篠田博之『ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)


発行:2008.8.10



……「罪を償う」とはどういうことなのか。彼らをどう処遇することが本当の問題解決につながるのか。これだけ動機不明と言われる事件が頻発する現実を見るにつけ、死刑だけが最も重い処罰なのだ問い思い込みで現実に対処するのはほとんど思考停止と言うべきではないのか。(表紙より引用)

 子どもを襲い、残酷に殺害。そして死刑が執行された宮崎勤と宅間守。また、確定囚として拘置されている小林薫。彼らは取り調べでも裁判でも謝罪をいっさい口にせず、あるいはむしろ積極的に死刑になることを希望した。では、彼らにとって死とは何なのか。その凶行は、特殊な人間による特殊な犯罪だったのか。極刑をもって犯罪者を裁くとは、一体どういうことなのか。彼らと長期間交流し「肉声」を世に発信してきたジャーナリストが、残忍で、強烈な事件のインパクトゆえに見過ごされてきた、彼らに共通する「闇と真実」に迫る。(折り返しより引用)


【目次】
序 章 死刑に犯罪抑止力はあるか
第一章 すべては夢の中
第二章 孤独感と殺意
第三章 底なしの憎悪、むき出しの悪意
第四章 死刑への向き合い方
終 章 凶悪犯罪に社会はどう対処すべきか


 月刊『創』の編集長である篠田博之が、宮崎勤、小林薫、宅間守の三死刑囚との交流を書いた本。まあ、死刑囚側にだって言いたいことはあるだろうし、死刑囚の本音からなぜ事件を起こしたのか、という点が見えてくることはあるだろう。とはいえ、読んでいても苛立ってくること、間違いなし。「盗人にも三分の理」というが、三死刑囚にはどこにも「理」はない。犯罪心理学でも勉強している人だったら役に立つかもしれないが、私はそんな勉強家ではない。裁判でも出てこないような「真実」があるならまだ読んでみてもよいが、どこにもそんなものはない。こういう本が出ることは必要だが、普通の人は読まない方がいい。
 読んでいて腹が立ってくるのは、こういう人物に死刑は犯罪抑止力にならない、という論調。100%すべての人類に対応できなければ、抑止力とは言わないのか、と言いたくなってくる。死刑以上の抑止力があるのか、と聞きたい。代わりの案も出さないで、平気で抑止力がないなどと言いだす人は、信用できない。
 他にも「償い」について疑問を上げるのは結構だが、こちらも代わりの案を出していない。最後に「例えば小林薫は、事あるごとに事件の被害者に死んでお詫びするしかないと口にするのだが、私にはそんなことが本当に被害者の両親の負った傷を癒すことになるのか疑問を感じざるをえない」と書いているのだが、ではどうすればよいのか、という点については何も書いていない。何と無責任な発言か。少なくとも被害者のご両親は死刑を求めていた。その事実を無視し、勝手に疑問を感じるというのは納得できない。どうすれば「償い」となるのか、まずはまともな意見を述べてほしいものだ。
 三死刑囚の「肉声」を知りたい人以外には何の役にも立たない本。それどころか、不快になる本。他人に向かって「思考停止」と言うぐらいなら、まずは自分からどうすべきか、建設的な意見を出すぐらいしたらどうだ、と言いたい。
 後に増補版が出ているが、読むつもりはない。

 篠田博之は1951年生まれ。一橋大学卒。メディア批評誌・月刊『創』編集長。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。共著に『「差別表現」を考える』など(執筆当時のデータ)。

<リストに戻る>