前坂俊之 『誤った死刑』(三一書房)


発行:1984.3.15



 免田事件、財田川事件のあとに、松山、島田、名張毒ブドウ酒事件など死刑再審事件が続ぞくと控えている。なぜこんな大変な誤りが起こり、長い歳月かかってもその間違いがただせないのか――本書は明治以来のわが国の刑事裁判の歴史の中で闇に包まれていた“誤った無実の死刑”についての初めての調査報告である。(帯より引用)
 『月刊サーチ』1983年6月号〜12月号連載、「全調査=明治、大正、昭和の死刑誤判事件」などを元に刊行。

【目次】
序章 冤罪への旅
第一章 死刑台から生き還った男
第二章 真犯人は誰か―財田川事件
第三章 偽造された血痕―松山事件
第四章 明治の死刑誤判事件
第五章 大正の死刑誤判事件
 (一)柳島四人殺し事件と鈴ヶ森おはる殺し事件
 (二)新潟の一家四人死刑事件
 (三)函館・丸山楼主殺し事件
第六章 昭和・戦前の死刑誤判事件
第七章 戦後の死刑誤判事件の構造
第八章 もう一つの免田事件―藤本事件
第九章 問われない誤判の責任
第十章 死刑廃止を訴える元拘置所長
終章 誤りなき裁判への道


 悲しいことに、我々人間は神とは違い全能ではないので、時にはまちがいを起こす。裁判とは本来、事件を正しく解決する場であるはずなのだが、時には間違いを引き起こす。それが誤判である。その判決が死刑なら、なおさら取り返しが付かない。死刑が執行された後に真犯人が出ても、取り返しが付かない。しかし、そんな事件が後を絶たないことが事実であることを、世間の人たちは気付いているのだろうか。今現在、死刑確定囚の1/5が、自分は無罪であると訴え、再審請求訴訟を起こしているのだ。

 筆者は、明治、大正、昭和戦前、昭和戦後の死刑誤判事件を掘り起こした。そして冤罪・誤判の構造が全く変わっていないことに驚く。捜査における人権、無実のものを決して罰さない、という刑事裁判の原則ほど守られてこなかったものはなかったという事実を、本書を読んで考えてほしいと訴えている。

 筆者が取り上げたのは、明治の死刑誤判事件6件、大正の死刑誤判事件4件、戦前の死刑誤判事件5件、戦後の死刑誤判事件6件、そして免田事件、財田川事件、松山事件、藤本事件などを取り上げ、冤罪・誤判の構造を解き明かしていく。そこにあるのは、「刑事の勘」による誤認逮捕、「マスコミなどに叩かれた警察の面子を取り戻す」ための強引な逮捕、「状況証拠と思いこみ」による逮捕、そして非人道的としか言い様のない拷問、無理矢理書かされた自白調書、調書を全く疑おうとしない検察、そして起訴。さらに全く動こうとしない国選弁護士、拘置所の壁に阻まれる面会時間、さらに検察に不利な証拠隠し、検察による自白調書を検討しようともしない裁判官、それらが重なり合い、誤った有罪判決、特に重罪事件において被告人は死刑を宣告されるのである。
 例え冤罪だと訴えても、その門はあまりにも狭い。検察、警察による証拠隠し、わざとしか思えない証拠紛失、さらに被告人の家族、親戚、近所への脅迫とも言える忠告、さらに冤罪運動に携わる人たちへの妨害(帝銀事件では森川哲郎氏が偽証罪で懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けている)……。日本という国の警察、検察、裁判所は、国民を守るところではなく、国家秩序を守るための場所なのである。
 冤罪という事実は闇の中に隠されたままになってきた。マスコミも、冤罪無実証明時こそセンセーショナルに取り上げるが、その後は黙ったままである。しかも被告人が捕らえられたときは、人非人などと書き立て、家族をも犠牲にした。そういう事実はまるっきり無視してである。警察、検察、裁判所も決して冤罪となった被告に謝ろうとはしない。一切の謝罪はないのだ。あれは仕事だった。そのひとことで全てをすまそうとしている。ときには、今更そんなことを言うなと脅す元警官すらいるとの話だ。
 筆者は、そんな闇の中に隠された事実を白日の下にさらそうと頑張っている。そのために書かれたうちの1冊がこの本である。
 まだまだ闇に葬りさられようとしている冤罪事件は数多い。名張毒ブドウ酒事件、波崎事件、袴田事件……。我々はそれらの事実に目を背けてはいけないのである。そんなことを、この本は教えてくれる。


 作者は1943年、岡山市生まれ。慶応技術大学経済学部卒。毎日新聞記者。『日本死刑白書』(三一書房)、『冤罪と誤判』(田端書店)などの著書がある。

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