川名壮志『記者がひもとく「少年」事件史 少年がナイフを握るたび大人たちは理由を探す』(岩波新書)

発行:2022.9.21



(前略)
 少年事件は「社会の鏡」といわれる。
 戦後の新聞報道を振り返ると、少年事件のニュースの価値観や、社会がとらえた「少年」像が、その時々によって大きく変わっていくことがわかる。それは、少年事件の過去の「常識」が、今の「非常識」といえるほどに大きな違いを生んでいることを示唆している。だからこそ、少年事件にはウソが隠れて いる、と私は考えている。
 じつは今、少年事件の報道は退潮している。
 それは、ともすれば「社会の鏡」がひび割れてしまうことにつながるようにも思える。
 少年事件とは何か。戦後の少年事件史を俯瞰しながら、少年事件の「常識」を疑う。そして、少年が人を殺めた理由が、どこに見いだされたかをたどる。世間、あるいは報道が注目した少年事件の変遷を追うことで、その時々の社会のひずみを浮き彫りにするのが本書の狙いだ。
 そう、少年がナイフを握るたび、大人たちは理由を探してきたのである。
「プロローグ」より一部引用)

【目次】
 プロローグ
 凡例
 第1章 戦後復興期 揺籃期の少年事件
  ――――少年事件は、実名で報道されていた!
 第2章 経済成長期 家庭と教育の少年事件
  ――――少年事件とは、子供(・・)の事件
 第3章 バブル時代 逸脱の少年事件
  ――――メディアの「型」から外れる少年たち
 第4章 バブル前後 曲がり角の少年事件
  ――――子供だましをしていた捜査機関や司法
 第5章 平成初期 少年と死刑
  ――――18、19歳をめぐる死刑存廃論
 第6章 少年事件史の転成
  ――――加害者の視点から被害者の視点へ
 第7章 21世紀の精神鑑定 発達障害の時代
  ――――「環境」責任から「個人」責任へ
 第8章 少年事件の退潮
  ――――市民が少年を裁く時代に
 補記
 最終章 少年事件を疑う
  ――――少年がナイフを握るたび大人たちは理由を探す
参考文献


 第1章で語られていることだが、まずは報道の大前提をここに記載する。

 殺人事件報道をめぐって、新聞各紙が「事件を大きく扱う」条件を整理しておきたい。そこには大きく二つのパターンがある。
 一つは、犯人がなかなか捕まらない場合だ。事件が発覚したが、犯人が逃げており、警察が身柄を確保していないケースである。犯人はだれか。犯行の動機は何か。下世話だが、ミステリー小説のような謎解きが、世間の興味を誘い、報道を大きくさせるのだ。
 報道は捜査当局と二人三脚のようにして犯人の足跡をたどり、特ダネを報じていく。報道各社のスクープ合戦が熾烈を極めれば極めるほど、紙面での事件の扱いは大きくなる。そして、事件は不謹慎なほどに盛り上がる。
 もう一つは、発生場所だ。東京や大阪で事件が起きると、扱いが大きくなる。つまり、警視庁や大阪府警の管轄エリアの場合に、騒ぎが大きくなるということだ。その理由は、じつにシンプル。東京や大阪には全国紙の本社や民放のキー局があり、なおかつ読者も多いからだ。
 新聞各紙の社会部は、事件担当の部署を「花形ポスト」にしている。そして、全国紙の本社がある東京や大阪では、警察取材だけを専門にする記者を特別に配置している。各紙は警視庁や大阪府警の事件こそが、事件取材の主戦場と受けとめているのだ(警視庁記者クラブ、大阪府警記者クラブという名称を耳にしたことのある方も多いだろう)。
 それはつまり、「どんな 事件か」よりも「捜査の主体はどこなのか」が、ニュースの大きさを左右する面があることを意味する。もし、同じ事件が九州や四国の田舎で起きても、東京や大阪ほどには大きく扱われないということだ。
 事件報道には、あらかじめ偏りがある。その傾向は、この先で触れる少年事件でも、大きく変わらないので留意していただきたい。

 以下、各章で取り上げられている事件及び概略を記載する。

第1章:小松川女子高生殺人事件、テロ事件(浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件、風流夢譚事件)、連続ピストル射殺事件

 1958年8月に起きた小松川女子高生殺人事件で18歳の犯人が逮捕された時、読売と毎日は実名、顔写真付きで報じた。朝日は匿名だった。この時代、少年の逮捕の際、読売と毎日は実名傾向が強く、朝日の記事にも散見される。
 実名、写真付きのエスカレートした報道にクレームを入れたのは法務省であった。1958年12月、日本新聞協会は、少年事件を匿名で報道する方針を示す。ただし、自主規制である。
「少年法61条は、未成熟な少年を保護し、その将来の更生を可能にするためのものであるから、新聞は少年たちの“親”の立場に立って、法の精神を実せんすべきである」
「罰則がつけられていないのは、新聞の自主的規制に待とうとの趣旨によるものなので、新聞はいっそう社会的責任を痛感しなければならない」
 ただし例外ケースも存在し、非行少年が逃走中で凶悪な累犯が明白に予想される場合、指名手配中の犯人捜査に協力する場合は実名報道がありうるとした。
 ここで出てきた“親”とは、「加害者」の親である。

 1960年10月に起きた浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件では読売、毎日、朝日のいずれもが、17歳の犯人の実名と写真を報道した。これは犯人が自殺したときも同様である。また、風流夢譚事件でも17歳の少年の実名、写真が報道された。ただ、政治テロがいの少年事件は、匿名報道となっている。
 1968年に起きた連続ピストル射殺事件では、19歳の少年が実名報道されている。

第2章:1969年の酒鬼薔薇事件(「同級生首切り殺人事件」)、正寿ちゃん誘拐殺人事件、暴走族、家庭内暴力、川崎金属バット殺人事件

 「正寿ちゃん誘拐殺人事件」以降、新聞の一面に掲載される少年事件が極端に減る。また、本事件も含め、少年の逮捕が実名報道されるケースもばたっと途絶えた。1970年代に入ると、少年事件の記事さえ数が減っていった。
 この頃の例外は、1972年のあさま山荘事件くらいであり、逮捕された2人の少年のうち、19歳の兄について読売は実名で報道している。
 1980年11月に起きた川崎金属バット殺害事件では、20歳の息子が逮捕され実名報道されるも、各紙はこの息子を成長途中の未熟な「子供」として扱った。

第3章:目黒2少年祖母両親殺害事件、名古屋アベック殺人事件、綾瀬女子高生コンクリート殺人事件

 1988年7月、目黒で中学2年の少年が父(40)、母(40)、祖母(70)を包丁でめった刺しにして刺殺。少年は初等少年院送致となった。この事件は逆送されなかったこともあり、時間が経つにつれ報道は尻すぼみになった。
 1988年2月に起きた名古屋アベック殺人事件は、各紙は逮捕の記事を報じた後、続報も出さなかった。筆者は理由として、「親子」や「教育」を基軸にした少年事件の報道の「型」にはまりにくかったこと、事件を捜査したのが愛知県警だったことを挙げている。この事件は、名古屋地検が主犯格の19歳の少年に死刑を求刑したことから、にわかに注目が集まった。死刑判決が言い渡された判決日、各紙は宇野宗佑首相の辞任騒動が起きていたにも関わらず、判決結果を一面に入れてきた。ただ、雑誌メディアは違った。『オール読物』では名古屋地検の冒頭陳述の全文が載せられている。
 1988年11月に起きた女子高生コンクリート殺人事件は、3か月後に少年たちの自供で事件が発覚し、大きく報道された。しかし続報は目立たなかった。筆者はその理由について、凄惨な犯行手口だったことと、事件の所管が捜査一課ではなく少年二課だったことを挙げている。そして、連続幼女誘拐殺人事件の取材に追われていたことも挙げている。この事件が大きく扱われる容易鳴ったのは、少年4人が家裁から逆送され、刑事裁判に移行してからだった。
 この頃の報道はまだ加害者の「親の立場」に立った視点は崩されていない。しかし少年に対する世間の見方は、今までの「子供」から逸脱した姿になってきたと筆者は語っている。

第4章:綾瀬母子殺人事件、草加事件、山形マット死事件

 1988年11月に起きた綾瀬母子殺人事件で、1989年4月に少年3人が逮捕された。女子高生コンクリート殺人事件の少年たちと同じちゅうがきう出身の不良グループと報じられたこともあり、大きく報道された。ところが、東京家裁は少年鑑別所に収容されてた少年たちを、処分も出ていないのに釈放した。3か月後、3人は不処分となった。ようするに無罪である。警察が強引な捜査で自白を迫っていたことが明らかになった。
 この直後、1985年に起きた草加事件で保護処分を受けた少年5人が再審を求めた。少年法では再審規定がなかったため、請求は退けられた。しかし1993年3月の民事訴訟で、浦和地裁は遺族側の請求を棄却し、血液型の不一致などから少年たちは犯人ではないと決定した。紆余曲折の末、2002年に請求が棄却され、少年たちは“無罪”を言い渡されることとなった。
 1993年1月に起きた山形マット死事件でも、司法は迷走した。1993年8月、山形家裁は3人の少年に少年院送致などの保護処分、3人を証拠不十分として不処分とした。捜査機関に抗告権はないため、少年3人の不処分は確定した。しかし1993年11月、仙台高裁は3人の抗告を棄却するとともに、残り3人についても事件への関与を示唆した。1994年3月、最高裁は3人の抗告を棄却し、高裁決定を指示した。この時は、無罪となった3人への判断を示していない。
 しかし民事裁判では2002年3月、12歳で行政処分となった1人を加えた少年7人の事件の関与を否定し、遺族側の請求を棄却した。2004年5月、仙台高裁は少年全員を「有罪」とし、遺族への請求を認めた。2005年9月、最高裁は高裁判断を指示した。
 これらの結果から、今までの少年事件と異なる視点、少年事件の捜査の在り方や司法の問題にスポットライトが当たるようになった。

第5章:市川市一家4人殺人事件、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件

 1990年代前半に新聞各紙が注目したのは、死刑の是非が問われた少年事件だった。国際的な潮流を受け、日本の法曹界でも死刑廃止を求める声が上がっていた時期であった。上記2つの事件は逮捕時には大きく扱われず、刑事裁判に移行してから大きく扱われるようになった。なお大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の主犯の少年1人は殺人容疑で指名手配されていたにもかかわらず、新聞各紙は実名報道していない。
 筆者は、この2つの事件の報道の違いに触れている。市川の事件では、各紙とも司法が少年に死刑を言い渡したことに懐疑的であった。加害者の「親の立場に立った」報道であった。一方リンチ殺人事件では、被害者の「親の立場に立った」報道であった。この報道の違いは、二つの裁判の間に少年事件死を変える事件が起きていた。

第6章:神戸連続児童殺傷事件、光市母子殺人事件

 少年事件の「少年」観を大きく変える事件が起きた。1997年の神戸連続児童殺傷事件。各紙でスクープ合戦が始まった。1か月後に14歳の少年が逮捕されるまで、誰も「少年事件」だとは思わなかったこともあり、報道は過熱していた。逮捕された当日、各紙は朝刊の一面を丸々使って報じた。過去の少年事件、成人事件でも一面が丸々埋まるということはない。前例は田中角栄元首相の逮捕、オウム真理教麻原彰晃の逮捕ぐらいであるが、それは夕刊であった。「犯人逮捕」のニュースで朝刊の一面が丸々埋まったのは、安倍晋三元首相銃撃事件の犯人逮捕のみである。この事件から、新聞各紙は少年事件も逮捕から大きく報道するようになった。
 一方、少年Aにわが子を殺された遺族が手記を出版。子供の成長の記録、日常を乳母れた家族の現実、メディアスクラムによる報道被害のありさまが語られた。同時に、少年事件への司法や社会、報道の在り方に疑問が投げかけられた。この結果、少年犯罪の被害者の家族でつくる「少年犯罪被害当事者の会」が1997年に、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」が2000年に設立された。そして報道は加害者側から被害者側へと視点が切り替えられた。
 もう一つ大きく変えた事件は、1999年4月の光市母子殺人事件。山口地裁の無期懲役判決に対し、遺族の男性が記者会見で激しい怒りを示した。そして小さくしか扱われなかった事件が大きく扱われるようになった。
 世論に押される形で、少年法は2000年に改姓された。1949年の施行以来の初めての抜本的な改正だった。

第7章:キレる17歳(豊川市主婦殺人、西鉄バスジャック事件、岡山バット殺人事件)、触法少年の事件(長崎男児誘拐殺人、佐世保小6同級生殺人事件)、奈良放火殺人事件、板橋管理人夫妻殺人事件

 2000年代、新聞各紙の少年事件への向き合い方も、著しい変化を見せる。2000年5月の豊川市主婦殺人事件で、読売は逃走中の犯人が高三であることを一面に報じた。また少年事件で精神鑑定を実施し、少年個人の性向と事件を結び付ける流れが広まっていった。

第8章;裁判員裁判(石巻3人殺傷事件、吉祥寺女性刺殺事件、名古屋女子大生殺人事件)、佐世保高1同級生佐生人事権、川崎中1生徒殺人事件

 2009年より裁判員裁判がスタート。刑事裁判へ逆送されると、少年は公開の裁判で市民によって裁かれることとなった。石巻3人殺傷事件は大きく報道されたが、少年事件の報道は緩やかに下り坂となる。多面的な切り口の報道が消え、成人事件とさほど変わらずに報じるスタイルが定着していく。一方、2010年代以降にスマートフォンが普及し、ツイッターやLINEの利用者が急増してだれもが簡単に情報発信ができるようになったことで、少年法の縛りが聞かなくなり、加害少年の実名や顔写真が流布するようになった。それにつれ、各紙の報道が大きくなるという逆転現象も起きた。一方、事件が親子や教育の基軸で詳報されることはなくなった。

補記

 2000年以後、一部で少年を実名報道するようになった。2006年の周南市の事件で、読売は犯人の19歳の少年が自殺したことを実名、顔写真入りで報道した。少年が死亡し、更生の可能性が無くなったため、というのが理由であった。
 2011年、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の3人の元少年の死刑が確定したとき、朝日と読売は実名で報道した。少年の社会復帰の見込みがなくなり、更生の機会が失われたことと、国によって命を奪われる刑罰を下された存在を名無しにはできない、という理由であった。2017年、市川市一家4人殺人事件の元少年の死刑が執行された時は、朝日、読売に加え、毎日も実名で報道している。
 また、2000年代初期の「2ちゃんねる」などの掲示板サイトへの流出と異なり、SNSの発達により不特定多数の個人による発信の歯止めが効かなくなった。
 かつて重大な少年事件を起こした者の「再犯」も問題の一つである。極めてまれなケースかも知れないが、「再犯」事件への検証は世間に全く示されていない。

 少年事件に対する報道の変化を通じ、少年事件そのものの変容、そして少年事件に対する世間からの目線の変わり方を追いかけた一冊となっている。もしかしたら別の見方があるのかもしれないが、個人的には非常にわかりやすい流れであり、納得のいく説明であった。できれば地方新聞の関わり方についてもう少し記載があればよかったと思うが、それはページ数を考えると難しかったのかもしれない。
 ただ、一つ一つの少年事件に対する紹介は短いので、もっと詳細に知りたいのであれば、事件を対象とした著書に当たる必要はある。
 個人的にお薦めしたい、ぜひ目を通してもらいたい一冊である。

 川名壮志は毎日新聞の記者。著書に『謝るなら、いつでもおいで 佐世保小六女児同級生殺害事件』(新潮文庫)などがある。

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