龍田恵子 『バラバラ殺人の系譜』
(青弓社)


発行:1995.12.1



殺したあと、なお切り刻んだ殺人者たち。彼らを忘我の境に駆り立てたものは何か。憎悪、怨恨、嫉妬、金銭、悪魔秡い―。背後にうずまく漆黒の闇に目を凝らす。

(表表紙より)


【目 次】

第1部 暗くて深いさまざまな事情

混沌 第1章 夢か幻か、暗澹たる事実は小説より奇なり
 野口男三郎事件(一九〇五年=明治三十八年)
金銭 第2章 官僚気質丸だしのお手軽な完全犯罪
 山憲事件(一九一九年=大正八年)
憎悪 第3章 同情が憎悪に変わるとき
 玉の井バラバラ事件(一九三二年=昭和七年)
愛欲 第4章 戦慄! 女の肉片を溺愛した男
 首なし娘事件(一九三二年=昭和七年)
金銭 第5章 内臓、脳髄まで寸断してブリキ缶に
 おでん屋夫婦殺人(一九三四年=昭和九年)
失恋 第6章 恋の一念が生んだ悲喜劇
 人違いバラバラ殺人(一九五四年=昭和二九年)
虚栄 第7章 死体の一部と二年間も同居
 代議士元秘書、愛人殺人(一九八〇年=昭和五五年)
怨恨 第8章 立ち退き話のもつれが招いた惨劇
 練馬の一家五人惨殺(一九八三年=昭和五八年)
逃走 第9章 妻を切り刻んでトイレに捨てる
 人肉スライス事件(一九八六年=昭和六一年)
悪魔 第10章 ホラー映画も真っ青の悪魔祓い
 藤沢悪魔祓い殺人(一九八七年=昭和六二年)

第2部 女のバラバラ殺人―女が殺人を犯すとき

憎悪 第1章 警官の夫を殺した小学校教師
 荒川放水路バラバラ事件(一九五二年=昭和二七年)
悪女 第2章 女の業の深さはどこまでも
 千住バラバラ事件(一九六〇年=昭和三五年)
憎悪 第3章 横暴な夫の生首は新幹線に乗せて
 亭主バラバラ殺人(一九七二年=昭和四七年)
嫉妬 第4章 哀れ! 疑心暗鬼の女心
 妻のやきもち殺人(一九七六年=昭和五一年)
憎悪 第5章 邪推から生まれた“恋敵”
 福岡美容師バラバラ殺人(一九九四年=平成六年)


 死体損壊を“バラバラ”と表現したのは、一九三二年(昭和七年)に起きた玉の井バラバラ事件で「朝日新聞」のつけた見出しが始まりだが、以後すっかり定着してしまった。「家族はバラバラに暮らしている」「意見がバラバラだ」「壊れてバラバラになった」など日常生活になじんでいる表現をそのまま死体の特徴に当てたものなので、どこか軽い感じはある。しかし、バラバラにされた死体を想像すれば、どうしても陰惨なイメージが付きまとうことは言うまでもない。日本人パリ留学生の人肉食事件のバラバラ死体の写真が数ページにわたって掲載されているのを見たときは、さすがに「彼はここまでしたのか」とショックだった。だから、バラバラ殺人は通常の殺人と比べ、残虐さの点ではワンランク上に位置されてしまうのだろう。
 本書で取り上げたそれぞれの事件については、新聞・雑誌などの記事を参考にして、バラバラにする前の殺害動機に注目し、殺人を犯す直前までどういう生活環境にいたのか、殺意を抱くまでの心理を探ることにした。また、女のバラバラ殺人が予測よりも件数があったことから、それらを女の事件としてまとめるために二部構成とし、登場人物は著名な事件に関して実名を用いた。
(「あとがき」より抜粋)


 欧米などでは、バラバラ殺人の大半は偶発的なものではなく、性的異常者の確信的反抗と身案されている。快楽のために殺人を犯した後に、死体を傷つけたり、バラバラにしたりというサディスティックな行為によるケースが多く、それだけに残虐なイメージがつきまとう。しかも、そうした犯行を二度三度繰り返すものが多いというのも特徴だ。それに対して日本では、連続幼女誘拐殺人事件やパリで起きた日本人留学生による人肉食事件などがあったものの、性的異常者によるとされる反抗は件数が少ない。死体の処理に困ってとか、死体の運び出しを容易にするため、あるいは身元をわからなくするためというのが死体損壊の主な動機である。殺害動機についても、金銭が目当て、喧嘩の果てにカッとなって、相手の横暴さに耐えかねて、愛情関係のもつれなどがほとんどで、復讐のために完全犯罪を狙った計画的犯行というのも意外に少ない。
 通常の殺人よりも数倍も残虐に思えるバラバラ殺人だが、日本の法律では死体損壊の罪は創造するほど重いものではない。むしろ強姦して殺したり、金を奪うために殺すといった様な、殺害状況や殺害動機などに重点が置かれ、死体損壊については殺人罪に三年以下の懲役が加算される程度なのである。
 バラバラ殺人を明治・大正時代に遡ると、その件数は未解決のものを含めても十件前後である。昭和に入ってからも戦前に十件程度で、戦後になると年間平均一件くらいの割合で発生している。ところがここ十年となると主要な事件だけでも四十件を超えているのだ。特に1994年に関して言えば、発生頻度はきわめて高い。三月三日に発覚した福岡美容師バラバラ事件を皮切りに八月まで立て続けに六件、年間を通してみれば十件にも及ぶのである。(以下略)
 どうしてこんなに多いのだろうか。世紀末を迎えた現代社会の病理現象、あるいは犯罪報道によって模倣犯が増加しているのではないかといった見方もある。まず、考えられるのは、犯人たちは殺害後にバラバラにするのが事件を隠蔽する一番の方法だと認識(?)しているのではないかということ。(中略)現にここ十年のバラバラ殺人の検挙数は二十四件、あとは未解決のままで、死体の中には身元の確認ができないものもある。
 また、特徴的なのは、死体をバラバラにするかっくな場所が都会のマンションのような密室として存在し、そこでは隣人との付き合いもないので比較的スムーズに作業が行えると言うこと。さらに車の普及によってそれらを人目につかずにできるだけ多くまで運びだせるということ。(以下略)
 あまたある殺人事件の中でも特にバラバラ殺人に注意を向けたのは、殺人にいたる経緯もさることながら、さらに“死体を殺す”までにいたった殺人者たちの事情、動機などを、明治・大正時代まで遡って追及してみたいと考えたからである。憎悪、貧困、嫉妬、孤独、絶望の果てにあったのがバラバラ殺人とはいえ、その極限状況に自らを追い込んでいった彼らの物語に付き合うことにする。
(第1部より抜粋)



 「バラバラ殺人」に着目し、それらの事件を纏めたものが本書である。第1部、第2部の冒頭で小論を纏め、その後事件を一つずつ取り上げ、新聞記事などを追いながら詳細を纏めている。参考文献が載っていないため、雑誌やルポルタージュなどどの当たりまで追いかけたのかはわからないが、事件の背景や流れなどはかなり細かいところまで調べてあるようだ。
 第1部、第2部で纏められた文章には、「バラバラ殺人」という行為に対する犯罪者の心理状態について結構鋭い指摘をしているのだが、残念ながらそこで止まっている。“系譜”とタイトルに付けるぐらいならば、それぞれの事件の流れを追いながら、「バラバラ殺人」そのものに対する考察などを付けてほしかったところだ。特に第2部などわざわざ女性の事件として纏めているのだから、時代の移り変わりに対する殺人心理の変化なども追ってほしかったところである。
 惜しいところまで迫りながらも、結局は「バラバラ殺人」をテーマにしたルポルタージュ、という位置づけになるだろうか。

 作者の龍田恵子は1952年、室蘭市生まれ。短大卒業後、Uターンして雑誌編集、OLを経験した後、上京。編集プロダクションでタウン誌の編集記者を務める。

 本書は2000年に新潮OH!文庫から『日本のバラバラ殺人』と改題されて出版されている。このタイトルなら、ルポルタージュという位置づけにしてもおかしくはない。文庫化されたとき、事件が二つ追加されている。
「十年間に五人の女性を殺害:大阪連続殺人/平成7年」は広域重要指定122号事件、「死体を細かく切り刻んだ鍋で煮た?:極悪妻の白骨殺人/平成9年」は大阪府交野市のマンションで起きた妻による夫バラバラ殺人事件である。

 収録されている各事件の概略は以下。

混沌 第1章 夢か幻か、暗澹たる事実は小説より奇なり:野口男三郎事件(一九〇五年=明治三十八年)
 1902年3月27日、麹町区で11歳の少年が殺害され、臀部の左右の肉を約9から12cmずつ切り取られていた。1905年5月24日、薬店主人が殺害され350円が盗まれた。被害者と接触していた遊び人、野口男三郎が逮捕された。さらに男三郎は前年に行状の悪さから離縁させられた義父を恨んで殺害していたことも自供。さらにライ病(現在のハンセン病)には人肉のスープを飲ませれば効くという迷信を信じ、患者だった義父、恋人(後に結婚)に食べさせていたことも明らかになった。ところが公判では薬店主人殺害を除いて濡れ衣であることを主張、一審判決では証拠不十分で義父殺しと少年殺しは無罪、薬店主人殺害で死刑の判決が下された。

金銭 第2章 官僚気質丸だしのお手軽な完全犯罪:山憲事件(一九一九年=大正八年)
 米騒動以降も米価が上がる1919年、農商務省技師Yは米相場や株に手を出して借金を重ね、ある計画を思いついた。米殻商Sを農商務省の指定商店にさせると騙して5万円を出させた上、5月31日、Yと同居している農学士Wに殺害させた。Yが死体をバラバラにしてトランクに詰め込み、いとこのSを手伝わせて川に投げ込んだ。6月6日、死体が発見されたことからYはWを伴い知人である正力松太郎警視庁監察官に自供し、逮捕された。Yは死刑、Wは懲役15年、Sは二審で執行猶予の判決を受けた。

憎悪 第3章 同情が憎悪に変わるとき:玉の井バラバラ事件(一九三二年=昭和七年)
 1932年3月7日朝、玉の井の下水溝からバラバラになった男の死体の頭、胸などが発見された。8ヵ月後、H一家の兄妹三人が逮捕された。H一家はとても貧しかった。ある日、兄が浮浪者の姿をしたC父娘を見かけ、なけなしの稼ぎからお金を恵んだ。それからH一家とC父娘の交流が始まり、同居するようになった。男に逃げられた妹が出産。そのとき、Cが輸血したことが縁となり、二人の仲は深まっていった。ところがCは怠け者で、働き出したはいいものの、お金を一円も入れないで、逆にせびるようになった。さらに妹が出産した赤ん坊を虐待するようになり、赤ん坊は衰弱死。恨みが重なり、とうとう殺害したものだった。

愛欲 第4章 戦慄! 女の肉片を溺愛した男:首なし娘事件(一九三二年=昭和七年)
 1932年2月8日朝、名古屋市の鶏糞納屋で、女性の死体が発見された。首がなく、両方の乳房と局部が抉り取られ、腹が断ち切られていた。そばにあった風呂敷鼓の中に、M(44)名義の簡易保険証や被害者のものと思われる写真や封書などがあった。まもなく、被害者は青果商の娘(19)と判明。Mと娘の間には親密な関係があった。それからすぐ、木曽川で首が発見。無残極まりないものだった。捜査当局はMの足取りを追い、3月4日、犬山橋の掛茶屋で首吊り死体となったMが発見された。守り袋に眼球、左ポケットからは耳、冷蔵庫には局部と乳房が収めてあった。生きる糧を失い心中を求めたMに対し、別れ話を持ち出した娘との無理心中事件であった。

金銭 第5章 内臓、脳髄まで寸断してブリキ缶に:おでん屋夫婦殺人(一九三四年=昭和九年)
 1934年6月14日、隅田川で左手首が漂流しているのが発見、さらに18日には左足首が打ち上げられた。指紋から屋台のおでん屋を営むM(61)と判明。Mの家は空家同然になっており、家財道具は6月5日か同居していたK(24)によって13〜15日に掛けて売却されていた。Mの家には惨劇の後が残されていた。Kは出所後放浪の末、たまたま目に入ったオデン屋で夫婦と話すうちに気安くなった。それがM夫婦であった。Mはほら吹きの癖があり、「恩給で食っていける身分だ」などと威張り散らしたため、Kは金を溜め込んでいると判断。たまたま貸間があることからそこに入り、7日に酒を振舞い、寝静まっているところを金槌で殺害、なた、鉞、包丁などでぶつ切りにし、のこぎりで骨を切り離し、ブリキ缶5缶に納めた。ただ、手首と足首が残ってしまい面倒になって風呂敷に包んだ。13日、近くのばた屋を雇い、死体を隅田川に捨てたのだった。9月19日、死刑判決。そのまま確定した。

失恋 第6章 恋の一念が生んだ悲喜劇:人違いバラバラ殺人(一九五四年=昭和二九年)
 H(28)は、4年前に親しくなった女性(19)にふられたあとも追いかけ回していた。Hは定職についておらずブラブラしており、女性にとっては迷惑この上なかった。女性は親戚の家に隠れたが、結婚する運命にあると信じていたHはしつこく探し回った。9月5日、埼玉県入間郡で女性を探し当て殺害、バラバラにした。ところが、その女性は全くの別人であった。Hはすぐに逮捕され、一審無期懲役判決。ところが二審で、女性が証言台に立ったときに「Hとは何の関係もありません」と証言したことに逆上、隠し持っていた竹べらで女性の腕を刺し、全治2週間の怪我を負わせた。そのことが裁判官の逆鱗に触れたか、二審で死刑判決。最高裁で確定した。Hは拘置所で女性との関係をペラペラしゃべりまくり、あれほど憎んでいたにもかかわらず、彼女の話をするときは夢を見るような表情を浮かべていたという。

虚栄 第7章 死体の一部と二年間も同居:代議士元秘書、愛人殺人(一九八〇年=昭和五五年)
 1980年1月15日、代議士元秘書Y(32)の部屋に泊まりに着ていた婚約者が異臭に気づき、隣の部屋の会社員と二人で通報。調査の結果、押入れの天袋からビニール3個に包まれた、白骨化した首と両足の入った衣装箱が発見された。帰宅したYを問い詰めたところ、死体はYの愛人だった元ホステスのKで、Yは二年前Kのアパートで殺害したことを自供した。
 Yは在学中の1970年から新潟一区選出T代議士の私設秘書となり、T代議士の死後、身代わり当選を果たした夫人の秘書になっていたが、職務怠慢と夫人の落選を理由に1972年解雇された。不動産会社に就職後、Kと知り合い、愛人関係になった。1975年ちょっとしたきっかけから、代議士秘書Wと知り合う。Wが新潟三区から立候補したとき、ほとんど秘書とし手伝うことになった。Wが当選後、1977年正式に私設秘書となる。その間の生活費や遊び大はすべてKが出していた。借金は600万円以上に上った。1974年に購入したKが頭金を支払った千葉の家もいつの間にか売り払われていた。1978年、Yは実家で借りた金を返すと言うのでKはYの実家に一緒に行ったが、結局金は返されなかった。ののしったKをYは殺害した。1月6日夜のことだった。約1ヵ月後、胴体だけを千葉市郊外の雑木林に埋め、残りは戸棚に隠した。1978年末、金銭面のルーズさにあきれた事務所は彼を解雇していた。

怨恨 第8章 立ち退き話のもつれが招いた惨劇:練馬の一家五人惨殺(一九八三年=昭和五八年)
 東京杉並区の不動産鑑定士A(48)は、練馬区の洋書販売会社課長Sさん(45)が貸借して住んでいた家と土地が東京地裁の競売にかけられているのを知り、2月、約1億円を支払って所有権を得るとともに、6月末に引き渡す転売契約を別の会社と結んだ。ところがSさん一家はまったく立ち退こうとしない。一度は民事に訴えるも、Sさんが転居を認めたことによりAは訴えを取り下げた。ところがその後、転居を再び拒否。引き渡しが出来ない場合、違約金3000万円を支払うことになる。焦ったAはSさんのところへ何回も訪れるも、家族の反応は冷ややかだった。
 6月27日昼、再びSさん宅を訪れたAは妻のS子さん(41)をいきなり金槌で殴り殺し、続いて次男(1)、三女(6)を殴殺、絞殺。まもなく帰宅した次女(9)も絞殺。夜、Sさんが帰ってくると、持ってきた鉞で切り付け、失血死させた。その後、死体をバラバラにし、ミンチ状にした。家を出たところを近所から不審の電話をもらった警察官に見とがめられ逮捕。「骨まで粉々にしてやりたかった」と自供した。次男は翌日死亡。長女(11)だけは林間学校に行っていたため、命拾いした。1996年11月、死刑確定。2001年12月27日、死刑執行。享年66。

逃走 第9章 妻を切り刻んでトイレに捨てる:人肉スライス事件(一九八六年=昭和六一年)
 1986年5月15日、新潟市内にあるラブホテルの浄化槽から約60個の肉片が出てきた。指紋と行方不明者リストから、高松市の鰻屋店員N子(49)と判明。自宅浴室からルミノール反応が確認され、さらに夫のOが行方不明だった。Oは4月19日、N子を殺害後、手足を除いて肉体を細切れにし、行く先々の途中で各部分捨てていった。5月28日、Oは全国指名手配された。30日、滋賀県琵琶湖の近くで、車をエンコさせ観念。近くの家から新聞記者を呼び出し、殺害の事実のみを否定して残りを自供。同時に記者の通報で警察に逮捕された。もともとぐうたらで仕事をせずに金をせびるOをN子が罵倒したことによってOは激怒し、かっとなって殺害したものだった。

悪魔 第10章 ホラー映画も真っ青の悪魔祓い:藤沢悪魔祓い殺人(一九八七年=昭和六二年)
 2月22日、神奈川県藤沢市で、ロックミュージシャンのMさん(32)が従兄弟の不動産業者のS被告(39)とMさんの妻のMM被告(27)の2人に殺害された。「Mさんに憑いた悪魔を祓うため」に犯行に及んだとし、S被告が「首を絞めて殺さなければ悪魔は出ていかない」と首を絞めて殺したもの。通報を受けた警察が現場に駆けつけたところ、2人はかつて同じ新興宗教の信者で、犯行当時はS被告を「教祖」とする3人だけの宗教集団を結成していた。加害者2人は「体内に住む悪魔を追い祓えば、そのうちMさんが復活する」と信じていた。

憎悪 第1章 警官の夫を殺した小学校教師:荒川放水路バラバラ事件(一九五二年=昭和二七年)
 東京、荒川放水路の岸辺に何かが浮かんでいるのを通行人が発見。中を開けてみると胴体だけの男性の死体だった。5日後、頭部が発見。被害者が板橋区の外勤係巡査であることが判明。ただちに調査した結果、小学校教師である内縁の妻と、巡査の借金問題などでトラブルが生じていたことがわかる。16日には上肢が発見、指紋から完全に死体が巡査のものであることが判明。同日、逮捕状がないまま妻を緊急逮捕、翌日犯行を自供。「殺すのは惜しい。売れば金になる」という寝言に戦慄した妻が巡査を殺害、そして母に犯行を打ち明け、二人でバラバラにしたのであった。結局妻に懲役12年、妻の母に懲役4年が確定。母は翌年、拘置所内で病死。

悪女 第2章 女の業の深さはどこまでも:千住バラバラ事件(一九六〇年=昭和三五年)
 AとK蔵は結婚紹介所で知り合い、1953年に結婚。1955年に東京都足立区で理髪店を開業したが、K蔵が不器用だったため、店の采配などはAが全て取り仕切った。1958年、腕のいいKが店員として住み込むようになると、AはKと関係を持つようになった。二人の関係はK蔵や親族に知れることとなり、1959年4月末をもって解雇とすることを通告。財産と好きな男の両方を手に入れるため、A(29)はK蔵(34)の殺人を決意。1959年4月19日、酒によって眠っているK蔵をKが押さえつけ、Aが腰ひもで首を絞めて殺害。翌日、居間の床下に死体を埋めた。はがきによる偽装工作のおかげで「K蔵は金持ちの未亡人と大阪に逃げた」ことになっていた。しかし10ヶ月後ぐらいから異臭がするようになり、死体の遺棄を決意。2月8日、Aが子供と店員を連れて出かけている間にKが死体を掘り起こし、8日、15日に2人は死体を切断、墓地などに埋め直した。ところが3月3日深夜、血染めのシャツと寝間着を風呂敷に包んだKはパトロール中の警察官に職務質問され、事件が発覚。Kは自供し、翌日Aも逮捕された。二人は裁判で罪のなすりあいを演じたが、7月5日、Aに無期懲役、Kに懲役20年の判決が出て、そのまま確定した。

憎悪 第3章 横暴な夫の生首は新幹線に乗せて:亭主バラバラ殺人(一九七二年=昭和四七年)
 1964年1月、洋裁店員Y代(27)はとび職人K男(23)と恋愛結婚をした。ところがK男は酒癖が悪く、すぐに暴力を振るう。怠け癖があり、しかも前科9犯だった。結局Y代はバーのホステスとして働くようになるが、K男の暴力に耐えきれず、1968年、留守中に逃げ出した。1970年、名古屋のクラブで8歳下のホステスMと仲良くなり、翌年同居するようになる。1972年3月、K男が二人の住むマンションを探し出し、居座るようになった。6月23日、徹夜麻雀で負けたK男はY代に「食事を作れ」と命令したがY代に拒否され逆上、刺身包丁を持ち出して襲いかかろうとしたため、Y代はそばにあった金属製の置物でK男の頭を殴りつけた。倒れたK男にMが刺身包丁を拾い、背中を突き刺して殺害した。死体を運ぼうとしたが重くて運べなかったため、バラバラにすることを決意。翌日、鋸でバラバラにし、包装して死体を何日かに分けて処分した。1ヶ月後、腐乱した死体が発見。指紋からK男であることが判明。すぐに容疑は妻であるY代に向けられた。7月30日、帰宅したY代に捜査員が声をかけたとたんY代は自白。Mもすぐに自白した。

嫉妬 第4章 哀れ! 疑心暗鬼の女心:妻のやきもち殺人(一九七六年=昭和五一年)
 1975年9月下旬、岡山市で美容院を経営するT子(42)は夫であるタクシー会社事務員K(43)が出勤支度中、見慣れぬネクタイをするのを見て胸騒ぎを覚えた。夫はごまかしたが、浮気相手からもらったものではないか。その夜、T子から問いつめられたKは、同僚のS子(35)からもらったことを告白。S子も家庭があるし、浮気はしていないと言ったが、T子は信じようとしなかった。実際、KとS子は不倫関係にあったのである。証拠こそ見つけられなかったが、疑心暗鬼で嫉妬心は膨れあがるばかり。翌年3月1日、T子は出勤途中のS子をつかまえて自宅に連れて行き、別れてほしいと直談判したがS子はそれを拒否。カッとなったT子はS子を押し倒し、そばにあったガーゼのハンカチで首を絞めて殺してしまった。茶箱に死体を隠すと、夕方S子の夫に電話を入れてS子を預かると騙した。さらに兄に頼み、死体であることを隠したまま茶箱を実家近くの山林まで運んでもらい、ガソリンで燃やそうとしたがうまくいかず、実家から鋸を持ち出して七つに分断。袋に詰め込んで池に捨てた。夜中に帰ってきたT子を待っていたのは、S子の捜査願いが出されたことを知っていたKであった。T子はKの顔を見て、S子を殺したことを告白。一家心中をしようというKを説得し、翌日自首した。

憎悪 第5章 邪推から生まれた“恋敵”:福岡美容師バラバラ殺人(一九九四年=平成六年)
 2月27日、美容院マネージャーのK(38)は、美容師Iさん(30)が自分の不倫相手と交際していると邪推し、美容院事務室でIさんの首を包丁で刺して殺害。犯行を隠すため、包丁や鋸で遺体を切断、3月2日頃、福岡県山川町のゴミ集積場や熊本県のコインロッカーなど、九州各地に捨てた。現在でも頭部は見つかっていない。3月15日、逮捕。1995年8月25日、福岡地裁で懲役16年の判決が下った。Kは今回の事件を正当防衛と主張し、殺人について否認していたが、裁判所は殺人罪の成立を認めた。控訴審でKは無実であると主張したが、97年2月控訴棄却。その後、上告も棄却され、刑は確定した。

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