伊佐千尋+渡部保夫『日本の刑事裁判 冤罪・死刑・陪審』(中公文庫)


発行:1996.8.18



 被疑者はなぜ虚偽の自白をするのか、国家は人を処刑しうるのか、日本で陪審制度が嫌われる理由は……。三十年間裁判官を務めた渡部氏と、復帰前の沖縄で陪審員の経験を持つ伊佐氏が、誤審や死刑制度など、日本の刑事裁判が本質的に抱える後進性を、具体的な事件をあげながら徹底的に論じた対談集。(粗筋紹介より引用)

(前略)
 本書は、アメリカ統治時代の沖縄で刑事法廷の陪審員をつとめ、わが国における冤罪問題に強い安心を寄せ、多数の法廷ノンフィクションを書き続けている伊佐氏と、三十年間裁判官や最高裁判所調査官として主として刑事裁判に関与し、その後大学で刑事訴訟法などを講義している渡部が、日本の刑事裁判の問題点、正しい刑事裁判が行われるための前提条件、なぜ冤罪が起きるか、虚偽自白の心理的なメカニズムは何か、裁判官はどのような目で証拠を見るか、いろいろな犯罪に対して刑罰を決める場合、どのような基準があるのか、西欧諸国はほとんど死刑を廃止しているが、その理由は何か、死刑の存置は凶悪犯罪の抑止効果を有するのか、職業裁判官制度と陪審制度との比較、陪審制度の本質は何か、刑事司法の改善のために何が必要かなどについて、いろいろな具体例とエピソードをまじえながら、十二回にわたって対談し、雑誌『諸君!』1988年3月号から1989年2月号まで連載したものをまとめたものです。
 もともと本書は『病める裁判』という題で文藝春秋から刊行されたものですが、このたび中公文庫に入れていただく機会に、題名を『日本の刑事裁判 冤罪・死刑・陪審』と改めるとともに、本文や注などに多少を加筆をしたものです。

(平成八年八月 「はしがき」渡辺保夫より引用)



【目次】
 第一章 冤罪はどうして起きるか
 第二章 「目撃証言」は信用できるのか
 第三章 裁判官は「シャバの風」を知らない
 第四章 状況証拠こそ最良の証拠
 第五章 真実の供述はツバメ型
 第六章 裁判所には地獄部と極楽部がある
 第七章 真犯人が出ても覆らない有罪判決
 第八章 国家は人を処刑しうるか
 第九章 「死刑」こそ野蛮の証明
 第十章 なぜ嫌われる陪審制
 第十一章 陪審制は誤判を救済する
 第十二章 刑事裁判再生への道
 あとがき
 文庫版あとがき


 ノンフィクション作家であり、「陪審裁判を考える会」発足人でもある伊佐千尋と、元裁判官で札幌学院大学教授(当時)である渡辺保夫の対談集。
 第一章は当時無罪判決が出た山下事件をとりあげ、その後アメリカやイギリスに比べ日本は有罪率が異常に多い。代用監獄が虚偽自白を招く。スタンフォード大学で模擬刑務所を使った実験で健康な学生が1週間で10人のうち5人が強度の情緒的不安に陥ったため実験を中止した。昭和60年に旭川地裁で無罪判決が出た旭川日通営業所長殺人事件では、別件を含めて26日間の取り調べのうち1日8時間以下が7日、9時間以上が3日、10時間以上が5日、12時間以上が3日、14時間以上が1日、15時間以上が1日、16時間以上が1日という取り調べがあり、自白庁舎はすべて裁判で排斥された。取り調べ段階で弁護士を付けるべき。証拠の事前開示が十分にされない、などが挙げられている。
 第二章では、渡部が札幌高裁時代に担当したホテルでの窃盗事件が語られる。昭和57年3月、札幌市内にチェックインした男が、見知らぬ女から声を掛けられ関係し、部屋を出たちょっとの隙に10万円を取られたという事件で、男の証言でモンタージュ写真が作られ、一人の中年の女が逮捕された。物証はなく、厳しい追及の末に自白。札幌地裁では有罪判決だったが、弁護士の勧めで控訴し、札幌高裁では検察側が無罪の論告をしたうえで無罪判決。事件当日に届け、供述を基に似顔絵を描き、その2か月後、警察官が1枚だけ写真を見せて、そのうえで起訴した。裁判官は、当時の証言と被告の身長が違う過ぎることに疑問を持った。目撃証言は当てにならない、警察側の暗示でどんどん変わっていくという話。
 第三章は、必罰主義が横行しており、裁判官は社会的経験が少なく、一般的なことを知らないという話。
 第四章は、直接証拠と状況証拠が両方あって、直接証拠は有罪方向を支持しているが、状況証拠がかなりの可能性を持って無罪方向を指示しているような場合、有罪判断を下すのは極めて危険であると訴えている。特に自白調書や目撃証拠を裁判官が本当に信用できるかどうかといった的確な洞察力があればよいが、無い場合は危険であると訴えた。
 第五章は、供述一般について、真実の供述はツバメが飛ぶように率直で直線的だが、虚偽の供述はコウモリが飛ぶようにあっちこっち交わすものだと言っている。しかし捜査官は、被疑者の煮え切らない供述の経過を綺麗にまとめ上げて調書を作るので、ツバメのような自白調書になってしまう。例として、梅田事件、徳島ラジオ商事件が挙げられている。
 第六章は、似たような事案でも裁判所によって執行猶予になったり、実刑判決になったりするなどのケースがあると訴えている。また、事実認定に関しても強気の裁判官は証拠に問題があっても有罪を言い渡し、弱気の裁判官は無罪にしてしまうという例えも挙げている。量刑に相場があり、普通の殺人事件は懲役8年から12年、傷害致死で懲役3年から5年。暴力団員の傷害致死なら懲役4年から5年。強姦罪は被害者に隙があったかどうかで懲役2年から3年。初犯の財産犯や、通常の収賄罪はほとんど執行猶予。交通事故、業務上過失致死は、禁固10月から1年4か月。裁判官でもキャリアを積んで自信をもつようになると、刑が重くなりがち。絶対控訴を棄却する裁判官がいる。何でもかんでも求刑の八割を言い渡す裁判官もいる。女性裁判官は離婚訴訟で女性側に厳しく、慰謝料の金額を安く認定しがち。
 第七章は、米谷事件における再審請求で1978年に無罪となった男性が、国家賠償請求において一・二審とも棄却され、裁判所は信用できず、訴訟費用もかかり、苦しむのは自分だけだから、事件のことは早く忘れたい、と上告を断念したとの記事から始まる。無実の人を間違って有罪にして刑務所に入れても、警察も検察官にも、裁判所にも過失はなかったと裁判所は言っており、筆者はそのことが疑問であると訴えた。また、ソニーの井深大名誉会長が、昭和58年6月22日の産経新聞の「正論」に、日本の刑事裁判の信頼性を確保するために、警察の取り調べを終始ビデオで録画するか、少なくともテープ録音せよと書いており、筆者は素晴らしい見識であると述べた。
 第八章は、ある死刑囚Tの話が語られる。1950年8月ごろ、些細な事件を起こして九州から逃走して大阪に出てきて、天王寺公園でルンペンとなったが、2人の仲間に誘われ、運転手を殺して自動車強盗をしてしまう。一審は3人とも死刑。Tは和島岩吉弁護士(後の日弁連会長)に判決が重すぎると訴えたが、弁護士に「被害者の夫を待っていた臨月の妻の姿を想像したことがあるか。変わり果てた夫の遺骸に取りすがって泣いた若い奥さんの嘆きを、君は一度でも想像してみたことがあるのか」と言われ、「相手のことも考えず、一審の刑が重すぎると考えたのは、あまりにも身勝手でした」と発言したのを受けて、和島は控訴審から弁護を引き受ける。Tは朝夕被害者の冥福を祈って読経した。被害者の妻に謝罪の手紙を出し、仏前に香花料を送ったが、厳しく突き返された。悄然としたTに和島は「その苦しみこそ贖罪の道ではないか」と励まされた。昭和36年の憲法記念日に、大阪毎日の朝刊でこんな模範囚がいると大きく報道されたという。それでも控訴審は死刑判決。「悔悛の情は認められるが、裁判は宗教ではない」と裁判長は言った。上告も棄却され、刑が確定。俳人・北三河の指導を受け、句作に精進。昭和37年2月初め、和島が海外から帰ってくると、大阪拘置所の教育課長からTの死刑執行通知が待っていた(控訴審や執行の年月日は誤りと思われる)。和島は、「私は死刑廃止の論議が出る毎に、いつもTの事を思い出す。彼の犯行は悪魔の所業といわれても致し方が無い。しかし、人間は悪魔ではない。いったん目覚めれば、聖者のような立派な人間に立ち返ることもできる。刑罰が復讐やみせしめであった時代はともかく、完全に改悛し、更生した人間をもなお、国家の手で殺さなければならない合理的な理由が一体あるのであろうか(後略)」と述べている。
 その後、死刑制度の問題点について話を進める。昭和44年ごろ、和田が札幌地裁の裁判長時代、各地域から刑法改正問題について自由な意見を聴取するという会合があった時、網走と札幌の刑務所長が死刑制度は廃止すべきと述べた。アメリカ人の学者シェーファーは、「死刑を存置しているか否かは、その国の文化水準を示す尺度だ」と言っている。続いて、ヨーロッパのほとんどの国が死刑を廃止した事例を紹介。そして問題点を整理する。
  1. 刑罰としてでも個人の生面を国が奪うことが許されるか。
  2. 死刑制度は社会の秩序のために本当に必要不可欠か。死刑には無期懲役刑と比較して、より大きな威嚇力(抑止力)が認められるのか。
  3. 死刑の根拠づけとして、「応報」や「贖罪」といった原始的な感情が残されているのではないか。
 第九章では、免田、財田川、松山事件の再審無罪の判決の後、わずか一年の間に三人の死刑囚が無罪になるというのは世界に門例がないが、2,3か月すると日本では事件が忘れ去られてしまうと嘆いている。その後、外国の死刑誤判例が語られる。そして、日本における誤った死刑の例として、大正時代に起きた新潟の一家四人死刑事件が語られる。その後、誤判の例として、量刑判断を間違えて死刑にされる例が挙げられる。また、平安時代には810年に死刑が事実上廃止され、346年間にわたって死刑が執行されなかった。また絞首刑が憲法の禁ずる「残虐な刑罰」かどうかについて語られ、裁判で東大の古畑種基教授の鑑定では、絞首台から落下して死ぬまで平均14分33秒、短い場合は4分35秒、長くて37分かかったとある。また、総理府の世論調査で死刑存置が多いとあるが、死刑制度の功罪に関する詳細な情報が国民に知られていないのに、国民感情は何かを推測するのは間違いであると訴える。死刑判決を受けた人間は、社会における憎まれている絶対的少数者であり、死刑を肯定すべきかどうかは、そういう少数者の生命権とか基本的権利をどう保護すべきかということである。
 第十章、十一章では陪審制について語られる。
 第十二章では連載最後として、個々のケースや問題に限定せず、刑事裁判や裁判官のあり方などを取りあげ、どうしたらより良き刑事裁判を期待することができるかといった司法改革の展望を取りあげている。被疑者拘留の請求を却下する率の減少、保釈率の減少、裁判官の現場における実地検証の減少、執行猶予率の減少、弁護人による控訴における一審破棄の減少など、弁護人に不利なようになってきている。裁判所が審理を急ぎすぎる。逆に事実関係に深刻な争いがある事件では、恐ろしいほどの長期裁判となる。迅速な裁判のためには以下が必要。
  1. 裁判官は当事者、特に弁護士から信頼されるようになるべき。
  2. 捜査段階における被疑者や重要参考人の取り調べには終始テープレコーダーを付けるべき。
  3. 被疑者の段階で国選弁護人を付けるべき。
  4. 無罪判決に対する検察官の上訴に枠をはめるべき。
 日本の刑事裁判が本質的に抱える後進性を、具体的な事件を挙げながら徹底的に論じた対談集。30年近く前の対談であるから、今読むと古い内容も多い。裁判員制度のようにすでに市民が裁判に参加するようになっている。国選弁護人が被害者の段階で付くようにもなっている。彼らに言わせれば、少しは前進したと言えるのだろう。それでも裁判に対する不信は今でも根強い。もっとも、弁護士に対する不信の方がもっと根強いと思われるのだが、こうなるとは二人は思っていなかっただろう。
 豊富な事例を基に日本の刑事裁判に対する問題点を指摘しており、対談形式であることから非常に読みやすい。まとまりに欠けるきらいはあるが、テーマごとの対談であるため、それほど苦にならない。
 ここで語られている内容は、あくまで一つの見方でしかない。それでも一つの見方を知ることは重要。ここにはそれがわかりやすく述べられている。学者の堅苦しい、遠回しな言い方とは別である。読んでみて損はない。
 伊佐千尋は1929年、東京生まれ。1978年、「逆転」で第9回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。1982年、「陪審裁判を考える会」を発足。著書、訳書多数。
 渡部保夫:元札幌高裁裁判所判事。法学博士。著書、訳書多数。

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