西村京太郎『天使の傷痕』(講談社文庫)

 『天使の傷痕』は1965年、第11回江戸川乱歩賞受賞作品である。西村京太郎というとまず頭に浮かぶのは「トラベル・ミステリー」であり、西村が乱歩賞を受賞していることを知っている読者は意外と少ないのではないかと思う。「第○回江戸川乱歩賞受賞作家の最新作」という帯がないと売れない作家が多い中で、この活躍度は歴代乱歩賞受賞作家の中でもベスト3に入るだろう。ではその受賞作品はどんな作品だったのか?

 新聞記者田島は武蔵野の雑木林でのデート中に殺人事件に遭遇する。被害者は死ぬ間際に「テン」とつぶやいて息を引き取った。殺された被害者はトップ屋で、誰かを強請ったり、女に金を貢がせたりなど、かなり悪どいことをしており、恨んでいる人も多かった。捜査で「テン」とは「天使」のこととわかったが、いったい「天使」とは何を指すのか。警察とは別に事件を追っていた田島はやがて意外な事実を発見する。
 当時の流行といってもいい、社会的舞台を背景とした社会派推理小説。新聞記者が事件の謎を解くのを「現実的」というのかどうかはわからないが、「閉ざされた館」や「孤島」での殺人に比べると「現実的」な作品である。

 印象としてはやはり古い。昭和40年というと今から32年前だから当然の話だ。しかし、そういうことを頭に入れて読めば、結構読める作品ではないだろうか。
 足で事件を追った結果、犯人の手掛かりにぶつかる。この手掛かりは正直言って無理がある(普通、こんなの残さないよ)と思うが、まあ、そこはそれとしよう。いちおうトリックもどんでん返しもある。しかし、推理するデータはそろっていない。だから「本格」と呼ぶには無理がある。講談社文庫解説の仁木悦子は「本格」と呼んでいるが、それは間違いだろう。
 やはり本作品は社会派推理小説と呼ぶのがふさわしい。本作品で作者が言いたかったことは、やはり後半で明かされる「天使」の謎に絡んだ社会的問題と、それに絡む日本人的社会心理への訴えではないのだろうか。前半からの流れを全く無視するかのように最後で語られる田島の訴えは、唐突であるからこそ、読者への心に重く響く。まだこのような問題が世間の表に出てこなかった当時においては、より一層重い響きだったと思える。
 そういうことを考えると、この『天使の傷痕』は、「乱歩賞」を取るにふさわしい作品であったといってよいだろう。一時の低迷期間があったものの、現在では乱歩賞作家の名に恥じない活躍ぶりである。
 このとき語られる社会的問題は、今でこそ誰もが知っている当たり前の問題になっている。しかし、国も会社も国民も反省せず、未だに似たような問題が起きている。ここで書かれる日本人的社会心理も解決されない問題だ(問題と感じていない日本人も多い)。あのころ、様々な社会派小説を書いてくれた西村京太郎に、もう一度このような問題を正面から取り上げた社会派推理を書いてほしいと思うのは、私だけだろうか。




斎藤栄『殺人の棋譜』(講談社文庫)

 将棋界の俊英河辺真吾八段の愛娘が誘拐された。身代金一千万円を軽飛行機から投下せよというのが犯人の要求であった。おりしも河辺八段は、将棋最高位を賭けて不敗の名人と対局しなければならなかった。犯人追及の行方と勝敗の帰趨が絡み、異常なスリルを醸す乱歩賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 1966年、第12回江戸川乱歩賞受賞作。

 将棋ミステリということで当時話題を呼んだというのを何かで読んだ記憶があるが、改めて読んでみると結構無茶の多い誘拐サスペンス品。そもそも史上最高位である名人位を、わずか三番勝負で決めてしまおうという設定へ変えてしまうところに、将棋ファンとしてはかなりの無理を感じる。だいたい、棋譜なんか一つも出てこない。子供が誘拐されてからの展開も、偶然が重なっているところもあるだろうが、不自然な点が目立つ。警察の出し抜かれ方なんかはもっての他と言ってもいいだろう。真相を知ったら、追う方の間抜けさに刑事部長あたりは激怒するぞ、これ。
 誘拐犯が次々と殺される意外な展開があるものの、犯人の動機を聞いたら呆気に取られてしまう。どっちが大事なのよ、と思わず問い詰めたくなってしまった。
 途中途中で意外な展開があるため、退屈することなく読めるテンポの良さしか、褒めるところがない作品。昔読んだときは、もっと面白かった記憶があるのだが……。まあ、過去に六回落ちたという実績もあることだし、新人と言うには達者。ただ、作者も実力があるのだから、将棋をこういう風な形で使ってほしくなかった。もっとも、棋譜なんか出てきたら、乱歩賞は取れなかっただろうが。




大谷羊太郎『殺意の演奏』(講談社文庫)

 芸能ショーの若手司会者、細井道夫が死体となって発見された。部屋は内鍵が下ろされた密室で死因はガス中毒。机上に遺書とみられる暗号日記が残されており暗号を解読した捜査当局は、自殺と断定し、捜査を打ち切った。が、解読されたはずの暗号が二重構成と判明するや、事件は、がぜん複雑な相を帯びてきた。(あらすじ紹介より引用)
 1970年、第16回江戸川乱歩賞受賞。同年、講談社より単行本刊行。1975年4月、文庫化。

 作者は元バンドマンで、芸能プロダクションのマネージャーを務めていた。乱歩賞には過去3度、最終選考に残っており、4度目の本作で受賞となった。
 大阪のホールの音楽ショーで司会をしていた21歳の細井道夫、本名杉山重一が自室でガス中毒により死亡。部屋の隅にはトランプがぐるりと撒かれていた。発見したのは、東京の大学から帰省中だった村田久光。二人は高槻市内にある高校で同級の親友だった。細井は誰からも好かれており、異性関係もなく、酒も飲まずまじめだった。細井は生前、クイズに凝っており、日記に残っていた暗号を解読した結果、自殺と断定された。
 事件から10年後、細井の弟である杉山真二は、東京のラジオ局の新進気鋭の人気アナウンサーとなっていた。番組への投書をきっかけに、真二は暗号が二重構成となっていることに気付く。真二は、推理小説ファンの恋人、高岡妙子とともに、兄の殺人事件の真相に迫る。
 最初の密室事件は、情景として思い浮かべるとすごく綺麗。トランプが綺麗に撒かれているというのは、絵に映える。ただ、面白かったのはそこまでかな。事件から10年後の真二と妙子、それに親友だった村田久光が謎解きに挑むのだが、主人公の真二から見ると伝聞の内容が多く、動きも少ないので読んでいても退屈である。登場人物も限られており、こうなるとトリックは解けなくてもある程度の流れは読めてしまう。作者の筆が慣れたものとなっているため、何とか読めるのだが、トリックに力を入れすぎた作品と言えよう。
 芸能界を舞台にしているも、実際に芸能界の部分に触れているところはごくわずか。密室トリックや暗号トリックも含め、色々と面白くなりそうな要素が散りばめられているのに、生かし切れていない。なんとも勿体ない作品である。




小峰元『アルキメデスは手を汚さない』(講談社文庫)

 少女が死んだ。アルキメデスという不可解なことばを残して……。妊娠していたともいう。さて、父親は? 少年が教室で倒れた。毒殺未遂だという。ミステリアスな事件に巻き込まれた学園を舞台に反体制的で向こうみず、それでいてけっこう友諠に厚い高校生群像を小気味よくコミカルに描く爽快な乱歩賞青春推理。(粗筋紹介より引用)
 1973年、第19回江戸川乱歩賞受賞作。

 作者は新聞記者で、それと並行して短編小説を書いていた。そのせいもあり、文章は達者で読みやすい。読者を引き付けるポイントをしっかりととらえている。
 作者は「“現代推理悪漢小説”を書きたい」と言っているが、高校生が主人公だと悪漢でもどことなく幼いイメージがある。高校生の頃に読んだときは結構熱中したのだが、今読んでみるとやっぱり主人公の言動が幼い。それもまた魅力の一つなのだろうが。小峰のあとに流行となる赤川次郎の青春小説だと、等身大でかえって大人っぽく見えるところもあるのだが。
 本作では、妊娠中絶手術が失敗して亡くなった高校二年生の少女の父親はだれか、少女と同じクラスの男性がセリ売りで買った同級生の弁当に入っていたヒ素で倒れる、その男性の姉が殺害された事件の謎が出てくる。特に最後の殺人事件は密室事件だが、謎解きとしてはかなり無理があった。ただ、本作の面白さは、あくまで主人公たち高校生の大人ぶった姿だろう。当時の大人たちは、子供たちがここまでになっているのかと驚いたのかもしれない。
 『テロリストのパラソル』が出るまで乱歩賞売り上げNo.1だった本作。今読むと時代や考え方がかなり古くて大変ではあるが、そこを我慢すれば面白く読めるのではないか。時代とともに古びていく小説ではあったが。



【「江戸川乱歩賞」に戻る】