「新潮45」には、毎月気合いの入ったルポルタージュが掲載されている。事件は起きた瞬間、わーっと騒がれ、マスコミが食い散らかし、そして捨てられる。情報は溢れるほど存在するのだから、マスコミはよりセンセーショナルな事件を追いかけることになり、過去を振り返る余裕はない。しかし、被害者遺族にとっては、事件は大きな傷痕を残す。当事者にとって事件はいつまでも続く悪夢なのだ。犯人が逮捕されるまで、いや、判決が出るまで。いや、判決が出てからも悪夢は続くのだ。
事件はいつまでも続いている。そんなことを証明しているのが、この本だと思う。ルポルタージュは、手間と暇と時間がかかり、そのくせ得るものは少ないという割の合わない仕事だと私は考えている。なぜ彼らは事件を追い続けるのだろうか。ただ、「真実」を知りたいというだけではないはずだ。事件というものの痛みが続いていることを知らせるためではないだろうか。その痛みは、いつか我々の周囲に降りかかる恐れがあるものだということを思い知らせるためではないだろうか。ここに出てくる殺人者は、もしかしたら殺人を犯す運命から逃れられなかった人たちかも知れない。なるべくしてなった殺人者がいるかも知れない。しかし、被害者たちはなるべくしてひがいしゃになったわけではない。犯罪者と深いかかわりを持っていたものもいるが、無関係だったものもいる。いったい殺人とは何なのか。それを知るには、まず事件を、事件の痛みを知らなければならない。そのためには、このようなルポルタージュが必要されている。
目次は以下。
第一部 「未解決事件」の死角で殺人鬼が息を潜める。
「少年法」の闇に消えたうたかたの家族−西宮「森安九段」刺殺事件 祝康成
切断された「二十七の肉塊」は何を語る−井の頭公園「バラバラ」殺人事件 上條昌史
覆せない「物語」、最重要容疑者はなぜ釈放された−京都「主婦首なし」殺人事件 浅宮拓
「行きずりかストーカーか」、見過ごされた殺意−柴又「上智大生」殺人放火事件 歌代幸子
第二部 修羅たちは静かに頭を擡げ出す
「無期懲役」で出所した男の憎悪の矛先−熊本「お礼参り」連続殺人事件 浅宮拓
切り裂かれた腹部に詰め込んだ「受話器と人形」−名古屋「臨月妊婦」殺人事件 町田喜美江
第三部 暗き欲望の果てを亡者が彷徨う
封印された「花形行員」の超弩級スキャンダル−埼玉「富士銀行行員」顧客殺人事件 祝康成
警察を煙に巻いたホストと女子大生の「ままごと」−札幌「両親」強盗殺人事件 中尾幸司
「自殺実況テープ」の出してはいけない中身−葛飾「社長一家」無理心中事件 祝康成
第四部 男と女は深き郷に堕ちて行く
崩壊した夫婦の黒き情欲の影で「微笑む看護婦」−つくば「エリート医師」母子殺人事件 町田喜美江
「完黙の女」は紅蓮の炎を見つめた−札幌「社長令息」誘拐殺害事件 上條昌史
現場で「異常性行」をした二十歳の自爆と再生−世田谷「青学大生」殺人事件 小野一光
「売春婦」ばかりを狙った飽くなき性欲の次の獲物−広島「タクシー運転手」連続四人殺人事件 祝康成
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