梶龍雄『透明な季節』(講談社文庫)
ポケゴリが死んだ。しかも、殺されたのだ。あの憎い配属将校の死はとても喜ばしい。殺した奴はほんとうに偉いと思う。でも、あの美しい薫さんがあいつの奥さんだったなんて、ぼくの胸は張り裂けそうだ。……戦時下の学園生活を舞台に、年上の女性に淡い思慕を抱く一中学生の体験を描く青春推理長編。江戸川乱歩賞受賞作!(粗筋紹介より引用)
1977年、第23回江戸川乱歩賞受賞。同年9月、単行本刊行。1980年9月、講談社文庫化。
作者のデビューは小学館編集者時代の1952年に発表した短編『白い路』。1959年に退社するまで20数編を『宝石』などに発表。作家専業となってからは、児童向け作品の創作や、海外作品の翻訳が中心だった。学習雑誌の付録向けの推理クイズの執筆も多い。1975年には、アメリカの人気テレビドラマ『鬼警部アイアンサイド』のノベライゼーションを刊行している。
太平洋戦争末期の昭和19年3月が舞台。威張って暴力をふるうことから嫌われていた、ポケゴリとあだ名される中学校の配属将校が射殺されたところから物語は始まる。主人公である中学三年生、芦川高志の視点から物語は進んでいく。他殺、事故死、自殺など二転三転する真相。高志はポケゴリの若き美人妻である薫に憧れるが、戦局がどんどん悪くなっていく時代に自らも回りも翻弄されていく。
戦時下の学園生活を舞台にした青春推理小説。一応殺人事件の謎はあるし、ちょっとしたトリックは使われているものの、やはり戦時下の東京の中学生の心境を描いた作品と言い切った方がいいだろう。戦時下でありながらも、中学生の若さと瑞々しさと、そして純粋さは変わらない。どんな状況でも、青春という言葉は不滅なんだろうと思ってしまう。
推理小説として見るとちょっと弱いのは、たぶん作者も承知の事だろう。記憶と歴史の奥底に沈めてはいけない時代を残そうとした作品。そんな気がする。
栗本薫『ぼくらの時代』(講談社文庫)
ぼく栗本薫。22歳、みずがめ座。某マンモス私大の3年生――バイト先のKTV局内で発生した女子高校生連続殺人事件をロック・バンド仲間の信とウヤスヒコで解決しようとするんだけど……若者たちの感覚や思考を背景に、凝った構成と若々しい文体によって推理小説に新風をもたらした第24回乱歩賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
1978年、第24回江戸川乱歩賞受賞。同年9月、単行本刊行。1980年9月、講談社文庫化。
作者は1976年、「都筑道夫の生活と推理」で幻影城新人賞評論部門佳作に選ばれた。1977年、中島梓名義の『文学の輪郭』で群像新人賞受賞、文芸評論家としてデビュー。1978年の本作で乱歩賞受賞。受賞当時は最年少の25歳。ミステリ、SF、時代小説、伝奇小説、脚本など広く活躍。『クイズ ヒントでピント』の回答者などテレビ出演も多い。
本作で時代の寵児となった作者の小説デビュー作。テレビ局が舞台で、歌番組の本番中に観客席で被害者となったアイドルファンの女子高生、事件を解決するのはロックバンドを組んでいるアルバイトの若者たち。まさに時代を写し取った作品で、テンポもよく、リズム感にあふれ、そしてミステリのツボも心得ている。
当然今読むと古い読む部分もあるけれど、それは時の流れなので仕方がない。それでも十分読むことができる瑞々しさが不思議だ。まさに才気溢れる作者ならではの作品だろう。
探偵役の栗本薫(こちらは男性)たちは、引き続き「ぼくらシリーズ」で探偵役を務める。
高柳芳夫『プラハからの道化たち』(講談社文庫)
ソ連軍の戦車がチェコ人民の自由を踏みにじって侵略してきた一九六八年八月、ひとりの日本人がレーゲンスブルクの病院で自殺した。その死に疑問を抱いた義弟の川村は原因調査に乗り出すがそこは恐ろしい事件が待ち構えていた。民衆の切ないまでの自由への希求を描き、息もつがせぬ江戸川乱歩賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
1979年、第25回江戸川乱歩賞受賞。同年9月、単行本刊行。1979年下半期、第82回直木賞候補(この回は受賞作無し)。1983年7月、講談社文庫化。
1971年、「『黒い森』の宿」で第10回オール讀物推理小説新人賞受賞。『『禿鷹城』の惨劇』『ライン河の舞姫』で過去2回、江戸川乱歩賞最終候補まで残り、三度目の正直で受賞した。1957年、外務省入省し在独大使館、ベルリン総領事館副総領事等を歴任している。1977年に退職。1990年で小説家を廃業している。そのせいかどうかは不明だが、1998年から講談社文庫で出版された江戸川乱歩賞全集に本作は入っていない(講談社と喧嘩したという噂もあるが……)。
プラハの春直後を背景とした国際スパイ小説。当時のチェコスロバキアの改革運動がソ連のチェコ侵攻によってつぶされた後の動きが、本作品の事件の背後に流れている。タイトルの“道化たち”にある通り、そして歴史的に既に結末が見えている。しかし、それでも自由を渇望して動いた者たちの意思は強く表されている。歴史的には何一つ変わらなかった川村たちの行動だが、道化には道化の意地があるし、主張もある。そんな人間ドラマは、海外経験が豊富で、しかも当時西ベルリンにいた作者だから書くことのできた作品だろう。
過去の長編では意外トリッキーなところが物語の面白さを削いでいたが、本作品では自殺と偽装するための密室トリックがあるぐらいで、それ自体はトリックを使う理由が歴然としているし、それもあくまで物語の本筋ではないため、ほとんど気にならない。それが良かった点の一つ。この手のサスペンスに、無意味なトリックは不必要である。
この頃から、作者の経験が作品中に色濃く出るようになってきた気がする。本作品ではその分、シビアさが表に強く出てしてしまい、ちょっと寂しかったかな。もう少し救いがあってもよかった気がする。
井沢元彦『猿丸幻視行』(講談社文庫)
猿丸太夫、百人一首にも登場するこの伝説の歌人の正体は? “いろは歌”にかくされた千年の秘密とは……。眼前に展開した友人の悲劇的な死のなぞを解き明かす若き日の折口信夫の前に、意外な事実が次々に姿を現していく。暗号推理の楽しさも満喫させるスリリングな長編伝奇ミステリー。江戸川乱歩賞受賞。(粗筋紹介より引用)
1980年、第26回江戸川乱歩賞受賞。同年9月、単行本刊行。1983年8月、講談社文庫化。
作者は大学在学中の21歳で「倒錯の報復」が第21回江戸川乱歩賞の最終候補に残る。これは当時の最年少(後に高沢則子(小森健太朗)に更新される)。その後も乱歩賞に応募し続けるも候補に残らなかったが、TBS報道局(政治部)記者時代に本作で乱歩賞を受賞した。
大学院生の香坂明は製薬会社に誘われ、新薬のモニターになる。この新薬を飲むと、意識だけが過去の人物に入り込むことができるという。しかも自分が強い興味を持つ過去の人物の意識に入るこむことができるという。香山の大学院の研究テーマは折口信夫。また、猿丸太夫の子孫が神社に奉納した猿丸額にまつわる暗号と、「猿丸額の秘密を解くものは神宝を得て天下を制す」を解き明かすべく、新薬を飲んだ香山は、折口の意識に入り込む。
以後は、折口信夫が猿丸額やいろは歌の暗号、猿丸太夫の正体、さらに友人の不可解な自殺の謎に挑む。
現在の人物が過去の人物に入り込むというSF設定が用いられているが、これは猿丸太夫の正体について、構成に発表された梅原猛の説を取り入れるための苦肉の策である。“いろは歌”の謎についても篠原央権の説を取り入れている。はっきり言って、この設定はかなり苦しい。そもそも、現在部分のパートは不必要であり、最初から折口信夫を主人公にしておけばよかった。梅原説や篠原説も、どうせ現在にまで伝わらないのであれば無理やり取り入れてしまってもよかっただろう。それを抜かしても、梅原説や篠原説に寄りかかっていることも事実。そこが大きな欠点とはいえる。
しかし、折口信夫を主人公にした設定、さらに多くの謎をスピーディーに読ませる構成と腕は見事というしかない。暗号や事件の謎解きの一部が読みにくいというところもあるが、全体的に見ればこれだけの枚数でよく収められたといってもよい。
本作以降、乱歩賞に歴史ミステリやお勉強ミステリが増えていく。そういう意味でも、エポックメイキングな作品といってよいだろう。
長井彬『原子炉の蟹』(講談社文庫)
巨大な「密室」原子力発電所で起こる連続殺人の謎。原子炉で多量の放射能を被曝した死体が、汚染廃棄物としてドラム缶詰めで処分されたという噂を新聞記者たちは追うが、事件は不気味な「サルカニ合戦」の筋立てで展開する――。密室と見立て殺人の趣向を「原発」の内実に織りこんだ社会派推理。乱歩賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
1981年、第27回江戸川乱歩賞受賞。同年9月、単行本刊行。1984年8月、文庫化。
著者の長井彬は受賞当時56歳で、当時の最年長。毎日新聞社で整理部を経て編集委員を務め、1979年に定年退職。その後推理作家を目指し、内外問わず古今の名作を読み漁る。前年の第26回乱歩賞では『M8以前』で最終候補作となる。
関東電力九十九里浜原子力発電所の下請けの社長が失踪し、聞きつけた中央新聞編集委員の曽我が追うと、青函連絡船から投身自殺したということで決着がついた。千葉支局の原田記者が真相を追うために、原発総務部長の藤平と接触してスクープ記事を取るものの、関東電力や藤平自身が否定。閑職に追われた藤平は、廃棄物処理建屋の中で刺殺された。建屋への出入りはコンピュータで管理されており、窓もなく、入り口は一つだけで厳重に監視されている密室だった。夜間の作業員38名はそれぞれグループを組んでいるので、全員にアリバイがある。さらに猿蟹合戦の見立て通りの殺人事件が続く。
厳重監視下の密室殺人や猿蟹合戦の見立て殺人。これだけ聞くと面白くなりそうなのに、全然面白くないというのはこれ如何に。原子力発電所の内幕を描いた「お勉強ミステリ」であるからとしか言いようがない。それなりに書けているとは思うけれど、乱歩賞という名にふさわしいかと聞かれると話は別。殺人そのものの動機も弱いし、わざわざ見立て殺人にする動機はもっと弱い。(当時)あまり取り上げられていない題材に、本格ミステリらしい密室や見立て殺人を無理矢理くっつけたような、表面は手堅いがいびつな仕上がりである。
特にこの回は、岡嶋二人『あした天気にしておくれ』という傑作が最終候補に残っていた。選考委員の大チョンボで落選してしまったという曰くつきの回である。岡嶋二人が殺人のないミステリで受賞してほしかった。
岡嶋二人『焦茶色のパステル』(講談社文庫)
東北の牧場で、牧場長と競馬評論家・大友隆一が殺され、サラブレッドの母子、モンパレットとパステルも撃たれた。競馬の知識のない隆一の妻、香苗を怪事件が次々に襲う。一連の事件の裏には、競馬界を揺るがす恐るべき秘密が隠されていた。注目の競作作家の傑作競馬ミステリー。第28回江戸川乱歩賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
1982年、第28回江戸川乱歩賞受賞。1984年8月、文庫化。
ディック・フランシス以外では結構珍しい競馬ミステリ。夫・大友隆一が競馬評論家なのに、自身は全く競馬に無知である女性・香苗が主人公。しかも離婚寸前というのだから……。そのため、香苗の友人である競馬誌記者・綾部芙美子が手取り足取り教えてくれる。そのため、競馬に全く無知(私もそう)な読者でも背景がわかるようになっている。そのあたりは割とあるパターンかも知れないが、描き方が秀逸。さり気なく、自然に書くのは結構大変だと思うが、難なくクリアしているのはお見事としか言いようがない。
隆一や牧場長がサラブレッドの母子とともに殺害される謎も、調査しているうちにどんどん深化していく流れが巧い。伏線の張り方もさすがだし、結末の意外性もよくできている。最後まで読んで、タイトルに込められた意味を知り、思わずアッと唸ってしまう。文句なし、といいたいところだが、肝心の主人公である香苗の存在感が弱いのがちょっとだけ残念。それでも乱歩賞の中でもベスト5に入る傑作。
ただ個人的になのだが、前年の応募作、『あした天気にしておくれ』の方が面白かった。この作品を受賞させなかったのは、乱歩賞史上最大のミステイクである。もし作者が筆を絶っていたら、どう責任を取るつもりだったのかと言いたいぐらい。
鳥井加南子『天女の末裔』(講談社文庫)
岐阜県王御滝郡神守地区、禁男の山中で坐女が生んだ女の子は、民俗学研究の学生が連れていったという。そのとき、村の男が殺され、坐女は殺人犯として服役する。村人たちは「イチミコサマの呪い」と呟くのみであった。そして23年後、再び山中で謎の殺人事件が起きた! 江戸川乱歩賞の話題作。(粗筋紹介より引用)
1984年、第30回江戸川乱歩賞受賞。同年9月刊行。1987年9月、文庫化。
乱歩賞史上、一、二を争う駄作との評価がある本作。関口苑生『江戸川乱歩賞と日本のミステリー』には裏話が載っているが、最終選考に残せる作品が3作しかなく、もう少し欲しいという編集部の要望で繰り上げ当選みたいな形で上げたのが本作であり、なぜか本作が乱歩賞を受賞したというものである。今回、20何年かぶりで読み返してみたが、やっぱりつまらない。
シャーマニズムを扱いながらも主人公兼ヒロインの中垣内衣通絵がその方面に疎いため、ヒロインに惚れている大学の同好会の先輩である石田達彦が教えるのだが、その教え方を読んでいるとどうもまどろっこしい。これは丁寧というのではなく、単に文章が下手なだけ。さらに肝心なところで院卒の論文を使うのだが、これがとても論文の文章とは思えない。もっと噛み砕いて説明する方法はなかったのか。まあその程度なら許せる範囲だが、ヒロイン衣通絵そのものに魅力がなく、相手役の石田もぐずぐずするだけで全く魅力がない。舞台設定の説明も曖昧なところが多い。もっと問題なのは、展開がチープな2時間ドラマでもここまではない、というぐらい安易なところ。母親は誰、父は教えてくれない、先輩もやめろと言って会わなくなるし、父親は殺され泣き暮らし、先輩が復帰し、さて村に行ったらいろいろと教えてくれました、刑事と会いました、真犯人と対峙するぞ。なんですか、この流され具合は。自分でやることと言ったら、当時の新聞を調べるぐらい。歩く歩道に乗ったらゴールに着きましたみたいなこの展開、もう少し工夫してほしかったところ。
登場人物は少ないので犯人探しの楽しみもないし、過去の事件の真相もほぼ最初から表に出ているし、トリックは素人でも簡単に見破れるもので、登場人物たちもみんな見破っており、なぜこれが警察は気づかないのだろうかと言いたくなるぐらいのレベル。ある登場人物の出世ぶりも異常。誉めるところが無い。
個人的には『風のターンロード』『浅草エノケン一座の嵐』『左手に告げるなかれ』『マッチメイク』と本作が乱歩賞のワースト5なのだが、その中ではましな方か。一応小説を書こうとする努力は見られる。もっとも実力以上の受賞であったことは、その後の活躍が全く見られないところからもわかる。
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