森川哲郎『日本死刑史』(日本文芸社)


発行:不明



 日本の死刑紙を丹念に調べて見て、その加虐的な残酷さに、慄然とせざるを得なかった。
 それは、明らかに法的秩序を保つための刑罰という領域をこえている。その原因は、人間の本性の中に、サディズムがひそんでいるからではないだろうか?
 そして、その手段の多彩なことにもまた驚かされる。いったい、どうして人間が、このような残酷きわまりない死刑方法を編み出せるのだろうと不思議に思うほどである。
 もちろん、外国の刑罰方法の輸入の後も随所に見られる。しかし、時代が進むにつれて、権力者は、独自の創造性で、次々とより残酷な死刑方法を生み出して実行して行く。
 こうして、無数の死刑囚の血が、死刑史を残酷に染めることになる。
 日本人は、模倣性が強いといわれているが、この死刑の上では、まぎれもなく独創的である。
 ありとあらゆる方法が考案され、これでもかこれでもかと死刑囚を痛めつけて、その残酷さで恐怖させて、秩序を維持しようとしている。
 にもかかわらず、犯罪は跡を絶たず、また、日本の歴史の上からも死刑も消えてはいない。
 現在は、世界各国に死刑廃止論争がもり上がり、廃止した国もかなりの数にのぼる。日本でもその論争は活発化してきている。
 その意味でも、ここで日本死刑史の跡を克明に辿り、分析した書を出すことには意義があると考えて研究をはじめたのである。
 また、最近、ベトナムやカンボジア戦争の中で、世界を戦慄させた残酷処刑、大量虐殺が発生した。
 世界各国民が、いまこの残酷な事件と対決し、掘り下げる空気のなかにある。
 こうしたとき、日本死刑史の再検討、再認識は、決して無意味ではない。
 私自身、敗戦直後のどさくさの中で、父親を外地で死刑のために失っている。それも、かなり残酷な方法であった。それだけに死刑制度に対する関心はひときわ深い。
 しかし、この書においては、つとめて客観的に、冷静に、そして、正確に資料を分析し、把握する態度をとった。それなくしては、解決点を見出せないからである。
 もちろん、死刑制度の問題は、この一書ですべてをつくせるものではない。
 サディズム、残虐性は死刑の一断面にしか過ぎない。死刑廃止論についてもやはりその一側面にしか過ぎない。死刑問題は法律、哲学、思想、政治、心理学、精神医学等々、あらゆる側面からの取り組みが必要である。それを、今後の課題として訴えたい。
 とにかく、死刑制度を中に、殺すもの、殺されるものの歴史は凄惨であった。まだ、その歴史は続いている。
 権力闘争であるがゆえの残酷さもあった。政治と法が交錯して生み出した残忍さもあった。
 強権による庶民蔑視と弾圧の生み出した無惨な死刑もあった。また、宗教と信仰が生み出す異教徒迫害の死刑も目をおおわせる酸鼻そのものであった。
「歴史は英雄の墳墓である」という人があったが、そういう華やかな一面のみを見ず、「歴史は死刑残酷史の首塚である」という一側面も忘れてはならないと思う。
 深刻なテーマではあるが、避けていては解答をつかめない。
 正視して、その実体を見極めるべきではなかろうか?

(「まえがき」より引用)


【目 次】
   ●多彩をきわめる処刑法
I 虚飾に輝く貴族の時代(奈良時代から平安時代まで)
   ●死刑制度の起源
   ●死刑法としての大宝律令
II 興亡常なき源平時代(平安末期から鎌倉時代まで)
   ●死刑廃止時代の終わり
   ●復讐のための残酷刑
   ●独裁者の血の粛清
III 狂乱の風吹く戦国時代(室町時代から安土桃山時代まで)
   ●人命軽視の室町時代
   ●血に飢えた武田一族
   ●偉大なる殺人狂の生涯
IV 血腥い権力抗争の時代(豊臣滅亡から江戸時代初期)
   ●小説に描かれなかった秀吉の残忍性
   ●秀吉とキリシタン弾圧
   ●御用史家が書かなかった家康の真の姿
V キリシタン宗徒受難の時代(家康から家光までの徳川政権確立の時代)
   ●家康とキリシタンの関係
   ●無能な秀忠の異教徒狩り
   ●家光の編み出した、より残酷な方法
VI 専横をほしいままにした徳川時代(安定政権の人民弾圧政策)
   ●江戸時代の死刑制度
   ●見せしめの意味を持つ極刑
   ●江戸時代の有名な事件
   ●武士階級の死刑としての切腹
VII 法律の名による積極的殺人(明治から昭和二十年までの旧憲法下の時代)
   ●続発する反政府的事件
   ●裁判制度への疑問
   ●時代が生む凶悪な事件
VIII 哲学なき混迷の時代(敗戦から今日まで)
   ●絶望の果ての犯罪者
   ●死と直面する日々
   ●死刑廃止論の現状と歴史


 タイトルにもあるとおり、日本における死刑の歴史を古代から現代まで書き記した本である。死刑問題を考える上で、死刑の歴史を知ることは重要である。いつから死刑は始まったのか。古代の死刑はどのような罪でなされたのか。死刑の方法は。時代が違えば死刑の方法も違う。日本には、日本に伝わる独自の死刑方法がある。日本という国は、なぜ今も死刑という刑が続いているのか。それを、歴史上から考察してみるのも、当然のアプローチの一つである。
 著者はまえがきで「この書においては、つとめて客観的に、冷静に、そして、正確に資料を分析し、把握する態度をとった」とある。確かにできる限り客観的に書こうとしてはいるが、死刑=残酷という方程式が頭にこびりついているからか、どうしても批判的な見方になっていることは否めない。時代背景をあまり考慮せず、死刑の残虐さばかりを主に取り上げているのはどうだろうか。“偏った”とまでは言わないが、やや偏向的な部分があるのは留意する必要があるだろう。
 また、平安時代の347年間、日本刑罰史の中に死刑が登場しなかったと書かれている。確かにこれは事実である。ただ、これはあくまで日本の刑罰史上に死刑という名前が登場しなかっただけと思われる。この時代は、「血」を汚らわしきものと取られていた時代である。一部の死刑廃止論者は、この時代を「罪ある人にも愛ある時代」などと書いているが、本当にそうだったのだろうか。表面的な刑罰ばかりに気を取られて、この頃の政治、そして庶民の暮らしはどうだったか、などもアプローチせず、ただ死刑がなかった、と喜んでいるのもどうかと思う。
 上記のような気になる点もあるものの、日本における死刑の歴史を読みやすく書き記した本、という点では優れた本である。日本における死刑の歴史を、これだけコンパクトにまとめた本はほかにはない。
 明治以降では、今でも興味深い事件なども書き記されている。
 例えば、明治5年12月、死刑を執行された人物が生き返ったケースである。この人物は本籍が復活し、平常人の生活に戻ったという。
 大正4年の「お春殺し事件」は、犯人が起訴された後に、別の事件で捕まっていた人物が犯行を告白。犯人とされた人物は釈放された。また犯行を告白した人物は、一審で「お春事件」では証拠不十分で無罪となったが、別の殺人事件で無期懲役となった。ところが自分は「お春事件」の犯人であると訴え、二審で有罪となり死刑となった。
 昭和においても、有名事件が色々紹介されている。戦後においては、様々な死刑囚の名前が挙げられている。

 森川哲郎は1923年生まれ。新聞記者、雑誌記者を経て、作家となる。小説、ノンフィクション、評論、脚本など範囲は幅広い。1962年7月、「平沢貞通氏を救う会」を結成。1982年12月に病死、享年58。
 長男の武彦は後に平沢貞通の養子となる。

 日本文芸社の出版物は、初版の日付を書き記してくれないので困る。多分昭和40年代後半に書かれたものと思われる。

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