乃南アサ『幸福な朝食』(新潮文庫)

 沼田志穂子は東京近郊に住む美しい女子高生だった。将来はブラウン管の中のスターになるのが夢だった。しかし高校三年の時、柳沢マリ子という志穂子そっくりの少女がデビューし、瞬く間にスターとなった。志穂子は柳沢マリ子のそっくりさんと呼ばれるようになった。しかし彼女はスターになりたかった。志穂子は高校卒業後、東京にある劇団の研究生となったが、いつまでたっても彼女の出番はなかった。時は過ぎ、彼女は34になっていた。柳沢マリ子は今は女優としての地位を固めつつあり、志穂子は人形劇の人形使いという黒子でしかなかった。小さな部屋で、ミカという人形と孤独に過ごす毎日だった。しかし、新しい人形劇ドラマが始まり、彼女は主役の人形を扱うことになった。そして主役を演じる声優青山良助と出会い、心の奥底に秘められていた狂気が徐々に目覚めていく。そして青山良助と柳沢マリ子の密会写真が写真誌に載ったことをきっかけに、事態は大きく変わるのだった。志穂子は思い出す。自分が妊娠していたことを。この子が生まれてくれば、幸福な朝食が食べられることを。

 直木賞作家、乃南アサのデビュー作。当時賞金1000万円で話題になった日本推理サスペンス大賞の第1回優秀作である。1988年1月に単行本として出版されたままだったが、直木賞受賞をきっかけに1996年、ようやく文庫化された。
 大賞ではなく、なぜ優秀作だったのかと当時から思っていたのだが、読んでみて納得。文庫化されないのももっともだと思った。一言でいってしまえば未完成。まだまだ改稿の余地がある作品なのだ。文章の途中で視点が切り替わるので、話の流れが唐突に途切れてしまうし、読者のリズムを狂わせてしまう。過去と現代の切替もわかりづらい。かなり突っ込んだ心理描写があるかと思えば、簡単に流されてしまう部分もある。何よりも問題なのは、結末までの不透明さ。読者が納得いく不透明さではなく、真相が読者を置き去りにしてぼかされているのだ。これでは読者のフラストレーションは高まる一方だ。
 美貌の女優にそっくりな主人公のコンプレックスと狂気という題材は魅力的だし、人形使いという設定も物語でうまく活用されている。だからこそ、もっともっと練ってほしかった作品といえよう。小説としては今ひとつだが、作者の将来性は感じ取られる。だからこそ選考委員も、大賞ではないものの優秀作として受賞させたのだろう。その先見性は正しかったといえる。ただ、今の作者がこの作品を改めて読むと、全面的に書き直したいと思うだろうな。




宮部みゆき『魔術はささやく』(新潮文庫)

 それぞれは社会面のありふれた記事だった。一人めはマンションの屋上から飛び降りた。二人めは地下鉄に飛び込んだ。そして三人めはタクシーの前に。何人たりとも相互の関連など想像し得べくもなく仕組まれた三つの死。さらに魔の手は四人めに伸びていた…。だが、逮捕されたタクシー運転手の甥、守は知らず知らず事件の真相に迫っていたのだった。日本推理サスペンス大賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 1989年、日本推理サスペンス大賞受賞作。

 出版時に単行本で読んでいたのだが、珍しく再読してみる気になった。こうして読むと、宮部みゆきは今も昔も本質が変わらない。わかりやすいストーリー、高いリーダビリティ、感情移入しやすい登場人物、現実性と意外性のバランス感覚、不条理な今を浮かび上がらせる視線など、その後の宮部みゆき作品に見られる特徴を、本作で既に兼ね備えている。
 本作の面白さは、事件の主眼が解決されると思ったその後に、もう一つ別の主眼が浮かび上がってくるところであり、しかもそれが前の主眼と関わってくるところにある。その構成力もさることながら、「魔術はささやく」とは、実に巧いタイトルの付け方である。まだ初期の作品だからかも知れないが、生かし切れない登場人物がいたことは少々残念だが。
 今考えると、すでに実績のある、といういか他社の色が付いている作者を大賞に選ぶというのは結構珍しいのではないか。もちろん、選ばれるのが当然の作品ではあるのだが。




高村薫『黄金を抱いて翔べ』(新潮社)

 コンピュータで制御された鉄壁の防護システムの向う側に眠る六トンの金塊、しめて百億円――
 地下ケーブルが、変電所が黒煙をあげ、エレベータは金庫めざして急降下。練りに練った奪取作戦の幕が、いよいよ切って落とされた。
 メカ、電気系統、爆薬等、確乎たるディテールで描く、破天荒無比なサスペンス大作。(帯より引用)
 1990年、第3回日本推理サスペンス大賞受賞作。

 今じゃ新聞で世の中にケチを付けているだけの作家と化しつつある(はい、偏見です)高村薫のデビュー作。何作か読んだけれど、生理的に受け付けない作風なので、この本は未読のままだった。まあ佐野洋の選評までいくと単なるイチャモンでしかないが、暗い銀行強盗の話なんて好き好んで読みたいとは思わなかったのも事実。それでもせっかく手元にあるので、と思って読んでみることにした。結論。読まなきゃよかった(苦笑)。
 確かに銀行襲撃の手段はきめ細やかに描かれているし、舞台となった大阪についてもよく描かれていると思う。人物描写だってキッチリとしている。ハッキリ言って暗い人の集まりばかりで好きになれないが。これが新人の筆によるものだったというのだから、並外れた実力の持ち主だということはわかる。受賞して当然と言えるかもしれない。ただなあ……描き方から作者の底意地の悪さというか、視線の冷たさが滲み出ているように感じるのは気のせいだろうか。どこがどうとは言えないのだが、作品にも登場人物にも愛情が感じられないのだ。偏見かなあ、これって。
 とりあえず読んでみたってだけかな。他にも読んでいない作品があるけれど、どうしようかな。




帚木蓬生『賞の柩』(新潮文庫)

 199X年度「ノーベル賞」には微かな腐臭がした―イギリス医学界の重鎮が受賞した「医学・生理学賞」の周辺に不自然な死が多すぎるのだ。故あって、恩師の死因を探っていた青年医師・津田は、賞を巡る"論文剽窃"の疑惑と"見えざる凶器"の存在を知る。しかし真相を握る医学研究者は重度のアルコール依存症に陥っており…。現役医師にして山本賞作家が放つ、傑作サスペンス。(粗筋紹介より引用)
 1990年、第3回日本推理サスペンス大賞佳作受賞。同年、新潮社より単行本で発売。1996年、文庫化。

 ノーベル賞を巡る闇と、研究者たちの栄光と苦悩を背景にした医学サスペンス。疑惑の背景そのものや真相も面白いが、津田と恩師清原の娘・紀子との交流、清原と紀子ならびに英国研究者とその母親といった親子の愛情、医学研究者の家族の愛情、さらには紀子自身の成長の記録、ブダペスト、パリ、バルセロナの風景描写や料理等、楽しめる要素満載である。ここまで書くとサービス精神旺盛すぎるのではないかと思われがちだが、筆致そのものはさらっとしており、少なくとも後の帚木蓬生作品とは違って簡潔に書かれているから、読む方もすんなりと入ってくるし、疑惑を追う流れを損なうものでもない。
 専門となる筋肉繊維の話が難しいといえば難しいが、簡潔にまとめられているし、本筋にはそれほど影響しないこと(剽窃の事実が分かれば問題が無い)から、全てを理解しなくてもそれほど問題とはならない。"疑惑"の正体は説明されれば誰でも分かるシンプルものであり、一応投稿論文を出したことのある私にとっては思わず手を打ってしまいたくなるものであった。
 第3回日本推理サスペンス大賞の佳作であるが、このときの大賞は高村薫『黄金を抱いて飛べ』。どっちが面白いかと聞かれたら、素直にこっちと言いたくなるな。少なくともエンタテイメントという点ではこちらの方がずっと上。たしかこのミスで、「同時受賞にすると二人に賞金を出さなくてはならないから佳作にした」と勘繰られていたが、そう思われても仕方がないほどの出来。元々プロ作家であったことと、大賞にするとドラマ化で海外ロケをしなくてはならないから製作費が跳ね上がってしまうため、佳作にとどめたんじゃないかというのが私の推理だがどうだろうか。




松浪和夫『エノラゲイ撃墜指令』(新潮社)

 ニューヨークで生まれたハワード・本田は、日本人夫婦の息子なのに青い目を持っている。アメリカと日本の戦争がはじまり、母親は強制収容所で亡くなった。収容所から出た後、父親は車が爆発して亡くなった。そしてハワードは知る。実は父親は、日本のスパイであり、教わった教育はすべてスパイになるためのものであったことを。ハワードはアメリカの原爆の実験状況、そして日本への投下計画を入手し、日本に伝えるが、帰ってきた返信は、詳細な投下標的の入手と原爆工場の爆破命令であった。日本海軍の元少佐でベルンの日本公使館付海軍武官である神坂元はOSSベルン支局員のアレン・ダレスを通じ、和平の交渉を行っていた。
 1991年8月、第4回日本推理サスペンス大賞佳作受賞。1992年2月、単行本刊行。

 作者は執筆当時25歳で元銀行員。本作は二度目の挑戦。本作受賞後、寡作ながら執筆を続けている。
 題材的には手垢がついたような作品。原爆投下計画だし、本来だったらもっと複雑な背景を描写すべきだったと思うのだが、内容的には結構シンプル。それなのにまとまりがないのは残念。登場人物の描写が今一つでどういう人物かよくわからないし、色々な場所に動くのだが言葉だけで描写が足りないし、それ以前に内容が整理しきれていない。ハワードの視点・動きと、神坂の視点・動きをもっとわかりやすく書いてほしい。二か月で書いたとのことだが、もっと推敲すべきだったんじゃないだろうか。
 スケールの大きな話になるはずなのに、なぜかこじんまりとしているのが不思議。シンプルな方が書きやすいのはわかるんだけど、やはり違和感だらけ。それは思い込みかな。もっと枚数を使い、書くものだという。やはり、題材に比べてあまりにも内容が弱い。それでも疾走感はあるから、佳作に選ばれたのかな。




有沢創司『ソウルに消ゆ』(新潮社)

 漢江の河口付近に上った身元不明の東洋人男性の水死体。「るりり、るりるり…」の謎の文字を残して消えた社会部のエース記者。ルイス対ジョンソン世紀の対決には国際陰謀のワナ。マフィア、日本人暴力団、北朝鮮工作員が見え隠れする中、日本政界から与党大物政治家が登場。謎解きの面白さを存分に味わわせつつ、国際スケールで描く謀略と友情のサスペンス。第5回日本推理サスペンス大賞受賞。(「BOOK」データベースより引用)
 1992年、第5回日本推理サスペンス大賞受賞。同年12月、単行本刊行。

 作者は産経新聞記者で、受賞当時は論説委員長。後に本名の八木荘司名義で古代の日本を扱った作品を多数執筆している。
 ソウルオリンピックが舞台で、新日報の社会部記者が暗号を残して行方不明となる。同期生で編集庶務室から出張している武尾が、語学専門学校の日本語科に籍を置く通訳のミス・ユンとともに事件の謎を追う。背後にはカール・ルイス対ベン・ジョンソンの世紀の対決が絡んでいた。
 実際の出来事をそのまま本筋に組み込むというのはちょっとした違和感があるものの、筆そのものは軽快。現役記者だけあって文章は達者だし、謎の提示も悪くない。日本、韓国、アメリカの裏事情が絡み合う展開もなかなか。読者を惹きこむには十分の素材と、読者を納得させるだけの料理の腕がここにあった。受賞自体は文句なしだろう。
 とはいえ、不満が多いことも事実。一番の問題点は、大事なデータがミス・ユンから常に提供されること。少しぐらい操られていることに気づけよ、主人公。そもそもこの主人公、友人が誘拐されてせっぱつまっているのに、ミス・ユンに交際を申し込むって、どんな余裕だ。暴力団による五輪賭博で、ルイス1.4倍、ジョンソン86倍の非常識なオッズがついている時点で、何か裏があると思わない客がいるほうが不思議だ。普通だったら舞台裏に何かあると思って、誰も賭けなんかしないぞ。あと、運動部長の藤堂。スクープを見送ろうなんて、こんな新聞記者いないよ。夕刊紙記者の深見って、必要ないだろう。
 結局作者のご都合主義で物語が進む点が大いに不満。主人公も元々新聞記者なんだから、舞台がソウルとはいえ、もう少し自分で追いかけてほしかった。




天童荒太『孤独の歌声』(新潮文庫)

 ひとり暮らしの女性たちが次々と誘拐され、哀れな末路を迎えていた。糸口すらつかめぬ警察。朝山風希刑事は、別件を担当中にもかかわらず、この連続殺人を追う。封印したはずの過去が、事件へと向かわせたのだ。だが、その最中、隣室に住む風希の友人が行方不明になってしまった。孤独は煉獄の炎のごとく、人をあぶり続けるものなのか―――。天童荒太という名の伝説は、本書から始まる。(粗筋紹介より引用)
 1993年、第六回日本推理サスペンス大賞優秀作受賞作品を文庫化にともない大幅に加筆訂正。

 深夜のコンビニエンス・ストアでアルバイトをしながら歌い続ける「おれ」。コンビニ連続強盗事件を担当しながら、女性猟奇連続殺人事件を追う婦人警官の「わたし」、そして連続殺人犯の「彼」。この三人が主人公。
 主人公たちが自分の心にある暗闇の部分を吐き続けるというのは、後の作品と変わらない。“孤独の歌声”というキーワードは物語でうまく使われていると思う。ただ、なんとなくもやもやしたまま終わってしまうのが残念。闇の部分が強すぎて、物語に悪影響を及ぼしている感がある。登場人物たちの思いが強すぎて、読んでいるほうも疲れてしまう。
 それにしても、この既視感は何だろうか。どこかで読んだことがあるような記憶はあるのだが、それが何なのか思い出せない。もどかしさばかりが心に残る。




安東能明『死が舞い降りた』(新潮社)

 旋風とともに背後から襲い、喉を突き刺し、眼球を抉る。
 過去を忘れ、何もなかったように生きる者こそ、わが標的。
 そう、これは「狩り」なのだ……。
 朝もやにけむる街でジョギング中の男が惨殺された。
 死亡推定時刻は午前六時。蒼頸動脈、後頭部に深い創傷。頭部椎間板亀裂。左鎖骨部分骨折。眼球剥落。死因は外傷性ショック死。
 遺留品は殆どなく、凶器も不明。行き詰まる捜査の果てに、やがて浮かんできたものは? 森に潜むものの復讐を描くサスペンス!(帯より引用)
 1994年、第7回日本推理サスペンス大賞優秀作(大賞はなし)。応募時タイトル「褐色の標的」。1995年1月刊行。

 作者は1956年生まれ、静岡県出身。明治大学卒業後、浜松市役所に勤務。前年に『真空回廊』で日本推理サスペンス大賞の最終候補まで残った。後に『鬼子母神』で2000年、第1回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞。同年、『漂流トラック』が大藪春彦賞の候補作となる。
 宮部みゆきと高村薫が大賞、乃南アサと天童荒太が優秀作と蒼々たる名前がそろう日本推理サスペンス大賞。日本テレビが主催で新潮社が協力と、テレビ局側が前面に出ていた(サントリーミステリー大賞は朝日放送、文藝春秋、サントリーが主催)というのが大きな特徴であった。わずか7回で終了したが、本作品はその最後の回の優秀作。残念ながら大賞には選ばれなかった。読んでみるとやはり大賞には遠い作品であった。
 物語は主に二つの視点で進む。一つは犯人である藤岡光男。そしてもう一つは殺人事件を追う本庁捜査一課第四係の雪島警部補である。事件の方は謎の凶器に不明な動機、そして被害者の過去に隠されたある社会問題と、警察小説ならではの材料はそろっている。所々で在り来たりな警察機構の問題点を持ち出すところは、あれもこれも詰めてやろうという新人らしい失敗だが、読んでいてもそれほど気にならない。ただ、警察側の人物のいずれも顔が見えてこないという人物描写の薄さは気になった。それ以上に気になるのは犯人である藤岡側のストーリーである。このストーリーが絡むことによって、作者が主張したいことがまったく見えなくなっている。人物としての描写がほとんどなく、藤岡やその周囲を取り巻く人物像がまったく見えてこないことに加え、事件や凶器の謎(というほどのものでもないが)についてもネタばらしをしているに等しい。せめて藤岡から怒りが感じられればよかったのだが。
 調べた材料を消化するだけで終わってしまった作品である。雪島の視点だけで物語を進めた方が、事件の背景や藤岡の動機などがストレートに読者に伝わっただろう。被害者の視点が序盤で少し出てきたが、完全に蛇足である。面白いと思えるところ、褒めることができるところは全然見あたらなかった。ま、堅実な刑事ドラマを作る分にはよかったかもね。
 ついでに書くと、選評の島田荘司も指摘しているがこの凶器で遺留品を殆ど遺さないというのは不可能に近いと思う。リアリズムな描写に徹しようとしながら、こういうところで首をひねるようなものを残すのも、マイナスポイントであった。

 どうでもいいんだが、巻末にある本の案内で、大賞受賞作である有沢創司『ソウルに消ゆ』に“大賞受賞作”と書かれていなかったのはなぜなんだろう。



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