大阪で俳誌「大樹」を主幹し、生活俳句を唱えていた北山河は1949年2月26日にはじめて大阪拘置所を訪れ、12人の死刑囚に出会った。終日死を見つめ、悪夢のような自分の犯行を思い、いつ殺されるか怯え、神にも仏にもキリストにもぶつけようのない苦しみにもだえる死刑囚。北山河は、彼ら死刑囚の全てを、17文字のぎりぎりの表現の中にたたき込むことに燃焼させることに、自己の生涯をかけた。
大阪拘置所において長年俳句の指導に携わってきた北山河による、確定死刑囚の俳句集。と同時に執行前における様々な確定死刑囚の日記、声。さらに山河による日記、そして死刑という制度に対する矛盾、苦悩が書かれている。
俳句が中心になっているのだが、残念ながらその善し悪しはわからない。しかし、閉じられた空間の中、そして限られた生命の中で俳句に燃やす情熱というものは伝わってくる。そして折角人間らしい心を取り戻したのに、処刑しなければならない苦悩。わからないでもない。
だからといって、私は死刑を廃止すべきとは考えない。ただ、死刑囚だって人間だとは思うことが出来る。少なくとも昔は、死刑囚も人間であると考え、少しでも人間らしい心を取り戻し、被害者の供養を考えるようになるまで接しようという心遣いがあったと思う。今では死刑囚を全てから隔離することだけを考え、人間らしい扱いは一切しない。そんなことでは死刑囚も被害者も浮かばれないのではないだろうか。
北山河は1893年に京都府で生まれた。19歳で大阪へ出て関西英学塾に学び、24歳で俳人芦田秋窓と知り合ったのが円で俳句に熱中。秋窓主宰の雑誌「大樹」主幹し、1958年12月、65歳で急逝するまで守り抜いてきた。戦後は司法保護司になり、戦災孤児を引き取ったり、刑務所を出所した人の構成に携わっていた。1949年から月二回、死刑囚の句会を開き、10年間、神経痛に悩みながら一度も欠席しなかった。この句会は娘である北さとりに引き継がれ、死刑囚の処遇が変化するようになるまで続けられた。
改訂版として、北さとり『処刑前夜〜死刑囚のうたえる〜』(大樹社)が出版されている。
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