緒川怜『霧のソレア』(光文社)

 テロリストが誤って仕掛けた時限爆弾により、太平洋上を飛行中の289人を乗せたジャンボジェットが大破。機長を失うが女性副操縦士の奮闘で飛行機は成田空港へと向かっていった。
 しかし突然、通信機器が使用不能となり地上との更新ができなくなる。飛行機をそのまま墜落させるため、アメリカが電子戦機を出動させ、電波妨害を始めたのだ。
 ――いったい何故?
 米政府、CIA、日本政府、北朝鮮。権力同士の闇のつばぜり合いと、最後まであきらめない女性パイロットの活躍が息を呑む、壮大にして猛スピードで突き進むノンストップ・エンタテイメント。(帯より引用)
 選考委員満場一致で第11回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞。

 第11回日本ミステリー文学新人賞である本作は、手に汗握る航空パニック冒険小説。大破した飛行中のジェットをなんとか操縦して着陸しようとするが、地上から妨害を受けるというパターンは、トマス・ブロックの『超音速漂流』(改訂版が出ているとは知らなかった)にかなり似ているため、選評ではどう触れられていたのかが気になるところではある。爆破の原因が中南米問題に関連したテロリストによる時限爆弾によるものといったところや、地上からの妨害方法といった点に現代的要素を加味し、主人公にある過去を持った女性パイロットを据えた点は、新人にしてはよくできた方だと思う。
 最初の方は様々な登場人物の背景を説明するのにページを多く使っているため、銃撃シーン等がありながらも波に乗れないところはあるのだが、ジャンボが飛び立ってからはパニックシーンの連続で、手に汗握る展開をうまく作り出している。飛行機や空港などの描写がやや細かく、それでいて物語のテンポを崩さないようにしたために、説明がわかりづらいものになっているのは少々残念だが、結末までエンタテイメントを貫いた点は評価してよい。
 結末が類型的になったところは、この手の冒険小説では仕方がないところなのかもしれないし、新人としての限界なのかもしれないが、つまらなく思ってしまったのは事実。ここでもう一つ違った展開を見せるか、もしくは事件の真実を上回るような感動的な描写があったら、今年度の収穫といえたかと思うと、ちょっと惜しい。とはいえ、読んでみても損はない。映画のようなスリルとパニックを楽しみたい人なら、きっと満足するはずだ。
 どうでもいいが、タイトルは応募時の『滑走路34』の方がよかったな。
 さて、この作家に第2作が書けるだろうか。共同通信の記者らしいが、作者が自分の知っている知識を全部つぎ込んだ、という印象しか受けない。2作目でガラッと変わったものを出すことができるのなら、本物だと思うのだが。




結城充考『プラ・バロック』(光文社)

 埋め立て地の冷凍コンテナから、14体の凍死体が発見された。整然と並んだ死体は、誰の、どんな意図によるものなのか? 神奈川県警機動捜査隊に所属する女性刑事・クロハは、虚無感と異様な悪意の漂う事件の、深部に迫っていく……。圧倒的な構成力と、斬新なアイディアを評価され、選考委員満場一致で新人賞を受賞した期待の新鋭、渾身の一撃。第12回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。(帯より引用)
 2009年、第12回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞。同年3月、単行本刊行。

 主人公のクロハユウがカタカナだから近未来の作品かと思ったら、内容は普通に現代の話。被害者は漢字名なのに、他の登場人物はカタカナばかりという異様な表記だが、いったい何の意味があったかは疑問。クロハも普通に「黒羽」という名前があったし。孤高の女刑事という設定も今更という気がするし、「機捜の鋼鉄の処女(アイアン・メイデン)」という通り名も古臭い。そもそも「孤高」といっても、単に捜査を指揮するカガの女性蔑視なだけじゃないかという気がする。そのくせ、主人公のキャラ付けが今一つだから、感情移入がしにくい。登場人物のバックボーンが書かれないまま、急激に感情が吐露されるから、余計に始末が悪い。
「全選考委員絶賛」とあるが、序盤は本当に退屈。コンテナから14体も凍死体が発見されれば、いくら集団自殺とはいえ、警察もマスコミももっと騒ぐと思うのだけどねえ……。「仮想空間」での会話などが途中で唐突に織り込まれるし、舞台を把握するのに一苦労。曰くありげなタカハシが中盤に出てきてから、ようやく物語が軌道に乗るのだが、そこからの展開はクロハの暴走が目立つ。警察の一員なのだから、いくら「孤高」とはいえ勝手な行動ばかりであまり気持ちの良いものではない。勝手に動くのなら、その説得力をもっと事前に入れるべきだった。結末もあいまいなところを残したままだし、結局何をやりたかったかよくわからないまま終わってしまった。
 雨を上手に生かした描写などは悪くないと思うのだが、「絶賛」するような作品ではないなと思った次第。それでもこれがシリーズものとして続いているのだから、それなりに人気があるのかもしれない。




両角長彦『ラガド 煉獄の教室』(光文社)

 都内にある有名私立進学校、瀬尾中学校の二年四組の教室に今日も闖入した日垣吉行は、いつも通りに学級委員の藤村綾に誘導され、おとなしく出て行った。ところが、この日だけは右手に包丁を持ち、教室へ戻ってきた。そしてトイレに行こうとした女子生徒2人に突き飛ばされて激昂、1人の腹部を刺した。慌てて藤村が日垣を止めに入ったが、日垣は彼女のを滅多刺しにして殺害した。藤村は最後、「おとなにはまかせられない……もうすこしで(不明)……わたしをかわりに……」と喋り、病院に運ばれたが死亡した。日垣は一人娘の里奈が2ヶ月前に自殺したのは、このクラスで精神的虐待を受けていたからと思い込み、酒に酔っては構内を徘徊していた。日垣はその場で逮捕されたが、ショックで記憶を失っていた。そして生徒たちにも記憶の混乱があった。
 日垣の動機がわからない警察は教室のセットを用意し、40人の生徒と犯人役の警察官による再現ドラマを演じることで日垣の記憶を取り戻そうとした。警察は里奈を虐めていたのは藤村で、だから殺害されたと結論付けようとしていた。再現ドラマで藤村役を演じていた冬島康子巡査はそれに反発、警察を辞めて藤村の両親にそのことを話した。さらに両親はそのことをマスコミに話し、事態は大事となった。テレビディレクターの甲田諒介は特集番組を作るため、冬島に接触する。一方、瀬尾中学校がある学校法人「瀬尾学園」理事長であり、瀬尾グループ会長の跡継ぎである瀬尾伸彦は、筆頭秘書である飯沢哲春に事態の収拾を図るよう命令していた。長男である将も同じクラスにいたのだ。
 2009年、第13回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。2010年2月、ソフトカバーで刊行。

 帯に「斬新な視覚効果を図った実験的小説が誕生!!」とあるから何かと思ったら、頁の下部に描かれた教室の見取り図。生徒を番号で振り、それぞれの生徒や犯人の動きを矢印で記すことにより、事件の状況が視覚的にわかるようになっている。しかも証言の追加や変更によって動きが変わる度に見取り図が登場し、トータルでは合計93枚になる。四十人の生徒の名前を出されたって覚えきれないので、数字で降ってくれたのは大変助かった。まあ、ここで出す必要があるのだろうかというところもあったけれど、どうせやるなら徹底した方がいい。ただ、記号にした効果は最後によくわかったけれど、見取り図の方はわかりやすい以外の効果が得られていないのは作者としては無念かも。やっぱり事件の再現をするのなら、再現から矛盾点が浮かび上がってくる構造にしてほしかった。ただそれをすると本格ミステリになってしまうのか。それは作者の望む方向じゃないか。
 犯人こそすぐに捕まったが、肝心の「なぜ」という部分が見えてこない。それを探るうちに事件の構図が二転三転する。動機の背景として出てくるのが精神的虐待というのはありきたりかなと思っていたら、そこから先はとんでもない方向へ向かっていたのが少々驚いた。警察の買収まで話に出てきた時は本当にびっくり。ただ、いくら話をスピーディーにするためとはいえ、ドキュメンタリー番組のディレクターに警察が捜査内容をぺらぺら喋ったりするのは無理があるなと思うし、何よりも番宣までしているドキュメンタリー番組の納品が当日というのは、少々やり過ぎじゃないか。
 真の黒幕も含め、明かされない部分も多い(○○って何を指しているのかいまだにわからない)し、はっきり言って結末はがっくり来るものだったけれど、「緑の鹿」を絡めた追い込みは突っ込みどころ満載なれど見事と言いたくなるような迫力だった。何とも形容し難い作品だが、綾辻が絶賛するのもわかるような気がする。どうでもいいけれど、個人的には高橋が好きだな。
 ちなみにラガドとは、『ガリバー旅行記』に出てくる都市の名前。何百人という科学者たち研究をしているのだが、全てが空理空論で、具体的な成果はなにひとつあがらないまま、膨大な研究費だけが、無駄に費やされているという。




石川渓月『煙が目にしみる』(光文社)

 巨大歓楽街、福岡・中洲。バブル期はやくざ相手でも一歩も引かず地上げで鳴らしたが、今は長いものには巻かれてしまうさえない街金業者、その名も小金欣作。ある夜、彼は界隈を仕切る悪評高い暴力団に単身でつっかかってゆく少女を見て、ついつい助けてしまう。
 その少女の向こう見ずさにかつての自分を思い出し、長くくすぶり続けていた男の心に再び火がつく。
「大人の正義、見せちゃるばい」──彼は仲間と共に知力体力根性愛情を駆使し、ネオン街を奔走する。
 全選考委員がこの作品に好感。プラターズの名曲「煙が目にしみる」が鳴り響く、第14回日本ミステリー文学大賞新人賞作品。(粗筋紹介より引用)
 第14回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。2011年2月刊行。

 タイトルはジャズのスタンダードナンバー、" Smoke Gets In Your Eyes"(日本語タイトル「煙が目にしみる」)より。個人的には川谷拓三主演のNHK銀河テレビ小説のイメージが強いのだが、まあ、それは置いておいて。応募時のタイトルは「ハッピーエンドは嵐の予感」。主人公・小金欣作が経営していた街金の会社名が「ハッピーエンド」だったので、それを使ったのだろうけれど、あまりにも陳腐なタイトルであり、このままだったら読者の半数は手にすら取らなかっただろう。どうでもいいが、主人公の名前も語呂合わせというのは本来ならマイナスポイントだろう。
 内容はちょっと古いハードボイルド風味。どちらかというと、ジャズより演歌が似合いそうな作品なんだが。舞台が中州であり、会話も博多弁というのが本作品の特徴の一つか。福岡に住んだことがないので、どこまで本当の博多弁かはわからないが、読んでいて鬱陶しいということはなかった。
 細々と街金をやっていた小金欣作が、友人・夏美を救い出そうとして乗り込んだはいいが、逆に輪姦されそうになった高校生・夢子を、暴力団系の芳崎ファイナンスの事務所から救い出すところから物語は動き出す。平気で暴力団がドンパチやっていることについては日本でも有数の街である福岡で、いくら高校生でも暴力団の恐さを知らないはずはないと思うのだが、まあ、よしとしよう。思わず救いの手をさしのべるのも、わからないではない。もっとも、そのまま徒手空拳に近い状態で組織暴力団に刃向かおうとするのは、無謀であるし、勝算はゼロに等しい。わかっていても抵抗するのがハードボイルドと言われても、武器も持っていない50近くの中年が主人公というところでかなり納得いかないものもあるが。その後の展開は、ご都合主義の塊。ピンチに陥ると必ず助けが入るし、誰かが情報を持ってくる。小金が殺される直前で電話が鳴るところは、笑うしかなかった。小切手の件だって、ちょっと調べれば自分でもわかるだろう、と言いたい。まあ、それ以前にこの程度の現金がないと破滅するって、どんな状況なんだ、いったい。
 ただ、キャラクターの造形は非常によい。とくに小金を助けるオカマバーのメロンちゃんは最高である。これで50近くのおっさんじゃなかったら……(苦笑)。夢子、翔一といった子供の無鉄砲さや、小金たち大人のやせ我慢という点は、よく描かれていると思った。
 内容的にはやや甘めに仕上がった作品だが、完成度自体が甘いのは残念。それにしても「全選考委員がこの作品に好感」というのは結構ずるいと思った。絶賛しているわけじゃないからね。選評を読んでみたいところだ。




望月諒子『大絵画展』(光文社)

 ゴッホの『医師ガシェの肖像』がロンドンのオークションで日本人に180億円で競り落とされた。バブルがはじけ、絵画は銀行の債権の担保として押収され、倉庫の奥深くに眠っていた。
 両親に借金をしながら東京でデザイナーをしていた大浦荘介。銀座のホステス時代の借金1000万円を踏み倒し、今は場末のスナックのママをしている筆坂茜。ともに詐欺に遭い、舞台となった空っぽの事務所で鉢合わせ。そこへ現れた、茜の店の客である銀行員の城田が、絵画強奪の計画を持ちかける。それは、銀行が不良債権の担保として取って倉庫に眠る『医師ガシェの肖像』を盗み出すことだった。その絵はコンテナに入っているのだが、探す時間がないので、2つのコンテナ毎盗み出すことに。しかし2つのコンテナには、同じく担保になった世界の名画135点があり、総額は約2000億円に上った。
 2010年、第14回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞。2011年2月発売。

 作者は2001年、『神の手』を電子出版で刊行しデビュー、その後集英社文庫化されており、他にも数冊出版されている。
 最初に「ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードに捧ぐ」とあるため、コンゲームの代表的な映画『スティング』を意識していると思われる(といっても、映画を見たことはないのだけれども)。
『医師ガシェの肖像』は1990年5月15日、ニューヨークのクリスティーズでの競売で大昭和製紙名誉会長の齊藤了英に、当時史上最高落札額の8250万ドル(当時のレートで約124億5000万円)で、競り落とされた。斎藤は「自分が死んだら棺桶にいれて焼いてくれ」と発言し、世界中から顰蹙を買った。1996年の斎藤の死後に行方不明になったが、実際は1997年にサザビーズが非公開でオーストリア出身のアメリカのヘッジファンド投資家ウォルフガング・フロットルに売却していた。2007年1月、フロットルが破産後、サザビーズがこの絵を引き取ったことで所在が明らかになった(Wikipediaから引用)。
 そんな曰く付きの絵画を盗み出すというプロット自体は悪くない。ただ、序盤はそれぞれの登場人物の事情にページを費やしていて、はっきり言って退屈。中盤から荘介と茜による絵画強奪が行われるが、こんな簡単に盗めていいの、という不可解さが残る。ド素人による実行だし、どこかでしくじりそう。さらに、警察に捕まるような証拠を残さなかったというのが不思議なくらい。首をひねりながらの中盤を過ぎると、思いもよらぬ展開が待ち受けていて悪くない。ここだけはよく考えたな、と言えるところ。特に「大絵画展」の意味がわかるところは秀逸だ。頭の中に絵が浮かんできて、思わずニヤニヤしてしまった。ただ、真相が明かされた後の冗長なところは、せっかくの余韻を打ち消すマイナスポイントである。
 絵画を手に入れる手段が力業による強奪であるため、コンゲームと謳われているのには首をひねるところがある。読み終わってみると、どこかで読んだような既視感もある。絵画に関する蘊蓄がやや過剰で読みにくい。バブル時代の日本のマネーゲームについては、もっと掘り下げることも可能だっただろう。登場人物の書き分けも今一つで、ごちゃごちゃしている。ただ、最後にちょっとした人情話になるところは読後感が良くなる。最後の「大絵画展」はイメージすると実に楽しい。
 キャリアのある人なので、「新人賞」という肩書きがふさわしいかどうかは疑問だが、それなりに楽しく読むことはできた。




前川裕『クリーピー』(光文社)

 杉並区の住宅街に、微妙に孤立してみえる一戸建てが三軒。大学教授の高倉家は夫婦二人ぐらし。隣は四人家族の西野家。向かいは老親子が住む田中家。ごく薄いつきあいの隣人同士の関係はしかし、田中家の失火炎上を契機とするかのように、大きく歪みはじめる……。第15回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。(「BOOK」データベースより引用)
 2012年、第15回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞。応募時タイトル『CREEPY』。2012年2月、単行本発売。

 作者は大学教授で、比較文学、アメリカ文学専攻。2003年に『怨恨殺人』が第7回日本ミステリー文学大賞新人賞の最終候補となっている。
 大学教授が書いた作品で、しかも主人公も犯罪心理学の大学教授。どんな堅苦しい作品だろうと思って読んでみたが、帯にあるとおり「展開を予測できない実に気味の悪い物語」だった。タイトルのCREEPYは、「(恐怖のために)ぞっと身の毛がよだつような、気味の悪い」という意味。倉の高校時代の同級生である警視庁捜査一課の野上が連絡をよこし、8年前の一家三人行方不明事件についてアドバイスを求めてくる。しかし野上がなぜアドバイスを求めてきたのか。そして西野の家で中学生の娘が虐待されていることに倉の妻が気付く。そして娘は訴える。「あの人はお父さんじゃない」と。それは想像を上回るおぞましい事件が発覚する始まりだった。
 隣の人が何をしているかわからないなど、都会ではよくある話である。しかし、隣家の人物が犯罪者であるなら話は別だ。ましてやそれが、天才的な犯罪者であったとしたら。少しずつ明らかになっていく過去の犯罪。そして少しずつ迫ってくる犯罪者の恐怖。章毎に意外な展開が待ち受けていて、読者を退屈させない。そして何よりも上手いと思ったのは、この犯罪者の描き方。とにかくおぞましい。気持ち悪い。タイトルのクリーピーとは上手く名付けたものだ。
 もちろん、新人ならではの問題点もある。人物描写の硬さは仕方が無いが、メールとか学生を巻きこんだ部分はあまりにも配慮がなさ過ぎ。そこまで登場人物たちも単純ではないだろうと思いたい。
 最後の解決部分も含め、構成はよく考えられているといってよい。もうちょっと評価が高くてもよかったと思うのだが。
 これが映画化されるというのだが、あのおぞましさをどこまで表現できるのだろうか。最も観たらうなされそうなので、映画館に行くつもりは全然無いのだが。




川中大樹『茉莉花(サンパギータ)』(光文社文庫)

 尽誠会(じんせいかい)巴組(ともえぐみ)組長・水谷優司(みずたにゆうじ)は、抗争で妻を失った過去を持つ。仁義に篤い彼を慕うフィリピン人留学生シェリーは、家族同然の存在だ。ある日、謎めいた言葉を残して幼馴染の神楽武雄が殺された。優司は事件を追うが、武雄とシェリーの背後に国境を越える巨大な犯罪の影がちらつき始める。暗躍する犯人に優司は辿りつけるか? 日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 2012年、第15回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞。応募時タイトル「サンパギータ」。同年2月、単行本刊行。2014年3月、光文社文庫化。

 尽誠会巴組組長の水谷優司が、幼馴染の神楽武雄を殺害した犯人と、同居するフィリピン人留学生シェリーの両親がフィリピンで殺害された謎を追う。
 うーん、暴力団の組長が主人公で探偵役なら、大抵のことは力で解決してしまいそう。打ち出の小槌とまでは言わないけれど、警察とはまた別の大きな力を持っている組織なので、大抵のことは簡単にわかってしまう。ヤクザ路線ならこれでいいけれど、ハードボイルドを目指すなら、大きなマイナスだろう。ハードボイルドは、やせ我慢の文学なのだから。
 それ以上に首をひねるのは、暴力団組長のくせに、水谷優司が善人過ぎて見えてしまうところ。一応日本刀も振り回し、暴力シーンもあるけれど、ここまで暖かい組長なんか見たことがない(ユーモア作品ならまだしも)。敵役の人物を除いたら、優司にしろ周囲の人物にしろ、善人ばかり。ええっと、これは本当に日本のお話ですかと作者に問い詰めたくなる。アットホームなドラマかい、これは。
 謎自体はありがちだけど悪くないし、選評で言われるようにリーダビリティも悪くない。もう少し設定を考えるべきだったね、これは。
 同時受賞は前川裕『クリーピー』なのだが、これは前川作品の方が上。解説を読むと今野敏が「この小説はファンタジーとして読むべし」と受賞を主張したようだが、なぜこれを受賞させたのか、理解に苦しむ。ご都合主義極まりない。




葉真中顕『ロスト・ケア』(光文社)

 一審で死刑判決を受けた「彼」は43人を殺害していた。彼はなぜ殺人に手を染めたのか。
 検察官の大友秀樹は、総合介護企業フォレストの営業部長で、高校時代の同級生である佐久間功一郎の紹介で、実業家の父親を完全介護の老人ホームに預けた。
X県八賀市の羽田洋子は、重度の認知症となって暴れまくる母親を介護する毎日を地獄だと認識していたが、そんな母親は「彼」からニコチンを注射されて殺された。警察は自然死と判断し、洋子は母親の死に悲しみつつ、救われたと思っている自分に気付く。
 フォレストが経営する八賀ケアセンターで働く若手社員の斯波宗則は、低賃金な老人介護の重労働に耐えつつ、老人介護に追いつめられた人々の苦悩を見て自分の父親が死んだときのことを思い出す。斯波と一緒に組んでいたうちの一人であるアルバイトのヘルパーは、最初こそ介護に生きがいを感じていたものの、疲れもあって徐々に元気が無くなり、遂には老人にセクハラをされたときに暴言を吐き、翌日には辞めてしまった。
 フォレストが補助金を不正受給していたことが発覚し、社会的バッシングを受けて倒産。佐久間はその直前に顧客名簿を持ち出して会社を辞めていた。
 2013年、第16回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞。2013年2月、刊行。

 作者はブロガーとして有名。2009年に『ライバル』で角川学芸児童文学賞優秀賞受賞。2011年より『週刊少年サンデー』に連載された『犬部! ボクらのしっぽ戦記』にシナリオ協力。
 本作品は『ミステリが読みたい!』で第5位、『このミステリーがすごい!』で第10位、『週刊文春』の「ミステリーベスト10」で第14位となっている。日本ミステリー文学大賞新人賞でこれだけ評価されたのは、『太閤暗殺』を除くと初めてじゃないだろうか。
 冒頭で43人を殺した「彼」に死刑判決が下され、事件に関わった羽田洋子、斯波宗則、佐久間功一郎、大友秀樹の4人の名前が出てくる。物語はそこから遡り、「彼」を含む5人を中心とした関係者の状況が書かれていくうちに、大量連続殺人事件の全貌が徐々に明らかになっていく。
 本作品が注目されたポイントは、やはり老人介護・福祉行政の問題である。関係者にとっては今更かも知れないが、知らない人から見ると驚きの連続だろう。羽田洋子は思わず救われたと漏らしてしまうのだが、それも無理はない。現実でも介護疲れに伴う母親殺害の事件(執行猶予判決が付いたはず)があったが、まだまだ身近な問題として考えられていないのが現状だ。自分もいずれ年を取るというのを知っていながら。
 それにしても犯人の問いかけは非常に明解だ。人を救うために人を殺す。これに対する答えがないのは非常に良かった。それは、我々が考えなければならない問題だからである。
 ミステリそのものの仕掛けとしては非常に単純である。面白いなと思ったのは統計から事件をあぶり出すところであるが、それを除くと手法としてはありきたりとしか言い様がない。それを上回るのは、やはりプロットの良さ。一時期の乱歩賞が「お勉強ミステリ」と揶揄されたことがあったが、本作品が「お勉強ミステリ」に終わらなかったのは、物語としての面白さが高いこと。評判が良かったのも頷ける作品である。




嶋中潤『代理処罰』(光文社)

 岡田亨の高校一年の長女、悠子が誘拐された。身代金の要求は2000万円。それを届けるのは母親と指定された。7歳の長男・聡の移植手術の時に世話になった資産家・橋本功に金を借りることは出来た。しかし母親であるブラジル人の日系四世・エレナは、会社の車で交通事故を起こして女性を死なせた後、すぐにブラジルへ逃亡していた。亨は悠子を救うため、母親を探しにブラジルへ飛ぶ。
 2013年、第17回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞。応募時名義市川智洋、応募時タイトル「カウントダウン168」。2014年2月、単行本刊行。

 作者は1999年の第3回から応募し続け、最終候補に残ったのは8度目。第3回「エンジェル」、第9回「ストラスブールの羊飼い」、第10回「マリオネットの行方」、第11回「青の迷路(ピグメント・ブルー)」、第14回「明日への飛翔」、第15回「伏流水」、第16回「スパイダー ドリーム」である。これだけ最終候補で落とされると、たいていの人なら諦めそうなものなのだが、よくぞここまで頑張ったものだ。アイディアは相当あるとみてよいだろうし、文章力も水準に達している。ちょっと説明くさいところが気になったが。
 内容としては誘拐ものとタイムリミットサスペンス。誘拐された娘を助けるために母親を探しにブラジルまで飛ぶというのは、よくよく考えると首をひねるところが多いのだが、展開の速さとテンポの良さを武器に話を進めることで、少なくとも読んでいる間はそれなりに手に汗握る展開に仕上がっている。逆に読み終えてしまうと、こんな設定ないよなと言ってしまうのも確か。普通だったらブラジルの日本大使館に頼めば、探し出してくれそうな気もする。プロが隠れているわけではないし、ブラジルの警察が捜し出せば簡単に見つけだせると思う。それに代理処罰を申請すれば、ブラジルの警察も動き出すと思う。
 誘拐の真相は、勘のいい人でなくても予想がつくもの。まあ、謎という点については大して見るところはない。はっきり言ってしまえば、家族の愛がテーマである作品。読み終わってみれば、ああ良かった、と言える作品である。これはこれで一つの形だろう。この点について不満を持つ読者も居るだろうが。
 元々のタイトルは今一つだが、本作品の「代理処罰」も作品のテーマとは離れているので今一つ。なんかいいタイトルはなかったのかな。客の目に付きそうなタイトルであることは事実なんだけど。
 8回目の最終候補エントリーに対するご褒美という気がしなくもないが、この仕上がりだったら賞にふさわしいといってよいだろう。どちらかと言えば2時間ドラマ向きな作品だが。最もこの作品、悠子が丸坊主になってしまうから、演じそうな人はなかなか見つからないかも。それはともかく、これだけ書けるのなら、平均点量産型の作家にはなりそうな気がする。
 気になってちょっとだけ調べてみたけれど、最終候補止まりが5回以上という作家は結構いることにちょっと驚き。まあ、これぐらい頑張らないとプロになるのは難しい、ということか、それとも単なる巡り合わせか。何も賞としてメジャーではない日本ミステリー文学大賞新人賞に応募しなくてもよいのでは、とも思ってしまうが。ちなみに同賞だと、戸南浩平が6回最終候補に選ばれている。次々回は彼か?




直原冬明『十二月八日の幻影』(光文社)

 陸軍参謀本部第二部暗号解読班高井戸分室に所属する陸軍少尉、有馬数史は、一〇〇式電気推字機、通称「電気ソロバン」を用い、アメリカ大使館から送受信電信文「オロチ暗号」の解読に成功する。海軍少尉、潮田三郎は日清戦争で全滅した祖父の汚名を濯ぐため指揮官になることを夢見ていたが、英語が得意だったことから軍令部第三部第五課で翻訳ばかりさせられていた。ある日、潮田は期限付きで海軍軍令部総長直属の特別班に転属となった。特別班のトップは弱冠26歳ですでに少佐の渡海宗之。特別班は、陸軍所管の憲兵隊とは別に、防諜を携わっていた。日本がアメリカに宣戦布告する直前、日本側の奇襲作戦の秘密がアメリカに漏れていた。いったい裏切り者は誰か。潮田は反発を覚えながらも、渡海の指揮のもと、憲兵隊とも手を組んで捜査に乗り出す。
 2014年、第18回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞。応募時タイトル「十二月八日の奇術師」。2015年2月、単行本刊行。

 1941年12月8日に日本が真珠湾を奇襲したことは歴史的事実。その裏でアメリカ、ソビエトなどとの防諜合戦があったことも事実。では、いったいどのようなストーリーを考え付いたのか。正直言って手垢が付いた題材を使って新人賞に応募するのはかなり不利だと思うのだが、それでも受賞するのだからどんな作品かと思って読んでみたら、これぞ防諜合戦というスパイサスペンスだった。
 冷静沈着な頭脳の渡海と、まさに当時の日本人そのものと言いたくなるような真っ正直で熱血漢(まあ、こういうタイプばかりで疑うことを知らないような若者ばかりを生み出すあたり、日本の教育が洗脳と変わらないということを示しているのだが、それは別問題か)の潮田のコンビが実にいい。考え方が違っても、目標は一つというあたりもいかにも日本的。
 敵側の男の造形もいい。片や情報を奪う側、片や情報を守る側。あえてアメリカ側に情報を流す男も、これも信念を持って行っている。終わってみると、実はこちらの考えや分析の方が正しかったのだが、だからと言って国を裏切っていいとばかりも言えない。信念の戦いが緊迫したものとなっている。どのように情報を受渡ししているのかという謎解きの要素も、単純ながら悪くない。さらにソビエトのスパイがさり気なく絡んでくるのだから、なかなかよくできている構成である。
 ただ、歴史的事実がわかっていながらもドキドキハラハラさせるストーリーであったかと言われると、残念ながらそこまで達していない。結局、渡海というキャラクターが出来過ぎている点が問題ではなかったか。本来ならもっと丁々発止のやり取りがあってもよかったはず。史実が入り混じったサスペンスに、神の視点を持つ登場人物は不要である。  読み応えのある作品ではあるが、傑作というには物足りない。ただ、渡海という人物が戦後何をやっているかはちょっと興味ある。



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