江戸川乱歩推理文庫第1巻(講談社)
『二銭銅貨』



【初版】1987年9月25日
【定価】480円
【乱歩と私】「酸素管の涅槃図」日影丈吉


【紹介】
 大金を盗んだ紳士泥棒がつかまった。だが金の隠し場所は白状しない。盗金を追う俄か探偵。彼は謎の二銭銅貨に封じられていた暗号文を見事に解き、まんまと金をせしめたが……。二転三転するトリック。日本の探偵小説に革命をもたらした表題作に、明智小五郎初登場の「D坂の殺人事件」など九篇収録。
(裏表紙より引用)


【収録作品】

作品名
二銭銅貨
初 出
『新青年』1923年4月号
粗 筋
 私と同様に貧乏である松村は、私が煙草屋のおつりでもらった二銭銅貨を持って行く。銅貨の中には南無阿弥陀仏の暗号文が隠されていた。数日後、松村は私のところに紳士盗賊が隠した五万円という大金を持ってきた。
感 想
 乱歩の処女作。小酒井不木の賛辞つきで発表された。日本ならではの独創的な暗号トリックもさることながら、トリックが解けた後の展開こそ見るべきものがある短編。トリックを思いついたからただそれを小説化すればよい、というのではなく、どうすれば効果的かなどといった点についても見本を見せた名短編。乱歩の代表作の一つであり、『週刊文春』が1985年に実施した内外ミステリベスト100を選出するアンケートでも日本編13位に選ばれるなど、日本を代表する名作短編である。
備 考
 処女作。

作品名
一枚の切符
初 出
『新青年』1923年7月号
粗 筋
 富田博士の妻が轢死体として発見された。名探偵と名高い黒田刑事は足跡などの証拠からトリックを見破り、富田博士を捕まえた。しかし富田を尊敬する大学生の左右田は、親友の松村に無罪の証拠があると語った。
感 想
 「二銭銅貨」とほぼ同時期に執筆された短編。本格探偵小説に対する乱歩の意気込みが感じられるような論理的な推理もさることながら、結末の付け方は後の乱歩作品に繋がるものがある。「二銭銅貨」よりこちらの方が好きという作家がいたと思うが、推理を楽しむのならこちらの作品の方が出来はよい。
備 考


作品名
恐ろしき錯誤
初 出
『新青年』1923年11月号
粗 筋
 火事で妻の妙子を亡くした北川は、その死に不審を抱く。そして学生時代の友人である野本が妙子を殺害したと思い、復讐するための罠を仕掛けたのだが。
感 想
 乱歩の三作目。本人が後に語っているように、力が入りすぎた失敗作。心理的な闘争を探偵小説にしようとして、単にだらだら文章を書き連ねるだけに終わってしまった作品。
 編集長の森下雨村にしばらく握りつぶされていたと乱歩は語っているが、たしかにこれでは乱歩がそう思うのも納得である。
備 考


作品名
二廃人
初 出
『新青年』1924年6月号
粗 筋
 冬の温泉場。火鉢を囲む二人の廃人。斎藤氏が戦争の時の体験談を語ると、井原氏は夢遊病の最中に犯した殺人について語り、罪の意識に苛まれて一生を棒に振ったとこぼした。
感 想
 告白譚が意外な方向へ話が進むという、後に乱歩がいくつかの作品で使うパターンの原型。舞台、人物が疑惑をより深化させているのは、とても第4作目とは思えない筆使いである。乱歩としても会心の出来ではなかったか。
備 考


作品名
双生児 ある死刑囚が教誨師にうちあけた話
初 出
『新青年』1924年秋期増大号
粗 筋
 強盗殺人事件で死刑囚となった主人公が、教誨師にもう一つの殺人事件を告白する。主人公はかつて資産家である双生児の兄を殺害し、兄に成り代わったというのだ。
感 想
 初期の探偵小説ではよく使われた双生児ネタ。ただしトリックとして使うよりも、むしろ双生児ならではの心理を緻密に書いた作品である。後に似たような設定を使って妻にばれるというのが乱歩作品にあるが、本作品では主人公が首をひねるぐらい、妻が何も言わない。不思議としか言い様がなく、その点が本作品の価値を低くしている。後半では指紋のトリック、というか証拠が出てくるが、そちらも長々と書いていて退屈。まだ若い頃に書いたな、と思わせる作品。
備 考


作品名
D坂の殺人事件
初 出
『新青年』1925年新年増刊号
粗 筋
 喫茶店の窓から、通りの向こうにある古本屋を眺めていた主人公。ここの女房は美人なのだが、体中に叩かれたような傷があるという噂。そこへ現れたのは知り合いの明智小五郎。不審な様子に疑問を持った二人は古本屋へ向かうが、そこには女房の死体が。独自の調査を続けた主人公は、犯人が明智小五郎であると推理したのだが。
感 想
 日本で一・二の知名度がある名探偵である明智小五郎のデビュー作。いや、最近は三、四ぐらいか? まあ、それはどうでもいいが。シリーズ化するつもりはなかったと乱歩は後に語っているが、明智の描写はやけに細かいし、特徴付けをしているところを見ても、レギュラー名探偵にするつもり満々だったと思われる。職業作家になるためにも、海外の探偵小説家を見習い、レギュラー名探偵を持つ必要性を感じていたのだろう。
 前半の章が「事件」、後半の章が「推理」となっているが、後半の章は互いに推理を繰り広げているだけで、密室殺人などを解く物理的トリックと心理的トリックの解釈などは面白いが、一般受けするものとは思えない。あくまでマニア向けの短編。ちなみにD坂とは団子坂のこと。
備 考
 明智小五郎のデビュー作。

作品名
心理試験
初 出
『新青年』1925年2月号
粗 筋
 頭脳明晰だが貧しい大学生蕗屋清一郎は、同級生である斎藤の下宿先である老婆が金を貯め込んであるところに隠しているという話を斎藤から聞き、綿密な計画を立て殺人を実行し、金を奪う。警察は斎藤を犯人として捕まえるが、予審判事の笠森氏はある理由から蕗屋にも容疑の目を向けた。笠森が心理試験を行うことを知った蕗屋は対策を練り、それは効果を発揮したかに見えたが、偶然訪れた明智小五郎はその結果を見て蕗屋が犯人であると指摘した。
感 想
 「D坂の殺人事件」で犯人を自白させるのに用いた連想診断が推理のもっとも重要な部分でありながら、具体的に書く余裕のなかったことを断り書きしているが、それを充分に書いたのが本作品。ドエトエフスキー『罪と罰』を下敷きとし、作者自身は意識しなかったとは言え倒叙形式を用いることにより、心理的トリックをより効果的に表現することができた名作。犯罪は発覚の恐れない範囲については単純かつあからさまにという蕗屋の完全犯罪理論、完全犯罪方法論も含め、戦前の短編本格探偵小説を代表する傑作であり、日本における倒叙ミステリの祖であり、かつ最大傑作の一つ。
備 考


作品名
黒手組
初 出
『新青年』1925年3月号
粗 筋
 世間を騒がしている賊徒「黒手組」に伯父の娘富美子が誘拐された。身代金1万円を渡したのに、娘は帰らない。私は友人である明智小五郎に事件の解決をお願いする。そして明智の活動で、見事娘と身代金が戻ってきた。
感 想
 明智小五郎もの第三作。ちなみに「私」は「D坂の殺人事件」に出てくる「私」と同一人物。暗号+足跡トリックが表に出すぎて、物語としてはつまらない。それでも、警察とは違う解決の仕方が、意外と冷酷な明智にしては珍しい。
備 考


作品名
赤い部屋
初 出
『新青年』1925年4月増大号
粗 筋
 秘密クラブ「赤い部屋」。部屋の四方で天井から部屋まで掛けられている深紅の垂れ絹。緋色のビロードで張った深い肘掛け椅子に座る7人。真ん中にあるのは、緋色のビロードで覆われた一つの大きな丸いテーブル。明かりはテーブルの上にある燭台に刺された三挺の太いろうそく。今晩の話し手である新入会員Tがゆっくりと話し始めた。それはTが今まで犯してきた、「絶対に法律に触れない人殺し」によって100人近くを殺してきたという告白であった。
感 想
 谷崎潤一郎「途上」に触発され、プロバビリティの犯罪をこれでもかと並び立てていくT、いや、乱歩。勿体ないと思えるほど、殺人方法をたくさん書いているのだが、こればかりは乱歩が言うとおり、数多く並び立てたからこその面白さと不気味さであろう。怪奇探偵小説の傑作。結末の付け方は、後の乱歩でもよく見られる趣向である。「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」にふさわしい作品。
備 考


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