
 一条さんがご存知なのは「聖子の太股」(寺島まゆみ主演)と「ズームアップ・ビニール本の女」(早野久美子主演)の二本だそうです。「聖子の太股」の方はかなりいっぱい出ていて、確か恋人役かなんかで、「ビニール本の女」の方は、カメラマンの北見敏之さんの助手役か何かだったという事です。

6/11 三甲みつお様、有り難うございます。
とんねるずがフラッシュに芸の無いのを恥じなさいと言われたのはもしかしてこれ?
と思うぐらいとんねるずは痛かったです。
むしろ、焼香で灰を食べちゃったアゴの方が笑えました。
アントニオ猪木のネタは鮫島君のコントよりも意味不明でした。
その前のマジックも全く笑えませんでした。
ぶるうたすは、フラッシュで見た時とまた、別人でした。
これだけが不思議でした。

6/11 うーやん様、有り難うございます。
「みなおか」(2002年6月6日放送)見ましたが、うろ覚えです。
ぶるうたすは成増からとんねるずがいなくなってどうのこうの・・・・
俺の所得も減ったよ・・・・で、貴明の「猪木のタコ揚げ」が見たい
アゴは憲武に、昔はよく一緒に飲んだよなぁ・・・お前も桜金造が嫌いだっただろ?
で、誰かのモノマネ(名前忘れました)が見たい、と言うと
憲武が「そんなのできねえよ」とぼやきながら、肩こりをアゴで直す、というのを
やり出し、それを見たアゴが「それは俺のマネじゃねえか」と突っ込んでいました。
てな内容でした。支離滅裂ですんません。
しかし昔のネタというから、コントが見たかったのに、モノマネがほとんどで
ちょっとがっかりでした。

6/7 三甲みつお様、有り難うございます。
(爆笑一気族)
  ぶるうたすが出た時。点数がふるわず。会場に来た女の子に聞いてみたら
「最後に胸の肉をぴくぴくしたのが気持ち悪かった」との感想。
対するぶるうたすは
「胸をここまでするのに、10年かかったんだ」
と言ったけど女性は、
「それでもキモチワルイ」
50人会場で15名の挙手だったとおもいます。

6/6 マッチ次長様、有り難うございます。
(怪物ランドでは)
 平光さんが円からの仕事の紹介でけっこう出ているらしいんですが、私が知っているタイトルは「聖子の太股」だけ。噂だと学生役という事です。
 ず〜っと観たくて探しているんですけど、なかなか見つかりません。(泣)

6/6 ノミス様、有り難うございます。
 演芸人は「お笑いスタ誕」勢に限らず70年代前半、ポルノ草創期から結構お笑いどころとして駆り出されています。(カリは出してないけど…←ひでぇ〜!!)
 中田カウス・ボタン、岡八郎、間寛平、笑福亭鶴光など…。

6/5 あtろ様、有り難うございます。
 もうその頃はポルノを見ていい年になってたんでけっこう見ましたよ(笑)
 それは「未亡人下宿初濡れ」シリーズで下宿生がシティボーイズ、新人下宿生がWコミの井手りょう、続編では新人はルパン鈴木でした。そして、下宿屋の未亡人が月下美人という女漫才師。
 歌手としてもデビューしてたんですが、片方が脱いでます(笑)
 梅介やWコミのれんじさん、たこ八郎なども出演してました。
 いまでもTUTAYAに置いてますよ。なかなかの怪作。
 あとブッチャーブラザースにも主演作があったはず。怪物ランドの平光さんも出てました。
 ポルノ路線からははずれましたが「金塊巻」に九十九一も出ています。
 芸人としての最多出演は快楽亭ブラックでしょうね。
 テレビ演芸組の蛍さんにはかなわないでしょうが。

6/5 えむえす様、有り難うございます。
 往年の日活ロマンポルノの作品にも 若き日のお笑いスタ誕メンバーが出ていましたよね。
 まず山本晋也監督の未亡人シリーズにはシティーボーイズとミスター梅介が・・
 若くして未亡人になった下宿のオーナーの所に 苦学生のシティーボーイズの3人とミスター梅介が住み込み、覗きをやったり 筆おろしをさせていただいたりの超ドタバタ喜劇です。
 ちなみに 売れる前のたこ八郎も警官役で出演していました。
 当時 中学生だった僕もお笑いスタ誕大好きだったのとポルノ映画にも多大な興味を持っていたので 大人みたいな服を着こんで観にいったという経験があります。
 その他にも金太紋太主演の(ポルノだから主演じゃーないですね)男優が金紋だけという 芦原ソープ嬢との実録ルポ作品など(これは 見ていません 後で知ったのですが)
 調べるような資料を持ち合わせていないので残念なのですが 当時漫才ブームの真っ最中でお笑いスターとは名ばかりで実際には まだまだスターに なり得ていなかったスタ誕メンバーが数多く駆り出されていたと聞いたことがあるのですが・・・

 どなたか 知りませんか?

6/4 たけだそめたろう様、有り難うございます。
 「お笑いスタ誕」が放映されていた頃、関西では毎週土曜日PM2時から松竹芸能の「道頓堀アワー」が放映されていました。また月1回、若者向けに「フレッシュ漫才」が放映されていました。「松竹」の若手たちは「春やすこけいこ」以外、普段若者むけの漫才をする機会に恵まれなかったようで、いまいちアカ抜けしない漫才が殆どで、全然おもんなかったです。そのなかで印象的なものを2つ。
 1:トリプルパンチ
(甲子園球場の「売り子」のシーン)
(おさむ)「サンドイッチーサンドイッチー、腐りかけ。サンドイッチー」
(小助) 「弁当弁当ーカチカチのべんとー」
(キング)「おまえらなに言うとんね!野球見てる兄ちゃんが欲しがってるもん!」
(小助) 「おんな おんなー」 (キング)「えーかげんにせえ!トリプルパンチでしたー」

 2:中田伸江伸治
(伸治)「あんた小林さんに似てるで」 (伸江)「幸子?」
(伸治)「いや、亜星」
(伸治)「あんた聖子聖子言われるんちゃう」 (伸江)「松田聖子?」
(伸治)「いや。田辺」
(伸治)「あんた、和子和子言われるんちゃう」 (伸江)「松村?」 (伸治)「いや、小森」
 ☆マッチ(近藤真彦)のネタ
(伸江)「ただいま通りからマッチが出てきました。こんにちはーマッチー」
(伸治)「マッチでーす」
(伸江)「きたないマッチやなー。これやったら徳用マッチやがな」
(伸治)「やだー」←(これは伸治のギャグです)

5/17 えむえす様、有り難うございます。
 僕は直接面識が無いのですが、友人が仲良く面倒みてもらってるみたいで、よくよく話を聞きます。
 トリプルパンチ解散後というか、 鳳啓助没後に啓助さんの事務所だった井川企画を離れ以後一人でフリーとして自分で仕事を取ってきてこなすというスタイルで活躍しています。
 多分、啓助師没後には何処に所属しなくとも、食べていけるだけの顧客を確保できたからなのでしょう。
 司会やめでたい席でのにぎやかしや出所放免祝いの三本締めや競艇場での仕事と多岐にわたりというか、少々アンダーグラウンドなタニマチに恵まれ、ここ20年を過ごしているようです。
 そのタニマチの量がとにかくスゴイらしいです。(ある意味 質もすごいといえばすごいのですが・・・)
 他の芸人さん(かなりの大御所も)に、余興の仕事をブッキングできるくらいに顧客管理ができていて、松竹系の中堅以上の芸人には かなり慕われているみたいです。

 コワイ系の仕事が多いとはいえ、ご本人はいたって穏やかで気さくで面倒見が良いみたいです。
 僕の知ってるエピソードでは、ミナミで奥さんとスナックを経営してるのですが、そのスナックの近くの時間駐車場のバイト君にチップで10000円、出前持ちにも10000円と、機嫌が良くって懐暖かかったら、すぐにはずんちゃう性格みたいです。
 だから ミナミ千年町周辺でキングさんといえば かなり有名な存在みたいです。
(あと尼崎と住之江の競艇場内でも・・・ )

5/17 マッチ次長様、有り難うございます。
8月8日(木)〜8月14日(水)、8月17日(土)〜18日(日)大阪でミュージカル・ハンター×ハンター 『tha nightmare of ZAOLDYECK』上演決定。
演出・平光琢也 レオリオ役・郷田ほづみ です。
運がいい方はロビーでタバコ吸っている平光さんとお話できると思います。
そして8月9日(金)にちょっと面白いオフ会を考えていますので、企画実現できるようでしたらまたご報告にあがります。(と、プチ宣伝)

5/17 えむえす様、有り難うございます。
でんでんって の・ようなもの にも出演してましたよね?
この前 世にも奇妙な物語だったか そうゆうようなオムニバス形式のドラマにも刑事役で出ていましたね。この前の日曜だったかな?再放送で見ました。
昔は幸福の科学の映画にも 結構いい役で天上界の神様みたいな役で出ていたのを覚えています。

それと金太紋太解散の真相は殴ってはいないと思いますよ。
紋太さんに聞いた話では・・・

この二人には7年位のキャリアの差があって 後輩にあたる 紋太さんは それほど強く言えなかった部分が多かったと語っていました。

ただ 解散まぎわには芸の力というか ネタ運びやネタの構築など紋太さんの方が上だったので立場が逆転していたみたいですが・・・

ただ 円満に解消とはいかなかったみたいで、突然の解散申し出だったので 金と一筆入れさせたとは言ってました。

今後 一切 お笑いの世界に戻ってこないのと 芸人仲間とも付き合いは一切絶ちますって内容だったそうです。

もっとも 金太さんも 異論なく 芸能界との付き合いは絶ちたかったみたいで その後20年経った今に至るまで 芸人仲間との交流は絶っているみたいです。
ちなみに 現在はミナミでスナックを経営してます。
結構流行ってるみたいですよ。
僕は行った事ないのですが・・・

5/16 三甲みつお様、有り難うございます。
 俳優でんでんの初仕事は刑事ドラマの犯人役で詐欺師の役だったと記憶しています。1時間ドラマだったと思うが。

5/16 うーやん様、有り難うございます。
先週でしたか、火曜サスペンス劇場にでんでんが出演しておりました。
役どころは刑事課の課長役でした。
最近は2時間ドラマでちょくちょく見るようになって、スタ誕ファンとしては何か嬉しいですね。
なまりがあるのがまた味があるんですが、この日は青森県が舞台だったのでなまりも違和感がありませんでした。
当日の朝日新聞のテレビ欄の番組紹介でこの番組が取り上げられていたのですが、「刑事役のでんでんの好演も光る」(だったと思う)と誉められていました

5/14 マッチ次長様、有り難うございます。
「ねずみの軍隊」のネタや中華料理のネタはその後、「ウソップランド」の有栖川ライブや猪苗代湖ロケ(・・・と、原宿の「THE GROUND 」の収録待ち時間にも演ってくれました)などでも演られていますね。「ねずみの軍隊」ネタは、「ロックグループのメンバーの名前を全部言う」で、「ホール&オーツ」「ワム」(ワムの時には一人(郷田さんか平光さん)が「ワ」と言ったので、次の人が「ム」と答えるんじゃないかとドキドキしました(^^;)あと北海道ロケでもこれを演ったんじゃないかと思うのですが、その時は「3人の今までつきあった女の名を言っていく」で、平光さん・郷田さんが「ひとみ」「マキ」とか可愛い名前であるのに対し、赤星さんは「ウメ」とか「トヨ」だったのが妙に合ってて面白かったですね。中華料理のネタはたぶんまんま、演られてたと思います。

5/12 たけだそめたろう様、有り難うございます。
 「登場者リスト」の「トリプルパンチ」の「鳳キング」の出身地ですが、徳島県です。一回見た舞台で彼は阿波踊りマネをやってました。私はかれこれ20年位前ですが、新花月へ月1ペースで通ってました。当時舞台に出てたのが、「Wさくらんぼ」「東秀典祐典」「和光亭幸助福助」などです。なんしか売れてない芸人が好きでした。今もそうです。ちなみにその頃、地下鉄動物園前駅で「小川あたるたまる」(現 若井やるきたまる)を見たことがあります。

5/12 うーやん様、有り難うございます。
この番組、私も毎週という程ではないですが聞いていました。
東京のスタジオからの放送でしたね。
金紋の時は大阪ローカル的な話がよく出るので楽しみでした。
リスナーと電話で話すコーナーで「君、○○高校? 同じ学区やんか。かしこいやん!
俺は××高校やってん。○○高校の横の商店街に・・・」なんて話がよくありました。
九十九一の時は小柳トムが来たり、アゴキンの時にはまだブレイクする前の
とんねるずが来て新曲のPRをしていました。
おぼんこぼんも金曜のレギュラーだったと思います。

5/11 えむえす様、有り難うございます。
真夜中ギンギラ大放送 僕も 割りと欠かさず聞いていました。
確か夜中の1時だったと思います。
金太紋太が 大好きだったので 金紋の曜日は ほぼ毎週聴いてました。
半年位で番組そのものも無くなったのですが 最終回の最終週の金紋のしかもエンディングのさよ〜ならぁ〜と言った後の空白の数秒の間に『金太紋太も解散しまーす。』と陰気な紋ちゃんがぼそっと陰気に語ったのを覚えています。
当時は 金紋のことは ある程度情報収集してたのですが まさかー?と思いましたが 当の本人たちは それっきり勉強会にも姿を現さなくなったので 真偽を知る術がありませんでした。
後年 聞くところによれば 紋太さんが『来月のネタどうする?』と打ち合わせ申し出たところ
『あっ、ゆうのんわすれてたけど俺もう今月で辞める事にしてん。スナックするから・・・』と金太さんが突然のコンビ解消宣言をしてその数日後のギンギラ最終回で解散のはこびとなったそうです。
その後 紋太さんはピンで余興をまわるかたわら 同じくコンビ解消したばかりのミヤ蝶子さんとサンテレビ深夜の『ゆりやカラオケルーレット』の司会をしたり 紋太蝶子(正式コンビではない)で余興まわりをこなしていたようです。

で、ギンギラに話を戻すと パーソナリティー全員がフリートークが下手なのか全然おもしろくなくて 聴くに耐えれない内容だったように思います。
ましてや 550KHZ前後のラジオ関西の深夜放送など聞くリスナーの絶対数が少ないせいか おたよりなんかも少なくておもしろくない番組バージョンで10週勝ち抜きのできそうな内容でした。
ただ 楽しみにしていたのは 九十九さんのフリートークはわりと スタ誕の楽屋ネタが多く
ギャグシンセ長谷川 飲酒事故で捕まる!とか こだまひかり10週勝ち抜きの日の舞台裏の又聞き話等 少し講談をかじってただけに見ていない事でも見ていたように話してくれるのが 楽しみでした。
お笑いスタ誕の裏参考書といえるでしょう。

5/10 関西の白衣様、有り難うございます。
 出演者リストの怪物ランドのネタの内容が私の記憶と微妙に違いがあります。
3週目のネズミの軍隊ネタは、仲間がみんなネコにやられて残った3人の中にスパイがいる疑惑を検証するために、いろんな物の名前を順番に言っていく、というネタでした。花の名前で赤星さんがカリフラワーといってしまい言い訳すると「八百屋に売っている」と突っ込まれて「春菊も売っている」と返したり、ほかほか弁当の種類では「三色弁」「二色弁」「一色弁」(オチ)、「けん弁(けんちん汁弁当の略)」という風に赤星さんが落としていました。最後はネコに鈴をつける役目を平光さんの殿下がやるはずが、やっぱり赤星さんになって、しかもかさ地蔵になっておしまい。
5週目の怪物くんパート2は狼男が恋煩いになっていろいろアドバイスをするねたでした。なぜか中華料理のメニューを言っても気持ちが伝わらなければならない、となって「好きだ」のつもりで「チャーハン」と言ったら「とても」を入れないとだめとなって「五目チャーハン」など。最後はこいの相手がパンダのホアンホアンだったというオチで、しめは「もう今日は飲茶!」「今週はこれでおシュウマイ」
4週目はETネタ。ET(赤星)と通信販売好きの少年(平光)と母親(郷田)のからみです。母親のキャラに後の知恵袋おばさんの原形が。ETを助ける代わりにせしめるお礼が通信販売グッズ(背が3メートル高くなる靴、家紋入レオタード)。最後は3人で自転車をこいで機動隊から逃げて、空にとんだら機動隊もとんでおわり。 10週までみたかった。
アゴキンがゴールデンルーキーをとった頃にラジオ関西で深夜3時から「真夜中ギンギラ大放送」という番組が始まったのですがDJが月曜九十九一、火曜金太紋太、水曜アゴキンというスタ誕ファンのためのようなメンバー構成でした。一度だけ金太紋太の回を少しだけ聞いたのですが、時間帯の影響もあるんでしょうが予想に反してもの静かな雰囲気の番組でした。

5/5 うえ様、有り難うございます。
 大好きだった象さんのポットですが、番組終了ごかなりたってから、NTVの深夜にきたろう、小林克也司会で放送していた「爆笑王誕生」というお笑いスタ誕と同型式の番組に、チャレンジャーとして出演していた記憶があります。10年ほど前かな。きたろうさんが「いや〜、まだやってくれてたんだね」ってとても喜んでいました。

5/5 えむえす様、有り難うございます。
 当時 松竹芸能が新人漫才を売り出すために 金太紋太の和光プロ 蝶美蝶子の日向企画などに かなり強い圧力をかけて 自社タレントにしようとしてましたよね。

で その蝶美蝶子は 松竹の所属にならなかった為に 角座 新花月共に舞台ローテーションから外され それに伴い 当時角座からの舞台中継していた道頓堀アワーにも出演することなく 最期は寂しくひっそりと解散引退しました。
その後は あっちこっち丁稚などの吉本純度100%番組にもゲストで出してもらってましたが存在感あり!と認識させるまでにはいかなかったようです。
蝶美蝶子とビビデバビデブーという 紳助バンド SSTバンドの向こうを張ってかロックバンドを新芸スクールのメンバーと結成しましたが 鳴かず飛ばずで 結局バナナホールでのライブ1度きりに終わったみたいです これは 時期同じくして蝶美の結婚等もあり蝶々先生の考えていた 女は結婚か芸の道の取るかどっちかにせなあかん。という教えもあり(蝶々さんは ことのほかこの件に着いてはうるさいらしい)諭されてた時期もあったみたいですけど そのまま続行しても良いという許しをもらったのですが すぐに妊娠してしまい 蝶々さんからは 破門をいいわたされたみたいです。
日向企画の芦屋ボンボンさん他のはからいで 結婚引退という発表になりましたが・・・
末期は かなり険悪な仲になっていた 相棒の蝶子は そのままピンでレポーターなどの仕事を経てオーストラリア留学の後、蝶々劇団入りして 舞台や2時のワイドショーの鬼嫁役で活躍していあました。
蝶美蝶子にかんしては もっともっと語りたいことがあるのですが またの機会にたっぷりと新制再結成編も語らせてもらいます

5/4 たけだそめたろう様、有り難うございます。
 「登場者リスト」の「古都からんころん」についてです。彼らも当時は「松竹芸能」の若手ホープでした。道頓堀角座や、新世界新花月を中心に活躍していました。当時の松竹芸能の「若手ホープ」は中田伸江伸治、酒井くにおとおる、やすこけいこ、パート2、トリプルパンチ、ジャン種吉、Wさくらんぼ、じゃんけんぽんなどでした。ただ当時、やすこけいこ、くにおとおる以外に売れそうな若手が松竹にはおらず、「金太紋太」や「蝶美蝶子」(当時は彼女らは「蝶々新芸スクール」のホープでした)を松竹は引き抜こうとしてみたものの、いずれも失敗に終わったようです。最後に「からんころん」の漫才のネタですが、
(ころん:からんの腹をさわって)「腹」 (からん)「原田真司」
(ころん:からんの腰をさらって)「腰」 (からん)「越路吹雪」
(ころん:からんの尻をさわって)「尻」 (からん)「しりません」
(ころん:からんの前をさわる)     (からん)「大木金太郎」
全然おもんないから好きだったのを覚えています。ただ彼らは「NHK上方漫才新人コンクール」で「伸助竜介」などをおさえて「最優秀新人賞」に輝いていたのは本当の話です。 

5/3 三甲みつお様、有り難うございます。
 高田文夫の本にカージナルズの修行時代のエピソードが載っていました。タップダンスを習う金が無く、タップ教室の新規入門者として各教室をまわり見学時にステップを頭に叩き込んだそうです。当時のたけし軍団はジャグラーやタップなどの芸事に専念していました。今たけし軍団の芸レベルは相当高いのでは?
 鶴太郎はガンリーズにいたらしいのですが、別の本では隼ジュンさんのところにいたとなっております。どっちが本当でしょうか。

5/3 えむえす様、有り難うございます。
 ニュース寄席って TV番組じゃなくって 漫才ブーム当時に月イチで行われていたお笑いライブなんです。 メンバーは横山ノック(政治放談) 上岡龍太郎(歴史論及びピン芸の笑いのポイント論)
 青芝フックキック(漫才)の元マンガトリオが発起人で
大木こだまひびき ミヤ蝶美蝶子 青芝金太紋太 ジャン種吉 西条ロック 若井けいじ 横山プリン&高井ギャラ 横山アランドロン 大空テント等々・・
そして当時上岡龍太郎の外弟子といおうか居候修業中の坂東英ニも野球漫談をしてました

このオレンジルームというのは梅田 阪急ファイブの最上階にあった貸しスタジオなのですが当時は ナウイ スポットで 関西TVの【誰がカバやねん ロックンロールショー】の公開放送やMBSラジオ【鶴瓶のわいのわいの90】の公録があり けっこう盛り上がっていました。イスなし べた座りで100〜150人位で満員だったように思います。
ただ このニュース寄席 今にして思えば(当時でも 勉強会の内容にすれば 豪華すぎるメンバーだったのですが)50人入ってなかったように思います。
阪神巨人 B&B サブローシロー 大助花子 ぼんち みのるゆたか(後の松竹梅の松みのる)他 たくさんの売れっ子を輩出した 秋田實設立の【笑の会】にしても 20〜30人くらいの観客だったように思います。

4/29 ノミス様、有り難うございます。
(ダントツ笑劇隊の)その前身だったか後番組も三波・ぼんち司会の90分ワイド演芸番組がありました。 「爆笑ヒット快進撃!!」というタイトルだったと思います。 あのねのねの参加は「ダントツ〜」のみで、色んな場所に出向いてジャンケンするだけの「ダントツマン」なるコーナーを受け持っているだけで収録会場で司会していたかは記憶にないです。 当時の土曜8時、ドリフに「ひょうきん」、新鋭の「お笑いスタ誕」に三波さんら旧演芸陣混合の日テレと、お笑いグルメ・お笑いマニアには堪らない編成。もう20年以上も前の話なんですね。

4/28 えむえす様、有り難うございます。
 ダントツ笑撃隊については、ラサール石井著「笑うとは何事だ」にも記述があります。三波伸介氏だけでなく米丸師匠も司会していた記憶があるのですが、放送途中で三波伸介氏が亡くなられたのかもしれません。「ひょうきん」からひっぱってきたザ・ぼんちも司会に加わっていましたが、視聴率で勝てずに打ち切りになってぼんちは「ひょうきん」には戻れなかった。あのねのねも案内役で出ていた記憶があります。エンディングでは司会の3人を囲んで全出演者がお揃いのラメ入りスーツとシルクハットで宝塚のレビューみたいにキメていました。スタ誕出身者が大半を占めるこの番組に出演したこともあって、赤信号もスタ誕出身と誤解している人が多いのと、この番組に出ていたために赤信号が「ひょうきん」に出られるまで時間がかかった、とラサール氏が書いていました。 もう一つの特番は記憶はあります。赤信号、アゴキン、とんねるずともうひと組誰か忘れましたが、4組がキャプテンでチームを組んで吉本新喜劇みたいなドラマコントをやって多分会場のお客さんの審査で順位を競っていました。金太紋太が赤信号チーム、でんでんもどこかに出ていました。優勝は赤信号チームだったと思います。
 関西では怪物ランドが5週勝ち抜いたところで放送が打ち切られました。10週までみたかった。ちなみに後番組が板東英二司会の「わくわくさんど」という視聴者参加のゲーム番組。はっきり言っておもんなかった。アシスタントがなんとザ・バッテリー。自分達が売り出す切っ掛けを作ってくれた番組を打ち切った番組のアシスタントなんかやったから、「松竹芸能の秘密兵器」といわれながら秘密のまま終わってしまったんだな。3月の「週刊宝石」の「こんな人いてます」というコーナーで若井はやとに弟子入りして「若井りき・ゆうき」になったザ・バッテリーが紹介されていましたが、記事の中の「スタ誕当時は東のとんねるず、西のザ・バッテリー」という記述には笑ってしまいました。

4/28 マッチ次長様、有り難うございます。
 久々に怪物ランド関係の話題が出来たので来ました。(ロムはしてるんですけどね(^^;)まず平光さん、音響監督の新番組「満月をさがして」2002年4月6日より土曜日朝7時30分〜8時テレビ東京系、「ホイッスル!」2002年5月6日スタート(2002年5月3日第1・2プレミア放送)アニマックスにて毎週一話7回放送です。それと、怪物ランドプロデュース公演で共演された一条さゆりさんがご自身のサイトで「美味しい男」という事で、平光さんについての文章と、当時の写真を公開されてます。
http://member.nifty.ne.jp/hanare/ichijosayuri/ (一条さゆり・一條小百合)
 あと郷田さんが6月に「つ組」(郷田さんプロデュース・演出の芝居)の予定があったと思います。確かまだ詳細は未定のはず。(あと「満月をさがして」は郷田さんも声優で出演されるようです。)

4/28 えむえす様、有り難うございます。
 これは一回きりのスポット番組だったのですが お笑いスタ誕の第一回グランプリシリーズの中心メンバー ギャグシンセ 金太紋太 小柳トム他にもたくさん出てましたが・・・それにコント赤信号を加えたメンバーで日テレ得意のショートコントの羅列的な展開の特番(ゲバゲバ90分やカリキュラマシーン的なコント番組)をやっていたように記憶しているのですが どなたか 詳しく覚えている方いらっしゃいますでしょうか?

4/27 えむえす様、有り難うございます。
 当時中学生だった僕が勉強会なるイベントにしょっちゅう行ってて そのときに話する機会に恵まれた時に聞いてみたのですが・・・(ま、中学生の子供にきちんと正直に話したのか疑問ですし 漫才ブームで 各地 余興なんかで忙しかったので たくさん儲けてただろうから本人ですらあいまいになってただろうと思うので あくまで参考ということで・・・)まず オレンジルームのニュース寄席(覚えてますか?こういう勉強会)青芝紋太 金太は 両人とも あれの賞金なんかは あらへんかった。事務所にも確認取ったけど・・・ということ。次に アポロホールでのピンの会に参加してた九十九一は20万円やったと思うわぁーという事を聞いたのですが・・・さて真相は いかがなものなのでしょう?それと ご褒美番組としては ひょうきん族の裏で 南伸介司会で お笑い三段跳びって 番組がありましたよねぇーお笑いスタ誕の選抜メンバーとでもいいましょうか ほぼ第一回のゴールデンルーキーのメンバー小柳トム ギャグシンセサイザー 金太紋太 アゴキン等々でやってましたけど 割りとすぐに終わってしまいましたよね。毎週のように B&Bが恋のテイクスリーをうたってしまいましたよね。

4/27 あtろ様、有り難うございます。
 テレビ演芸の出演者について思ったのですが、三週めのチャレンジが多いテキサスコンビは自信家だったのでは。すでにお笑いスター誕生で4週勝ち抜いているし、東海大学の学生コンビに負けないという計算でまんだらーずとの3週めの挑戦をOKしたのだと思われます。あの時点で勝っていればチャリカンとグランドチャンピオンを争っていたかも・・・。結果としては三度目のチャレンジで合格(といっても放送を見逃した月もあり正確なデーターではない)。逆に堅実派はチャーリーカンパニー、たんごしん、こだまひびきらでした。チャーリーカンパニーはお笑いスター誕生での成績が嘘のような完成度の高さでした。おそらく1週で落ちた事に対し発憤したと思われるのですが、お笑いスタ誕も初回は出場者が過剰で、そのための厳しい審査の結果とも考えられます。そこで、チャリカンの実力を見抜いたテレビ演芸スタッフが、未来のエースとして一回戦めに投入したのかもしれません。以上は私の憶測ですので真相は違うと思われます。凄かったのは竹中直人の3週めのチャレンジャーが波伸太郎でした。

4/25 関西の白衣様、有り難うございます。
 金太・紋太10週目は恋愛・結婚・ナンパネタでした。アイドルとの職場結婚を目指してすれ違い様に持ち歌を歌って切っ掛けを作る、というネタでした。それまで、実力の割に審査員の評価の厳しい2人でしたが、この時は審査員もべたほめで確かにテンポもよくのっていました。ネタも良かったと思います。

4/25 三甲みつお様、有り難うございます。
 カツオレにあったのですが、ラストチャップのテレビ演芸出演は10週目前の頃で、たいていの芸人さんは嫌がる、とありました。じゃあ、どちらも一週目で出ていた芸人さんは将来を約束されたエリートなんでしょうか。下のオーデションシーンで思い出したネタ。NHK新人演芸コンクール予選のオーデション風景にウンナンとフラミンゴが出ていましたが、本選には出れませんでした。前にも書いたかも。ギャグシンセって別にリーゼントじゃ無かったですね。いままで見た芸人で一番変な頭だったのは。前田竹千代。バンドではテクマクマヤコンズのボーカル(たしかザビエル頭と記憶)今の芸人ではタカ&トシが凄いです。

4/25 あtろ様、有り難うございます。
 「マネーの虎」って日本テレビの別館稽古場で撮ってますね。虎のポジションが赤尾さんたちでした。×浮は5週目の銀賞再チャレンジで受かり、6週目で落ちました。5週目のときに前にやってたムッシュ田村の「これ大阪弁」というギャグを後でパクってやったのがうけて、米丸さんにも誉められたので、6週目でもつかみでやったというわけです。Gルーキーに呼ばなかったのは関西をホームグラウンドにしてる芸人は呼ぶのが面倒だという前回の教訓と、×浮のネタがつまらなかったせいもあるでしょう。グランプリのご褒美は、日本テレビの番組で強力にプッシュ、本当にスターにしあげるというのが本来の意味でした。事実、BBやおぼんこぼんが番組を持ってましたし、マスコミへのプッシュもすごかった。その後は制作会社が芸能部機能をなくしたため、有名無実になってしまいました。

4/22 関西の白衣様、有り難うございます。
 怪物ランドの初挑戦の時に演技が終わった後の審査員の講評で、京唄子師匠が狼男のメイク(といっても、顔の周りに狼の毛のような輪ッかをかぶっていただけですが)をしていた赤星さんに、「私、最初面かぶってでてきたおもてたんよ」と言ったらネタ以上に会場の大爆笑をとっていました。
 ポッキー×浮はファニーズが勝ち抜き中に6週目に再チャレンジしていました。ファニーズの十八番のセリフ「私達は、、、です!」をパクって出て来て座った途端に「私達は落語家です」と言って、客席が無反応だったので、「失礼しました」と言って頭をさげたらやっと笑いが、、。
 ファニーズはフジテレビの隠し芸大会の「フラッシュダンス」のパロディドラマ(マチャーキとマッチが主演!)にオーディションの出番待ちのダンサーの役で、出演していました。本当に周囲の期待も大きかったんでしょうね。ギャッツビーのコマーシャルのセリフは「カトリーヌは俺の女よ」「はん!今日こそ勝負付けてやる」「かるーくアメリカン」「フワっとアフリカン」でした。(マニアックですみません)。
 金太・紋太はグランプリ後のグランプリコーナーで「この番組で10週勝ち抜くとスターの座が約束されるけど、まだ約束守ってもらってない」というネタをやってましたけど、ネタではなく本音だったりして、、、。二人はグランプリシリーズで最初に落とされた時は金太がネタを忘れてトチってしまったためで、以来不仲状態が続いていたと「陽気に、、、」の番組中に紋太本人が語っていました。
  ところで質問ですが、グランプリの御褒美がコマーシャルと賞金100万円ていうのは本当ですか?コマーシャルはともかく賞金については去年フラッシュに掲載された「お笑いスター誕生 誌上大同窓会」という記事で、おぼんこぼんのコメントが「、、、10週勝ち抜いたら100万円で、海外旅行行かせてくれるっていう話だったんでいったら、、」「ガセネタだった」。またサバイバル頃の特番で新旧の出演者が「今年の賞金王は笑パーティー」という話題で盛り上がった時に、中尾ミエさんがおぼんこぼんを例に出して「この人たちの頃は名誉だけだったのよ」と言っていました。

4/22 あtろ様、有り難うございます。
 テレビ演芸新聞のタイトルでは美男・美女漫才で遊平・かおり、ものまね少年であたりとしおはないと思いました。スタ誕でもGルーキーあたりからやたら狂乱とか悶絶とかオーバーな新聞のタイトルでしたね。ちなみに山田さんの紹介ナレーションは作家が書いてたそうです。小川あたるは今、松竹で若井やるき・たまるとしてやっています。相方は元アウトローズ。浅草キッドの10週相手はキッドの本に「噛ませ犬」と書かれて、まじかるずから京丸・京平までの10組はのってました。そのなかにラストチャップはあったかな?本ではシンプレを酷評してましたが、後にいっしょにライブやるなど仲直りしたみたいですね。

4/21 ハンバーグ様、有り難うございます。
(ラストチャップの相手)
 自分でも調べてみたのですが、浅草キッドの可能性が高いようです。何週目かは分かりませんが、西野さんがボキャブラブームの頃に出た本(ネプチューンや×−GUNなどと出た。立ち読みだったのでタイトル忘れました。買えばよかった・・・)の中でそのことを言っていました。

4/21 関西の白衣様、有り難うございます。
 ピックルスの楠美津香さんは解散後、太めの相方とコントキャンディーズというコンビを結成して活動していました。解散後にふらみんごを結成して文学ネタコントで結構話題になってましたが、解散後現在に至っています。
 金太・紋太の解散後、ピンになった紋太はちゃらんぽらん、渡辺めぐみといっしょにラジオ大阪で日曜の午後の「陽気にワン・ツー・スリー」という番組のパーソナリティーをやっていました(後にタージンも加わりました)。一時期松本竜助ともコンビを組みましたが、すぐ解散しました。
 タージンといえば関西ローカルの深夜番組「どんぶり5656(ごろごろ)」は外せません。大竹まこと、竹中直人、安岡力也がメーンでしたが、その中でロケのコーナーで「丸刈り一本勝負」というのをやっていました。コンクリートやアスファルトの上にチョークであみだくじを描いて、当たれば賞金、外れれば丸坊主。あみだくじのゴールを自分の体で隠すのがいかにもロケでした。現在のリポートの帝王の原点がここにありました。あと「ひよこ三態」というショートギャグも披露しました。
 金太・紋太のゴールデンルーキーでの奮闘ぶりを見ていた頃は、漫才てコントに比べて不利やなー、と思っていました。動きで爆笑をとれないし、審査員の要求も厳しかったと思います。グランプリとった時は関西人としても上方漫才が全国的に認められると、内心喜んだのですが。そう考えるとアマチュアから20年以上かかって今の地位を築いたちゃらんぽらんには「名誉グランプリ」をあげたいですね。

4/21 三甲みつお様、有り難うございます。
 小川あたるたまるは、八作もへいや翔と遊がチャレンジしていた頃のテレビ演芸の常連です。可もなく不可もない若手の代表といったタイプで0週勝ち抜きでした。テレビ演芸の新聞見出しは物凄く大袈裟で東スポの見出しのようでした。怪奇四次元おじん・審判漫談と若手芸人の事を勝手に呼んでいました。あのメリマリのことも、美人女性漫才などと呼んでいたと思います。まあ、お笑いスタ誕の見出しも悶絶・艶笑が飛び交っていましたが。

4/19 蒜山様、有り難うございます。
 青芝紋太・・・・・・恵まれない天才です!好きでした。

4/18 パパリン様、有り難うございます。
 今回はゴールデンルーキー賞、1回目のカージナルスネタです。同じネタがやれると言うので、大筋は1週目のネタ(私は唯一撮っていない)で9週目の落ちたネタをミックスしたものでした。いつものようにインディアンと勝負のネタで、背中を合わせて1・2・3歩で打ち合うというのを、タカと同じ方に歩いていき振り向いたところをオノで思いっきり頭を殴った時に事故は起こりました。「頭割れたらどうするんだよ!」と言うタカに間髪入れずに「アッ、ホントに割れてる!」と驚くインディアン。テレビからはそれほど解りませんでしたが、コント後下手にはけるタカ。汗もあり血が多く見え、会場は心配だったようでした。笑いが少なかったのは、観客も笑っている場合でない雰囲気だったのでしょう。審査の後半にタカは現れましたが、かなり注意されていました。ゴールデンルーキー賞前半で上位にいなかったのはこの流血の件がコンビの息の良さに、影響がでた事が原因だと思いました。

4/18 あtろ様、有り難うございます。
 ラストチャップは立のほうと仲良かったのですが87年ころには解散、健一はダブルアクセルという漫才コンビ組んでたはず。となるとだるま食堂あたりじゃないでしょうか。「泣かぬならホトトギス」のネタでした。フットワークは立ち位置だけが誉められてましたね。「保母ブラジル」というギャグは受けていましたが。VANVANは西さんが「顔色が悪い、暗い」と酷評され、かつてのアイドルGSもかたなしでした。大晦日の番組はマギーさんやしおり・さおりなど銀賞以上の受賞者が出てました。ファニーズは赤木&小椋コンビ。商品は「ふんわりアメリカン、ふわーっとアフリカン」の資生堂ギャツビーでした。彼らの後が松田優作。

4/18 三甲みつお様、有り難うございます。
 ラストチャップはSF漫才の後継者と見ていました。確か原子力発電所をネタにしたSFネタをやっていたと思います(これについてはかなり記憶がいい加減なので、誰か教えてください)。対戦相手は忘れてしまいましたが。もう少しキャリアを積めばラストチャップの勝ちだったと思われます。無制限の時代だったと思います。カンでベジタブル?ちなみに小川あたるたまるの大政翼賛会漫才(または今は戦前漫才)はたいしたことが無かった。

4/18 新・しのざき美知様、有り難うございます。
 旧・しのざき美知(つまり本物ですね)が、歌手・SHINOZAKIとして復活しましたね。でも私はHN当分変えません・・。あ、これは関係ないですね(苦笑)。本題ですが、まず、ファニーズのCM、残念ながらコーラアップのではなく、姉妹品の”オレンジアップ”のほうでしたよ。懐かしいですね。4人は鼓笛隊の格好をしてて、戸丸さんは例の首振りダンスをやってましたね。もう一つは、前に”捨て駒では?”とここの掲示板でちょっと話しが出た「フットワーク」情報です。初登場・・’83・3・12(おそらく) メンバー・・3人組でした。そろいの赤いトレーナーを着てたと思います。名前などその他は不明。ネタ・・ヒップアップに酷似していました。審査員からもそれを指摘されてたような。それと、赤塚不二夫さんからは「ギャグがわざとらしい」と評されていました。それと、質問です。ファニーズのメンバーが出てた”アウスレーゼ(たしかこんな品名でした。男性用整髪料だったと思います)”のCMがありましたよね、あれに出てたのは赤木さんと後もう一人どなたでしたか?よろしければ、どなたか教えてください。

4/17 えむえす様、有り難うございます。
 はじめまして。ひょんなことからこのサイトにたどりついて拝見し、すごく楽しませて頂きました。当時中学生だった僕は、第2回ゴールデンルーキーまでの初期〜中期に はまりまくり毎週欠かさず観ており、当時はビデオのストックもかなりあったのですが・・・。なかでも青芝金太紋太が大好きでした。ここの掲示板ではあまり評価は高くないように思われますが、当時あの番組での関西勢のエース格に位置されてましたので、それはそれはおもしろかったという記憶があります。栄えある10週グランプリを勝ち取った直後に、大阪では松竹芸能の方針は同社に所属していない角座出演の、いわば松竹系の若手漫才師たちに、松竹所属に移籍してフレッシュ漫才として売り出してもらうか、拒否すれば今後一切角座及び松竹の余興の座には組んでもらえないという厳しい選択を迫られたのでした。金太紋太の和光プロはその移籍話を蹴ったために大阪よりも東京に活路を見出して金太紋太は約2年間東京で営業廻り中心の仕事をこなしてたのですが、金太が彼女とスナックを開きたいために廃業、コンビも解消となったのです。その後紋太は一人で歌まね漫談、ゼンジー一億とのコミックマジックなど、和光プロの仕事をこなして現在に至っています。本人はテレビに出るお笑いタレントよりも昔ながらの舞台で笑いを取る芸人に憧れてこの世界に入ったみたいなので、今後もテレビでお目にかかる事はまずないと思います。しかし去年の秋に見に行ったのですが、舞台は中トリを務めてて、とてもおもしろく笑いを取っていました。もう浪速座もないので、次はいつ見れるかわかりませんが、また機会があれば観てみてください。レア部門としてのオススメです。それと、第1回ゴールデンルーキー賞の件ですが、あのアゴキン、とんねるずのゴールデンRが1回目じゃないとすれば、その前年の大晦日の行われた3時間漫才番組でのワンコーナー(60分くらい)で、お笑いスタ誕のメンバーだけでワンナイト勝負で100万円が争奪されたことがありますが、それを第一回とカウントしているのじゃないでしょうか?(タイトルの名称は 覚えてませんがゴールデンRという名称はそこで初めて使われたのかもしれませんね) 出演メンバーは確か小柳トム、金太紋太、ギャグシン、九十九一、コロッケあと一組か二組出てたように覚えています。審査員は おなじみの先生方でした。優勝はギャグシンセサイザーでした。

4/16 ハンバーグ様、有り難うございます。
 「花乃」って屋号、かつて片岡鶴太郎がつけてましたよね?「岡鶴太郎」→「花乃鶴太郎」→「片岡鶴太郎」だったと思うのですが、ジャン・種吉とは何か関係あったのでしょうか?

4/14 三甲みつお様、有り難うございます。
 オンバトチャンピオン大会ではハリガネロックが優勝。正直言ってダイノジが取ると思っていた。小西のキャラも立っていたし、得意の女形恋人ネタを使わないで勝負に出ていた。ただ落ち(至るまでの設定が)がわかりにくかったが。やはりSFネタはやらない方が無難かも。BBしかりテキサスしかり。ダイノジの太った方が凄く悔しそうでした。
>関西の白衣さん
 そうそう、ジャン種吉は花乃でしたね。今思い出しました。中尾ミエがそんなに毒づいていましたか。金太紋太が変な名前のプロレスラー紹介ってネタで「大木金太郎・上田馬の助・中尾ミエとかね。ミエ!あーこわい」とかやった時はそれ程怒っていなかったけど、きっと同性には厳しいんでしょう。キャベツ白坂も映画やドラマに出まくっています。お笑い出なのにドラマが本業化してる人って多いですね。

4/14 ハンバーグ様、有り難うございます。
(パート2)
 ケーエーの所属になったようです。プロフィールが載ってました。ちなみに「4コマ漫才を開拓し一世を風靡」と。やっぱりそれなんですね。

4/14 関西の白衣様、有り難うございます。
 VANVANは一週目は合格していましたよ。確か催眠術のネタでいろんな芸能人の催眠術をかけると、かけられた方がものまねでその芸能人になりきるというネタでした。
 松竹梅はふけとりシャンプーの「ミカロン」のコマーシャルに出ていました。美容院の客と新米美容師と先生という、コントそのままみたいな設定で「シャンプーして」「しました」「フケよ」「え?!」という流れのコマーシャルだったと思います。
 PALCOは石ノ森章太郎原作。緒方拳主演の「迷宮課刑事 おみやさん」にゲイバーのチイママ役でゲスト出演してました。このドラマには桜金造氏が刑事役でレギュラー出演してました(たぶんアゴキン解散後)。それにしてもPALCOが改名したのは、高知東急みたいに西友からクレームでもつけられたんでしょうか。だれかその辺の事情ご存知でしたら教えて下さい。

4/14 パパリン様、有り難うございます。
 ちょっと驚くお知らせです。先日書き込みました、米丸師匠の「第3回…」発言は正解のようです。どうやら番組的にはファニーズは3回目の受賞者のようです。番組の冒頭のタイトルも第3回となってましたし、司会者2人も3回と言っています。これはどういう事なのでしょう???アゴキンは第2回なのですかね…これは私の憶測ですが、謎になっています1980/4/4の「異色スター大会」あの1回の大会でゴールデンルーキー賞って名前を使ったのではないのでしょうか?じゃなかったら…1回目の受賞者って誰???

4/14 関西の白衣様、有り難うございます。
 また幾つか記憶をたどって書き込みさせていただきます。
 東京丸・京平は「スタ誕」に出まくったあとで「テレビ演芸」の勝ち抜きコーナーに出ていました。11週勝ち抜いていた螢雪次郎一座を破ったすがぬま伸に挑戦して破りましたが、その後何週勝ち抜いたか分かりません。関西では「テレビ演芸」はU局でしか放送していなかったので、たまにしか見ていなかったから余計覚えていました。
 ついでに「テレビ演芸」ネタもう一つ。キッチュは本名の「岸邦浩」で勝ち抜きコーナーに出ていました。1週め勝ち抜いたところでした。その後、改名して関西ローカルでぼちぼち売れ出して、44年間続いてつい先頃終了した大阪朝日放送の30分の刑事ドラマ「部長刑事」シリーズに若手刑事役でレギュラー出演してました。その後、東京進出を機に「松尾貴史」に改名しました。これは誰か結構有名な人の命名だったと思いますが、度忘れしました。
 あんまり情報が少なくて気の毒なのでメリ・マリネタを。一週目のネタでスポーツの話題で中尾ミエさんの得意種目は「走りババ跳び」といって、ネタ終了後、ミエさんに「ありがとよ」「なにがメリ・マリだよ。顔と名前が全然一致してないじゃねーかよ」とすごまれてました。太ったほうが松田聖子のふり真似で足ぶみを思いっきりふんで、どんどん音をならすところだけ受けていましたが、二週目も同じことをやったら注意されてました。
 大阪湿地帯ジャン・種吉は「スタ誕」に出る前は花乃ジャン・種吉という芸名でした。芸風はそのまんまでしたけど。彼等やからんころんとか、スクランブルとかの名前からは師匠筋弟子筋のよく分からん芸人が関西にもちらほらおりましたな。
 思い起こすとオープントーナメントサバイバルシリーズが始まるまでは、吉本興業の現役の芸人の出演は皆無でしたね。裏を返せば吉本以外のプロダクションが漫才ブームに自分の芸人を売り込むための唯一の手段としての位置にあった番組といえるんではないでしょうか。

4/13 三甲みつお様、有り難うございます。
 昔、トム氏が売れはじめの頃、週刊PBか平凡パンチの誌面に出ていた記憶あり。ねずみ取り特集で、トムさんの全身アクションの写真付きで「駄目だよ、スピード違反でハイ罰金」「どこ見てたのちゃんとメーター見てた!はい脇見運転ね」と言っていた。

4/12 三甲みつお様、有り難うございます。
 キャベツ白坂が中央大学落語研究会出身と知り、驚いています。ぜんぜんそんな風には見えなかった。どうやって牧田博と知り合ったのだろうか。もしかして牧田博も落研?

4/11 三甲みつお様、有り難うございます。
 最近気づいたのですが、第一期と第三期のハイライト集の記憶はあるのですが、第二期(ゴールデンルーキー賞開始)のハイライト集の記憶がありません。G賞の開始が早く、それ程出場者の数が確保できなかったためでしょうか。ご存知の方がいましたら教えてください。また、ハイライト集は出場者全員を見られたのでしょうか?

4/9 パパリン様、有り難うございます。
ファニーズがGルーキー賞取った時の桂米丸師匠の「第3回ゴールデンルーキー賞は…」って間違えたのは有名な話ですか?
久しぶりに見てビックリしました。
紅白の「みそら発言」ですね。(^^;

4/8 関西の白衣様、有り難うございます。
まず、一つ訂正です。
WコミックのCMのおもちゃメーカーは、ヨネザワでした。
CMネタではファニーズが明治のコーラアップというキャンディーのCMにでていました。ちゃんとファニーズの名前が字幕で出されていたので、かなり事務所も売り出しに力をいれていたのでしょうが、やがてそのまんま東と松尾伴内に変わりました。

ゴールデンルーキー賞で、とんねるずやカージナルスが獲得していたのは特別敢闘賞で、3位から5位の三組が敢闘賞をもらっていました。
審査員の東八郎さんの席には伊東四郎さんが座っていたこともありました。ポップコーンの1回目のグランプリ挑戦の時に審査されていました。

4/7 関西の白衣様、有り難うございます。
 私の記憶の範囲内で書き込みさせていただきます。

1 牧田博さんはクリネックスのスーパーティッシュのCMにでていました。新聞紙にやかんの水を吸わせる手品みたいに、ティッシュをラッパにして水を注いだらこぼれない、という吸収力をアピールしてました。最後に牧田さんが「たまげた!」と叫ぶと、ボール(たま)が歯にはさまったげた(たまげた)に顔が変わるというオチつきでした。
2 Wコミックは別の相方の時に、マイナーなおもちゃメーカー(タカトク?)の「プラステン」というゲームのCMにでていました。「1、2の3の、、、」もCMの中で披露してました。
3 歌メリ・マリは3週めでクイズに答えてシュークリームを食べるネタをやって、審査員に「内容がない」と酷評されて落ちました。その週に再チャレンジのザ・バッテリーがネタの中でシュークリームの話が出た時に、すかさずアドリブでメリ・マリのことをとりあげて、銀賞獲得しました。

3/26 たけだそめたろう様、有り難うございます。
「登場者リスト」の「スクランブル」ですが、この人らも「プロ」でした。当時は「松竹芸能」の若手で、大阪道頓堀「角座」、新世界「新花月」などの舞台に出てました。今どうしてるのかは、調査中です。また書きます。

3/25 三甲みつお様、有り難うございます。
 本によると新山真理はピンで寄席などに出て血液型漫談をしている。コントD51は、自虐ネタで半農無芸ですとかやっていたのは残念。テレビ演芸のGC大会、BBに迫る勢いだった。

3/23 パパリン様、有り難うございます。
オッサンさんの「浮礼家×布」が正解です。
今見ても面白いネタもありますよね。

3/23 オッサン様、有り難うございます。
私も「彼」には違和感があって、思い出そうとしていたんですが…
浮礼家×布だったような気がします。

3/23 オッサン様、有り難うございます。
 私がガキの頃、さおり・しおりが地元のスーパーに営業に来ました。
 (レコードのキャンペーンと言った方が聞こえがよいかも知れませんが…)
 その時に歌ってた曲は(上手かったので強烈な印象が残っています)
 「大阪パラダイス」と「ろくでなし」でした。
 推測ですが「ろくでなし」がB面だったのではないかと…
 ちなみに「大阪パラダイス」は「大阪ラプソディー」の再来!!という触れ込みでした。

3/22 三甲みつお様、有り難うございます。
(象さんのポット)
 確か、登場時に七色(五色ぐらい? とにかく派手)の着物を着て紙テープを散らしながら登場し「明るさが足りなかったから」か「これで明るさの審査項目は埋まったな」とか言っていたと思います。

 テキサスコンビはおそらくテレビに出て出世を目指す事に疲れてしまったのでしょう。俗世を離れて仙人のような芸人を目指したのではと思います。が、モチベーションをどうやって保ったのでしょうか。

 とんねるずはピークというよりヤマが何度もあるといった感じですね。グラフにしてみたら面白いと思う。今回はターニングポイントをやります。とんねるず・・ベストテンでカメラを壊す。コントD51・・無制限勝ち抜きに出場。ツーレロ・カージナルズ・・たけし軍団入り。シティB・・竹中直人と組む。コロッケ・・顔真似を止める。ちゃらんぽらん・・大雪そして吉本へ。チャリカン・たんごしん・・テレビ演芸に転出。

3/22 たけだそめたろう様、有り難うございます。
 浮礼家×布(ポッキー×布)さんの出身校は「大阪産業大学」ではなく、「大阪経済大学」だったと思います。

3/21 三甲みつお様、有り難うございます。
ピーク時
とんねるず・・・野猿の頃?ぼんと正月・・・コンビ単位だと「スターどっきり」に出た頃。おぼんこぼん・・・おぼんこぼんは特にマークしていたのでないのでわからない。コントD51・・・花王名人に出た頃。ブッチャーB・・・姫テレビのころ、いやグラチャンの後地方ではわからないがもっと売れていたのでは。

3/20 あtろ様、有り難うございます。
 イーストウエストは元2代目チグハグコンビにいたベテランの芸人さんが、清水英明と組んだコンビでした。テレビ演芸で破れ、すぐに解散。清水がテキサスの三田まさおに拾われ、ニューテキサスコンビ、もう一人加えてテキサススリーなどの芸名でやってましたが、テレビには出ませんでした。そのころうちのライブにもでてもらってます。 清水英明は現在、清水英彰という名で地味に活動中。
 ピークですが、パルコやコントパロルやコント21世紀にも実力以上におもしろかったシリーズがありましたね。極めつけは象さんのポットでしょうか。

3/19 三甲みつお様、有り難うございます。
 お笑いスター誕生出演者の売れ度の判定表が作りたくなり、とんねるずを頂点に出演番組・CDヒット・映画出演などを元にしたランキングを作ろううと思いました。芸人さん達のピークは私見ですが以下のとうりです。
梅介・・・今。でんでん・・・ひょうきん族に出ていた頃。コロッケ・・・モノマネ四天王のころ。B&B・・・笑っている場合ですよ帯司会。サムライ日本・・・爆笑一気族出演時かお好み演芸会ゲスト時。テキサスコンビ・・・4週勝ち抜き時。たんごしん・・・テレビ演芸ゲスト常連。ザ・ホープ・・・君スタ勝ち抜き時。

>たけだそめたろう様
 うわー、なんとなくわかります。ということは2週めはなかったってことですね。でも、人手不足時代に勝ち抜いていたら何をしていたんだろう実際。あのまま突き詰めていれば珍芸奇芸の第一人者かも。惜しい!

3/17 たけだそめたろう様、有り難うございます。
 出演者リストのトップ「アイ譲治」さんですが、実はこの人、当時はプロでした。はかま光緒のお弟子さんです。奇術、コントその他いろんなことをやってみたそうですが、失敗の連続だったそうです。

3/17 あtろ様、有り難うございます。
 村井のり子っていまモノマネ番組によく出てる中島マリのことです。
 以前はけっこうオーソドックスなモノマネやってました。「マルサの女」でソープ嬢の役でヌードも披露しています。ご興味がありましたらご確認を。
 三田まさおさんと組んでたのは知りませんでした。一時、清水英明という芸人と組んでましたが(イーストウエストとしてテレビ演芸に出演)。
 ピックルスの小さい方も解散後、三田和矢(元M21デラックス)という芸人と組んでいましたが長くは続きませんでしたね

3/17 三甲みつお様、有り難うございます。
 90年度版芸能界紳士録が、見つかりました。古本屋にあったので立ち読みしてきました。新生テキサスコンビの相方の女性の名前をここで発表!といいたいのですが、今思うと、フクダオフィスワンの所属タレントだった可能性もあります。事務所の代表の名前の後に→村井のり子、三田まさお。とだけ書かれてありました。村井のり子・三田まさお(テキサスコンビ)ならパートナーでしょうが。
 村井のり子に関してはいずれ検索等かける予定です。

3/12 あtろ様、有り難うございます。
 ショパンさん、破り捨てたそうです。弟子のマイウェイ昌彦から聞いた話でした。
 テレビ演芸はやはりテレビ朝日の稽古場でやってましたが、毎週2組なので常にストックはあったみたいです。こちらの番組は作家が充実してたので、浅草に出てた芸人とはコネがありました。古いタイプの漫才が多かったのもそのせい。
 ちなみに笑いのデスマッチの第一回はエキビジョンマッチ。阪神巨人VSいくよくるよでした。結果は引き分け(笑)

3/11 三甲みつお様、有り難うございます。
 サムライ日本のネタが判明しました。『居合い抜き指南』『殺陣黒田節』『くさり鎌』だそうです。シンコーミュージックの本に出ていました。

3/11 あtろ様、有り難うございます。
 ところでギャグシンは8週目でプロ宣言、それまではアマとして出てました。
 小柳トムやでんでんもアマとしての出場でした。当時はお笑いの事務所も少なく、学校もない時代なんで、寄席に出てる人以外はほとんどがアマといったとこでしょうか。
 番組開始のときはそれこそありとあらゆる芸人に出場依頼書を送ったようです。
 聞いた話では、あの東京コミックショーのショパン猪狩さんにまで出場依頼書が来てたそうです。

3/6 三甲みつお様、有り難うございます。
>あtろ様
 ジョージボーイズは、モノマネネタしか覚えていません。メンバー構成がルンルンとごっちゃになっています。芸人さんの顔って覚えるまで時間がかかるので、皆目立つ髪型にするのでしょうね。
 サラリーマン顔の人って損ですね。という訳で笑パーティの激似もタレント名鑑にいないので(ウチノが古いので)残念ですが見当つきません。今度調べてみます。

久々の勝ち抜き。杉山兄弟。0週。シャボン玉芸に審査員一同うっとりするも、笑いが少ないことで惜しまれつつ落選。そういえば、スリの名人(パンツを盗む)や液体窒素で金魚を凍らせる人って最近見かけない。

3/6 あtろ様、有り難うございます。
 吉祥寺少年団、懐かしいですね。すぐにカタカナ表記のジョージボーイズに改名しましたが。
 リーダーの大久保さんは笑パーティーのばんきんやさんのバンバンGに、蘭丸さんとマ助さんはニュースペーパーにいってしまいましたが。。。
 彼三人が元々所属していたスタジオライフという劇団、最近かなり注目されてますね。
 ところで最近ふと思ったんですが俳優の寺島進って笑パーティーのチョッキに似てませんか?

3/1 三甲みつお様、有り難うございます。
 前回の訂正ですが。ゴールデンルーキー賞について意味を取り違えていました。あそこで5週勝ち抜いていれば参加予定にあったという事ですね。捨て駒組は最初から一週契約なのかもしれない。何かプロレスのジョバーに通じるものがあります。もしかしたら、テレビ演芸の大半のチャレンジャーもジョバーかも。GR賞では開催前に中途勝ち抜き者に対して事前連絡はあったのでしょうか
 もし私が中途勝ち抜き者で、途中でシステム変えられたら、「ああ、もう出番は無いのだな」と思うでしょう。

 「ダーティヒロイズム宣言」のなかで「一回性では優勝者に優る」と5週めで落ちる素人連中を評価していますが。この素人とは誰でしょう。本命とんねるず。対抗ザKAWACHI。伏兵徳永良治。

>あtろ様
 懐かしいですね市ヶ谷寄席。私は一回しか行けませんでした。後期では女の子の追っかけが増えて観客の九割が女性でした。出演者は吉祥寺少年団・蛍雪次郎一座・ビシバシステムです。
 当時はお笑い芸人がライブハウスに進出していて、遊平かおりがルイードかモーツアルトに出ていたそうです。いいですねー東京はライブが多くて。
 話は変わりますが、東京農大学では落研主催でプロの芸人さんを呼んで寄席を行っており86年ごろにはテキサスコンビも出ておりました。何でプロを呼べるのか不思議でした。学園祭でタレントを呼ぶのとは違いますよね。卒業生にプロがいるのかな。

3/1 あtろ様、有り難うございます。
>竹中直人を発掘したって、梅介はどこかの番組にでも紹介したのでしょうか。
要は当時梅介が所属していた事務所・人力舎に口ききで竹中を入れてやったということでしょ。
発掘でもなんでもないような気がしますが。

3/1 あtろ様、有り難うございます。
 シャープ市ヶ谷寄席出演者
 覚えてる限りです司会は三遊亭歌文。(休みのときは歌之介)
 出演者順不同には竹中、梅介、ひびきわたる、ウンナン、シティボーイズ、ブッチャーブラザース、中村ゆうじ、丸山おさむ、らぶこーる、笑パーティー、ゲタゲタ、たんごしん、遊平かおり、ぼんと正月、一歩三歩、聖モカ、アーモンドガランチョ、新宿コメディー(山竹の前身)、はら昇天(はらみつおのユニット)、ルンルン、さいたまんぞう、AJAPA、きんしぎんし、パワーズ、Wコミック、ジョークアベニュー、ダチョウ倶楽部、藤沢かずよし、絵里真理、京丸京平。。。もうちょっと思い出せませんが。京丸京平さんにはなにかの記念でシャープのウォークマンを当ててもらいました。

2/28 あtろ様、有り難うございます。
 「サイゾー」読みました。
 梅さんも竹中直人が寄席の前座をやってたのを発掘したなんて書いてますが。。。
 そのころから「銀ナウ」「飛び出せものまね」「TVジョッキー」で有名人でしたからねえ。
 寄席の前座というのはシャープ市ヶ谷寄席。平日の昼休みに市ヶ谷のシャープオーディオショ−ルームでやってた無料公開寄席。文化放送がスポンサーでしたが、番組ではありませんでした。
 竹中さんやシティボーイズがネタをやって、タダでも客は10人くらいという寂しい寄席でした。
 スタ誕、テレビ演芸出身の芸人が毎回2−3組出るのですが、竹中さんは2ヵ月くらいレギュラーでトップに出てました。そのときの芸名はタケナカナオト。本人に聞いたところチャーに似てるからカタカナにしたといってました。
 梅さんスカウト話では、よくものまね番組にでてた長い黒髪をつかって芸をする女の子。
 自信をもって紹介するも稽古場でぜんぜんうけず、ネタ見せがおわったあと赤尾PDがひとこと
 「誰か梅介ぶんなぐってこい。」

2/24 三甲みつお様、有り難うございます。
 さて、「サイゾー」の今月号を立ち読みしていたら、ミスター梅介氏があの人は今的企画でチョコっと出ていました。
「あの番組放送が始まった翌月から最終回まで出てる」「九十九一は脚本家、ぶるうたすは筋肉インストラクター、でんでんはうちの近所に住んでいる」「竹中直人は俺が発掘した」と語っていました。

2/22 三甲みつお様、有り難うございます。
 日テレかどこかで、「お笑い芸人の一芸名人集」みたいな特番を放映していました。一番受けてたのがせんだみつおの破れかぶれディズニーダンス。一番注目されていたのがビートきよし(はにわのモノマネ)。そしてわれらが梅介も出ていました。彼は何のネタを披露していたか忘れてしまいましたが、ゲスト(審査員?)で出ていた山城新吾が「淋病を病気じゃないと梅が言い」とコメントしていました。他にはマギー司郎さんが出ていて、いつものマジック。

【激似】
九十九一=宣保愛子(何かの雑誌で見てひっくり返った)
夏目房ノ介=斉木しげる(スター名鑑で調べた)

2/22 パパリン様、有り難うございます。
 私のHPで「ひかるてるお」の情報を呼びかけましたところ…「ダブル青井の前身ですよね」という情報がありました。  はて?私はこのコンビ名は初耳なのですが…お知りの方います?

2/21 あtろ様、有り難うございます。
 たしかに1回目、2回目を含めてGルーキー賞に出た人と出られなかった人のその後の人生には差がありませすね。
 第2回目はブラックさんがぎりぎりセーフ、バッテリーがアウトでした。
 フットワーク、ギャグどんぶり、モンチー中川あたりはグランプリ終了間際に「捨て駒」的に出た感があります。
 そのころファニーズのリーダーと話してたのですが、第2回目の1&2週目で既存のネタOKにしてしまったのが番組をつまらなくしてしまった元凶だったのかもしれません。

2/20 あtろ様、有り難うございます。
 ひかる・てるお知りませんでした。ちょうどこの2週が自分にとってのブラックホール。
 とんねるず、シティボーイズが化けた週ですよね。
 計算でいけば、ひかる・てるおも5週勝ち抜けば、Gルーキーに進むことができたはず。
 赤尾PDもフレッシュさも考え、浮かれや×ふかどちらかをメンバーに入れる構想もあったのでは。。。どちらかというと完成された芸だったトムを卒業させ、Gルーキーは華のあるとんねるず、アゴキン、金紋、コロッケ、シティあたりで盛り上げさせよう。という腹づもりだったのではないでしょうか。再チャレンジのみになった週から蝶美蝶子がまずでてきたのも華を考えてのことだったとおもいます。くにおとおるの出場が微妙だったと思われ、選考にも苦労したみたいですね。コントD51も再挑戦の準備はしてたそうですが。。。

2/19 パパリン様、有り難うございます。
面白い事に気がついたのですが…
とんねるずのグランプリシリーズって、グランプリを取った時以外は全部最後のチャレンジャーではなかったのですね
貴&憲時代は「おぼんこぼん」が上にいましたし、再チャレンジは、同じにシティボーイズが10週までトリをつとめて…
へんなプレッシャーがなく、運が良いコンビだったのかも…

2/16 パパリン様、有り難うございます。
出場者リストに名を連ねていないコンビがいましたので書きます
「ひかる・てるお」関西の学生アマチュアコンビです
私が覚えのあるコンビなので、多分「君スタ」に出場していると思います(曖昧)

1981年5/16の?がそれです
1週勝ち抜きのみです
ですから次週のイッセ―尾形もこのコンビです
ネタは…編集でカットしてしまいました(^^;

2/15 あtろ様、有り難うございます。
 お笑いスター誕生の会場は初期は山野ホールで、後期は後楽園ホール。隔週水曜日の夕方から二本撮りでした。(これは後で知ったのですが、もうひとつのメインスポンサー上野松坂屋の定休日が水曜日で、当時はよく女子社員が見に行ってたとか・・・)
 ただ、私が知る限り3度会場を変えています。
 船橋のららぽーと(元船橋ヘルスセンター)、蕨、そして特番の那須プリンスホテル。
 船橋でやたっときはキンゾーのねたがバカウケ。ミヤ鈴丸・花丸の再挑戦では子供が舞台に上がりこみ、ネタができなくなってしまったのは気の毒でした。

2/13 あtろ様、有り難うございます。
(九十九一のグランプリネタ)
 私が感心したのは、お好み焼きにはいってる具の説明をするときに「シーチキン」をいれたところ。いわゆるうちわ受けのネタ(スポンサーがはごろも)をグランプリネタに入れ込んだところでした。
 シティボーイズの再挑戦の美容師ネタでも山野愛子(当時の会場が山野ホール)の名を出しましたが、オンエアではなぜかカットでした。
 体内電話は面白かったけど、熱演後、審査員のタモリが「胃と腸がしゃべって胃腸カタルっていうの俺考えたんだけど。。。」これは一枚上手ですね。

2/12 オッサン様、有り難うございます。
 九十九一のグランプリ獲得のネタ、オチにもウ〜ンと唸らせてもらいましたが、(会場はほんの一瞬間があってから笑いが起こったと記憶してます)最も衝撃を受けたのは、始まって何秒かは全く喋らず、演技のみで客を引き付けた事です。(ガキんちょの自分はネタの後、少し笑いが少なかったか?と感じてしまいましたが・・・)
 あと、体内電話は最初の予定では10週目用のネタだったと、以前本で読んだ記憶があります。

 ポッキー掛布、祭りの営業で田舎町に来られたとき、握手してもらいました。来週頑張ってなと声をかけたら「2本取りやったから・・・」と濁された時の表情が印象的でした。

 内容ははっきり覚えてませんが、最も印象の残ってるのは、金太紋太のグランプリ獲得と、ちゃらんぽらんの初コントの「あ〜ら お待たせぇ〜」です。

 あと、吉本の若手についてですが、力のある数組はスタ誕に出ても、銀〜金賞まではストレートだと思います。昔と比べるわけではないですが、今の年取った自分でもオモロイと感じる若手は結構います。売れる売れない売れそう売れそうにない・・・は別にしてですが。

2/12 こきりん様、有り難うございます。
(三田マサルの知名度は)複雑なところ。

 志織満助と同程度で、三田キヨシよりはるかに上。Mr.ボールドには負けると思います。

 なんか、ややこしい(^^;)

 マジック漫才では無かったように思いますがコント110番の晩年に、もしかしたら、やっていたかも。

 サンダー本浦時代には、かなりうさんくさい(エセ中国風の)雰囲気だったので。

2/11 うーやん様、有り難うございます。
 九十九一、最近はTV出演も少ないですが、先日ABC朝日放送の「アナライブ」(アナウンサーのライブ)の演出をされていたようです。裏方の仕事が多いようですね。
 牧田博がNHKラジオの真打ち競演に出たそうですが、聞き逃してしまいました。

2/11 こきりん様、有り難うございます。
 相羽秋夫「現代上方演芸人名鑑」には、載ってます。

 京唄子と結婚したこともある人で鳳啓助の弟の、志織満助と「森山ミツル・三田マサル」を組んだあと「コント110番/三田マサル・キヨシ」を組んだ。
(ここでの相方は、吉本新喜劇に短期間在籍した、峰きよしに似ているが、同一人物だろうか?)

 さらにその後「ヤングおー!おー!」に一時期サンダー本浦の名で、準レギュラーで出ていました。

2/10 三甲みつお様、有り難うございます。
 テキサスコンビの師匠であるはずの三田まさるさんは、どんな資料で調べても出てきません。ひょっとしたらこの人は便宜上の師匠で本当の師匠は別にいるのでは、と思うようになってきました。カンですが東京コミックショーさんがあやしいのでは、他にゼンジー北京さんも石鹸箱マジックをやっていました。関西という事ならゼンジー一門か。 九十九一さんは滝あきらさんの弟子で滝シードという芸名でやっていたと何かで見ました。なかやまきんに君はぶるうたすの弟子のわきゃないか。佐久間一行さんはどことなくキャベツ白坂さんの匂いがします。

2/10 パパリン様、有り難うございます。
(九十九一 グランプリのネタ)
このネタはオチを言ってしまうと、推理小説の犯人を教えてしまうようで…躊躇っちゃいますね
私も最後のオチでグランプリに結びついた…と思うくらいの完璧ネタでしたから
大爆笑で終わるのでなく、「あぁーーー(納得)」って終わる感じでしたので

あらすじは容疑者が刑事さんの取り調べで、自分の無実を語るストーリーです
お好み焼きを1人で作っていたら…お好み焼きが喋り出したのです
「あんたお好み焼き作るのヘタね」と…
怒った容疑者は、お好み焼きに色々な具を混ぜてしまった…
お好み焼きが死んでしまった…
お好み焼きがその後○○してしまった…
「オレは○○なんか作っていねぇーーー」と刑事さんに訴えます
その後…オチに入る感じです

オチだけを言ってしまうと、九十九一さんの偉大さが半減してしまいそうなんです
ビデオを見せて、感動してもらいたいです(^^;

2/1 ノミス様、有り難うございます。
 お笑い陣は所詮、添え物で、芸人個人には何らメリットもなく、事務所だけが儲けている状態なのでは。
 お笑いはアイドルとの勝負でも決して勝利することは許されず、封建的芸能界のピラミッドでは誠に底辺に置かれた時代。その禁じ手を破ってアイドルに真っ向勝負を挑み、勝利を手にしたのが「大運動会」の明石家さんまであり、間もなくあとの「水泳大会」の山田邦子だった…と記憶しておりますが…。
 しかし、これはフジテレビの番組の話で、それよりチョイ前にテレビ東京で放送されたパチもん(失礼!)の水泳大会、「水上バトルロイヤル」(プール上にウレタンマットを浮かせてプールに落とし合いをするヤツ)において、やはり添え物で出演したお笑い芸人(日企制作さったので、お笑いスタ誕の出演者が中心。もちろん、とんねるずも出演)のなかで、ミヤ蝶子が既にその常識を打ち破っていたようです。
 当時のアイドルが、美人ボディビルダーが、女子プロレスラーが…「ていっ」「テイッ」とばかりに彼女に髪をつかまれ、水中に次々と投げたばされて行き…その様子をみた司会の故・土居まさる氏が「何やってんだぁ〜」と思わず頭を抱えていたとかいないとか。最近の漫才でその当時の様子をネタにし、さらに「私(蝶美)の自慢は『大阪に帰りの新幹線で(同じ出演者だった西川)のりお兄さんに、お前のことあんまり(芸のうえではまだ)認めてないけど、根性は見直したわ』と誉められたこと」、とも語っていました。

2/3 ノミス様、有り難うございます。
(蝶美がマジになった理由)
 「水上バトルロイヤル」でミヤ蝶美も一応は、お笑いらしく“添え物”に徹しようとしたんですって。だけど、あるタレントが、ほかのアイドルや美人ボディビルダー(西脇美智子!)らを集めて「誰か一人を狙わない?」「狙うって、誰を?」みたいな結託があって、そのタレントが言うには「あの、関西の漫才はどう?」と提案。
 しかし、そのヒソヒソを蝶美さんは聞いてしまっていて、要するに関西芸人の魂に火が点いたということ。
 「(結託のリーダーだった)アイツのことは二度と忘れない」と蝶美の口から発せられたそのタレントとは…

 岩城徳栄(ピーコ)ですと…。

 世間では忘れられた人も、関西芸人には20年来の怨念、忘れることのできない名前となったのでした。…それにしても、ピーコってねぇ…。

2/2 三甲みつお様、有り難うございます。
<ひとくち情報>
北野誠の著書「変愛論」メタモル出版・「噂の定番」同左。古本屋で見かけました。
所ジョージ曰く「マイルストーンの三代気。私が陽気。九十九一が陰気。カントクはビョーキ」

2/1 ノミス様、有り難うございます。
 お笑い陣は所詮、添え物で、芸人個人には何らメリットもなく、事務所だけが儲けている状態なのでは。
 お笑いはアイドルとの勝負でも決して勝利することは許されず、封建的芸能界のピラミッドでは誠に底辺に置かれた時代。その禁じ手を破ってアイドルに真っ向勝負を挑み、勝利を手にしたのが「大運動会」の明石家さんまであり、間もなくあとの「水泳大会」の山田邦子だった…と記憶しておりますが…。
 しかし、これはフジテレビの番組の話で、それよりチョイ前にテレビ東京で放送されたパチもん(失礼!)の水泳大会、「水上バトルロイヤル」(プール上にウレタンマットを浮かせてプールに落とし合いをするヤツ)において、やはり添え物で出演したお笑い芸人(日企制作さったので、お笑いスタ誕の出演者が中心。もちろん、とんねるずも出演)のなかで、ミヤ蝶子が既にその常識を打ち破っていたようです。
 当時のアイドルが、美人ボディビルダーが、女子プロレスラーが…「ていっ」「テイッ」とばかりに彼女に髪をつかまれ、水中に次々と投げたばされて行き…その様子をみた司会の故・土居まさる氏が「何やってんだぁ〜」と思わず頭を抱えていたとかいないとか。最近の漫才でその当時の様子をネタにし、さらに「私(蝶美)の自慢は『大阪に帰りの新幹線で(同じ出演者だった西川)のりお兄さんに、お前のことあんまり(芸のうえではまだ)認めてないけど、根性は見直したわ』と誉められたこと」、とも語っていました。

1/14 あtろ様、有り難うございます。
 (にゃんこ・金魚の)金魚さん、東八郎さんの付き人だったから、後期はずーっと山野ホールに来てました。
 ホールの最後列によくいたのは、貴明、太田プロの瀬名さん、金魚さん、たんごしん、ルンルン(スタ誕には出なかった)、そして私。
 にゃんこ・金魚は立ち位置がきれいな漫才ですね。
 宮野さんはたしかビートたけし批評本を執筆したはず。

1/13 みえやす様、有り難うございます。
 (正月番組)深夜、爆笑問題が出ていたNTVの特番(ひきこもりセブンとかいうコーナー)で、象さんのポットのどちらかが出て、素人の悩み相談にのっていたという話を聞きました。芸名は漢字ばかりの、東京…云々っていってたそうです。人づてなのでわからないことが多いんですが、どなたか御覧になった方いますか?ちなみにお笑いスタ誕のVTRで紹介され、爆笑田中と草野球をしたことがあるとか言ってたそうです。

1/12 三甲みつお様、有り難うございます。
 【スキンヘッド】怪物ランド◆子泣きジジイのコスプレに必要【アフロ】テキサスみつお、小柳トム、おぼん◆おぼんはサミーデイビスjrへの傾倒。テキサスのは兄弟コンビの差異化【ボブ】テキサスまさお、パルコ◆個人の趣味かな【リーゼント】ギャグシンセ◆暴走族コントに必要か当時の流行【テクノ】まんぼう、タージン。◆単なる流行?【坊主】ぼんと正月◆ぼんは坊主役だから【変な頭】前田竹千代、新山絵里、中田伸江

 東京丸京平は三太夫と殿様のコンビで掛け合ったあと必ず地口で落し、ブリッジの音楽を口ずさんで場面転換という漫才でした。
 千とせの漫談は多分サバイバルのやつではないでしょうか。ゆーとぴあがボランティアでアフガンに行ったとはオドロキです。ゴムネタが受けたようです。

1/11 ハンバーグ様、有り難うございます。
 「あの人は今」見ました。ゆーとぴあと梅介と千とせとブッチー武者でしたね。千とせもお笑いスタ誕のVTRでしたが、「夕焼け」の歌やってましたね。あれはいつのVTRなんでしょう?

1/11 三甲みつお様、有り難うございます。
 あれ、『あの人は今』に『お笑いスター誕生』メンバーが出演していたネタ誰も書いていない。ゆーとぴあが保険金目当てにアフガン行き。千とせは歌手していました。

1/9 ノミス様、有り難うございます。
 1972年1月3日にスタートした同賞の受賞者を、参考文献「昭和のTVバラエティー」(高田文夫・編、太田出版)から。
 第1回大賞…柳家小さん。第2回…てんぷく集団(前年の戸塚睦夫死去に伴ない、ピン活動の比率を高めた三波伸介、伊東四朗がせめて名前だけでも残そうと、このユニット名となった)。
 第3回…古今亭志ん朝。第4回…柳家小三治。第5回…二葉百合子。第6回…春日三球・照代。
 第7回…星セント・ルイス。第8回…三遊亭円楽。第9回…春風亭小朝(1980年放送)。
 そして、漫才ブームが頂点に達した81年の正月からは関西勢も対象となり、関西テレビと共同制作でタイトルも「日本放送演芸大賞」となります。
 その第10回、大賞は桂枝雀。特別賞…ツービート。功労賞…桂米朝。ホープ賞…明石家さんま、コント赤信号、春やすこ・けいこ、山田邦子、桂米助、太平サブロー・シロー、片岡鶴太郎、マギー司郎、ゆ〜とぴあ。このホープ賞から選ばれた最優秀ホープ賞に九十九一、同じく優秀敢闘賞が桂べかこ(現・三代目桂南光)。

 第11回(1982年)は「ひょうきん族」人気で、大賞はビートたけし。
     奨励賞…オール阪神・巨人、春風亭小朝(大賞受賞済みなのに!)、明石家さんま。
     功労賞…六代目笑福亭松鶴、寄席文字の橘右近。
     最優秀ホープ賞…太平サブロー・シロー
     ホープ賞…片岡鶴太郎、アゴ&キンゾー、桂文福、ヒップアップ、三遊亭小遊三、
            山田邦子、コント赤信号、笑福亭鶴志。
     「ひょうきん族」に同局の「らくごin六本木」、さらに「お笑いスタ誕」の人気者が入り混じった今なら、豪華な顔合わせ。

 第12回は、前年スタートの「笑っていいとも!」人気でタモリ(この辺がフジっ子の持ちまわり化。横沢プロデュース絡み)が大賞。さらに、奨励賞…桂文珍、コントレオナルド。
  話題賞…ビートたけし、横山やすし。功労賞…夢路いとし・喜味こいし、柳家小さん。
  ホープ賞…コント赤信号、片岡鶴太郎、山田邦子の「ひょうきん」勢に、三遊亭小遊三、
  さらに、「笑っていいとも!」で人気を得た斎藤ゆう子。しかし、最優秀〜に選ばれたのはなんと、板東英二(!)

 ここまで来てしまい、ついに翌年の第13回は大賞、該当者なし。特別功労賞の桂三枝と、特別賞にタモリ、ビートたけしが華を添えた格好(どちらかは、欠席していたのでは?)。
 奨励賞…片岡鶴太郎、月亭八方。話題賞…笑福亭鶴瓶、前年に協会を脱退した立川談志一門。
 敢闘賞…西川のりお、山田邦子、「笑っていいとも!」がフリー初レギュラーとなった古館伊知郎。
 ホープ賞…竹中直人、たけし軍団、桂小枝、嘉門達夫、ハイヒール。
 最優秀ホープ賞は、「ライオンのいだだきます」人気で小堺一機。

 第14回は大賞に再び、ビートたけしと、特別賞・明石家さんまと、黄金コンビ。
 奨励賞…桂朝丸、所ジョージとますます基準が怪しくなり、話題賞は、「ひょうきん」でパロられた浜村淳に、赤信号&石井光三。さらに前年の阪神優勝景気で月亭八方。渋いところで東八郎。
 コント山口君と竹田君が最優秀に選ばれたホープ賞は、桂雀々、桂三木助、キッチュ、シティボーイズ、たけし軍団、宮川大助・花子と一応は、新時代を担う顔ぶれ。但し、下済みの苦労はそこそこ積んだものの競演。

 第15回の大賞は、前年末の「ビートたけしフライデー襲撃事件」でたけしのいないお正月を埋めたビッグ3第三の男、明石家さんま。しかし、本人病欠でマネジャーが代理受賞。(しかし、この受賞もほかの番組で“仮病”だったことがバラされ、笑いのネタに…これが止めとなったかも?)
 ちなみに、特別賞は、前年に参院選初出馬の西川きよし(とうとう、『やすきよ』では本賞を受賞しなかった。やすきよ神話いよいよ崩壊の年)。功労賞…内海桂子・好江。
 奨励賞…片岡鶴太郎、太平サブロー・シロー。敢闘賞…小堺一機
 話題賞…桂べかこ、斎藤晴彦(!)、デーモン小暮(!!) 優秀賞…宮川大助・花子、コント赤信号。
 ホープ賞…桂三木助、キッチュ(横沢P『らくごin六本木』→『冗談画報』の流れ)。
      ダチョウ倶楽部、ダウンタウン(『ひょうきん予備校』の流れ)に、パワーズ。
      さらに、やしきたかじん(!!)。 
 ウッチャンナンチャンあたりは結局、間に合っていないんですよね。第三世代と叫ばれるのは、平成(1989年)に入ってからですから。

 と、この年の受賞者を見て頂いても分かるように最後の1987年といえば、時はバブルの導入期。
演芸だけで「笑い」が縛りきれなくなって、世の中の娯楽が多様化していった時期に終わるべくして、休止されたんでしょうね。

1/9 qazz様、有り難うございます。
 トロナラッキーさん
 私もそれ、かすかに憶えてます。確か何度目かの金賞チャレンジじゃなかったっけ?
 いつもは悠然と登場するのに、弾けた感じで出てきてVサインしたり・・・。
 あれが梅介のピークだったんじゃないでしょうか。持論ですが彼は「スタ誕」の産んだ最強のアマチュアかと。イカ天で言えば「宮尾すすむと日本の社長」のような。
 確かにその翌週は凡庸な法律漫談でした。最後に「生理用品イッキ読み」で締めて(もっともお手軽な新聞紙、がオチ)玉砕してましたっけ。

1/7 トロナラッキー様、有り難うございます。
 ミスター梅介が7週目位まで勝ち抜いて、すっかりネタ切れになったときにやけくそで今までと全然違うネタというか、自分の身の上話などとりとめない話を始めたことがありました。
 ネタ切れは明らかなのに妙な迫力があって、下宿の屋根の雪下ろしを手伝ったお礼に下宿のおばさんに筆おろしを手伝ってもらった話など今までで一番おもしろいネタだと思いました。会場も爆笑で当人予想外の勝ち抜き。
 翌週は予想通りひどい出涸らし状態で、落ちてしまいました。

1/5 qazz様、有り難うございます。
 古い写真を整理していたら1982.3.13/20分の収録(82.3.3)に行った時のものが出てきました。(この頃はカメラ持込OKだった)
 そうしたら貴殿HPと出演順が一部異なっていましたので、報告します。
3.13分
0 ミヤ蝶太・蝶作 → 9 ミヤ蝶美・蝶子(不合格)
3.20分は合ってます。アゴキンGP再挑戦ダメだったんですよね。
ロック歌手とお母さんのネタ。この時のオチは吉幾三の「おら東京さいくだ」の歌詞を先取りした彼等には珍しい落語的なものでした。十分面白いと思ったのですが・・・
ちなみにこの時の前説は、ぶるうたす+でんでん。

1/4 qazz様、有り難うございます。
 お笑いスタ誕のHPなんて存在したんですね。当時中坊でしたがハマってました。山野ホールの公開録画もよく行きましたよー。記録つけたり気に入ったネタのVTR作ったりしてたけど処分するんじゃなかったな。というわけでおぼろげな記憶が頼りになっちゃうけどよかったら参加させて下さい。ちなみに好きだった挑戦者を挙げると・・・
 イッセー尾形(初めて見た時、衝撃を受けた。必死に友達に勧めたが理解されず)
 九十九一(9週目の内臓電話が一番良かったかと。)
 ファニーズ(コーラアップのCMに出てませんでしたっけ?)
 他にコントらぶこ〜る、山口君と竹田君。
 ピン芸かしっかりしたコントが好きだったのかな。


【情報、有り難うございました(掲示板)】に戻る。