真紀涼介『勿忘草をさがして』(東京創元社)

 一年前、偶然出会ったお婆さんに会いたい。しかし手掛かりは、庭に良い匂いの沈丁花が咲いていたことと、その庭でお婆さんが発した不可解な言葉だけ――。思わぬトラブルによりサッカー部を辞め鬱屈した日々を送る航大。春を告げる沈丁花の香りに、親切にしてくれたお婆さんのことを思い出し、記憶を頼りにその家を探していたところ出会ったのは、美しい庭を手入れする不愛想な大学生拓海だった。拓海は植物への深い造詣と誠実な心で、航大と共に謎に向かい合う。植物が絡むささやかな“事件”を通して周囲の人間関係を見つめなおす、優しさに満ちた連作ミステリ。鮎川哲也賞優秀賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2022年、第32回鮎川哲也賞優秀賞受賞。応募時タイトル『想いを花に託して』。改稿のうえ、2023年3月、単行本刊行。

 高校二年生になる森川航大は一年前の春休み、自転車で転んで怪我をしているところを、お婆さんが助けてくれた。しかし門限で急いで帰らなくてはならなかったため、場所も名前も覚えていない。航大は思わぬトラブルでサッカー部を辞めて鬱屈していたが、一年前のことを思い出し、お婆さんの家を探すことにした。しかし覚えていることは庭に咲いていた沈丁花と、お婆さんの不可解な言葉。探している途中で知り合ったのは、おしゃべり好きなお婆さんの園原菊子と、庭の手入れをしている大学二年生の孫、拓海だった。「春の匂い」。
 美化委員の加地晴也の代わりに、校内に飾られているすべての花の水遣りをする航大。それからは花のことを気にするようになった航大であったが、手洗い場の鉢植えが一日に一つか二つずつのペースで減っていることに気付いた。「鉢植えの消失」。
 去年のクラスメートで図書委員の小谷陸から、ここ数年、家の花壇の花の元気がないと聞いた。それらしき原因を拓海から聞いて陸に伝えると、陸はさらに昔のことを語りだす。陸が小二の頃、優しい祖父がなぜか庭の花壇を恐ろしい顔で踏み続けていたことを。「呪われた花壇」。
 航大は漫画好きの友人、内田将人の家へ漫画を返しに行ったが留守で、母親の真美子が迎えた。真美子は航大に、10日前にあった不思議な出来事を話す。真美子は庭の雑草を刈ろうと、空き地の向こうにあるプレハブ小屋の物置に置いてあった草刈り機を取りに行ったが、ツタで覆われていて扉も窓開かない。将人に頼んでも全然やってくれない。そこへ帰省した近所の大学生の大地が、二十分くらいで取ってきてくれた。ところが扉と窓のツタは覆われたままだった。どうやって大地は草刈り機を取ってきたのか。「ツタと密室」。
 いつもの通り菊子に招待され、庭でお茶とお菓子を楽しんでいた航大。菊子は航大に、4年前から毎年この10月下旬、妙な郵便物が届くと話した。一通の封筒で贈り主は書いていない。住所は正しいが、あて名は「園原様」だけで下の名前は書いていない。中に入っているのは、ランタナの押し花栞だけ。菊子は、送り主は亡くなった夫の昔の浮気相手ではないかなどと想像を巡らせる。「勿忘草をさがして」。

 第32回鮎川哲也賞は受賞作がなく、優秀賞である本作が刊行された。作者は宮城県出身、在住で、舞台も宮城県のスポットをモデルにしているとのこと。日常の謎もので、選評では筆力の高さを評価されたとのことらしいが、その選評を読んでいないので、なぜ優秀作止まりだったかは読むまでわからなかった。しかし読み終わって納得した。受賞は無理だな、と。
 高校二年生の森川航大の周りで起こる、植物絡みの不思議な謎を、植物好きの大学二年生園原拓海が謎を解く連作短編集。日常の謎の連作短編集は食傷気味で、今さらこの形式で応募しなくてもとまず思ってしまう。特に最後が今まで探偵役だった人物の周りの謎になるところは連作短編集の典型的なパターンであり、北村薫の時代ならいざ知らず、今となってはありきたりな設定でしかない。
 事件の謎自体があまりにも小さすぎるし、その解決も知識があれば終わってしまうもので、推理らしい推理がほとんどない。理不尽な出来事のために部活を辞めさせられ、鬱屈しながら暇な放課後を過ごしていた高校生がやさしさに触れ、少しずつ成長していくというのも、パターン化された成長物語でしかない。
 小説として読むことはできるが、新味といえるものが全くなく、ミステリとしての要素が薄すぎるので、受賞できないのも当然と言える。これはというアイディアがないと、次作の出版も厳しいのではないか。




岡本好貴『帆船軍艦の殺人』(東京創元社)

 1795年、フランスとの長きにわたる戦いによって、イギリス海軍は慢性的な兵士不足に陥っていた。戦列艦ハルバート号は一般市民の強制徴募によって水兵を補充し、任務地である北海へ向けて出航する。ある新月の晩、衆人環視下で水兵が何者かに殺害されるが、犯人を目撃した者は皆無だった。逃げ場のない船の上で、誰が、なぜ、そしてどうやって殺したのか? フランス海軍との苛烈な戦闘を挟んで、さらに殺人は続く。水兵出身の海尉ヴァーノンは姿なき殺人者の正体に迫るべく調査を進めるが――海上の軍艦という巨大な密室で起きる不可能犯罪を真っ向から描いた、第33回鮎川哲也賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2023年、『北海は死に満ちて』で第33回鮎川哲也賞受賞。改題し、2023年10月刊行。

 三年ぶりの鮎川哲也賞。作者はYouTubeでゲーム実況を投稿している。過去4度、最終候補に残っているということもあり、安定度はあるだろうがワクワクさせてくれるかどうかは正直疑わしかったのだが、いい意味で裏切られた。
 主人公は、酒場で飲んでいるところを強制徴募された靴職人のネビル・ボート。妊娠中の愛妻がいるのでなんとしてでも戻りたいのだが、海の上であるため逃げようがない。ハルバート号がデンマーク沿岸付近を航行中の強風が吹く新月の夜、後甲板に居た水兵が鈍器で殴り殺された。近くに居たネビルが疑われるも、水兵が入ることのできない船大工の道具箱の金槌が凶器とわかり、疑いはいったん晴れた。さらに数日後、船倉のネズミ退治をしていたネビルたち4人の水兵のうちの一人がナイフで殺害され、近くに居たネビルに疑いがかかる。
 18世紀末、フランス革命政府と戦う英国の帆船軍艦の中という異色の舞台である。全く知識のない舞台ではあるが、強制徴募された靴職人のネビルを通して帆船の構造や船での暮らしぶり、さらに士官と水兵たちの違いなどを一から説明してくれるため、読者にもわかりやすい。その分、殺人事件が起きるまでが長いという欠点はあるものの、これは許容範囲内だろう。
 三件の連続殺人事件は、いずれも帆船軍艦の中ならではの不可能犯罪。船の構造をうまく生かした物ばかりであるが、選考委員の麻耶雄嵩が言うように、一番面白い1番目の事件のトリックが中盤で解かれてしまうのは何とも勿体ない。これを最後に解く形に持っていけなかったのだろうか。
 ちょっと気にかかったのは、探偵役である水兵出身の五等海尉、リチャード・ヴァーノンと、物語の主人公ともいえるネビルとの絡みが少ないこと。ネビル自身の動きは連続殺人事件に関係するのだが、ヴァーノンが目指すゴールの矢印と、ネビルが目指すゴールの矢印の向きが異なっているところに、作品としての完成度に傷が生じている。もちろん目的も立場も全然違う二人なのだから仕方がないことなのだが、ストーリーが密接に絡み合っているようで、分裂しているのだ。そこが読了後の違和感につながっている。まあ、そんな違和感は私だけかもしれないが。
 いちゃもんみたいなことも書いたが、舞台、トリック、推理、人物造形、ストーリーと、よくできている。三年ぶりの鮎川賞にふさわしい佳作であることに間違いはない。足りなかったのは、推理が最後に解かれる快感。それがあれば、もっと高い評価を得られたと思う。



【「鮎川哲也賞」に戻る】