日本ハードボイルド全集第4巻(創元推理文庫)
仁木悦子『冷えきった街/緋の記憶』



【初版】2022年4月22日
【定価】1,500円+税
【編者】北上次郎、日下三蔵、杉江松恋
【エッセイ】「理想の系譜」若竹七海
【解説】新保博久
【粗筋】
 〈日本ハードボイルド全集〉第四巻には、仁木悦子の私立探偵・三影潤ものから厳選した傑作・秀作を収めた。資産家の竪岡家に相次いで降りかかる変事の解明に乗り出した三影の眼前で起きる悲劇の顛末を書く、シリーズ唯一の長編「冷えきった街」に、著者の得意とする子供を題材にした短編「しめっぽい季節」「美しの五月」、女子大生の見た夢が契機となる依頼が思わぬ展開を呼ぶ「緋の記憶」など五短編を収録。端正な私立探偵小説とハイレベルな謎解きを両立させた、仁木ハードボイルドの精髄を集成する。巻末エッセイ=若竹七海/解説=新保博久。(粗筋紹介より引用)

【全体的な感想】
 実を言うと、『昭和ミステリー大全集 ハードボイルド篇』(新潮文庫)に収録された「どこかの一隅で」を読むまで、三影潤という私立探偵を全く知らなかった。仁木悦子がハードボイルド作品を書いていることも知らなかった。ただこの一編を読んだだけでは、これといった印象を持ち合わせなかった。『わが名はタフガイ』(光文社文庫)にも「美しの五月」が入っているが、こちらについても特に強い印象はない。
 ハードボイルドに決まった形はないと思う。別に私立探偵がタフである必要はないと思うし、利いた風な言葉を発しなくてもいいと思う。社会への怒りとかが必要であるとも思わない。とはいえ、一人称視点で私立探偵が出てきたらハードボイルドというわけでもないと思う。じゃあハードボイルドってどう定義すればいいのだろう。ハードボイルドであるかどうかということは、作品の価値には関係ないと思う。ただ、これが日本ハードボイルド全集に含まれるかどうか、ということになると話は別だ。だが若竹七海のエッセイや新保博久の解説を読んでも、さっぱりわからなかった。
 三影潤という探偵は、広告代理店の会社員時代に妊娠中の妻が襲われて殺害されたという暗い過去を持っている。酒浸りの毎日だったが、たまたま見かけた探偵社の広告を見て再就職し、後に同僚であった桐崎秀哉と桐影秘密探偵社を共同経営する。
 三影の性格や暗い過去、一人称視点、そして事件を追う三影の行動や心理状況などを見ると、ハードボイルドと定義してもおかしくはない。ただ、どこか違う感じがする。個人的にハードボイルドって、時代を映す鏡みたいなところがあると思っているのだが、本シリーズは時代背景に関しては希薄である。逆に言うと、今読んでも古臭さは全く感じない。『冷えきった街』が、そしてこの三影潤シリーズがハードボイルドであると言い切れる自信が私にはない。ただ、端正に書かれたシリーズだと思うし、面白い本格ミステリであることも間違いではない。この一冊を機会に、再評価されてもいいと思う。


【収録作品】

作品名
『冷えきった街』
初 出
 講談社(1971年3月)
底 本
 講談社文庫(1980年8月)
粗 筋
 桐崎と共に桐影秘密探偵社を経営する私立探偵の三影潤は、学園経営者で資産家の竪岡清太郎の屋敷に呼ばれた。9月19日、次男で高校三年生の冬樹が体格のいい男に襲われて怪我をした。二日後、長男でレディスクールの理事長をしている清嗣が鍵のかかった離れの家で、ガス中毒で殺されそうになった。そして昨夜、6歳のこのみを24日に誘拐するという脅迫状が届いた。今日24日夜は竪岡家で警戒するとともに、10日間以内に三つの事件の犯人捜しを三影は依頼された。そして夜七時、清太郎の三番目の妻でこのみの母親である玉代の誕生会に、一人目の妻の息子である清嗣、妻の苗子、息子で小学三年生の清範、苗子の実母である諸岡真寿枝、二人目の妻の息子である冬樹が集まった。ところが食事後の麻雀の最中、庭で異様な音がした。三影と清嗣が嵐の中調べに行くと、別棟に住む義兄の布施平吉が趣味で作り清太郎にあげた笛を用いた悪戯が仕掛けられていた。帰ってきた清嗣が、残っていたお茶を飲んだ瞬間、咽喉をかきむしり絶命した。毒が入っていた。
感 想
 竪岡家で起きた不審な一連の事件の真相を、私立探偵の三影潤が調査を重ね、明らかにしていく。シリーズ唯一の長編であるが、作者からはハードボイルドという言葉は出てきていないし、協会賞候補に選ばれた時の選評でもハードボイルドの言葉は出てこない。読み終わって思ったのは、これはハードボイルドなのだろうか、ということである。
 ハードボイルド云々を考えなかったとしたら、謎解きとして普通に面白く読むことができた。家族の中にある込み入った人間模様が事件と密接につながっており、そこを丁寧に解きほぐす三影潤の動きと心情が胸を打つ。ただ、個人的にハードボイルドって、時代を映す鏡みたいなところがあると思っているのだが、この作品、携帯電話が出てこないことなどを除けば、そういった時代色が全然ない。逆に言うと、古臭い、とかこういう時代だったよね、といったような部分が見受けられないのだ。多分今の時代に置き換えても、それほど違和感はないだろう。その分、いつの時代に読んでも受け容れられるのではないだろうか。
 やっぱり仁木悦子はすごい作家だなと思わせる長編。当時、そんなに話題にならなかったというのが不思議で仕方がない。
備 考
 

作品名
「色彩の夏」
初 出
 『推理』1972年9月号
底 本
 『夏の終る日』角川文庫(1983年9月)
粗 筋
 三影潤は三日間の休暇を取り東伊豆の海辺にやってきたが、若い女性の墜落事件に遭遇。死体を見て気分の悪くなった女性を介抱した。それから約1か月後、三影は轢き逃げされそうになった若い女性を助けた。その若い女性は、東伊豆で介抱した女性だった。
感 想
 典型的な巻き込まれ型の探偵もの。地味ではあるが、プロットの組み立て方と、手掛かりの提示が巧い。
備 考
 

作品名
「しめっぽい季節」
初 出
 『小説サンデー毎日』1974年5月号
底 本
 『夏の終る日』角川文庫(1983年9月)
粗 筋
 妻の友人であった北村蒔子と話をしに、小さな身障児施設であるタンポポ園で油を売ってから探偵社に帰ると、桐崎の妻・桃子の保育園PTAでの知り合いである田畑エミ子と一緒になった。エミ子の夫である義弘が定休日に子供を遊ばせていたが、用足しから戻ると子供を連れ去ろうとした男がいたので思わず殴りつけると、足を滑らせて崖から落ちて死んでしまったという。警察嫌いな義弘は届け出ようとせず、何かあったら話してほしいと言ってそのまま帰った三影であったが、二日後、目撃証言から義弘は警察に連れていかれてしまった。
感 想
 作者が得意とする、子供を題材とした一編。ちょっと強引な展開と言えなくもないが、結末にはホッとするだろう。
備 考
 

作品名
(うるわ)しの五月」
初 出
 『小説宝石』1976年6月号(初出題:「美しき五月」)
底 本
 『緋の記憶』講談社文庫(1983年5月)
粗 筋
 歩いていた三影を呼び止めた少女は、半年前に弟の結婚相手の調査を依頼された中塚広子の娘、美佐であった。美佐は三影に、同じクラスの女の子を殺したので、警察に連れていってほしいと頼んだ。念のため、女の子の家を覗いてみると、確かに殺された死体があった。
感 想
 こちらも子供を題材とした短編。子供の仰天な告白から事件に巻き込まれる三影が謎を解き明かすのだが、後味はそれほど悪くない。
備 考
 

作品名
「緋の記憶」
初 出
 『小説宝石』1977年7月号
底 本
 『緋の記憶』講談社文庫(1983年5月)
粗 筋
 オフィスにやってきた大学生の北松園美は、最近三つの夢を繰返して見るという。亡くなった母が野原の一本道を引きずって歩く夢、屋敷のひょうたん池で知らない男の子と遊ぶ夢、女の人が真っ赤な花が敷き詰められた場所でうつ伏せになっている夢。しかし調査の依頼は、14年前に亡くなった母の死因について調べてほしいという。自殺と聞かされているが、もしかしたら殺されたのではないか。ただ、あと五か月足らずで時効になるのだった。
感 想
 不思議な夢の話も交えた調査から、意外な事件の真相が浮かび上がる短編。展開の妙を楽しむ作品。
備 考
 

作品名
「数列と人魚」
初 出
 『別冊小説宝石』1986年12月号
底 本
 『聖い夜の中で』光文社文庫(1991年12月)
粗 筋
 オフィスにやってきた38歳の会社員、箕井昭の依頼は、昨日普段着で夕食の買い物に行ったまま失踪した妻の由利子を探してほしいという依頼だった。誘拐かもしれないので、まだ警察には届けていないという。住所録に挟まっていた謎の数字の配列が書かれた用紙は、由利子が数日前に見知らぬ男から受け取ったものだという。同じ団地の住人からの証言で、当日、同じような人魚の模様の袋を持ち、似たような服装をしていた女性が近くに居たという。もしかしたら間違えて攫われたのではないか。
感 想
 奇妙な発端から意外な事件が発生する短編。犯罪者側がちょいと凝りすぎという気もする。
備 考
 

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