森晶麿『黒猫の遊歩あるいは美学講義』(早川書房)

 でたらめな地図に隠された意味、しゃべる壁に隔てられた青年、川に振りかけられた香水、現れた住職と失踪した研究者、頭蓋骨を探す映画監督、楽器なしで奏でられる音楽。日常のなかにふと顔をのぞかせる、幻想と現実が交差する瞬間。美学・芸術学を専門とする若き大学教授、通称「黒猫」は、美学理論の講義を通して、その謎を解き明かしてゆく。(粗筋紹介より引用)
 2011年、第1回アガサ・クリスティー賞受賞。加筆のうえ、2011年10月、刊行。

 「第一話 月まで」「第二話 壁と模倣」「第三話 水のレトリック」「第四話 秘すれば花」「第五話 頭蓋骨のなかで」「第六話 月と王様」の六編を収録。探偵役はパリから帰ってきたばかりの、24歳で教授職に就いた天才の「黒猫」。ワトソン役は大学時代からの知り合いで同い年、今はポオを研究している博士課程一年目の「付き人」。話のいずれもがポオの作品に絡んでくる。
 美学理論を駆使する長身美形の天才が「黒猫」なのだが、描写に乏しく、どんな人物なのだかさっぱり浮かんでこない。相棒である「付き人」の女性についても同様。まあ、表紙のイラストでだいぶ助かっている気がする。いわゆる「日常の謎」もので、謎そのものが小粒。美学講義と称して作者の文学論や美学理論が押し付けられるところはちょっと閉口した。ただそれを除くと、人間ドラマとしてはわりとうまくまとまっていたと思う。お約束としか思えないような探偵役とワトソン役のほのかなロマンスも、続編を望むあざとさは見えるものの、内容としては悪くない。
 軽めの作品で、クリスティーとは合わない気もするが、それなりに面白く読むことはできた。予想通りシリーズ化されているようだが、結末だけ教えてほしい。




三沢陽一『致死量未満の殺人』(早川書房)

 雪に閉ざされた山荘で、女子大生・弥生が毒殺された。容疑者は一緒に宿泊していた同じ大学のゼミ仲間4人――龍太、花帆、真佐人、圭。外の世界から切り離された密室状況で、同じ食事、同じ飲み物を分け合っていたはずなのに、犯人はどうやって弥生だけに毒を飲ませることができたのか。警察が到着するまで、残された4人は推理合戦を始める……
 15年後、雪の降る夜。花帆と夫の営む喫茶店を訪れたのは、卒業以来、音信不通の龍太だった。あと数時間で時効を迎える弥生の事件は、未解決のまま花帆たちの人生に拭いきれない影を落としていた。だが、龍太はおもむろに告げる。「弥生を殺したのは俺だよ」
 たび重なる推理とどんでん返しの果てに明かされる驚愕の真相とは? 第3回アガサ・クリスティー賞に輝く正統派本格ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2013年、第3回アガサ・クリスティー賞受賞。応募時タイトル『コンダクターを撃て』。大幅に加筆修正の上、2013年10月、刊行。

 15年ぶりに現れた音信不通の友人が、当時の事件の真相を告白するという話。いわゆる「雪の山荘」ものだが、毒殺というのが何とも地味。逆に言うと、「誰が、いつ、どうやって毒を入れたのか」という謎を論理的に解き明かすことができる楽しみがあるわけで、そこに至るまでをどう書くかに興味があった。しかし読み終わってみると、その期待は大きく裏切られたと言っていい。
 まずはトリック。正直言ってタイトルがネタバレに近いと思うのだが、それを抜きにしても、後遺症や何らかの兆候が見られないというのは不自然。さらにいえば、これだけ証拠を残していれば、殺人未遂で引っ張られてもおかしくないと思う人物を警察が見逃している点が不思議。
 続いて登場人物と舞台。これがまた、作ったかのような設定。そもそも、これだけ複数の人物から恨まれている弥生が、狭い空間の大学で噂になっていないはずがない。そんな人物と、普段から行動を共にする人物がいるという点も疑問だ。
 そしてストーリー。時効が完成する15年ぶりに当時の関係者が現れて告白するというのはありだろうが、単なる脇役かと思った人物(こう書くと誰だかわかっちゃうのだが)がいきなり事件の謎を解き明かし、しかも黒幕(いわゆるコンダクター)まで推理するというのは都合よすぎる。しかもこの時点で解き明かすという点がおかしい。今まで一体何をやっていたんだ、お前は、と言いたいぐらい。過剰などんでん返しが、読者をかえってしらけさせている。結末の付け方も、誰もが狂言廻しで終わってしまうというのは首をひねってしまう。15年も悩んでこれが結末じゃ、事件関係者も浮かび上がらない。まあ、これが罪と言えば罪なのかもしれないけれど。ついでに文章は装飾過多というか、大げさな表現が目立つし、無駄も多い。それでも多少は読める文章であることは救い。
 選考を読んでも、かなり苦しい評が目立つ。アドバイスを受け、大幅に書き直した結果がこれでは、元の原稿は相当ひどかったのだろう。鴻巣友季子なんか、「実は最初の総合点は僅差ながら受賞作が最も低かった」なんて書いているし。受賞後、「大幅に」加筆修正、なんて初めて見た。  うーん、褒めようにも褒めるところが思いつかない作品。言い方悪いけれど、こんな作品に“アガサ・クリスティー”の冠をかぶせた賞を与えていいのかい、と言いたいぐらい。




そえだ信『地べたを旅立つ』(早川書房)

 鈴木勢太、性別男、33歳。未婚だが小学5年生の子持ち。北海道札幌方面西方警察署刑事課勤務……のはずが、暴走車に撥ねられ、次に気づいたときには……「スマートスピーカー機能付きロボット掃除機」になっていた! しかもすぐ隣の部屋には何故か中年男性の死体が。どんなに信じられない状況でも、勢太にはあきらめられない理由があった。亡き姉の忘れ形見として引き取った姪・朱麗のことだ。朱麗の義父だった賀治野は、姉と朱麗に暴力を働き接近禁止令が出ていたが、勢太がそばを離れたとわかったら朱麗を取り戻しにやってくる。勢太の目覚めた札幌から朱麗のいる小樽まで約30キロ。掃除機の機能を駆使した勢太の大いなる旅が始まる。だが、行く手にたちはだかる壁、ドア、段差! 自転車、子ども、老人! そして見つけた死体と、賀治野と、姉の死の謎! 次々に襲い掛かる難問を解決して小樽に辿り着き、勢太は朱麗を守ることができるのか?(粗筋紹介より引用)
 2020年、第10回アガサ・クリスティー賞大賞受賞。応募時タイトル「地べたを旅立つ――掃除機探偵の推理と冒険」。改題、加筆修正のうえ、2020年11月、刊行。

 作者は過去、鮎川哲也賞、アガサ・クリスティー賞の最終選考に残っている。そのせいか、名前だけは憶えていた。普段ならクリスティー賞はほとんど読まないのだが、今回は帯を見て購入する気になった。主人公が掃除機になるんだよ、掃除機に。しかも「掃除機になっても、きみを守る」とまで書かれたら、気になって仕方がない。表紙はライトノベルっぽいのでそこまで重くないだろうし、手軽に読むにはいいだろうと思った。
 交通事故で意識不明の重体になった鈴木勢太が、なぜかロボット掃除機に意識が移り、しかも目の前に死体。Androidが搭載されたCPUが入っていて、Wi−Fi環境にあればインターネット検索もメール送受信も可能。カメラもついていて、外の様子を知ることができる。今現在は、施錠された部屋の中で、死体と一緒。本格ミステリファンなら心振るえそうな設定だが、主眼は別。姪・朱麗を守るために、札幌から小樽への大冒険である。
 まあばかばかしい設定と言ってしまえばそれまでだが、掃除機ならではの苦悩と、掃除機の利点を生かした冒険譚が楽しい。途中で親子心中を助けたり、拾ってくれた老夫婦のピンチを救ったり。旅の通りすがりに人助けをしていくというのはよくある設定だが、これが掃除機なのだから、色々と工夫ができる。その過程の描き方が巧い。途中で差し込まれるのは、ありきたりな話ばかりなのだが、なぜか掃除機というフィルターを通してみると感動するから不思議だ。
 密室殺人事件の方は、トリックこそ単純だが、目覚めた時の自分や周囲の状況を調べていく過程にヒントが隠されているのがうまい。さらにこの事件も、最後の冒険譚につながっていくところもよく考えられている。
 なんかこうしてみると、べた褒めだな。まあちょっと短めなところもあって、ぼろが出ないうちにうまく話を終わらせられたというのがあるかもしれない。それでも最初から最後までよく考えられているとは思った。さすがに傑作という気はないけれど、人には薦めたくなる一冊である。無機物の掃除機に人格が移るか、という設定が耐えられない人は無理だろうけれど。



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