他人の悲劇ではない――
私たちは冤罪を、気の毒な人に降りかかった「他人の悲劇」としてみてはならない。というのは、この悲劇が明日にも、自分の身の上に降りかかってくるかもしれないからである。犯人を特定できる証拠が見つからないと、捜査当局はあやしいと思う人を逮捕し、強引で狡猾な手段を使って糾問的に取り調べる。あやしいとにらむ根拠は、アリバイがはっきりしないとか、日頃の素行が悪いとかいった程度のものであることが多い。取り調べは頭から犯人視するやり方で、アリバイなど確実な無罪証拠を出さないかぎり犯人だという前提で自白を迫る。被疑者がそれに耐えきれず、その場しのぎに虚偽の自白をすると、それにあわせて証拠固めがおこなわれ、起訴される。裁判で自白は嘘だったと主張しても裁判所は耳を傾けず、自白を基に有罪を言い渡す。
【目 次】
序 章 冤罪に泣く人々
第一章 再審=狭き門
第二章 なぜ虚偽自白をするのか
第三章 代用監獄で何がおこなわれるのか
第四章 崩壊した誤判―松山事件
第五章 誤判の隠蔽―布川事件
第六章 裁判官はなぜ誤るのか
第七章 冤罪を防ぐために
作者の小田中聰樹は1935年、盛岡市に生まれる。1958年、東京大学経済学部卒業。1964年、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。1966年、司法修習修了。執筆当時は、東北大学法学部教授。専攻は刑事訴訟法。著書に、『現代司法の構造と思想(正・続)』『誤判救済と再審』―日本評論社、『刑事訴訟法の史的構造』―有斐閣―などがある。
冒頭では、1992年6月9日、日本弁護士連合会(日弁連)の行動で開かれた「再審問題二十周年記念集会」の様子が書かれている。そこで支援した再審事件も書かれている。
無罪がすでに確定したもの:吉田厳窟王事件、弘前事件、加藤事件、米谷事件、滝事件、免田事件、財田川事件、松山事件、徳島ラジオ商事件、梅田事件、島田事件
支援中の事件:山本事件、榎井村事件、牟礼事件、丸正事件、名張事件、袴田事件、尾田事件(マルヨ無線強盗殺人放火事件)、布川事件、日産サニー事件(このうち、榎井村事件のみ後に無罪が確定した)
調査中の事件:五件
出版当初、日産サニー事件では1992年3月24日に再審開始決定が下されていた。後に検察側の即時抗告が認められ、再審開始は取り消されている。
本書では第一章で再審請求事件のリスト、件数などを挙げている。再審というと殺人事件などのような重大事件ばかりと思われがちであるが、実際は交通事故や窃盗などの軽微な犯罪でも再審請求事件はある。しかし実際には、再審のルートにのらない暗数が多いと作者は指摘する。「誤判を主張して再審を請求して争っても裁判所がなかなかその主張を認めないこと(再審の門の狭さ)、もし再審に失敗すると再度有罪判決を受けたのに等しい社会的汚名をかぶる危険があること、再審を請求して争おうとしても膨大な労力や時間や弁護費用がかかることなどのため、誤判を受けた元被告人があきらめて、泣き寝入りをしてしまうことが多いため」である。
第二章は無罪なのになぜ虚偽の自白をしてしまうか、ということである。これはよく「無罪なのに自白するわけがない」と指摘する人がいるが、実際にその立場になってしまうとそう簡単ではないことが、様々な文献から読み取ることができる。作者はなぜ、虚偽の自白をするのか、という疑問に結論を出している。「捜査官がいろいろな手段や方法を駆使して、被疑者に強制的に見込み通りの自白をさせようとし、被害者はそれが虚偽であると知りつつも捜査官に屈服し、迎合して捜査官の見込み通りのことを供述してしまうからである」。
第二章では例として、すでに再審無罪となった松山事件、再審請求中である布川事件を挙げている。
第三章では、代用監獄の問題が取り上げられている。特に、別件逮捕→代用監獄における取り調べの過程において、誤判が生じるような虚偽自白がなされることが多いと指摘している。特にアリバイつぶし(アリバイの証明者を警察が脅迫する。免田事件、松山事件、布川事件、貝塚ビニールハウス事件など)、暴力的な取り調べ(梅田事件、免田事件など)などの問題を指摘する。
第四章は典型的な誤判の例として、松山事件を取り上げている。あやふやな動機や状況証拠、たった一つの物的証拠。弁護側は矛盾を指摘しても、裁判所は矛盾を取り上げることなく、死刑判決を出す。第一次再審請求では、自白の内容や目撃証言などにおける矛盾点を数多く指摘しながらも却下される。しかし第二次再審請求において、物的証拠が警察側によって捏造されたことが明らかになり(もっとも裁判所側は捏造という事実は否定している)、自白をきいたという証言者が警察に協力して(さすがにスパイという言葉は使わなかった)自白を誘導した可能性が高い、などの理由でようやく仙台地裁は再審開始を決定。検察側の即時抗告に対しても仙台高裁は棄却。そして再審で無罪が確定した。
第五章は布川事件について取り上げている。
布川事件は1967年12月28日、二人の青年が競輪で遊ぶ金に困り、知り合いの男性に借金を申し込んだが断られたため殺害、現金107000円を強奪したという事件である。
自白以外に物的証拠もなく、裁判の初公判で二人は無罪を主張。検察側は事件の六ヶ月後(すでに裁判は一ヶ月前に始まっていた)に目撃者を読んで取り調べ、検察官調書を作るという異常さである。結局水戸地裁土浦支部は、いくつかの目撃証言と自白のみで、二人を有罪とし、無期懲役を言い渡した。二審で弁護側は自白や目撃証言の矛盾点を指摘したが、東京高裁はその矛盾点に目を閉じ、検察側の言い分だけを取り上げて控訴を棄却する。さらに最高裁も上告を棄却し、刑は確定した。
再審請求でも弁護側は自白や目撃証言、鑑定結果の矛盾を指摘したが、裁判所は退けている。
(本書執筆後の2005年9月21日、水戸地裁土浦支部は再審開始を決定。検察側は即時抗告した。)
第六章では、裁判官がなぜ誤るのかについて書かれている。
ここで作者はこう指摘する。「裁判官は捜査官のいうことを鵜呑みにする」「物的証拠の捏造について無関心である」「捜査過程に無関心である」「人間の弱さを理解できない」「捜査結果を頭から信用し、被告人有罪の予断を持って調書を読む」点を挙げている。
第七章では冤罪を防ぐための提言がなされている。
まず捜査段階では以下である。
「見込みにもとづく逮捕(別件逮捕がその典型である)を許してはならない」
「代用監獄を廃止する」
「被疑者の取り調べの方法に対し、法律的規制を加えて改善する」
「供述調書の作成を法律的に義務づける」
「誤鑑定を防ぐために、鑑定は原則として複数のものに依頼するよう義務づける」
「捜査段階の国選弁護人制度を新設し、弁護活動の権利を強く保証する」
続いて起訴段階では以下である。
「検察官以外のものの手で起訴をチェックすることが冤罪=誤判の防止のために必要」
「捜査当局が被告人に有利な証拠物を独断で廃棄できないよう、公正な保管・保全を義務づける」
公判段階では以下である。
「裁判所は捜査過程をよく吟味し、任意性に疑いのある自白や、違法な捜査手続きで収拾した証拠物、さらにはそのような証拠物に関しておこなった鑑定を証拠から排除する」
「自白の新病星を評価する際には、予断を持たない」
「自白依存の事実認定を避ける」
「被告人以外の第三者の供述を証拠としようとするときには、その者を法廷に呼んで直接に聞き出すべきで、捜査段階で捜査官が取り調べて作った供述調書で代用することは厳しく制限すべき」
「裁判所は、能率的、効率的に審理を進めるよりは、自ら直接に被告人の主張、言い分、弁解によく耳を傾け、そのなかから真実を汲み取るよう心がけるべきである」
「『疑わしいときは被告人の利益に』をいう事実認定上の大原則を忠実に守ること」
また作者は、裁判所の民主化、検察官の独立性、警察の民主化、陪審制の導入、冤罪救済システムの改善も挙げている。
本書は冤罪がなぜ生じるのかという点について、実例を挙げてわかりやすく説明し、冤罪を防ぐための方法を提言している。冤罪は過去のもの、と考える人が多いが、いまでも再審請求を続けている人が大勢いるということを見逃してはいけない。データとしては15年以上の前のものなのでやや古いが、状況はほとんど改善されていないというのが現状なのである。
冤罪ということを勉強するには、いい入門書である。
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