坂本敏夫『死刑と無期懲役』(ちくま新書)

発行:1995.10.25



 本当の処罰とは。人を裁くとは、どういうことか。身の毛もよだつ共謀・凶悪犯たちは、拘置所や刑務所の中で、どのように生き、あるいは死を待っているか。そして厳罰化の風潮の中、深刻さを増す刑務官不足。囚人から事件の反省を引き出し、規律と遵法の精神を身につけさせようと励む刑務官が執行のレバーを引くという悲しさ。刑務所・拘置所で、受刑者の処遇と死刑執行に携わった元刑務官がみた真実。(粗筋紹介より引用)

【目次】
 序章 拘置所と刑務所
 第一部 死刑
  第一章 死刑はこうして執行される
  第二章 死刑囚の生活
  第三章 死刑執行というメッセージ
 第二部 無期懲役と終身刑
  第四章 無期懲役囚を取り巻く状況
  第五章 無期懲役囚の処遇
  第六章 終身刑導入の問題
 第三部 冤罪
  第七章 冤罪で服役する受刑者
  第八章 地獄に落とされた冤罪死刑囚の苦悩
  第九章 冤罪はなぜ起こるか
  第一〇章 冤罪をなくす努力
 第四部 人間は変われる
  第一一章 死刑台からのメッセージ
  第一二章 矯正教育


 私は事件の後始末の一端を担う刑務官として受刑者の処遇と死刑の執行に関わった。その経験を生かして犯罪の防止に役立てることができないか!?
 そんな思いに共感し、アドバイスしてくれたのが私の従姉妹の夫である法医学者、恒成茂行熊本大学名誉教授だった。
(略)
「坂本さん、あなたが経験し見聞きしたことを包み隠さず伝えればいい。真実こそが、こういう世の中にした政治や教育、あるいは権力構造の反省につながる……」
 2009年5月、裁判員制度が始まった日のことである。
 報道されない塀の中の真実と様々なメッセージを紙数の許す限りお伝えしたい。

(序章より一部引用)



 著書から読み取れる著者のメッセージはこんなところだろうか。
 ただ、無期懲役囚の処遇を話している途中でいきなり足利事件の元被告の無期懲役時代の話が出てくるという脈絡の無さがあちらこちらでみられ、話がすぐに脱線してしまう。経験談を語ってくれるのはよいのだが、著者の主張との関わりが薄い過去まで張氏に乗って書いているため、作者の主張が見えにくくなり、説得力が欠ける結果になっているのは残念だ。「死刑と無期懲役」という主題であるのならば、冤罪の話はほぼ不要だろう。死刑廃止を訴えるというのならまだしも。よりによって免田事件や帝銀事件、袴田事件など、今まで至るところで語られていた事件を引っ張り出す必要などなかっただろう。
 作者の主張で首をかしげるところもある。特に一番疑問なのは、「死刑執行は、犯罪抑止のメッセージに見えるが、凶悪犯罪への抑止力があるかと問われれば、死刑囚が激増している現状からは否定的にならざるを得ない」という部分だろう。過去の死刑囚、無期懲役囚が手に掛けた人数や量刑事情を考慮せずに、死刑囚の人数だけで語ってしまうのは誤りである。しかも本来なら、殺人事件の件数を第一に挙げるべきだろう。このような基本的なデータを無視した主張をされると、著者の能力を疑いたくなってくる。
 また、「何回も再審請求をしている死刑囚の再審は全部認めてやってほしい」とは恐ろしい主張である。ただ執行を逃れるために再審を続けているような死刑囚まで再審を認めろとでもいうつもりだろうか。一度再審を認めたら二度とできないという風にするのならまだしも。もっともこれを認めると、再審の段階で引き延ばし作戦を続けるだろうから、認めるべきじゃないだろうが。そもそも簡単に認めたら、三審制の意味がなくなるじゃないか。もちろん、袴田事件のようなケースは再審を認めるべきと思っているが。
 それと元刑務官という過去のせいかもしれないが、犯罪者側からの視点でしか物を語っていない。量刑を語るというのなら、被害者側からの視点も考慮に入れる必要があると考える。

 言い方は悪いけれど、酔っ払った元刑務官が、過去を暴露しつつ根拠のない主張を壊れたレコードのように繰り返しているとしか思えなかった。経験談を語るのもよいけれど、実際に写真を見せるのとは違い、名前も出さず(出したらプライバシーの軒で問題だろうが)にぺらぺら薄く語られても、うそか本当かどうかもわからないし、心に響かないというのが正直なところ。この著者に必要なのは、内容の吟味と整理だろう。

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