看守の目を盗んで、足もとに落ちている針金を拾う。風呂上がりの、やわらかくなった掌を房の鍵穴に押しつけて型を取る。それにあわせて針金を「鍵」に仕上げる。夜毎、看守の足音に耳を澄ませて、巡回の足どりのパターンを読み取り、決行すべき時間帯を割り出す……。
本文冒頭に出てくる白鳥由栄の脱獄準備の一端。ここにほうふつとするのは、脱獄を決意した人間の、目的へ向けた人間的諸力の総動員ぶりであり、環境の微細なデテールに向けられた諸感覚の並外れた集中度である。(朝倉喬司 解説より)
【目次】
プロローグ
第一章 限界に挑む根性とテクニック
第二章 脱獄者人生の栄光と悲惨
第三章 やむにやまれぬ男の意気地
第四章 高い塀を自在に出入りする異能者たち
第五章 表門から出ていった“脱獄者”たち
第六章 監視する者、される者のねじれ相関
第七章 暴力中央突破の猛者たち
第八章 講談と現実のはざまに立って
第九章 一点ぴかりと光るこんな手段
第十章 東と西――ここが、これだけ違う
エピローグ
明治、大正、昭和、平成の脱獄にまつわるエピソードを集めた一冊。おなじみ、白鳥由栄や西川寅吉、稲妻強盗などの有名な脱獄囚から、超法規的措置により表門から出ていった“脱獄者”まで、様々な脱獄囚、脱獄手段が載っている。
よくぞまあ、これだけのエピソードを集めたものだと感心するし、日本でも意外と脱獄が多いことを知ってしまった。特に平成の時代でも、脱獄に成功した人がいるというのにはびっくりした(イラン人の集団脱走は知っていたが)。
人はなぜ脱獄をするのか。目的のある逃亡もあるが、ただ刑務所から脱走したいというだけの理由で脱獄するものが多いという事実にも驚く。わずかの年数を勤め上げれば晴れて自由の身になるのに、脱獄をしてかえって懲役年数がのびたり、場合によっては看守を殺害して死刑・無期懲役になるケースもある。それこそが刑務所心理なのかもしれないが、実は自由になりたいという人としての本能なのかもしれない。もっとも、シャバに出ても、管理社会であることは変わらないのだが。
脱獄という行為は、管理社会からの逃亡と変わらない出来事なのかもしれない。人は自由を求めるが、結局は自由に生きることなどできないのである。
本書は、1995年に青弓社から出版された作品の文庫化である。作者は読売新聞社を経て文筆業として活躍。『おなら考』『大冤罪――死刑後、犯人出づ』などの著書がある。
<リストに戻る>