これまで、犯罪についていろいろと書いてきた。小説においても雑文においても、それが私の関心の的であり主題であった。
ここには、今まで私が、犯罪について書いてきた文章を集めてある。一部に他のエッセイ集にも入れてあるが、大部分は未収録のものだ。第二章と第三章には、私が本名で犯罪学の論文に報告した事例の中から一般に興味のありそうなものを抜粋し、簡単な解説を付した。
(中略)
犯罪、悪は人類永遠の難問である。何か一つの固定した意見でもって、複雑な犯罪現象を裁断するほどおろかな行為はない。犯罪者は気違いであるとか、無知が悪を生みだすとか、社会悪が犯罪を起こすとかいった単純な議論は不毛である。資本主義社会のひずみが犯罪をおこすという主張が、今世紀はじめのフランスのリヨン学派(経済犯罪因説)以来、繰り返し述べられているが、革命がおこっても、犯罪は消えはしないのは、社会主義諸国の現状を見てもわかる。刑法と刑務所のない国は、少なくとも近代以降の国々において存在しなかった。文明とは、囚人を作ることと言えるくらいである。この暗く重い事実から出発しなければ、現代文明の批判も基盤を失ってしまう。
これからも私は、犯罪について犯罪者について書き続けていくだろう。この本は、その最初の集成である。(後略)
(「あとがき」より引用)
【目 次】
一 死刑囚との出会い
二 ある犯罪との面接記録から
三 私の出会った囚人たち―殺人犯と死刑囚
四 死刑制度に思う
五 現代人の不安
作家であり、精神科医でもある加賀乙彦が、犯罪や犯罪者について書いたエッセイを集めたもの。
一生は、『宣告』のモデルであり、バー・メッカ殺人事件の犯人として死刑を執行された正田昭のことを中心とした、死刑囚との出会いについて書かれている。多誌に渡って書かれたエッセイを集めたということもあり、重複している部分も多い。この著書以外にも作者は正田について多くを語っているためか、どこかで見たようなエピソードだなと思う読者もいるはずだ。
二章は、1954年秋に会った強盗殺人犯の患者についての面接記録を書いている。患者は強盗殺人他の被告として東京拘置所に入所中、精神異常を呈し、拘留執行停止となって入院。ところが入院中は、論理的に自らの無罪を主張していた。
三章は、精神医として出会ったさまざまな犯罪者の記録である。
四章は、死刑制度についての思いを書いている。死刑という威嚇力についての疑問を提示し、人が人を殺すという行為を国家が認めている国では、凶悪犯罪を禁止する道徳的気風を作り出すことは出来ないと訴えている。死刑制度を語るうえで、死刑囚の現状を知ることが大事だという。
五章はその他の犯罪、犯罪者について書かれたエッセイをまとめている。
精神科医として『死刑囚の記録』という著書もある加賀らしく、精神科医と文学者として、二つの側面から死刑囚や犯罪を語っていることが大きな特徴である。特に目新しいことをいっているわけではないが、精神科医から見た犯罪者の素顔というのはとても興味深いし、犯罪者の心理を推測するその姿はさすがというべきだ。ただ、そこに被害者という視点が欠けているのはやや気にかかるのだが。
エッセイとして気軽に読むことは出来るが、それ以上でもそれ以下でもない。
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