犯罪被害者支援弁護士フォーラム『死刑賛成弁護士』(文春新書1274)
発行:2020.7.20
「弁護士はみな死刑反対」と考えるのは大間違い! 被害者遺族の悲嘆と刑事裁判の理不尽さを知悉する弁護士らが、一般的な感覚から乖離する死刑反対派の欺瞞、死刑廃止国が行っている現場射殺の実態など、知られざる真実をここに“告発”する。(折り返しより引用)
【目 次】
序章 命は大事。だから死刑
命の大事さを一番知っているのは遺族 上谷さくら
第1章 被害者を見捨ててきた日本の刑事司法
死刑を求める遺族の権利 高橋正人
殺された被害者の命は殺人犯の命より軽い? 大津寿道
「仮釈放のない終身刑」は死刑の代替刑になり得るか 山崎勇人
冤罪の可能性に死刑賛成派はどう答えるか 川上賢正
微罪は重くなり、重大犯罪は軽くなる「少年法」 塩崎由紀子
第2章 死刑反対派と世間のギャップ
再犯防止に司法は無頓着 上谷さくら
「弁護士」が陥る単一的な「正義」の落とし穴 川本瑞紀
刑事弁護人も「本当は死刑」と思っている? 田島寛之
日本の宗教界の見解は? 川上賢正
第3章 世界の死刑廃止と現場射殺
「世界の潮流」に乗って死刑制度を廃止すべきか? 松坂大輔
現場射殺――日本と世界の比較 山田廣
死刑廃止を加盟条件にしたEU 川本瑞紀
第4章 死刑か無期懲役か――卑劣漢たちの事件簿
光市母子殺害事件――少年と死刑 山田廣
大阪教育大学付属池田小学校事件――強制不可能な大量殺人犯 杉本吉史
闇サイト殺人事件――特殊性と死刑基準 宇田幸生
心斎橋通り魔殺人事件――再犯と責任能力 杉本吉史・高橋正人
第5章 被害者遺族からの手紙
私が願ったのは全員の死刑――闇サイト殺人事件 磯谷冨美子(被害者遺族)
夫と一緒に年を重ねたかった――心斎橋通り魔殺人事件 南野有紀(被害者遺族)
遺族の陳述「人生が180度変わった」――熊谷連続殺人事件 上谷さくら
あとがき
著者の犯罪被害者支援弁護士フォーラムは、2010年結成。略称VSフォーラム。犯罪被害者の被害の実情を踏まえた活動を基本に据え、被害者の権利の拡充、被害者のための制度の実践、研究、改善策の提言などを目的として集まった弁護士の有志団体。また、日本弁護士連合会の「死刑廃止」の立場に異議を唱えてきた。会員21名。(著者紹介より引用)
個人的に注目したいポイントは以下。抜けている点があったら申し訳ないです。
[序章]
- 日本弁護士連合会(日弁連)は会をあげて死刑制度廃止運動を行っているが、我々のように死刑制度に賛成する弁護士もいる。弁護士は法律上、日弁連に会員登録しないと活動ができない。死刑判決を受けるような加害者の擁護しようのない現実を知り、我々は死刑制度の必要性を痛感し、有志の団体を結成した。
- 被害者側の代理人をする弁護士はごく少数。憲法には「被害者」という言葉は一度も出ず、憲法上の権利が保障されていない。つい最近までは、単なる「証拠品」として扱われ、取り調べの対象でしかなかった。
- 2004年に犯罪被害者等基本法が成立し、被害者の権利主体が明確に認められることとなった。
- 日弁連の体制も未来の弁護士を育てる司法修習生の授業も、加害者の権利を守ることに重点が置かれている。
- 加害者を死刑にしても、亡くなった人は戻ってこない。しかし、人を殺しておいて自分だけは生き延びるという理不尽は許されない。だから遺族は死刑を望む。
- 「生きて償う」と言っても具体的に何をどのように償うのかわからない。服役するとは国民が納めた税金で衣食住を賄われ、単に生きているだけ。
- 最高裁は日本の死刑執行方法である「絞首刑」を「残虐な刑罰に当たらず合憲である」としている。
- 冤罪は死刑の場合にだけ問題になるわけではない。懲役1年でも無期懲役でも冤罪であれば取り返しがつかないことは同じ。冤罪を一番望んでいないのは遺族である。
- 「死刑廃止は世界の潮流」とあるが、死刑を廃止しているヨーロッパ諸国などでは刑事手続きを経ないで「現場射殺」が当たり前に行われている。
- 「死刑には犯罪の抑止力はない」というが、比較した調査自体がないのだから何の根拠にもならない。死刑制度が抑止力になったケースは、2018年の新幹線無差別殺傷事件などがある。
- 刑罰の目的の一つは「応報」であることは事実であり、刑法のどの教科書にも最初に書いてある。命を奪ったものは死刑によって命を差し出すことは、犯罪に応じた刑罰。
- 永山基準は1983年に示されたものであり、国民の生活状況や人権意識が変化していく中で、この古い基準が適正かどうかを検証しないことはおかしい。
- 日弁連は2016年10月、福井市で開かれた人権擁護大会で「2020年までに死刑制度の廃止を目指す」という宣言案を採択したが、賛成546人、反対96人、棄権144人だった。弁護士は37,680人いる。たった1.4%の賛成で決めてしまった(ここでは書かれていないが、大会に直接参加した人でないと投票できない、という不公平なシステムであった)。
- 瀬戸内寂聴は2016年の人権擁護大会で「殺したがるバカども」と言っているが、被害者遺族も支援する弁護士もそれは異なる。命が一番大事であることをわかっているのは遺族である。
- 命は大事。だから死刑が必要。日本の死刑制度は、世界に誇れる素晴らしい制度である。
[第1章]
- 「生きて償わなくてもよい。死んで償ってくれ」というのが凶悪犯罪の被害者遺族の多くの意見である。生きて償うなどは、綺麗事に過ぎないし、どれだけ反省したって被害者の命は戻ってこない。そもそもいったいどうやって償うのか。
- 2007年に被害者参加制度ができるまで、被害者遺族は裁判の期日すら知らされず、抽選に当たらなければ傍聴席に座ることすらできなかった。刑事記録を見ることはできず、判決文すらもらうことができなかった。刑事司法は被害者を完全に蚊帳の外へ追いやってきた。
- 日弁連は悉く被害者参加制度に反対し、将来に禍根を残す制度であると訴えてきており、今もその見解を取り消していない。
- 被告人の更生を被害者遺族に押し付けるのはおかしなことである。
- 仮釈放のない終身刑なら遺族も死刑廃止に納得するだろなどうという考えは、被害に逢っていない幸せな人が言う言葉に過ぎない。
- 日弁連は「被害者の権利利益の回復は、経済的補償をすることで賄うべきだ。だから死刑制度は要らない」と言っている。資力のない殺人犯が保障できないから国が手厚い保護を与えるべきなのは当然だ。だからと言って遺族の怒りが収まるわけではない。飴玉をしゃぶらせて黙らせることと同じだ。
- 大切な家族を殺された遺族で、殺した犯人に、殺された家族の冥福を祈ってほしい思う人がどこにいるか。強姦犯が被害女性に幸せな結婚生活を送ってくれと言っているのと同じだ。
- 殺人事件が発生しても「死刑」になることは非常にまれである。
- 日本の裁判では2人、3人と殺されないと死刑にならない。被害者の命が2つ、もしくは3つ以上になって、ようやく加害者の命1つと同価値である。
- 1980年度から2009年度までに一審が終局した事件のうち、殺人または強盗殺人(強盗致死)で処断された人員は14,740人で、このうち死刑求刑事件は388人、2.6%に過ぎない。
- 「仮釈放のない終身刑」であれば冤罪になったたとしても取り返しは可能だというが、それはこじつけにすぎない。冤罪が避けられないなら死刑は廃止すべきだというのは、冤罪の防止に向けた努力を放棄したも同然である。
- 「仮釈放のない終身刑」を科せられた受刑者は、更生しても仮釈放になることはないため、更生意欲が生まれない。
- 「償う」とは埋め合わせすることだが、「生きて償う」という言葉ほど空疎で虚飾に満ちたものはない。
- 「死刑囚が罪を償って反省し、仏様のようになっている」のは、「死刑」を宣告されて死と向き合うことになった結果だ。
- 「仮釈放のない終身刑」を科せられた受刑者はやりたい放題となる可能性が高く、刑務所の秩序維持に重大な影響を及ぼす恐れがある。
- 公式なものではないが、受刑者1人当たりの収容費用は、年間約300万円である。
- 死刑が執行された後に冤罪で再審無罪となった案件は、戦後には一例もない。
- 死刑は残酷だというが、前提として悲惨な殺人事件がある。
- 加害者に甘く、被害者に厳しい少年法の現状を打ち破るべき。
[第2章]
- 判決はコピペ。前例だから、みんなそうしているから、という理由で書いているだけ。
- 裁判が終わると弁護人も裁判官も検察官も、その後の被告人はほぼ関わらない。被告人のその後に誰も責任を取らない。最後は刑務所に丸投げ。
- 刑事弁護は、無罪を勝ち取ることに主眼を置かれている。
- 弁護士職務基本規定の刑事弁護の心構え(第46条)には、弁護士は被疑者被告人のために最善の弁護活動に勤める(意訳)とある。内心では死刑だと思っていても、死刑が妥当だとは主張してはいけない。
[第3章]
- 日本は「右に倣え」という国民性がある。
- アムネスティ・インターナショナルの統計によると、2019年時点ですべての犯罪に対して死刑を廃止しているのは106か国。年々増加している。通常犯罪のみ廃止は8か国。事実上廃止は28か国。死刑存置国は56か国(台湾、北朝鮮、パレスチナ含む)。
- 死刑廃止はヨーロッパを中心とするキリスト教圏や旧植民地遺棄の潮流である。
- 各国の制度はそれぞれの国において独自に定められるべきものであり、他国がそれに口を出す正当性は基本的にはない。国ごとの事情の違いを考慮せず、「死刑」という一面だけでその是非を論じられるようなものではない。
- フランスでは2018年に警察または憲兵によって15人が射殺され、そのうち8人は非武装。ドイツでは同年、11人が警察によって殺害された。日本では2000年から2019年の20年間で、警察による発砲で死亡したのは10人に過ぎない。
- 自国の現場射殺は是としながら、日本の死刑制度を人命尊重という見地から批判することには整合性がない。
- 死刑制度を廃止した各国の状況がその結果どうなったのかについては何ら言及されない。せいぜい、犯罪率が上がったという統計はない、という程度。廃止した国は、制度があったころより良い国になったのか。
[第4章][第5章]は省略します。
犯罪被害者を支援する弁護士組織がある以上、いつかはこの手のような本が出てくるとは思ったが、読み終わってみると、ちょっと内容が軽いなあという印象がある。まあはっきり言っちゃうと、ネット上でよく見かけるような死刑賛成論、というか、死刑廃止論に対する反対意見が多いからだ。逆に言うと、それだけ死刑廃止論に対する反論の中身が固まりつつあるというべきなのかもしれないが。
哲学・論理学・法律学・犯罪学など様々なアプローチで死刑廃止論を訴えても、被害者遺族が納得いかない、という意見には敵わない。そりゃそうだと思ってしまう。本来の被害者やその遺族が何ら救われないのだから。せめて死刑にすべきだというのは正統な意見だろう。これを感情論というのなら言えばよい。ここを通らずに、死刑廃止論など通用しない。死刑廃止論者はそこを勘違いしている。あるいは、一番の弱点だから極力触れないようにしている。
まあ矛盾すべきところはある。確かに法律は各国が独自に定めるべきものだが、他国が口を出す正当性を言い出すと、中国の国家安全維持法にも文句がつけられないことになってしまう。「人権の押し付け」の線引きは必要となってくるだろう。
「償い」や「冤罪問題」に対する意見は納得。そもそも「償い」なんてただの自己満足にすぎない。冤罪が誰も救われないのは当然のことであり、死刑問題に限ったことではない。むしろ、冤罪を無くす捜査、弁護、裁判に力を入れるべきだ。
ただ、当然かもしれないが、被害者遺族の意見の声が一部しか出てこないのはちょっと残念。もちろん表に出たくない遺族もいるだろう。しかし、声を上げたくても上げる機会すらない遺族もいるはず。もっとそういう声を拾い上げてほしい。
この本の一番残念なところは、死刑賛成におけるデータがないこと。世論調査などの一般的なデータはあるものの、一番肝心な、被害者遺族の死刑賛成・反対論に関するデータを救い上げるべきではなかったか。こういうデリケートな問題に、一番無難に取り上げることができるのはこのような弁護士たちだろう。直接アンケートを取ることができなくても、例えば裁判所における意見陳述を集めることは、弁護士だったら難しくないはずだ。
法律の専門家たちによる表立った死刑賛成論は少なかったが、読みやすい形でようやく出てきたと言える一冊。死刑廃止論者は「ただの感情論でしかない」と逃げるのか、それとも正面から立ち向かうのか。興味があるところである。
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