赤松利市「藻屑蟹」
一号機が爆発した。映像を繰り返すテレビを、パチンコ店の雇われ店長である木島雄介は現場から50キロと離れていない、C市のアパートで見ていた。人生を諦めていた木島は、何かが変わると予感した。それから六年後、木島は相変わらず雇われ店長のままだった。C市には原発避難民が二万三千人流れ込み、毎月貰える慰謝料や保証料、賠償金などで遊んで暮らしていた。33歳になった工業高校の仲間たちで、原発プラント工事の下請けをしている会社の社長の娘と結婚した、出世頭である小井戸純也に誘われ、二次下請けの除染作業員たちを管理する仕事を手伝う。しかしその仕事には裏があった。
2017年、「藻屑蟹」で第1回大藪春彦新人賞を受賞。応募時名・桶屋和生。
福島原発事故の補償金ビジネスの闇に迫りつつ、そこに群がる被災者、避難民、除染作業と作業員たちの実態と醜悪さが生々しくリアルに描かれ、メディアが報じられない実態に迫っているのが面白い。自身が除染作業員として働いていたからこそ、見える世界だろう。そして登場人物が抱える社会への不満、憎しみもまたリアル。登場人物の印象が途中で入れ替わる筆の巧みさも見事だ。
表からは見えない社会の醜さ、ドロドロさ。そして溜まったマグマが爆発するところ。それはまさに初期の大藪春彦が描いてきた世界、そのもの。圧倒的な暴力こそないものの、大藪春彦を彷彿させるストーリー、まさに第1回受賞にふさわしい。
それにしてもこの人の経歴似も驚く。特に上京して2年間「住所不定」の生活を送りつつ、浅草の漫画喫茶で書きあげたというエピソードは凄い。
西尾潤「愚か者の身分」
マモルはインターネット上で女性を装い、身寄りのない男をターゲットにして戸籍を売ってもらうことを生業としていた。5人兄弟の末っ子で両親は失踪し、中卒後はネットかふぇを渡り歩く毎日だった。一昨年の冬に出会い、仕事を与えてくれたのが、タクヤだった。今晩、タクヤとその上司である佐藤との飲み会があった。三次会であるSMクラブで佐藤がマモルにこういった。明日は何があってもタクヤのマンションには行くなと。
2018年、「愚か者の身分」で第2回大藪春彦新人賞を受賞。応募時タイトル「東京・愚男ダイアリー」。
作者はヘアメイク、スタイリスト。受賞のことばで、山村正夫記念小説講座で指導してもらったと書かれているのだが、それにしては読みにくい。文章自体が粗いし、構成も今ひとつ。本来前半で書いた方がいいと思えるマモルとタクヤの出会いがかなり後半に書かれているし、唐突なSMクラブとか必要性がまるでない。場面の切り取りを先に書いてしまい、説明を後から付け足す。真相はその方がいいが、人間関係はもっと早めに説明した方が読んでいてわかりやすい。
はっきり言って、受賞できたのはラストシーンのシュールさ。それだけだろう。あまりにもアンバランスで、どこかおかしく、どこか寂しい。
これじゃ後を続けるのは難しいように思えたが、マモルを主人公にした連作短編集が書かれている。
野々上いり子「青葱」
母から、祖母が徘徊でいなくなってしまったという連絡を受け、ひかりは約半年ぶりに実家に帰ってきた。仏間に横たわっている父の姿。そして母の言葉。「おばあちゃんが、殺してしもてん」 台風が通り過ぎ、昨日までの悪天候が嘘のように日差しが明るい。ひかりは、警察で取り調べを受けるなか思い返していた。実家で起きた、あの出来事を……。(粗筋紹介より引用)
2020年、第4回大藪春彦新人賞受賞。
編集長の選評にある通り、主人公、母、祖母の女性三人が死体隠蔽を巡って右往左往する姿がメインのストーリー。関西弁を使った三人の会話がユーモラスではあるのだが、肝心の中身である、死体を隠蔽する理由が理解できない。ひかりと母の行動もチグハグだし、おまけに最後は有り得ないだろう。タイトルとストーリーがマッチしないのもどうかと思う。
なんか、とりあえず選びました感が強いなあ。作者、この次は何を描きたいんだろう、と思って調べてみたら、本作しか出していない。仕事が忙しいのかも知れないが、せめて一冊は出せるぐらいは書いてほしい。
浅沢英「萬」
京都の四条大宮にある小さなビリヤード場「萬」。高校を卒業し、施設を出た中村は、仕事が終わると通い詰めていた。そんな中村に、店主の日野山はキューを貸してくれた。そして球代をほとんど取らなかった。新たに食品スーパーで働きだし、三歳年上の祇園のラウンジのホステス・春美と同棲を始める。人間を引き寄せては掻き回す坩堝「萬」には色々な人物がやってきて、時には賭けビリヤードに人生を狂わせる。そんなある日、フキタと名乗る凄腕の男がやって来た。
2021年、「夜会」で第5回大藪春彦新人賞を受賞。受賞後、改題。
作者は大阪府出身のフリーランスのライター。
「南から来た男」という秀作の例を挙げればわかるように、賭けは人生を狂わせ、そして小説の題材となる。本短編は賭けビリヤードが題材。小説全体に流れる哀しいモノトーンの調べが、読者を酔わせてくれる一編。ただ、もう少し登場人物を浮かび上がらせてもよかったかもしれない。特に春美や店長の日野山は、もっと描くべきことがあったと思う。作曲能力はあっても、演奏能力がまだまだ発展途上。そんな印象を受けた。惜しい。
天羽恵「日盛りの蟬」
口減らしで5年前に山間の村を後にして江戸の岡場所で女郎になった15歳のさきは、楼主の嘉兵衛に呼ばれて内所へ向かった。そこに居たのは若い侍と、職人の身なりをした中年の男。八年前、若州小浜藩で勝手方の上席だった藤岡吉三郎は、下役の久保田半蔵による御用金の不正を問いただすも闇討ちにあった。藤岡数馬は仇討ちのため急ぎ元服を済ませ、中間の佐助とともに足取りを追った。そして千十界隈に巣食う無頼の一人に半蔵がいることを知った数馬は、仇を討つためさきに女房を演じてほしいと頼んできた。そして二人は、長屋で夫婦として暮らすこととなった。
2022年、「日盛りの蟬」で第6回大藪春彦新人賞を受賞。
第6回の新人賞は、江戸の敵討ちを題材にした作品。仇討ちのために女郎の少女を夫婦にするという設定は意外性があるし、乗り込む先が「夫婦ものが何組も集まり、相手を取り換えて床入りする遊び場」、いまでいうスワッピングというのには少々驚いた。なるほど、これだったら女郎の少女を借りる理由にも納得がいく。
設定こそやや変わっているが、ストーリー自体はオーソドックスなもの。ただ、その筆力が凄い。おさきや数馬などの登場人物の描き方も過不足なく満足できるものだし、流れるような展開は読者の目を離さない。そして結末まで無駄な部分が何一つない。ある程度終わり方が予想付いたとしても、読み始めたら止まらないだろうし、読み終えたら幸福感に包まれる。この抜群と言える完成度、新人とはとても思えない。
受賞は文句なしの作品。ただただ、読んで楽しんでほしい短編。これは長編も読んでみたくなる。
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