今邑彩『卍の殺人』(創元推理文庫)
萩原亮子は恋人の安東匠に伴われて、大晦日に彼の実家を訪れた。山梨でワイン醸造を営むその旧家は、二つの棟で卍形を構成する異形の館。住人も、家長を自認する老婆を頂点として二つの家族に分かれ、ライバル意識が発露する異常な雰囲気の中で暮らす。安東はこの家との決別を宣告するために戻ってきたのだが、早くもその夜亮子ともども奇怪な連続殺人に遭遇する。そして正月三日には次の怪死事件が……。呪われた人間関係、謎に満ちた邸が引きおこす惨劇は、終局に思いがけない展開をみせた! 「鮎川哲也と十三の謎」シリーズの公募に当選して脚光を浴びた、著者のデビュー作である。(粗筋紹介より引用)
1989年、書下ろしシリーズ「鮎川哲也と十三の謎」十三番目の椅子として公募され、受賞。1989年11月、単行本刊行。1999年1月、文庫化。
海外ミステリの出版社として著名な東京創元社が始めた書下ろしシリーズ「鮎川哲也と十三の謎」。新本格ブームとも重なり、また折原一や有栖川有栖、北村薫や宮部みゆき、山口雅也といった新人、若手の作品が並び、話題となった。そんなシリーズの十三番目として、しかも講談社の「書き下ろし長篇探偵小説全集」の第十三巻として鮎川哲也が受賞した「伝説」に倣い企画された公募に見事受賞した一冊。出版当時に読んでいるが、久しぶりの再読。当時読んだ印象とほとんど変わらなかった。
卍の形をした屋敷という時点で、それを利用したトリックが使われるのは容易に想像がつく。というか、描写が素直すぎて、見え見え。犯人像も、某日本古典作品とほぼ同じ造形でわかりやすく、意外性に欠ける。本作品で特によかったのは、女性のエゴとヒステリックさの描写だろうか。無理に本格ミステリを書くよりも、女性心理を主眼としたサスペンスの方がお似合いではないか、当時はそう思ったものだ。
とは言え、その後も作者は本格ミステリを書き続けたんだよな。それは意外だった。ほとんど読んでいないけれど。
石川真介『不連続線』(東京創元社)
名古屋駅前でカバン詰めの死体となって発見された義母。事件の真相を求め、福井県秋津村、静岡県浜北市、滋賀県余呉湖、長野県伊那と続く若き未亡人紀子の探索の旅は、しかし鉄壁なアリバイの壁に行く手を阻まれる。第二回鮎川哲也賞受賞作。(「BOOK」データベースより引用)
1991年、第2回鮎川哲也賞受賞作。同年11月、単行本化。
『卍の殺人』『殺人喜劇の13人』と本格スピリッツが溢れる作品が続いていたのに、第2回はよりによってこれかよ、と本格ミステリファンをがっかりさせた受賞作。謎を追っている割には、単に各地で観光して、おいしいものを食べているだけの作品。トリックは陳腐だし、警察が解けないのも首をひねる。行った先々でヒントにぶち当たるというのも都合良すぎる。どうでもいいが、黒木健蔵という作家の出し方は失礼だろう。
作者は鮎川哲也のファンと常々言っているし、鮎川作品を目指したらしいのだが、どこをどう読んだらこういう作品に仕上がるのか、訳がわからない。トラベルミステリとしても出来が悪いし、なぜ受賞できたのか不思議なくらい。鮎川賞の汚点だよね、はっきり言って。
この主人公、後にシリーズ化される。しかもミステリ作家になる。
篠田真由美『琥珀の城(ベルンシュタインブルク)の殺人』(東京創元社)
18世紀ハンガリー西カルパセア山中、雪に閉ざされている城館が舞台。密閉された書庫で当主の伯爵が死んでいた。遺体は礼拝堂に安置されるが、いつの間にか消失していた。そして、様々な近親憎悪は、連続殺人事件を引き起こすことになる。
この本は、第2回鮎川哲也賞最終候補作品に残り、惜しまれつつも受賞を逃したが、今読んでみると、選考理由が納得行く。誰だったか忘れたが、「古い袋に、新しいワインを詰めたようだ」。この一言が、この小説を語っていると言ってよい。
読みやすくするために、言葉遣いを現代風に書くのはまだわかる。ただ、舞台こそ18世紀なれど、登場人物が20世紀の人物では話にならない。醸し出される雰囲気に18世紀のヨーロッパ、しかも伯爵家という貴族の雰囲気が全く漂ってこない。これでは興味が半減する。舞台やトリックに工夫を凝らしているが、シナリオがまずいのか、演技者がまずいのか、話が全く咬み合ってこないのだ。折角の設定が勿体ない話である。
ただ、面白い物語を作ろうという意気込みは感じられる。減点法で決まる賞よりも、可能性の高さで言ったら篠田真由美の方が充分上なのは小説からもわかるし、その後の活躍を見てもそれは間違っていない。
加納朋子『ななつのこ』(創元推理文庫)
19歳の短大生、入江駒子は、『ななつのこ』という童話集を一目惚れして購入。はやてという少年が事件に遭遇し、あやめさんという女性が少年を見守りながら謎を解き明かすというストーリーを気に入った駒子は、作者の佐伯綾乃にファンレターを出す。このとき、身近に起きた「スイカジュース事件」の謎も書いてみた。すると綾乃から返信があり、しかも事件の謎を解き明かす推理まで書かれていた。「スイカジュースの涙」。
友人と渋谷の個展に行った駒子だったが、100号サイズで500万円の「悠久の時間」の絵に触ってしまい、油絵の具の立っている部分を折ってしまった。一度はそのまま逃げてしまった二人だが、やはり謝ろうと再び個展へ。ところが破損した箇所はなくなっていた。「モヤイの鼠」。
アルバムの整理中、一枚だけ写真が抜けていた事に気付く駒子。その写真が、郵便で戻ってきた。差出人は、小学6年の時に引っ越してきたクラスメイト。今頃何故写真を送ってきたのか。「一枚の写真」。
駒子は自動車教習所のバス停で、近くの米軍住宅地区の金網とつつじの間にうずくまるおばあちゃんを見掛ける。その後も二回、同じ姿を見掛ける駒子だった。「バス・ストップで」。
デパートの屋上にあったビニール製のブロントザウルスが夜に盗まれた。そして、デパートから27km離れた保育園で膨らんだまま発見される。いったい誰が、どのようにして盗み出したのか。「一万二千年後のヴェガ」。
小学校低学年を対象としたのサマーキャンプにボランティアとして友人と一緒に駒子は参加した。駒子は、情緒が欠落していると思われる少女、真雪が気になる。真雪は、どんな花でも白色に塗ってしまうのだ。「白いタンポポ」。
歯医者の帰りに立ち寄った本屋で、駒子は瀬尾に再会する。瀬尾に誘われ、デパートの屋上にあるプラネタリウムに行き、そこで『ななつのこ』のイラストレーター、麻生美也子を紹介される。しかもその娘が、真雪だった。みんなでプラネタリムを見ていたが、真雪が忽然と姿を消してしまった。「ななつのこ」。
1992年、第3回鮎川哲也賞受賞作。
入江駒子が文通で身近に起きた事件の謎を書き、佐伯綾乃が返信で推理を書くという連作短編集。実際にその推理が合っていたかどうかは書かれていないが、それを書くのは野暮な話だろう。一つ一つの短編には、童話『ななつのこ』で語られるエピソード、というか謎と推理も織り込まれているので、一つの作品で二つの謎と推理を楽しむことができる。
北村薫が種をまいた「日常の謎」というジャンルで、見事に花を咲かした作者の一人。書かれた頃はまだまだ新鮮なジャンルだったせいか、読んでいても楽しかったが、文庫版を再読するとやっぱり謎の部分が弱いかなと思ってしまう。まあ、ハートフルな成長物語を楽しみたい読者にはベストとなるだろうが。
今考えると、長編を求めていたはずの鮎川賞で、このような連作短編集が受賞できたことの方が、大きな意義があるのではないだろうか。
近藤史恵『凍える島』(創元推理文庫)
友人と喫茶店を切り盛りする北斎屋店長野坂あやめは、得意客込みの慰安旅行を持ちかけられる。行先は瀬戸内海に浮かぶ無人島。話は纏り、総勢八名が島へ降りたつことになる。ところが、退屈を覚える暇もなく起こった事件がバカンス気分を吹き飛ばす。硝子扉越しの室内は無残絵さながら、朱に染まった死体が発見され、島を陰鬱な空気が覆う。道中の遊戯が呼び水になったかのような惨事は、終わらない。――連絡と交通の手段を絶たれた島に、いったい何が起こったか? 由緒正しい主題に今様の演出を加え新境地を招いた、第四回鮎川哲也賞受賞作。
1993年、第4回鮎川哲也賞受賞。同年9月、単行本刊行。1999年9月、文庫化。
受賞時に読んでいたのだが、受賞作リストを作るのに再読。
瀬戸内海の孤島で起きた3連続殺人事件。本格ミステリファンなら心惹かれるテーマだが、集まっている人物がどことなく退廃的な若者ばかりというところが現代的なところ。この融合が完璧に決まれば傑作となるのだろうが、残念ながらそこまで行かず。孤島での連続殺人とその動機はまだわからないでもないが、やはり最初の事件が密室ということろに違和感がある。作品の雰囲気に合っていない。
そして問題点は、人物像があまりにも希薄なところ。作者は「どう見積もっても半分以上は、わたしたちは肉でできた機械にすぎません。電子音で表現したり、ゲームを描いたりして、なにがいけないのです」と語っているが、電子音だけ並べられても感動はないし、シューティングゲームならいざ知らず、ゲームの登場人物にも心がないと何の面白味はない。やはり記号が物語を繰り広げても、そこに感動は生まれないし、そのような人物が出てきてもただのパズルでしかない。私たちが読みたいのは小説であり、パズルではない。本書がパズルというつもりはないが、人の心の動きが必要な作品なのだから、もう少し人物造形が必要だっただろう。はっきり言ってしまえば、結末の流れが全く理解できない。これはやはり、人物像が霧のようにふわふわしていたからだろう。
作者のその後の作品と比べてしまうと、やはり若かったのだなと思わせる作品。それでも将来性を見込んで受賞させた選考委員は、彼女の実力をすでに見極めていたのだろう。さすがだ。
貫井徳郎『慟哭』(創元推理文庫)
痛ましい幼女誘拐事件の続発。難航する捜査。その責めを負って冷徹な捜査一課長も窮地に立たされた。若手キャリアの課長をめぐる警察内部の不協和音、マスコミによる私生活追求。この緊迫した状況下で、新しい展開は始まった! サイドストーリイに、黒魔術を狂信する新興宗教の生態や現代の家族愛を鮮烈に描きつつ、人間内奥の悲痛な叫びを抽出したこの野心作は、北村薫氏をして、書き振りは《練達》、読み終えてみれば《仰天》と驚嘆させた、巧緻この上ない本格推理。(粗筋紹介より引用)
1993年、第4回鮎川哲也賞最終候補作に残るも、惜しくも落選。同年、単行本刊行。1999年、文庫化。
出版時にすぐ読んでいるので、久しぶりの再読。当時読んだときは、驚いたなあ。近藤史恵には失礼だが、なぜこちらが受賞作ではないのだろう、と疑問に思ったぐらい。選評を読んでも、全然納得いかなかったのだが。ただ再読してみたら、これを本格ミステリと呼ぶことは私にはできない。良質なサスペンスであり、読者へのトリックがあることは間違いないが、この作品はやはりサスペンスであって、本格ミステリではないのだ。やはりそこが、受賞に一歩足らなかった点だろう。とはいえ、この作品を埋もれさすようなことは無く、北村薫の推薦で世に出たことは、作者にとって本当に良かった。その後すぐにお会いしたら、若かったのでびっくりしたが。
作品自体は北村薫のいう通り、筆が巧く、作品世界に引き込まれる。あまりにも文章が自然であり、そこに陥穽があることに気づかない。社会派の題材を扱って、驚きの結末に遭遇し、やるせないラストを迎える。非常に完成度の高い作品である。この手の形式のミステリの、完成品と言ってよいだろう。その後も似たような作品はあれど、この作品ほどの驚きを与えてくれた作品は見当たらない。
鮎川賞を受賞しなかったことが、かえって作者のその後の成長につながったのだろう。受賞者である近藤史恵も活躍することになるし、まさに豊作と言ってよい年であった。
矢口敦子『家族の行方』(創元推理文庫)
知り合いの編集者から霊能者と誤解されたことがきっかけで、ある少年の失踪調査をその母親から依頼された女性推理作家の「私」。慌てて断ろうとしたところに息子の勇起が現れて、勝手に依頼を引き受けてしまう。気は進まないものの、なかば勇起に引きずられるようにして、鳴れない探偵活動に着手した「私」だったが……杳として知れない少年の行方を求め、東北の一軒家に辿り着いた「私」を待っていたものとは? 彼女が直面した恐るべき真実とは、そして少年は今どこにいるのか? 安住の地を求め彷徨う少年の存在を通し「家族」の意味を問いかける、緊迫の心理ミステリ。矢口敦子の出発点となった長編、ついに文庫化。(粗筋紹介より引用)
1994年、第5回鮎川哲也賞最終候補作。同年、単行本発売。2002年、文庫化。
作者は1991年、「谷口敦子」名義で『かぐや姫連続殺人事件』(講談社ノベルス)を刊行しデビュー。本書が矢口名義のデビュー作となる。東京創元社らしく、それっきりほったらかしとなって他社で作品を書いていたが、2002年に本書が文庫化されたのは、2001年に発売された『償い』(幻冬舎)が評判良かったからだろうか。
ということで、これは再読。当時単行本で読んでいたが、なんとなく文庫版を手に取ってみた。
当時、つまらないという印象しかなかったが、それは「家族」をテーマにした心理サスペンスだったからだろう。自分の子供がいるといないでは、本書の受ける印象がかなり異なってくる。とはいえ、再読してみても面白いとは思わなかった。心理サスペンスではあるけれど、それほどサスペンスという気もしなかったね。結局日記を読んで親子でけんかしているだけじゃないか、と言いたくなる。ご都合主義の展開、間の抜けた結末など、読んでいて腹が立ってきたのは事実。まあ、リーダビリティはあったのは認めるが。「家族」の意味を問いかけるのなら、もっと重い事件を持ってくるべきじゃないかな。ただの擦れ違いなだけだし。
鮎川賞のカラーとも似合わず、なぜこれを鮎川賞に応募したのかさっぱりわからない。別の出版社で花開いてよかったね、とだけ言っておこう。
満坂太郎『海賊丸漂着異聞』(東京創元社)
時は幕末、伊豆七島のひとつ御蔵島に異国船が漂着した。乗っていたアメリカ人と清国人、パニックに陥る島民、各コミュニティで怪死や失踪が相次ぐ。通詞ジョン・万次郎と島の若き指導者が不可思議に挑む時代ミステリ。(粗筋紹介より引用)
第7回鮎川哲也賞受賞作。
今年の鮎川賞だが?。文章の上手いことは認めるし(会話が現代文なのはおいておくとする)、結構面白く読めた。しかし、その面白さは設定の面白さであって、ミステリの面白さとしてはほとんどない。消失の謎にしろ、殺人の謎にしろ、推理がないまま話が終わっている。もっと面白い謎があれば傑作だなと思うのだが、残念。
谺健二『未明の悪夢』(東京創元社 第8回鮎川哲也賞受賞作)
一九九五年初頭、突如関西を襲った天変地異。阿鼻地獄のさなかで続発する不可解な事件。犯人の意図は何か? 日常生活にも事欠きながら崩壊した街を駆ける私立探偵有希真一、そして占い師雪御所圭子が手にする真相は?(粗筋紹介より引用)
最近では忘れかけられている阪神大震災の最中に神戸で起きる不可能連続殺人を扱っている。
島田荘司、綾辻行人、有栖川有栖といった本格派ばかりが選んだ作品なので期待したが、これが社会派推理小説なので驚いた。一応帯には社会派と本格の融合と書かれているけれども、やっぱりこれは社会派推理小説だと思う。別にレッテルが作品の評価をするわけではないけれども。
では肝心の中身はというと、これがじれったい。阪神大震災が起きるまで数人の人生を追っており、これが小説の1/3を占める。確かにこの部分があるからこそ、阪神大震災後の彼らの生き方に共感を得ることが出来る。しかし、何もここまで書くことはないんじゃないかな、という気になる。しかも、阪神大震災中に起きる連続殺人がつまらない。一応、阪神大震災を利用したトリックかもしれないが、とてもミステリを支えるほどのトリックにはなり得ない。しかも、連続殺人の部分の筆に力がない。阪神大震災の部分における筆の力強さと比べると、あまりにも軽すぎる。
どうやら作者も阪神大震災の体験者らしい。だからこそこんな作品を書くことが出来たと言える。しかし阪神大震災という大きなネタに寄りかかりすぎている。阪神大震災というネタがないとき、作者は何を書こうとするのだろう。それほど作者の筆は阪神大震災に費やされているのだ。この1冊というだけではまあ読めるかもしれないが、正直言って次作が心配だ。新人賞という意味合いではちょっと不的確な作品とも言える。物語自体としては面白く読めたんだけれどもね。
城平京『名探偵に薔薇を』(創元推理文庫)
各種マスコミに届いた「メルヘン小人地獄」。悪いはかせが毒薬を作るため、小人の村で大虐殺。毒薬ができたところでぽっくりと死んだが収まりのつかないのが小人たち。うらみをはらすため、残虐な方法で復讐をはらす。選ばれた相手はハンナ、ニコラス、そして子供のフローラ。小人たちは歌を歌いながら復讐を果たす。そんなおかしな童話だった。ところが、実際に童話と同様の殺人事件が続けて起こる。小人たちの歌と同じ様な状況で……。フローラとは第一の被害者の娘ではないか。困り果てたところで呼び出されたのは、名探偵瀬川みゆき。瀬川は3日間で事件を解くという。そして二日後、事件は解決した。以上が第一部「メルヘン小人地獄」。そして二年後、第一の被害者の家族で毒殺事件が起きる。再び瀬川は舞台へ登場することになるが……。第二部「毒杯パズル」である。
第八回鮎川哲也賞最終候補作を大幅に改稿した作品。周りに読後感を聞くとどうもいい反応が返ってこないので、そんなに酷いのかなと思って読んだんだけど……悪くないじゃない。
書き方で気になるのは、文章の所々で文語調になる所。小説のリズムを全く無視しているなあ。使われること自体はいいと思うんだけれども、普段の部分が現代調なんだから、もっと規則正しく使ってほしい。それもこの使い方、第一部だけ。まあ、第二部は瀬川からの視点が中心だから仕方がないのかもしれない。どうせ使うならもっと効果的に使ってほしい。例えば章の終わりで必ず二行ほど改行し、そこで二行ほど文語調の文章を入れるとかね。あえて文章を区切った後で使われるなら別の意味を持ってくるかもしれない。
第一部、第二部とも事件の解決はそれほど難しくない。というより、登場人物が全然少ないので、あとは手段と動機だけだから考える方としては易しい。その分、瀬川が名探偵に見えてこないのは作者の計算違いではなかったか。第二部にしても、わざと難しい方向で考えているんじゃないかというぐらい真相の方が簡単である。名探偵にとっての心理的盲点というのが読者にとっては全然盲点になっていないのが、この作品を成功に導くことができない要因である。
悪口ばかり書いたが、先に書いたとおり読後感は悪くない。ここのところ多いメタミステリに比べれば、作者のやりたいことははっきりしているし、作者の企み自体も完全な成功とは言い難いが、失敗というには可哀想なぐらい、物語としてはできている。個人的な感想としては、何編か瀬川という無機質の名探偵を主人公にしたミステリを書いた後、この作品を持ってくれば作者の狙いは成功したのではないかと思われる。さすがに第一部だけでは弱かったのではないか。しかし、メフィスト賞受賞者に比べれば十分次作に期待を持てる。
ところで解説で出てくる前例って一体何? 全然思いつかなかったんだけれど。それと、全く無名の作家を文庫オリジナルで出すのなら、せめて解説にはビッグネームの人を使ってあげた方が良かったと思うんだけどね。作者も解説者も無名じゃ、どこで信用すればいいかわからないじゃない。それと別のホームページの感想でもあったけれど、無名の作家の解説で「核心に触れた」解説をするんじゃない。解説も読めないで、どうやって無名の作家の善悪を判断するの。こういうのが一番下手な解説だ。
柄刀一『3000年の密室』(原書房)
密室と化した洞窟で発見された片腕のミイラは、3000年前の"殺人事件"の被害者だった。しかも腕は明らかに死後に切断されていた。内側から閉ざされた洞窟で、いったい犯人はどうやって消え失せたのか?なぜ死体の腕を切り落としたのか?一方、多くの謎を持ったミイラの調査がすすめられるなか、発見者の一人が「奇妙な状態で」死んだ。現場には本人の足跡しかなく、自殺にしか見えない状況だったのだが…。はるか過去の殺人と現代の死、時空を超えて開かれた密室の彼方には、いったい何が見えたのか―新鋭が放つ渾身の書き下ろし本格長編ミステリ。(粗筋紹介より引用)
タイトルが胡散臭かったので、新刊で買ったまま放置していた作品(ならなぜ買った?)。未読本消化月刊ということで読んでみたが、結構面白い。ただ、3000年前のミイラをめぐる古代史論争の方が、密室の謎より面白いというのは、小説としての構成を間違っていると思う。もっと「3000年の密室」に焦点を当てることはできなかったのだろうか。さらに、現代に起きた事件は不必要。「3000年の密室」の謎1本に拘った方が十分に面白い作品に仕上がったはず。どうして歴史ミステリ(この作品をそう呼ぶべきかどうかは疑問だが)と呼ばれる作品では、不必要に現代で殺人事件を引き起こすのだろう。
氷川透『密室は眠れないパズル』(原書房)
エレベーターの前で胸を刺された男は、「常務に、いきなり刺された」と、犯人を名指しして絶命した。“殺人犯”は、エレベーターで無人の最上階へ向かうところを目撃される。電話は不通、扉も開かない。ビル内には犯人を含めて九人だけ。犯人はなぜ逃げようとせず、とどまっているのか――。やがて最上階のエレベーターは下降を始めた。そこには、背中を刺され、血まみれで息絶えた常務が倒れていた。――いったい誰が、いかなる方法で殺したのか。常務が犯人ではなかったのか。積み重ね、研ぎすました論理の果てに、行き着くのは八人の中の一人。新鋭が読者に挑戦する正統派長編本格推理。(粗筋紹介より引用)
1997年、第8回鮎川哲也賞最終候補作。応募時タイトル「眠れない夜のために」。島田荘司の高い評価を得、改稿改題のうえ、2000年6月に単行本で刊行。
まあ氷川透なので、論理を前面に押し出した作品になっているだろうとは思ったけれど、ここまでロジックしかないとは思わなかった。小説というよりは、長い長いパズルだね、これは。論理的に突き詰めていくと、回答はこれ一つしかないのかもしれないし、他の回答がある可能性もあるかもしれないが、そこまで考える気力も根性もまったくなし。パズルが出て、どう解かれるかを見るだけ(読むですらない)。まあ、刺された営業部次長が常務を名指しするところの推理はかなり苦しいとは思うが。ここまで来るとロジックではなくて物語を作るだけ。小説としての面白さは何一つなかった。
この年の受賞作は谺健二『未明の悪夢』。他の最終候補作は城平京『名探偵に薔薇を』、柄刀一『3000年の密室』とまあ、いずれも出版されていることから考えると豊作だったと言えるのかもしれない。ただ、どれを選ぶと言ったら、間違いなく谺健二ですね。
飛鳥部勝則『殉教カテリナ車輪』(東京創元社)
描くことに没頭し燃え尽きるように自殺した画家、東条寺桂。『殉教』『車輪』―二枚の絵は、桂の人生を揺さぶったドラマを語るのか…。劃期的な、余りに劃期的な、図像学ミステリの誘惑。第九回鮎川哲也賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
枯れたというか素っ気ないというか、文章は読みやすいのだけれども惹き付けるものはない。けれどそれを補うだけのストーリーである。図像学に最後までこだわったところはお見事。普通は殺人の方に逃げちゃうのだけれどもね。シンプルな密室もよし。ストーリーから浮いていないし。装丁は今年のベスト。これだけでも持ってる価値あり。
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