衣刀信吾『午前零時の評議室』(光文社)

 大学生の美帆に届いた裁判員選任の案内状。記載された被告人の名前に聞き覚えがあったが、それはアルバイト先の羽水弁護士事務所が担当する事件だった。事前オリエンテーションとして担当判事に呼び出された裁判員たちに、通常とは違う異例の事態が訪れる。一方、弁護士の羽水は検察のストーリーに疑問を抱き、見逃された謎に着目する。被害者の靴下が片方だけ持ち去られたのはなぜか? それを元に事件の洗い直しを始めるが……。(粗筋紹介より引用)
 2024年、第28回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞。加筆修正のうえ、2025年3月、単行本刊行。

 作者は現役の弁護士。令和6年度日本弁護士連合会副会長。一昨年、昨年も最終選考まで残っており、三度目の正直で見事受賞となった。
 制限時間までに謎を解き明かさなければならない、というタイムリミットサスペンスではあるが、裁判員裁判という要素を持ち込んだのは、弁護士の作者ならでは。とはいえ、裁判員たちを事前オリエンテーションという形で呼び出すという設定は、無理があり過ぎ。始まったばかりならまだしも、すでに裁判員裁判が浸透した状態で誰も疑問を抱かないという方がおかしい。そもそも、美帆が羽水弁護士へ事前に話をしていたらどうなっていただろうと思うと、あまりにも杜撰な計画である。もちろん作者もわかったうえでやっているのだろうが。おまけに「裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない」というルールについてはスルーしているのも不満。選考委員が設定についてほとんど突っ込んでいないのは、あえてなんだろうか。
 導入部分は首をひねることだらけだが、集まった面々が実際の証拠を基に評議を繰り返してからは、なかなか。確かに作者が「これは本格ミステリ」というだけはある。特に被害者の靴下が片方だけ持ち去られたという謎を解き明かすところは、伏線の張り方も含めて感心した。犯人を特定する推理も悪くない。最後の最後まで気を抜けない展開もうまかった。ただ、登場人物の内面や行動には首をひねるところも多い。あんな状況だったら、どうやって逃げるかを優先すると思うのだが。そして共犯者の行動は、結末まで読んでも理解し難いところがある。
 無理のある設定、理解し難い行動など粗は多いが、謎と推理と展開は面白い。作者は弁護士であるが、おそらく本格ミステリを中心に書きたい人なのだろうと思う。ただ、もう少し納得のいく舞台を用意してほしい。いつまでも新人だからでは逃げられないだろう。

大谷睦『クラウドの城』(光文社)

 イラク帰りの元傭兵・鹿島丈(かしまたける)は妻の故郷・北海道で、米ソラリス社のデータセンター警備に就く。だが勤務初日、厳重なセキュリティーシステムを突いて、密室殺人が発生。道警やマスコミ、米軍属も駆け付け、現場は混乱を極める。さらに第二の密室殺人が起こってしまい……。封鎖された`クラウドの城"で、鹿島は殺人者と対峙する。IT文明の終着地(バビロン)で、世界を`実効支配"する"バベルの塔。データセンターの内実を描き切った大注目作!(帯より引用)
 2021年、第25回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞。2022年2月、単行本刊行。

 作者は1962年生まれの会社員。著者のことばを読むと、二十年くらい小説を描いていたらしい。活字になるのは本作が初めて。初めての最終候補で受賞。
 主人公の鹿島丈は元警察官だったが、実情に幻滅して辞め、サンフランシスコに留学。一年後、民間軍事会社に就職。仕事は中東やアフリカの紛争地帯の警備。六年後、イラクで過激派の自爆テロで守るべき子供たちと、同期入社の恋人を失い、失意で帰国。北海道で今の妻と知り合い、米ソラリス社のデータセンター警備に就く。
 設定を読むと『原子炉の蟹』が思い浮かんだのだが、作者は当然知っていただろう。あれよりは面白い作品を、と祈っていたのだが、残念ながら裏切られた。
 アメリカでもGoogleクラスの会社のデータセンターなのだが、それがなぜ北海道にデータセンターを作るのかが今一つ不明だし、国家を動かす力があると言いながら警察庁が絡む様子はないし。捜査はモタモタしていてなんかちぐはぐ。アメリカのソラリス社から依頼され、鹿島のかつて働いていた民間軍事会社フロントライン社のボスたちが来たのに、彼らがしたことは鹿島にソラリス社のエージェント権利を与えたことと銃を渡しただけ。何だそりゃ。少しは捜査に参加しろよ。
 鹿島と同期だった大額が警備部の警部で、しかも最大派閥のトップと言うのも、ご都合主義。どうでもいいが、鹿島は入社したばかりなのに半休など取りすぎ。事件の起きている状況で、こんな余裕があるとはとても思えない。
 二件の密室殺人も、コンピュータが管理している割にはあまりにも馬鹿馬鹿しいもの。ここまでなさけない謎解きも久しぶり。出だしではがちがちのセキュリティに見せかけ、実は雑なシステムだったというのはあまりにもひどい。それに、会社の主要人物なのに行動が雑だというのが終盤になってわかるというのも、描き方としてお粗末。犯人の動機にも説得力が欠けるし、鹿島もわかっていながらぎりぎりまで見逃すというのもどうかしている。おまけに最後は、犯人が人質を連れ込んでの鹿島との対決。今時、こんな古臭い対決シーンを真面目に描くのかとあきれるだけの安っぽさ。しかも最後は人情話に持っていくというのは、お涙頂戴でごまかそうとしているだけ。
 単行本に選評は載っていないが、光文社のサイトには載っていた。いや、みんな白々しいぞ。帯にあるが、有栖川有栖「ハードボイルドに本格ミステリの要素が絡み、エンターテインメントに徹しようとする作者の心意気が伝わってきた」って、本当にそう思っているのか。全部の要素が中途半端だぞ。
 よく受賞できたなと思ってしまう作品。この回は同時受賞作があるのだが、この作品と争っているようじゃ、あまり読む気にならない。
 この作品は文庫化されているが、この作者の次作は今のところ出ていない。

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