私は、「法律の解釈」や「犯罪者の取り扱い」には正解がないということを学んだ。社会がどう進んでいくか、その中で一人一人の人間がどう生きていくか、その問いかけに対し、あらかじめ結果を予測して答えを出すことは、もはや人間の領域を越えている。それは、正に神の思し召しいかんにかかっていると言っていい。
独善や独り合点の思いこみは、法律家の世界にあっては最も危険なことである。その意味で、私は、「法律とは常識なり」とモットーとしている。言うまでもないが、世のトラブルを処理するために法律がある。法律の果たす役割は、それ以上でも、それ以下でもない。
法律学者は、やたらに難解な議論をする。一方法律実務家は、判例がどうの、学説がどうのといって、なかなか素直に説明をしようとしない。それに騙されて、法律は難しいと考えてはいけない。「常識」が全てと思っていい。常識上どうしてもおかしいと思えないことを説く専門家がいるとすれば、その専門家は、まがい物である。
(中略)
犯罪者処遇にかかわりを持って以来、何百、何千という関係者が私の前を横切っていった。その人たちすべてが、それぞれの人生を誠実に、時には狡猾に生きていた。彼らの織りなす哀歓を取りまとめたものが、このエッセーである。
1991年10月11日号から1993年7月30日号に連載されていた「法談余談」に大幅加筆したもの。1993年朝日新聞社より単行本化。1996年に文庫化された。筆者は東北大学法学部卒業後、札幌、千葉、東京各地検検事、法務省刑事局課長、内閣法制局参事官、盛岡、横浜各地検検事正などを経て、1991年4月に最高検刑事部長、12月に札幌高検検事長。1995年6月に退官、7月参議院議員になる。著書に『法の涙』がある。
必ずしも事件だけを取り扱っているわけではなく、政治、行政など幅広い分野について、検事という立場の視点に立って書かれたエッセイである。鋭い視点には勉強になるところが多い。
特に書き下ろし「贖罪」には考えさせられるものがる。この作品は実話なのか、それとも作者の創作なのか、わからない。
25年前に殺人を犯し、一審懲役15年の刑にそのまま服し、模範囚として10年目に仮釈放。ひたすらに働き、今では親方としていくつかの工事現場を束ねるようになり、家族を持ち、家を建てた。5年前に設けた仏壇には、両親とともに被害者の女性の位牌を安置している。彼はある日、唐突に思い出す。自分が殺した女性には小さい娘が居たことを。彼は自分の事件を扱った刑務所に問い合わせ、当時の担当の刑事が存命であることを知り、助力を求めた。刑事は今は保護司をしており、娘が飲食店で働いていることを知らせてくれた。娘は場末の小料理屋で働いていた。何回か飲みに行って顔見知りになった後、彼は彼女を喫茶店に連れだし、謝った。「あなたのためになるようなことを、何かさせて下さい」と。彼女は言った。「あなたを許すことは絶対に出来ません。お金やお店、そんなものを受け取る気にはなりません。あなたは苦しんでいるとおっしゃる。私に謝ることで、その苦しみから逃れようとしている。そんなことは許せません。苦しむ苦しまないは、あなたの勝手です。そんなことに力を貸す気にはなれません。もう二度と私の前に現れないで下さい」呆然とする男を置いて、彼女は立ち去った。
数日後、元刑事の保護司が彼女の元を訪れた。彼女は言う。「あれだけの罪を犯したのです。人が人を許して済むことではないと思います。どんな人にもあれだけの罪を許す資格はありません」そして女は町を離れていった。
筆者は「死刑存廃」というエッセーの中でこう書いている。「凶悪な犯罪によって無惨に殺害されたものの魂に向かって、あるいはその肉親に対して、「限りなく赦すべし」と説く勇気を持つ人が羨ましい。ただ、死刑にしなければ、被害者の遺族も、世間も「正義」も、到底納得しないと思われる凶悪無惨な殺人事件が、急激に減少していることは喜ばしい。(中略)一日も早く、そのような事件がなくなり、死刑判決がなくなり、そして死刑制度がなくなることを願う」
菊池寛の「ある抗議書」は、無惨に殺された被害者夫婦は、人に怨みを持つ心を持っていると言うことで地獄に行く。加害者は刑務所の中で宗教に帰依し、心が洗われたということで天国に行くという皮肉な話である。
何度も書くが、事件の中に人生がある。ドラマがある。
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