坂本勉『死刑−報復と贖罪の論理−』(彩図社 ぶんりき文庫)


発行:2001.11.30



 地球上には既に死刑制度を廃止した国も多いが、依然として死刑制度を維持している国も多い。死刑は国家による殺人であることには違いないが、社会秩序を維持するための必要悪という考え方も根強く残っている。
(中略)
「誤審」の問題と「死刑執行官の心の負担」の問題は死刑存置を主張する人にとっては頭の痛い問題である。他にも死刑廃止の論拠が主張されるが、この二つの問題に比べたらそれほど深刻な問題ではない。
 本書では、死刑制度に必然的に伴う二つの難問に対処するための一つの解決策として「両刑併置制度」と「死刑執行官という職務の廃止」を提唱する。まず両刑併置という場合の「両刑」とは、死刑か終身刑かの意味である。よく言われるように死刑に代えて終身刑を導入するのではなく、二つの刑を併置させ、そこに選択の余地を残しておくことを意味する。
 現状、死刑執行だけを職務とする死刑執行官という職務は存在しない。死刑は、その都度、選ばれた刑務官によって執行されることになっている。死刑制度を存置したまま、死刑を執行する特定の公務員がいないという事態になれば、一体誰が死刑を執行するのか。この点についても、本書では一つの具体論を提言した。
「人間には誰しも誤りがある」「イヤな任務を他人に押しつけてはならない」という二つの前提条件に立って死刑制度を考えた場合、一つの解答は確かに死刑制度を全面的に廃止することである。しかし、必ずしもそれだけが導かれる結論ではない。二つの前提条件に立ちつつも、何らかの形で死刑制度を存置することは可能である。両刑併置制度なるものは、厳格に死刑制度の存置を主張する人にとっては何とも生温く感じられるに違いない。同時に、どうしても死刑制度を認められない人にとっては、何らかの形で死刑が存置されるので満足できないに違いない。
 しかし、両者の接点を求めるためには、両者がこの程度に歩み寄ることが必要であり、議論を深めるための叩き台になることを期待したいものである。

(「まえがき」より抜粋)


【目次】
 まえがき
 一 自然界の闘争と生存権
 二 人間社会の生存権
 三 被害者側の報復感情
 四 社会正義の視点
 五 加害者側の贖罪意識
 六 凶悪犯罪の抑止力
 七 安楽死の視点
 八 冤罪の可能性
 九 司法改革
 十 両刑併置制度
 十一 終身刑の意義
 十二 死刑執行官の心の負担
 十三 責任能力
 十四 少年犯罪への対応
 十五 戦争と死刑
 あとがき

 著者坂本勉は、1944年旧満州帝国新京特別市生まれ。現在、学習塾「英才ゼミ」主幹、大阪府豊中市在住。著書に「学校信仰の崩壊」「臓器移植と安楽死」などがある。

 既に死刑存廃論議は意見が出尽くされているという意見が多い中、こういう風に“両刑併置制度”の提案とはいえ死刑賛成論を掲げた著書が出版されることは珍しい。

 著者はまず、生物が持つ生存権について述べている。
 さらに人間が持つ生存権に付いて述べ、“死刑は、個々人の生存権と社会自体の生存権を維持するために必要な「装置」なのである。”と定義付け、一例として正当防衛についてを挙げている。Aが刃物を持ってBに襲いかかったとしたとき、Bには正当防衛権が働く。Bが刃物を奪ってAを刺した場合、Bは正当防衛を認められて罪に問われない。しかしBの抵抗が功を奏さず、Aに刺殺された場合Bの生存権は奪われる。このばあい、正当防衛権を行使することは出来ない。しかし、死者にも正当防衛権がある。死者は死んでいるが為にその権利を行使することが出来ない。ならば第三者(国家、親族等)がBに代わってBの正当防衛権を行使する。これが仇討ち、死刑の構造であり基本的に何処にも矛盾はない。この考え方を認めない場合、Bの殺され損になる。死刑廃止論は、この点において庶民感情を納得させることが出来ない。
 死刑制度は正当防衛の延長線上にある社会システムである。「正義の名の下に人を殺してはならない」とする考えは、正当防衛の考えを否定するものである。

 続いて著者は被害者側の報復感情について述べている。
 故なく殺害された人は無念の思いで死んでいったわけであるから、当然そこに報復感情が残る。これに対して、殺害された人はもう生きていないので当人の報復感情は残らないとする考え方がある。しかし、そのような考え方は「死者の名誉」という概念は全く意味を持たないことになる。
 イスラム世界の「目には目」「歯には歯」という報復原則があるが、これは目を潰されたら相手の目だけしか攻撃してはいけないと言う過度の報復を戒めたものであり、過度の報復に走りやすい人間の感情、報復合戦を防止しようとするものである。人間の報復感情は浅薄なカウンセリング等でどうにかなるものではない。

 さらに著者は社会正義の要請という形で死刑制度の存置を語っている。「何をしても死刑にならない」という状況では、社会は頽廃的になる。どんな罪人でも一定期間服役したら社会に戻ってくることになったりしたらどうなるのか。再犯の可能性だってあるだろう。重大犯罪には社会的な位置づけが不可欠であり、被害者個人の感情を離れた社会的な制裁が要求される。死刑廃止は社会正義の要請に応えることは出来ない。
 また加害者側の贖罪意識についても触れている。

 筆者は「死刑制度は凶悪犯罪の抑止力にはならない」という主張は間違っていると指摘する。調査は既に凶悪犯罪を起こした人ばかりに質問しており、本来なら一般の社会人に対して質問するべきである。「人を殺せば、自分も死刑になる」という回答が多いはずである。また、近年の少年による凶悪犯罪の増加は、殺人罪を犯しても死刑にならないということを少年が認識しているからである。
 死刑には安楽死の側面があるとも指摘している。死刑囚の中には、耐え難い悔悟の念に悩まされ自らの生命で自らの罪を償いたいと考えているものも存在するのだ。これは安楽死を求めている人との共通点が存在する。このような本人の意思も尊重するべきである。

 死刑制度に反対する最大の論拠は冤罪の可能性である。もちろん、人はウソを付く動物であり、時には人をかばうために自ら犯行を認めるものもいる。「誤審をゼロには出来ない」という宿命的な限界があるにせよ、できるだけゼロに近づけるための正しい裁判を行うべきである。そのためには、純粋培養型の裁判官を採用するばかりでなく、幅広い社会常識を持った裁判官を育成するべきである。また弁護士の腕によって死刑or無期懲役が左右されるのも問題だ。

 そこで筆者は「両刑併置制度」を提言する。「死刑」か「終身刑」の選択余地を残している。
 裁判所の最終判決後に被害者の遺族側に対して「死刑執行停止願」を出すか出さないかの選択権が与えられる。出されない場合、被告は従来通り死刑が執行される。「停止願」が出された場合、被害者側の報復感情は一応癒されているものと見なして、次に社会的重大性の見地から死刑執行停止の妥当性を法務大臣は検討する。
1.被害者の遺族の意向を汲んで終身刑に変更する。
2.犯罪の社会的重大性を無視できない場合、遺族の意向に拘らず死刑を執行する。
3.死刑から終身刑への変更を死刑囚自身の選択に任せる。

 以上により、裁判官と法務大臣が死刑か終身刑かを二重にチェックすることになる。また、被害者遺族の感情もある程度考慮されることになる。死刑囚の意向もある程度取り入れることが出来る。
 ただし、冤罪を主張する場合には事態は根底から崩れる。ただし、「本当に無罪」か「死刑を逃れるための冤罪主張」かのどちらであるかを見極める方法はない。ただ、「死刑を逃れるためだけ」の再審請求は天下に自分が恥さらしであることを知らしめる行為である。それは人間法規・人間失格であり、社会からは完全に無視された形である。生き物としては生きているが人間としては既に死んでいる。あえて命を奪う必要はない。
 この両刑併置制度は、被告が冤罪を主張する以上、現行犯逮捕されていなければ死刑にすることが出来ず、不合理な部分が残っている。
 また死刑執行官の心の負担も両刑併置制度を用いることによって冤罪の可能性が消えるのならば、現行制度より遙かに心の負担が軽くなるだろう。世の中は綺麗事だけではすまない。軍人(自衛官)、警察官、医師などの人の命を奪うことのある「心の負担を感じる多くの人々」によって社会は成り立っている。

 筆者は責任能力、少年法、戦争についても触れている。責任能力の有無に拘らず、人は行為の重大性に応じて処罰されることを原則として上で、諸々の減刑要素を検討すべきである。「人を殺してはいけない」という善悪が十八歳になるまで一人前の判断力がもてないはずはない。昔の元服制度を考えても、十五歳前後を成年として扱うことに問題はない。自衛力は必要であり、国が滅びてしまったら憲法九条など何の意味もない。国を滅ぼさないためには、軍事力で対抗せざるを得ない。


 以上、長々と引用してきた。
 簡単に纏めると、被害者の報復感情、社会正義、加害者の贖罪意識といった点から死刑制度は必要である。しかし現行制度では「誤審問題」「死刑執行官の心の負担」といった問題が残り、それが死刑廃止論の重大な要素伴っている。それらを解決するために両刑併置制度を提言したということである。
 被害者の報復感情や社会一般が持ち合わせている正義という点について配慮している部分など、見るべきところは多い。少なくとも報復感情は残酷であるから捨てよと一方的に諭す死刑廃止論者の意見に比べれば、理解しやすい意見ではないだろうか。
 他に「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」という宗教上の教えにも疑問を呈している。図に乗ったり怒ったりしてさらに打ちのめす人物もいるに違いないという意見も説得力がある。

 逆に議論が足りない部分は、加害者の贖罪部分だろうか。生きて償う方法についてはほとんど触れられていない。「生きて償いたい」という意見も多いのだが、どうやって償うかという点について具体的に触れたものはおとんどない。もっとも両刑併置制度において、この点は弱点にはなっていない。
 ただ、冤罪主張をする以上死刑が執行できないという点には疑問を要する。現行犯以外にも、具体的な証拠が残っているケースなどでは執行するべきだと思うのだが。死を免れたいがあまり、ほとんど妄想に近い状態で冤罪を訴えたケースもあるのだから。この場合、被害者の報復感情が置き去りにされている。冤罪と被害者の報復感情について折り合いを付ける方法を探るべきであった。

 現在、死刑賛成論者と廃止論者は接点がつかめない状態になっている。両者の意見を近づけようとした試みは高く買える。

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