日本推理作家協会賞受賞作全集第31巻『短篇集III』(双葉文庫)



【粗筋】
 大正浪漫の香り濃密な「戻り川心中」、心理の綾を捉えた「視線」、日所的な光景に謎解きを展開する「グリーン車の子供」と「赤い猫」、少年の感性を描いた「鶯を呼ぶ少年」と「木に登る犬」。そして戦慄の結末を迎える「来訪者」と、さまざまな味わいの全7作を収録した珠玉の短篇集。
【初版】1996年5月20日
【定価】570円(本体533円)
【解説】山村正夫
【底本】『グリーン車の子供』(講談社文庫)、『視線』(講談社文庫)、『ナポレオン狂』(講談社)、『赤い猫』(講談社文庫)、『戻り川心中』(講談社)、『木に登る犬』(徳間書店)、『鶯を呼ぶ少年』(講談社)

【収録作品】
作 者
戸板康二(といた・やすじ)
 1915年東京生まれ。歌舞伎評論で有名。長篇推理には『車引殺人事件』『松風の記憶』『才女の喪服』がある。1993年没。
作品名
「グリーン車の子供」
初 出
 『小説宝石』1975年10月号掲載。
粗 筋
 新大阪から東京までの新幹線グリーン車に乗った老優中村雅楽と竹野。雅楽の横には7、8歳くらいの女の子が座り、父親から一人で東京まで行くため見てほしいと頼まれた。そして竹野の横には、京都から40歳ぐらいの和服の女性が座った。そして東京駅へ着く前、雅楽は、出演を求められていた歌舞伎座の舞台へ、7年ぶりに立つことを決めた。
感 想
 グリーン車の中で繰り広げられる、日常的な風景しか描かれていない。しかし最後まで読み終わると、これはミステリだったのかと気付かされる。雅楽シリーズでも屈指の一品。これぞ円熟の芸、これぞ短編。まさに至高の作品。協会賞に短編部門が設けられ、一番最初にこの作品が選ばれたことは運命だったのかもしれない。
備 考
 第29回(1976年)短編部門。

作 者
石沢英太郎(いしざわ・えいたろう)
 1916年大連生まれ。『牟田判事官事件簿』や『退職刑事官』などの地方色をもりこんだリアルな作風が手堅い。1988年没。
作品名
「視線」
初 出
 『小説宝石』1976年4月号掲載。
粗 筋
 梶原刑事が偶然見かけた結婚式の新郎は、6ヶ月前に梶原が逮捕した銀行強盗事件の時、最初に拳銃を突きつけられた銀行員有川だった。犯人は、有川の視線で同僚の高山が非常ベルを押したことを気付き、高山を殺害していた。何故有川は視線を走らせたのか。
感 想
 短編の名作だと思う。事件そのものだけでなく、姪と婚約している若い刑事の存在が、この物語に深みを与えている。特に最後の一行はうまい。
備 考
 第30回(1977年)短編部門。

作 者
阿刀田高(あとうだ・たかし)
 1935年東京生まれ。「ナポレオン狂」で直木賞を受賞。『新トロイア物語』ほか近年は長篇中心に作品を発表。
作品名
「来訪者」
初 出
 『別冊小説新潮』1978年秋季号掲載。
粗 筋
 資産家の娘であり、子供が生まれたばかりである浮田真樹子の家に神崎初枝はしばしば来訪していた。初枝は娘の幸恵を出産した病院に出入りする雑役婦であり、産後の経過が思わしくなかった真樹子はしばらく世話になっていた。それにしても初枝はなぜ真樹子の家を訪ねてくるのか。そして幸恵の面倒を見たがるのか。
感 想
 好意しか見せていない来訪者の不気味さ、結末のスリリングな展開、そして背中が震えるような結末。短いページの中に、計算しつくされた配慮が隅々まで行き渡っている名品。
備 考
 第32回(1979年)短編部門。

作 者
仁木悦子(にき・えつこ)
 1928年東京生まれ。1957年に『猫は知っていた』で江戸川乱歩賞を受賞。童話も児童雑誌などに多数発表。
作品名
「赤い猫」
初 出
 『小説現代』1980年3月号掲載。
粗 筋
 22歳の沼出多佳子は、1年勤めた大きな屋敷の掃除を終えて出て行こうとした時、弁護士の河崎から一通の遺言書を受け取った。それは、屋敷の主であり、亡くなったばかりの大林郁がすべての財産を多佳子に遺贈するというものだった。郁は屋敷内の窃盗事件を鮮やかな推理で解決するなど、ミステリが好きで頭の回転が速かった。多佳子は自分の母親が18年前に殺害された迷宮事件を郁に話す。
感 想
 公募で初めての江戸川乱歩賞受賞者で、短編の名手でもあった仁木悦子がようやく受賞した作品。円熟の時期に書かれたものであり、老婆の安楽椅子探偵ぶりや事件の隠された真相など、細部まで考えられている。どことなくほのぼのとしてユーモアがあふれた作風はこの作品でも健在。
備 考
 第34回(1981年)短編部門。

作 者
連城三紀彦(れんじょう・みきひこ)
 1948年名古屋生まれ。1978年「変調二人羽織」で幻影城新人賞。1983年「恋文」で直木賞。以後恋愛物が中心に。
作品名
「戻り川心中」
初 出
 『小説現代』1980年4月号掲載。
粗 筋
 大正期を代表する天才歌人、苑田岳葉。端正な容貌の岳葉は妻ミネを持ちながらも女性関係に放埓であり、彼が残した歌集にはその荒んだ影が投影されていた。岳葉は二度の心中未遂事件の直後、34歳で自害した。しかし数少ない友人である小説家の「私」は、岳葉の死に意外な真相が隠されていることを突き止めていた。
感 想
 大正末期の退廃的なムード。愛に生きる女性たちの姿。取り残された者たちの感慨。孤独な天才歌人のその裏。短歌とともに紡がれるその物語は、連城美学のすべてを結集させた最高傑作といってよいだろう。この短歌がすべて自作というところにも驚かされる。日本推理小説史に残る名作。
備 考
 第34回(1981年)短編部門。

作 者
日下圭介(くさか・けいすけ)
 1940年東京生まれ。『蝶たちは今……』により江戸川乱歩賞を受賞。昭和史を背景にしたものなど作品多数。
作品名
「木に登る犬」
初 出
 『小説現代』1981年11月号掲載。
粗 筋
 「木に登るんだよ、この犬」。11歳で隣に住む秀夫と、同い年でぼくの弟である賢次は言い争っていた。その犬コロは、1週間前に崖から転落死した進の犬で、今は賢次が飼っていた。確かにコロはある木に登ろうとしていたが登らない。秀夫は証人として近所に住む真知子を呼ぶ。真知子はぼくがかつて告白した相手だった。
感 想
 子供の言い争いが、事件の意外な真相につながるストーリー。日下圭介は少年少女を主人公にした作品を書き続けていたが、本作品もその一編。子供たちの無邪気で時には残酷な行動が、物語の中にうまく取り込まれている。
作品名
「鶯を呼ぶ少年」
初 出
 『小説現代』1981年7月号掲載。
粗 筋
 ローカル紙の新聞記者である桶谷俊治は、誤診のスクープが原因でつぶれた個人病院の医者の息子が殺害された事件の容疑で逮捕された。医者は誤報だと訴えながら自殺し、息子は勤めていた仕事をやめ、やくざ同然の仕事をしていた。しかも死体を発見した少年田口正夫は、桶谷に死体が埋まっていると聞いたと証言した。そして16年後、自殺した医者の二女である冬子は、桶谷が経営するさびれた温泉宿を訪れる。当時の冬子の証言で事件の日時が1日ずれたため、桶谷はアリバイが成立して釈放されていた。そして捕まったのは正夫の母である久江だった。
感 想
 鶯の真似が得意な少年のエピソードと、冤罪に巻き込まれそうになった新聞記者のエピソードが交錯するストーリー。ほのぼのとしたエピソードが意外な結果に結びついている構成に巧みさを感じる。少年特融の残酷さを描いたのが「木に登る犬」であり、日下の業績を考えると受賞作にふさわしいのはそちらの方であるが、作品自体の出来としては本作品の方が上か。
備 考
 第35回(1982年)短編部門門。

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