犯罪はますます巧妙になる一方、冤罪事件が次々と明るみに出ている。白鳥事件、梅田事件、八海事件の最終鑑定など、数多くの難事件に取り組んできた法医学の第一人者が、自信と反省をこめてつづる科学捜査体験記。(粗筋紹介より引用)
筆者は1914年東京生まれ。東京大学医学部卒業後、北海道大学医学部助教授を経て、1962年、警察庁科学警察研究所科学捜査部長(初代)となる。その後、千葉工業大学教授となり、交通事故のメカニズムの研究に取り組む。著書は他に『科学捜査官』『犯人を追う科学』などがある。
法医学といっても、重要な事件の鑑定ばかりを取り扱っているわけではない。なかには「処女の証明」とか「父親は誰か」みたいに本人にとっては深刻だが、周りから見たらややユーモラスな事件も書かれている。堅苦しい医学用語ばかりが出てくるわけではなく、楽しい読み物になっている。
ただ、どうしても目がいってしまうのは、「梅田事件」「白鳥事件」「八海事件」などの鑑定にまつわる話だろうか。梅田事件で裁判長が二つの質問の答えを無理矢理くっつけて鑑定結果を採用しなかった話や、八海事件で事件当時の状況写真を満足に撮らず、しかも大事な証拠物をいい加減に取り扱っていた話などは、今の警察・裁判所にも十分通じる反省材料ではないだろうか。
他にも筆者は、再鑑定に関する疑問を投げかけている。警察側が考えているストーリーとあわない結果が出たとき、あわてて再鑑定を別のところに持ち込むというものである。予断を挟まない状況での鑑定と、すでに一度結果が出ている鑑定を否定しようと誘導している意図を持ち込まれている状況での鑑定のどちらが客観的か。学生時代の筆者のエピソードで、あの悪名高い古畑教授が「国家医学という考え方についてどう思うか」と問われ、「権力に迎合するような結果になるおそれがないか」といった趣旨の答えをしたところ怒りまくったというのは面白い。
法医学が権力に迎合するようなことがあってはいけない。警察の都合のよい結果を出してしまったことによる冤罪事件が多数存在する。そのことに筆者は警鐘を鳴らし続ける。しかし、その言葉は今の警察、法医学者にどれだけ届いているだろうか。
本書は1978年12月に発表された『法医学のミステリー』(日本書籍)を基に加筆再編集したものである。
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