作 者 |
徳岡孝夫(とくおか・たかお) 1930年大阪府生まれ。毎日新聞で、社会部記者、編集次長、編集委員などを歴任。ベトナム戦争や三島由紀夫事件を取材した。ニューヨーク・タイムズのコラムニストも務め、『ライシャワー自伝』ほか、多数の訳書がある。1986年、菊池寛賞を受賞。 (作者紹介より引用)
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作品名 | 『横浜・山手の出来事』 |
初 出 | 『横浜・山手の出来事』(文藝春秋)1990年1月刊行、書き下ろし。 |
粗 筋 |
明治29年10月、横浜の英国領事館で、検屍裁判が始まった。外国人居留地で社交場の支配人を務めていた、カリューの死因を決定するためである。解剖の結果、体内から砒素が検出されていた。自殺? 事故死? 他殺? 謎めいた黒衣の女は誰? 人間心理の奥底に迫る、スリリングなミステリー・ノンフィクション。第44回日本推理作家協会賞評論その他の部門賞受賞作。 (粗筋紹介より引用)
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感 想 |
協会賞受賞作でミステリーファンにも好評なノンフィクション作品は、『文政十一年のスパイ合戦』とこの作品じゃないだろうか。1986年10月22日、横浜ユナイテッド・クラブの支配人である43歳のウォルター・カリューが死亡した。その3日後、英国領事館法廷(現剤、横浜開港資料館所在地)で、検屍裁判が始まった。故人の内臓の理化学検査を担当したエドワード・ダイヴァース博士により、カリューは砒素によって死亡したと判明。夫人で28歳のイーデス・カリューの口から、謎の「黒衣の女」アニー・リュークの名前も出てきた。検屍裁判終了後、訴追側はカリュー夫人が犯人と目星をつけ、予備審問を開く。このとき、カリュー夫人が香港上海銀行横浜支店員のディキンソンと不倫をしていると明らかになった。状況証拠ばかりであったが、夫人は収監され、翌年1月に公判が開始される。その場でカリュー夫人の弁護人は、家庭教師のメアリ・ジェイコブを殺人容疑で告発。2月1日、陪審員はカリュー夫人に有罪を言い渡し、裁判官は絞首刑を言い渡した。3日後、皇太后大喪に伴う大赦が適用され、夫人は終身重労働に減軽された。 徳岡は事件の曖昧さと、夫人の人物像がほとんど語られていないことに疑問を呈し、自ら現地取材に出かける。ロンドンで雇った助手の働きにより、その結果、カリュー夫妻の婚姻のなれ初めや、夫人や子供のその後まで明らかになった。英国名門ポーチ家の出身であるイーデスは、親が反対するにもかかわらず結婚していた。カリュー夫人は香港で服役し、1910年に出所。イギリスに戻り、90歳まで生きていた。調査の終わった徳岡は、最後に事件の真相を推理する。 I部は事件についての紹介、II部は法廷、III部は徳岡の調査によるその後である。その克明な記録は、興味のない人から見たら長すぎて退屈に思えるかもしれない。しかし、明治時代の横浜の描写や裁判風景などは、作者が何一つ書き落とすことはないようにしようという表れではないだろうか。写真や当時の記事など、資料も充実している。弁護側は別の犯人を告発するという裁判の異例さも、現実の事件なのに展開がスリリングで面白い。III部のその後の調査は、あまりにもとんとん拍子に進みすぎじゃないかと思う人もいるだろうが、カリュー夫人が英国名門の出身であることを考えると、これだけの記録が残されていても不思議ではない。明治時代に起きた事件なのに、夫人が90歳まで生きたことにより、急に身近な話と思ってしまう著者の戸惑いが、こちらにも伝わってくる。 ミステリーファンにはお勧めの一冊である。 |
備 考 |
第44回(1991年)評論その他の部門。
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