里見繁『冤罪をつくる検察、それを支える裁判所』(インパクト出版会)


発行:2010.12.15




【目 次】
冤罪と客観報道
一四七人の自白調書――大阪高槻市・選挙違反事件
出所した男――浜松幼児せっかん死事件
偽証――福井・女子中学生殺人事件
消えたアリバイ――滋賀・日野町事件
死刑囚の手紙――静岡・袴田事件
彼女は嘘をついたのか――京浜急行・痴漢冤罪事件
DNA鑑定の呪縛――足利事件と飯塚事件
証拠を隠し続ける検察、冤罪を見抜けない裁判所――茨城・布川事件
終わりに そして冤罪はなくならない
【資料1】冤罪を見抜けなかった裁判官たち
【資料2】日本の冤罪
参考文献
あとがき


 著者の里見繁は1951年生まれ。東京都立大学法学部卒業。民間放送のテレビ報道記者を経て、30歳からテレビドキュメンタリー一筋。2010年から関西大学社会学部教授。主な作品:映像90「ガンを生きる」(95年民間放送連盟賞教養番組部門・最優秀賞)、映像01「出所した男」(02年芸術祭テレビドキュメンタリー部門・優秀賞、民間放送連盟賞報道番組部門・最優秀賞)、他に、日本ジャーナリスト会議賞、地方の時代賞、ギャラクシー賞など。(著書より引用)

 本書は、「偽証――福井・女子中学生殺人事件」を除いて季刊雑誌『冤罪ファイル』(希の樹出版)で連載したものに手を入れたもの。どの事件も現地で取材し、テレビのドキュメンタリー番組として放送したものを原稿のベースにしている。取材にあたっては当事者(多くは再審の請求人)や事件に関係する人々から、直接話を聞くことに重点を置き、次に弁護士に会って話を聞いている。検察官と裁判官は取材を拒否されたとのこと(まあ、そうだろうな)。起訴状や裁判所への提出記録、判決文、決定文を引用している。
 あとがきで著者が怒っているが、「これだけ多くの冤罪を生み出しながら、裁判官、検察官の誰一人として、外に向かって反省の弁を語る人もいなければ、斬鬼の言葉を発する人もいない。あるいは「それは違う」と強弁する人も「それはですね」と弁解する人もいない」。確かにそうだ。冤罪事件はここで語られているもののほかにも多くあるが、当事者で謝罪する人を見たことはほとんどない(せいぜい、袴田事件の裁判官ぐらいだろうか)。たしかに「どこ吹く風」なのだろう。検察官が起訴する人物は100%有罪でなければならないし、裁判官は100%正しくなければならない。そういう呪縛を呪縛と思っていないのだろうな。
 それにしても、本件を読むと、検察官があまりにも強引で、裁判官が都合の良い部分しか見ていないことがわかる。一番ひどいのは、日野町事件の大津地裁だろう。日野町事件の一審では、検察側が結審直前で予備的訴因の追加を行い、犯行時刻の幅を28日の午後8時40分ころから、28日の午後8時過ぎから29日午前8時30分まで幅を広げた。アリバイが成立しそうだから、無理矢理時間を延ばしたわけだ。さらに犯行現場も店の中から店内及び日野町内と限りなく広げた。さらにその後に追加し、「若しくはその周辺地域」を付け加えた。これではどこで殺したのかわからないといっていると同じだ。被害金額も不詳に変えた。ようするにいつ殺したのか、どこで殺したのか、何が奪われたのかわからないけれど、犯人はSだと検察側は言っている。無茶苦茶な話だ。しかもこれは大津地裁の坪井裕子裁判官が、今のままでは有罪判決を出せないから公訴事実をぼかしてほしいと担当の西浦久子検事に声をかけた結果だったのだ。何ともいい加減な話である。ちなみにこの日野町事件、第二次再審請求審の2018年7月に大津地裁で再審開始が決定されて、検察側が即時抗告し、大阪高裁で審理が続いている(2022年1月現在)。ところが大阪高裁は最初、第一次再審請求審の大津地裁で請求を退けた長井秀典判事を裁判長に任命、弁護団からの抗議で変更されている。こちらの審理も相当長くかかりそうだ。

 読めば読むほど、検察官は検挙率、有罪率、そして面子というものが大事なんだなとわかるし、裁判官は検察官の言うがままで思考能力が停止していることがわかる。ということで、冤罪に巻き込まれないためには、まずは自白しないこと。そしてすぐに当番弁護士を呼ぶこと。いつ我が身に降りかかるかわからない(特に痴漢冤罪)。


 簡単な事件概要は以下。

【大阪高槻市・選挙違反事件】
 1986年夏に行われた衆参ダブル選挙。参議院大阪府選挙区の京極俊明氏(自民党 落選)の選挙応援で、(1)高槻市議会議員平野一郎氏が京極氏の票のとりまとめに後援会の役員を自宅に招き、出席した27人に現金30,000円と菓子を渡した(2)同目的のために4月に三回に分けて合計143人の後援会の人々を高槻森林観光センターで接待し、京極に挨拶をさせた、として取り調べを受け、合計147人は「自白調書」を取られた。1986年8月、平野以下28人が公職選挙法違反の罪で起訴、119人が略式起訴され、こちらは罰金1~7万円の略式命令が出た。このうち、11人は波風を立てたくない、裁判で無罪が出るわけがないなどの理由で略式命令に従ったが、136人は正式裁判を要求して大阪地裁で裁判が争われた。京極氏は起訴されていない。また宴会に出席していた当時の高槻市長も起訴されていない。
 裁判では、平野氏が役員を呼んだという役員会の日にちを検察側がころころ変え、結局後の行動と矛盾する羽目になった。さらに京極に挨拶をさせたという宴会には京極が出席したという証拠が全くなく、さらに京極自身の手帳に記された行動表でも出席が不可能なことが確認された。
 中心になって捜査した大阪府警の井上警部は、裁判途中の1987年に退官した。主任検事の矢田次男も1987年に検事を辞めて、弁護士になった。判決後、矢田は「私は今も有罪を確信している」と取材に答えている。1991年3月、大阪地裁は自白調書を否定し、全員に無罪を言い渡した。検察側は控訴せず、判決は確定した。ただし、裁判中に被告人のうち8人が亡くなり、5人が病床で出頭できなかった。
 ちなみに本件との関連は不明だが、のちに出版された元特捜検事の田中森一が執筆した『反転』(幻冬舎,2007)では、地検では被疑者一人起訴して公判請求すれば5万円、略式起訴では3万円、起訴猶予で1蔓延の特別報奨金が検察庁から地検に配られるとのこと。その大半が、地検の幹部の小遣いに化けてしまう。扱う事件の数が多いほど、特別報奨金が分捕れるので、地検の幹部は逮捕者の多い選挙違反を好んであげるという。

【浜松幼児せっかん死事件】
 1991年8月23日朝、浜松市内の女性(当時32)から、次男(当時5)が布団の中でうつ伏せで死んでいると119番通報があった。駆け付けた救急隊員はすぐに警察に連絡を入れ、現場を見た所轄の刑事課員は県警本部に出勤を要請した。司法解剖で、次男は溺死と鑑定された。女性は離婚しており、自宅には他に長男(当時8)がいたが、前日から女性宅には交際中の男性(当時32)が泊っていた。女性は男性が殺害したと自供。男性は否認したが、警察は24日、男性を殺人容疑で逮捕した。8日後の9月1日、男性は殺害を自白したが、その後は否認と自白を繰り返した。1995年3月28日、静岡地裁浜松支部で求刑通り一審懲役10年の有罪判決。1996年2月8日までに、東京高裁で懲役7年に減刑。女性に関与の度合いを一審より強く認めている。1998年4月10日、最高裁で上告が棄却されて確定。なお、二審の審理中、女性と浜松東署の刑事が交際していることが明らかになっている。男性は2000年5月12日、刑期満了で出所。
 2005年5月12日、東京高裁へ再審請求。2008年1月21日、東京高裁は再審請求を棄却する決定をした。高橋裁判長は、弁護側が新証拠とした死亡推定時刻に関する鑑定について、「使用した測定値の正確性に疑問がある」と信用性を退けた。2011年1月25日、東京高裁は弁護側の異議申立を棄却。2013年1月7日付で最高裁第三小法廷は、特別抗告を棄却した。
 2015年3月23日、男性は東京高裁に第二次再審請求を申し立てた。次男の死亡推定時刻に関する専門家の意見書を「新証拠」として提出した。2017年3月2日、東京高裁は請求を棄却した。弁護側は異議申し立てを行った。

【福井・女子中学生殺人事件】
 1986年3月19日夜、福井市の市営団地で中学三年生の女子生徒(15)が顔や首を包丁で刺され、殺害された。福井県警は1987年3月「血の付いた服を着た姿を目撃した」との知人証言などから、殺人容疑で同市に住む無職男性(21)を逮捕。男性は一貫して関与を否定したが、福井地検は7月に起訴した。
 1990年9月26日、福井地裁は「証言は信用できない」として求刑懲役13年に対し、無罪判決を言い渡した。1995年2月9日、名古屋高裁金沢支部は証言の信用性を認めた上で、シンナー乱用による心神耗弱の状態にあったとして、懲役7年の逆転有罪判決。1997年11月12日、最高裁が上告を棄却し確定した。
 2003年3月に満期出所した男性は、2004年7月15日、名古屋高裁金沢支部に再審を請求した。2011年11月30日、名古屋高裁金沢支部は、男性の再審請求を認め、再審を開始する決定をした。裁判長は「弁護側が提出した鑑定結果は、有罪の根拠になった関係者の供述の信用性に疑問を生じさせる」と述べた。2013年3月6日、名古屋高裁は検察側が申し立てた異議を認め、再審開始決定を取り消す決定をした。2014年12月10日、最高裁は弁護側の特別抗告を退け、再審請求棄却が確定した。

【日野町事件】
 1984年12月28日、滋賀県蒲生郡日野町の酒屋で店主の女性(69)が行方不明となり、翌年1月18日、同町内の宅地造成地で絞殺死体となって発見された。4月28日には、同町内の山中から、女性の手提げ金庫が発見されたため、強盗殺人事件となって捜査が行われた。
 事件から3年後の1988年3月9日、近所に住み、酒屋の立ち飲み常連客だったS(53)が日野警察署で事情聴取を受け、11日に自白。現金5万円を奪った強盗殺人で逮捕された。  裁判でSは無実を主張。事件当日には知人宅で飲んでいたというアリバイを主張するとともに、警察の取り調べで暴力を受けたこと、さらに逮捕された翌月に予定されていた次女の結婚式をガタガタにするなどとの脅迫を受けたと主張した。
 直接の物的証拠がないこと、Sも含めて働いていて貯金もあったことから金銭的な動機が見当たらないこと、自白内容と現場の状況が一致しないことなどが挙げられたが、大津地裁は犯行場所を特定せず、矛盾点は事件から逮捕まで3年経過した事による記憶違いであり、酒代欲しさの犯行と認定し、1995年6月30日、求刑通り無期懲役判決を言い渡した。1995年6月30日、大阪高裁は被告側控訴を棄却。2000年9月27日、最高裁が被告側上告を棄却し、刑が確定した。
 Sは広島刑務所で服役。2001年11月14日、日弁連の支援を受けたSは大津地裁へ再審請求。大津地裁が選定した鑑定人が自白調書による殺害方法と過去の鑑定結果が整合しないとの考えを示し、唯一の物証で物色行為を裏付ける手鏡の指紋鑑定結果の誤りを当時の指紋鑑定官が認めるなどがあったが、2006年3月27日、大津地裁は自白が客観的な証拠と矛盾していることを認めつつも、Sの記憶違いであるとして、再審請求を棄却。Sは即時抗告。2010年12月、Sは肺炎とみられる症状が出たため、広島地検が刑の執行を停止し、広島市内の一般の病変へ入院。2011年1月に意識不明となり、3月18日、肺炎で死亡した。75歳没。死亡に伴い、30日に訴訟手続の終了決定が出された。
 2012年3月30日、遺族が大津地裁へ第二次再審請求。弁護側は、請求により開示された中に、検察側が証拠としていた写真などに矛盾があると主張している。2018年7月11日、大津地裁は再審請求を認める決定を出した。検察側、即時抗告中。

【袴田事件】
 省略

【京浜急行・痴漢冤罪事件】
 2000年5月30日朝、男性(32)は出勤で京浜急行に乗っていたが、品川駅で見知らぬ女子高生に痴漢だと訴えられた。女子高生は今まで同じ男性から五、六回痴漢されたが、今回はパンティの中に指を入れられ、さらに膣の中に指を挿入されたと語った。男性は否認し続けたが、強制わいせつ罪で起訴。男性は11月2日に自宅に戻ることができた。保釈金は500万円だった。2001年2月、東京地裁は男性に懲役1年6月の実刑判決。控訴、上告も棄却されて確定。男性は2004年3月、満期出所した。
 男性は2006年12月、文藝春秋より『彼女は嘘をついている』を出版した。男性は2015年2月5日、東京地裁へ再審請求した。

【足利事件と飯塚事件】
 省略

【布川事件】
 省略


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