極悪非道の強姦殺人魔を無罪とし、悲惨な再犯を招いた支離滅裂の判決。鑑定の虚偽を見抜けぬ思考停止した裁判官。元役員の正義の内部告発を罰した裁判官。陰惨な集団リンチによる殺人事件の、事件自体の存在をも否定した裁判官……。各個の事情を顧みぬ判例主義、相場主義、無罪病、欠落した市民感覚、正義感の欠落、傲岸不遜。綿密な取材で、司法を切る渾身の後発ノンフィクション。(粗筋紹介より引用)
【目 次】
まえがき
第一章 小野悦男を解き放った無罪病裁判長の責任
第二章 「痴漢はあったのか、なかったのか」――同じ証拠で逆の結論
第三章 犯人が消えてなくなった仰天判決
第四章 裁判上の真実は「本当の真実」とは無関係
第五章 医師も絶句する「医療裁判」の呆れた実態
第六章 元検事も激怒した金融裁判のデタラメ
第七章 無期懲役の殺人犯がなぜまた無期懲役なのか
第八章 遺族を怒鳴り上げる傲慢裁判長
第九章 法廷で不正を奨励するエリート裁判官
第十章 少年法の守護神となったコンピュータ裁判官
第十一章 光市母子殺人被害者「本村洋氏」の闘い
第十二章 障害者をリンチで殺した少年は「感受性豊か」
第十三章 “言論取締官”と化した非常識裁判官たち
第十四章 「言論の自由」を政治家に売り渡した最高裁
第十五章 裁判官教育の失敗と教訓
あとがき・文庫版あとがき
筆者は前書きで述べている。日本の裁判所は単なる「法廷ゲーム」の場に成り果ててしまった、と。裁判官は単なる法廷ゲームの審判員でしかない、と。確かにそうだろう。裁判の結果を見ると、一般の人から見たら不思議であふれる判決であふれている。もちろん、単なる国民感情で有罪無罪を決めてはいけないし、量刑を決めてもいけないだろう。とはいえ、強盗殺人で一人しか殺していなければ、ハイ、無期懲役、という単純な理論で量刑を決め、残りは適当な言葉で理由を後付していく姿を見ると、裁判官は過去から続くルートを逸脱しないように過ごしていることがよくわかる。
今回は、初めて知ったのは「正義の女神像」の話である。最高裁判所に「正義の女神像」が置いてあることは有名だ。右手に剣を、左手に天秤を持つ正義と法の女神「ユスティティア」は、法の精神を現した神として、司法、特に裁判官の世界で崇められている。この女神像、通常は目隠しをしている。裁判官は予断や偏見をいっさい排し、心眼で判断しなければならないという尊い意味を指している。しかし、最高裁判所に置かれている女神像には、目隠しがないのだ。これは日本だけである。私はこのことを全く知らなかった。勉強不足を恥じたい。しかし筆者が言うように、日本の裁判官を皮肉っているという指摘はよく当たっているだろう。もちろん、裁判官たちはそんなこととはかけらも想っていないだろうが。
この本には、十五の事例を挙げ、裁判官と現実社会とのずれを指摘している。それを読んで、読者はどう思うだろう。裁判所が弱者の味方、真実の味方でないことは、過去の再審などが示している。裁判所は、権力と力のあるものしか信じない。そのことをよく認識する必要がある。
それにしても本書は、裁判長の名前が実名で記されている。ここで記された裁判長が、そして司法が本書を読んでどう思っているか聞いてみたい。本書の取材にあるように、個々の裁判については絶対答えないだろうけれど。
本書は筆者の視点で書かれた点が多い。例えば、誰が見ても有罪と思える事件で無罪を勝ち取った弁護士などの意見も多く聞いてみてほしかった。これはあくまで一方の視点のみの物であると言われないように。またマスコミ側に偏りすぎている部分も、ちょっとだけ気になった。
筆者は1958年、高知県生まれ。中央大学卒。雑誌メディアを中心に、政治、経済、司法、事件、歴史、スポーツなどの幅広いジャンルで活躍している。
本書は2013年6月、新潮社より刊行された単行本の文庫化である。
以下は、各章の裁判の概要を示す。
第一章
1974年7月に起きた松戸OL殺人事件で起訴され、1991年4月23日の東京高裁の控訴審で逆転無罪判決を言い渡された小野悦男被告。小野は1996年1月5日に「足立区首なし殺人事件」をひき起こし、求刑通り無期懲役判決が確定する。本章では弁護人を務めた野崎研二の言葉も載せられており、東京高裁の堅山判断には首を傾げている。
第二章
2000年2月23日、アルバイトの男性(当時27)は休みだったので秋葉原を目指して通勤快速に載っていた時、女子高生に右袖を掴まれ痴漢だと叫ばれる。男性は無罪を主張、23日間の拘留の後起訴され、釈放された。しかし東京簡裁の裁判で、女子高生は痴漢された状況すらまともに答えられなかった。女子高生は過去に痴漢を五回捕まえたことがあり、相手から示談金として一人当たり20〜70万円をもらっていたことが判明。2001年5月21日、東京簡裁は無罪を言い渡し、そのまま確定した。しかし男性が女子高生と両親を相手取って起こした損害賠償請求では、女子高生に訊問すらしないまま女子高生の言い分を全面的に認め、請求を退けた。
第三章
1993年1月13日に起きた山形マット死事件。被害者の男子中学生(当時13)が体育館の用具室で円筒形に巻いて立てられていたマットの中心部に逆さで突っ込まれ、7人の少年が逮捕・補導された。7人は犯行を認めるも、弁護士が付いた瞬間6人が犯行を否認。山形家裁の少年審判で、3人が観護措置、1人が児童福祉司の指導、3人が不処分(無罪)となった。しかし仙台高裁では7人が全員関与したとして有罪判決を受け、最高裁で上告が棄却され、確定した。しかし中学生の両親が少年と新庄市を相手取って起こした損害賠償訴訟で、2002年3月19日、山形地裁は事件性すらないとして原告の請求を退けた。ただし2004年5月28日、仙台高裁は一審判決を棄却し、少年7人の関与を認め、約5,760万円の請求を認めた。2005年9月6日、最高裁第三小法廷は元少年たちの上告を棄却し、高裁判決が確定した。しかし支払いに応じた元少年はいない。
第四章
2002年3月12日、よど号メンバーの妻の旅券法等違反容疑の第三回公判で、元スナック店主の女性(当時46)は、自らが一人の女性を北朝鮮に拉致したこと、指示を出したのはリーダーの田宮高麿幹部であると証言した。彼女は1988年6月4日に朝日新聞で北朝鮮工作員と接触したとして逮捕されたと載せられて以来、多くのメディアが北朝鮮の工作員と書きたてられていた。そして、スパイではないとメディアを相手取って慰謝料と謝罪広告を求める訴訟を計14件起こし、女性解放運動家や市民団体による支援組織が結成され、勝訴した。しかし実態は、よど号メンバーSの妻だった。
第五章
医療裁判について、大病院の味方をしてまともな審理をせず、請求を退けた2件。
第六章
元検事夫婦が大手都市銀行の営業担当者に騙され、当時流行っていた武蔵野方式と呼ばれる融資制度に似た融資制度を紹介され契約するも、当初の話と異なってお金が毎月引き落とされ、最終的に財産を失う。銀行を相手に訴訟するも、退けられた。
第七章
無期懲役からの仮釈放中だったYは1999年1月9日、スナックに勤務する女性(当時21)を殺害し、バラバラに切断して捨てた。出所から1年後の再犯であり、仮出所中であったにもかかわらず、2001年6月28日、さいたま地裁は無期懲役判決を言い渡した。しかし2002年9月30日、東京高裁は一審判決を破棄し、死刑判決を言い渡した。上告を取り下げ、確定。
第八章
1996年2月14日に名古屋市で起きた写真店夫婦殺人事件の控訴審、2002年2月14日、夫婦の長女は今まで遺影を持ち、被告人の真後ろに座っていたが、裁判長は入廷後、廷吏を通して席を移動するよう指示。長女が反論すると、裁判長は直接長女を怒鳴りつけた。
父親は住宅販売会社から騙され、中古住宅を購入しローンを組まれた。何も知らず父親は半身不随となって寝たきりとなった後、住宅販売会社が銀行への返済不能に陥り、債権が回収会社に売られた。会社は、返済を求めて父親を訴えた。裁判となり、自宅に裁判官と銀行側の弁護士が来るも、父親はあーとかうーとかしか答えられず、裁判官すら尋問にならないと途中で打ち切ったにもかかわらず、判決では敗訴となり、ローン全額支払えということとなった。控訴審での和解交渉の席上で、長女は家を追い出されると生活すらできないと訴えたにもかかわらず、裁判長は銀行だって可哀想でしょうと取り合わない。長女が「うちの両親は自殺するしかないんじゃないですか」ですかと訴えると「まあ、そうですねえ」「仕方ありません、ご勝手に。私たちは関係ありません」と言い放った。
第九章
1992年、『財界展望』『週刊新潮』は、千代田生命がバブル企業への乱脈融資を繰り返して焦げ付き、不良債権となって重大な事態に陥っているというスクープ記事を発表する。千代田生命は名誉棄損であると『週刊新潮』を訴えて損害賠償を請求したが、1995年1月27日、記事には信憑性、公益性があったとして千代田生命側の敗訴に終わった。千代田生命は探偵社まで使って記事の情報源を探し出し、元常務取締役を炙り出し、損害賠償を請求。1999年2月25日、東京地裁は会社の請求通り、約2億5500万円の賠償を元常務に命じた。裁判長は、いかなる不正であろうと、優先すべきは会社の業務執行であり、秘密は墓場まで持って行け、という判決を言い下したのだ。
しかし千代田生命は1年8か月後、乱脈融資によって破綻に追い込まれ、後に経営陣は責任を問われ71億円の賠償金を科せられた。
第十章
1998年1月、堺市でシンナーを吸引し文化包丁を持ち出した19歳の少年が通学中の女子高校生や幼稚園児(当時5)、母親を次々に刺し、幼稚園児を死亡させた。高山文彦は月刊誌『新潮45』にて、現行少年法が著しく現実と乖離していると、少年を実名報道した。少年側は損害賠償を求め、1999年6月5日、精神的慰謝料200万円と弁護士費用50万円の支払いを『新潮45』編集長と高山に命じた。
しかし2000年2月29日、大阪高裁は、少年法六十一条は損害賠償請求の根拠とすることはできず、表現行為が社会の正当な関心事であり、その表現内容・方法が不当なものでない場合は、その表現行為は違法性を欠き、違法なプライバシー見当の侵害とはならないとして、一審判決を破棄し、少年側の請求を退けた。
1994年、岐阜・愛知・大阪で起きた複数少年による連続リンチ殺人事件で、1997年、『週刊文春』は被害者の父親にインタビューし、加害者を仮名で報道した。しかし主犯の少年は名誉を棄損され、プライバシーを侵害されたと文藝春秋社に損害賠償請求を起こし、1999年6月30日、名古屋地裁は少年の訴えを認め、30万円の賠償を命じた。名古屋高裁も一審判決を支持したが、2003年3月14日、最高裁第二小法廷は「記事により不特定多数の人が本人であるとは推認できない」として名古屋高裁に差し戻した。2004年5月12日、名古屋高裁は一審判決を取り消し、元少年の請求を棄却した。11月2日、最高裁は上告を棄却し、判決が確定した。
第十一章
光市母子殺人事件について。
第十二章
2001年3月31日、二級障害手帳を持ち、左半身が不自由な少年(当時16)が全日制の高校に合格したことを生意気に思った17歳と15歳の少年2人は、合格祝いをすると言って少年を呼び出し、取り巻きの15歳の少年3人を周囲に起き、1時間半にわたって暴行し殺害した。しかし大津家裁は、少年たちは内省力があり感受性豊かであるとし、中等少年院に送致した。
2001年7月14日、秋田市内でアルバイト店員の少年(当時18)を日頃から足がわりに使っていた17歳と16歳の少年は、少年が買った自動車に載せることを断られたため、1時間にわたって暴行。最後には殴られるか、川に飛び込むかを選ばせ、泳げないことを知っていながら川に飛び込ませて溺死させた。8月29日、秋田家裁は中等少年院送致を決定した。検察側は検事の立会いを求め、刑事裁判が相当という意見を付していたにもかかわらず、立会いを認めなかった。
第十三章
櫻井よし子は『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』を発表するも、帝京大学元副学長、安部英は名誉棄損であると1996年、1000万円の慰謝料を求め訴えた。一審では安倍の訴えを退けるも、2003年2月26日、東京高裁は一審判決を破棄し、櫻井側に400万円の支払いを命じた。ただし2005年6月16日、最高裁第一小法廷は二審判決を破棄し、安倍側の請求を棄却した。
第十四章
裁判員制度導入について、最高裁は裁判官中心意地を計ろうと、自民党に頻繁に接触した内容。
第十五章
裁判官教育について。
<リストに戻る>