藤原伊織『テロリストのパラソル』(講談社文庫)

 アル中バーテンダーの島村は、過去を隠しぬ二十年以上もひっそりと暮らしてきたが、新宿中央公園の爆弾テロに遭遇してから生活が急転する。ヤクザの浅井、爆発で死んだ昔の恋人の娘・塔子らが次々と店を訪れた。知らぬ間に巻き込まれ犯人を捜すことになった男が見た事実とは……。史上初の乱歩賞&直木賞W受賞作。(粗筋紹介より引用)
 1995年、第41回江戸川乱歩賞。1996年、第114回直木賞受賞作。

 史上初、そして二度とないのではないかと思える乱歩賞と直木賞のW受賞作。乱歩賞を取ったときに読んでいるので、これは再読。久しぶりに読んだけれど、やっぱりうまい。登場人物のいずれもが魅力的。言動も行動も痺れてくる。はっきり言ってしまえばカッコつけ、気障なんだろうが、それがまたたまらなくいい。追う方も、追われる方も気障であり、自分がどう生きればよいか、どうすれば格好良いかというルールを自らにはめ、その生き方に殉じるその姿は美しいというべきか、愚かというべきか。それもまた男のダンディズム。もちろんそういったあたりが読者の共感を呼んだのであろうが。全共闘闘争時代を思い出させるノスタルジックな部分も、読者に受けた部分の一つであろうと思っているが。
 スタイルとしてはハードボイルドなのだろうし、主眼となっているのは爆弾テロの犯人捜しなのだが、それでもミステリとはどことなく無関係と思えるような作品なのは確か。自分探しというか、自分の過去を改めて振り返るような作品である。  講談社文庫だとちゃんと「第41回江戸川乱歩賞受賞作」と表紙に書かれている。直木賞をとったとはいえ、それでも乱歩賞の言葉を前面に押し出してくれるのは、講談社なのだから当たり前なのだろうが、嬉しいことである。




渡辺容子『左手に告げるなかれ』(講談社 第42回江戸川乱歩賞受賞作)

 スーパーの万引捕捉に賭ける女性保安士が巻き込まれた殺人事件!不倫相手の妻が殺され、容疑者リストに「私」の名が…。右腕の傷にかけられた疑惑は、みずからの手で払いのけなければならない。第42回江戸川乱歩賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 1996年、第42回江戸川乱歩賞。

 帯の選評の抜粋に人物描写のうまさと取材の良さしか書かれていないので、イヤな予感がしたのだが、予感は大当たり。ヒロインには共感をもてないし、警察はほとんど何もしていない。タイトルも物語とマッチしない。出だしからイヤになった。あんな甘っちょろい上司がいるかよ。頼むから選評をつけてくれと講談社にお願いしたい。




野沢尚『破線のマリス』(講談社 第43回江戸川乱歩賞受賞作)

 主人公はプライムタイムの報道番組の週末の特集コーナー『事件検証』のフィルムを担当する女性ビデオ編集者。放送ぎりぎりまで編集を行い、そして視聴者をあっといわす彼女のフィルムは、その報道番組の視聴率を数%上げていた。そんな彼女に、市民団体の幹部職員の弁護士の投身自殺が郵政省と大学の癒着の摘発を恐れたものによる殺人事件であることを疑わせるビデオが、郵政省の官僚からの内部告発として手渡された。彼女はそれを『事件検証』のフィルムとし、そこに写った郵政省官僚が事件に関係しているとの比喩を込めて視聴者に流した。当然その官僚は左遷されることになったが、彼は事件には無関係であり、報道被害を受けたので謝罪しろと彼女に詰め寄り、そしてつきまとうようになった。
 1997年、第43回江戸川乱歩賞。

 最初はビデオ編集者が事件を追うだけなのかなと簡単に考えていたが、左遷された官僚がビデオ編集者につきまとうところから路線は心理サスペンスの方向に流れていく。そういう意味では予想が裏切られた分面白く読めたが、逆に中心になると思わせた投身自殺の謎がなんら解かれることなく終わってしまい、欲求不満が残る。テレビの報道被害とやストーカーの問題も新味のない話であるし、場面展開の意外さ以外に面白さはないといってよい。それでも読ませる小説に仕上がっているのは事実。気分は悪くなるものの、最後はちょっと哀しくさせてくれる。




池井戸潤『果つる底なき』(講談社 第44回江戸川乱歩賞受賞作)

 1998年、第44回江戸川乱歩賞。

 主人公は大銀行の地方支店で融資課の課長代理。一般融資担当伊木。同期で回収担当の坂本が殺された。回収に出る直前、しかも顧客の口座からの不正引き出しも行っていたらしい。
 作者が本職の銀行員ということもあるせいか、銀行の描写や銀行員、銀行の仕事の部分は非常にリアルである。いきなりアナフィラキシーショックという言葉が出たのは懐かしかったですね。ここ最近の受賞作に共通する、手堅くまとめられた作品。面白さで言えば福井だが、読みやすさで言えば池井戸かな。




福井晴敏『Twelve Y.O.』(講談社 第44回江戸川乱歩賞受賞作)

 人生の意義を見失い、日々をただ過ごしていただけの自衛官募集員・平貫太郎は、かつての命の恩人・東馬修一に偶然出会ったことから、想像もつかない日本の地下組織の闇に呑み込まれてゆく。最強のコンピュータ・ウィルス「アポトーシスII」と謎の兵器「ウルマ」を使って、米国防総省を相手にたった1人で脅迫劇を仕掛け続ける電子テロリスト・トゥエルブとは何者か。彼の最終的な目的は何なのか?絶望感と閉塞感が渦巻く現代を吹き抜ける一大スペクタクル・サスペンス!第44回江戸川乱歩賞受賞作。(粗筋紹介より引用)
 1998年、第44回江戸川乱歩賞。

 どこかで見た設定もあるし、ご都合主義的部分も一部あるが、ストーリーは面白い。しかし、このストーリーでは枚数が全く足りない。特に最後の方は駆け足で可哀想。その点では作者に同情する。しかし、文章はあまりにも読みづらい。確かに「鳥肌が立つ」文章だ。そこさえ直せば大化けする可能性あり。若いし、注目してもいいと思う。




新野剛志『八月のマルクス』(講談社 第45回江戸川乱歩賞受賞作)

 レイプスキャンダルでお笑い界を引退した笠原雄二の前に5年ぶりに現れた元相方、そして日本を代表する笑わせ屋立川誠。ともに酒を飲み、そして癌で余命僅かであることを告白してから失踪する。笠原は立川の行方を探すが、その過程で様々な過去が甦ってくる。
 1999年、第45回江戸川乱歩賞。

 友情とは違うだろうが、昔の相方を捜す男。探す過程で過去や事件に巻き込まれる。完全にハードボイルドの公式通りの作品である。ここまで完璧に公式通りになぞった作品も珍しい。そういう意味ではかえって新鮮に感じられた。とはいえ公式は公式。それに付属する物がなければ乱歩賞を受賞することは出来ないだろう。この作品でいえばそれは「お笑い界」。乱歩賞は今まで扱われたことのない舞台を書くと受賞しやすいというのは有名な事実。そういう意味ではミステリに取り上げられることの少ない、というより取り上げられたかどうかを思い浮かばない「お笑い界」を扱ったのは作戦として見事であると思うが、残念ながらそのこだわるべき「お笑い界」の描写が今ひとつ。はっきり言えば突っ込みが浅い。せっかくタイトルにマルクスを出しながらもマルクス兄弟に触れられるのもわずか。せっかくのキーワードの一つなのだからもう少しこだわってみてもよかったのではないだろうか。
 作品そのもののテンポはよいし、文章も悪くはない。最後は一応意外な展開も見せている。もっとも、この結末の急展開は今までの雰囲気を壊してしまっているのが残念なのだが。面白く読めることは読めると思う。といってもそれは普段ミステリをあまり読まない人から見たらという意味。すれっからしのマニアから見たらありきたりの作品であるかもしれない。悪くいってもよくいっても平均点の作品。テレビ化という点では受けるだろう。
 しかし、この作品で一番受けるのは作品そのものではなく、作者のキャラクターではないか。自分に嫌気がさしていきなり失踪。2日後に乱歩賞受賞を決意し、ファミリーレストランを転々としながら原稿を書き続け、寝るのは始発電車かカプセルホテルという放浪生活を3年半。この根性には感心してしまう。やはり作家になろうというのなら何かを犠牲にしなければならないのかもしれない。




首藤瓜於『脳男』(講談社 第46回江戸川乱歩賞受賞作)

 中部地方では名古屋市に次ぐ大都市愛宕市。その愛宕市でここ数ヶ月、連続爆破事件が起きていた。最初は市の中心街にそびえるビルの屋上。十日後にテレビタレントの屋敷でのパーティー中で。どちらも爆破は小規模で死者は出なかった。しかし一ヶ月後、愛宕市出身の国会議員が入院するために救急車で運び込まれた瞬間爆発が起き、議員は焼死した。そして二週間後、裁判所の正門の脇に置かれていた紙袋に爆弾が入っていた。門衛が持ち上げた瞬間爆発し、四人の死者が出た。一連の事件に関連性は何もなく、爆破の手段もだんだんと凝るようになっていた。しかし、ようやく容疑者が浮かんだ。緑川紀尚、三十三歳の独身。操作責任者の茶屋は緑川の爆弾製造工場の倉庫を見つけ、踏み込むところだった。そこで見た光景は、ふたりの人間がもみ合っている姿だった。ひとりは緑川だったが、もう一人は茶屋がはじめて見る男だった。捜査員が部屋に入ろうとした瞬間、爆発が起きた。茶屋は爆風をかいくぐり、二人を逮捕しようとしたが、逃げようとした緑川がピンポン玉のようなものを茶屋に向かって投げつけた。すると男は茶屋に向かって突進してきた。と同時にピンポン玉が爆発した。男は茶屋をかばったのだ。爆発の煙の中、色々揉み合いがあったが、とうとう緑川を捕まえることができなかった。そして残った男を茶屋は共犯者として逮捕した。彼の名前は鈴木一郎といった。
 それから半年後、鈴木は愛宕医療センターで精神鑑定を受けることになった。担当は半年前にアメリカから帰国したばかりの鷲谷真梨子。鈴木一郎には、小さな新聞社を三年間経営していた以外の過去は存在しなかった。戸籍も他人のものだった。真梨子は鈴木の精神鑑定を始めるが、不思議なことだらけだった。そしてようやく突き止めた。鈴木には感情というものがないのだと言うことを。また、茶屋は茶屋で別にあることを追っていた。
 2000年、第46回江戸川乱歩賞。

 鈴木一郎というインパクトのあるキャラクター。その鈴木一郎の正体が明らかになるまでの医学的、精神的アプローチ。そして連続爆破事件。さらに最後の爆破パニック。サスペンスとして十分面白い作品に仕上がっている。これなら満場一致で乱歩賞を取ってもおかしくはない。しかし、最初に読み終わったとき、なにかが頭に浮かんだ。ひとことで言えば既視感である。一晩考えて、ようやく正体が分かった。
 石ノ森章太郎の『人造人間キカイダー』や『仮面ライダー』。テレビ特撮では、屈託のないヒーローものとして有名だが、漫画(石ノ森だから萬画か?)の方はかなり屈折したストーリーである。自分を化け物と認識し、自分が人間とは違うことに嫌悪を感じ、さらに周囲に認められないまま戦う孤独のヒーローものである。既視感はそこにあった。
 この『脳男』は屈折したヒーローものだったのだ。ただ、主人公鈴木一郎は、自分が何者かと自分自身にアプローチすることはなく、悩むこともない。そこで必要になったのが鷲谷真梨子であり、茶屋であった。この小説は言い切ってしまえばそういう物語である。だからこそ、ミステリとしては異色ともいえる。
 そのような、漫画の世界からの既視感を持ってしまった今、私はこの小説をどう評価すればよいか分からなくなっている。無難に面白いことは確かだが、過去の乱歩賞と比較すると、中位あたりといえようか。とりあえず、読んでも損はない作品ではある。




高野和明『13階段』(講談社 第47回江戸川乱歩賞受賞作)

 傷害致死罪で2年弱の服役を終え刑務所を仮出所した三上純一は、そこの刑務官南郷に「ある死刑囚の冤罪を晴らす」という、匿名依頼人からの高額報酬の仕事を持ちかけられる。事件は10年前に起きた老夫婦強盗殺人事件。判決で死刑となった被告樹原は、犯罪時刻の記憶を失っていた。成功報酬は1000万円。賠償金を支払うため、工場閉鎖が目の前にある三上の父を救うために、純一は依頼を引き受ける。そして南郷もまた、犯罪者の矯正に絶望し、刑務官をやめるところであった。再審請求も棄却され、執行の日が刻々と近づき、恐怖におののく死刑囚樹原。唯一思い出した記憶「階段」を手掛かりに、三上と南郷は事件の再調査を始める。
 2001年、第47回江戸川乱歩賞。

 これはもう設定の勝利か。仮釈放の身の青年と刑務官という探偵役を考え出したところで、「一本!」というところだろう。さらに執行寸前の死刑囚の冤罪を晴らす。これだけでドラマは約束されたようなもの。とはいえ、これはドラマではなくミステリ。ミステリに相応しい仕掛けも用意しており、ラスト前のサスペンス度は抜群。死刑問題、犯罪被害者救済、犯罪加害者や家族への二次的侵害など、様々な問題に正面から取り組みながら、片方の意見に偏らず、しかも主張を前面に押し出さず、さらりと流すところも巧い。乱歩賞に相応しい佳作といえよう。
 とはいえ、気になる点もある。よくある話なのだが、物語が作家に都合よく進みすぎること。ここでこうつまづいたら、この物語は全てご破算になるのでは、というところが何点か見られる。残念。
 死刑問題との絡みについては、とりあえずコメントを控えます。問題そのものの取り上げ方には問題がないし、嘘を書いているわけでもないし(全部チェックはしていませんが)、作者が主張したいことは現状の矛盾であり、賛成・反対を主張するものではないと感じました。
 これはおまけ。死刑囚の恩赦は、1975年が最後。過去には政令恩赦も個別恩赦もありました。参考までに。




三浦明博『滅びのモノクローム』(講談社 第48回江戸川乱歩賞受賞作)

 CMディレクター日下哲は、仙台東照宮の境内で開かれている骨董市で宝物を見つける。柳行李に入っていたリールは、英国製のビンテージものである、フライフィッシング用のリールであった。三十代の女性からたった1万円で手に入れた日下だったが、分解すると四コマちょっとの古い16ミリフィルムが出てきた。ルーペで見ると、外国のどこかでそのリールを使って釣りをしているシーンのように見える。政権政党の地方支部のCMにそのフィルムを使うことにした日下は、同僚の友人であるデザイナーに復元を依頼した。
 売った側である月森花は、日本旅館の一人娘。衆議院議員の旦那と別れた後、大学に入り直して勉強している。市で売っていた骨董品は、旅館を築いた祖父の蔵から許可を得て持ち出したものだった。ところが柳行李ごとリールを売った話を聞いた祖父は、心臓の発作で倒れる。花は、祖父のところへ話を聞きに来ていた週刊誌の記者とともに、そのリールを買い戻そうとし、ようやく買い手を見つけたのだが、記者が不可解な死を遂げた。
 記者の死は自殺か、他殺か。リールとフィルムに隠された過去とは何か。日下と花にも危険が迫る。
 2002年、第48回江戸川乱歩賞。

 帯を見ると、満場一致で選ばれたらしい。こういう場合の“満場一致”では、本当に優れた作品だったか、他に大した作品がなかったかのどちらか。どうやら本作品は後者。下手な2時間ドラマの台本を読まされている気分になった。安直な設定だね。隠されたフィルムに重大な秘密が隠されていた、といった展開のミステリをこの年になって読まされるとは思わなかった。ひねった部分があるわけでもない。せっかくの古いリールを物語の中で生かしているわけでもない。作者の頭の中で先走りしているのか、説明不足の内容も多い。政治や戦争のことを批判している内容も、新聞からの受け売りにしか見えない。映像化しやすい内容に、男と女を配置して、サスペンスで味付けしただけの小説。誉めたくても、誉める場所がない。こういう作品を選ぶしかなかった選考委員に同情してしまう。

 いやあ、ここまでつまらない乱歩賞は、10ン年ぶりだね。ハードカバーで出すなよ、全く。
 ついでにいちゃもんを付ければ、応募時のタイトルは『亡兆のモノクローム』だった。選評を付けないやり方も気に入らないけれど、せめて応募時のタイトルを改題したということはきちんと書くべきだね。「選考経過」のところで堂々と『滅びのモノクローム』と書くのは、反則である。




赤井三尋『翳りゆく夏』(講談社 第49回江戸川乱歩賞受賞作)

「週刊秀峰」にある記事が載った。『誘拐犯の娘を記者にする大東西の「公正と良識」』。今年の東西新聞の入社試験で合格が内定している朝倉比呂子は、20年前に横須賀で起きた嬰児誘拐事件の犯人の娘であった。社長である杉野俊一は、この記事の取材を受けていた武藤誠一人事厚生局長に対処を命じるとともに、もう一つ手を打った。2年前の事件で編集資料室に飛ばされていた梶秀和に、嬰児誘拐事件の再調査を命じた。もっともこの命令は、社主からの命令であったのだが。
 梶は武藤とともに20年前、横須賀支局にてこの事件の取材に当たっていた。そこでまず、当時事件を担当していた退職刑事の元を訪れ、事件の詳細を再確認する。
 横須賀市内の総合病院で乳児が行方不明になった。そして病院長のもとに五千万円の身代金を要求した脅迫状が届く。犯人は警察の裏をかき、身代金を手にすることができるが、ちょっとしたミスで警察に追いかけられることになり、カーチェイスの末共犯者の女性とともに事故死してしまう。そして誘拐された乳児は今も行方不明のままだった。
 梶は当時の関係者から事件の詳細な部分を聞くにしたがい、いくつかの疑問を抱く。本当に比呂子の父親は犯人だったのだろうか。そして比呂子は東西新聞の内定を断ろうとしていた。
 2003年、第49回江戸川乱歩賞。

 久々に選評が巻末に載っているが、本作品にかぎっていえば、選評通りの作品だといえよう。北方謙三の「無難で、きちんとした構成で書かれ、安心して読める。(中略)減点法で一位になる作品という感じがあり、今後はそのあたりで冒険した作品を読みたいと感じた」というのはもっともである。また北村薫の「物語は、終始、手堅く展開する。自殺する若手カメラマンなど、端役に至るまで、一筆で、しかし過不足なく描かれている。(中略)物語の流れが当然、要求していながら、書かれていないところがある」というのも納得だ。
 丁寧な作品だし、登場人物や時代背景なども過不足なく、しかし必要な分だけ書き込まれている。登場人物のほとんどが善意の人物なので、読んでいて気持ちがよい。適度な驚きもある事件の真相も含め、手堅い一作といえる。読んでいて飽きはこないはずだ。もちろん、警察の捜査は杜撰という乃南アサの指摘ももっともだし、北村薫の指摘通り本来書くべきところを省略している部分もある。
 とはいえ、不満もある。犯人の心情、特に最後の告白は、前半で書かれているイメージとかなりかけ離れている。捜査を続ける梶の動きや、都合よく現れる事件関係者などのご都合主義も気に掛かる(まあ、この手のハードボイルドにはありがちの欠点なのだが)。何よりも、こぢんまりと纏まりすぎているのだ。新人の作品だから、少しぐらい疵があっても大胆な冒険をしてほしいと思うのは、選考委員だけではないはずだ。読者は常に新しいものを求めている。既成の作品とほとんど変わらないものを読まされても、読者の心には残らないのだ。
 本作を読むだけだったら、まあ面白い作品だな、と言ってもいい。ただ、次作を読みたいと思わせる作品ではなかった。次作でがらっと変わることができるのか。何か一つ、新しいことをやってほしいと思う。




不知火京介『マッチメイク』(講談社 第49回江戸川乱歩賞受賞作)

 大手プロレス団体新大阪プロレスの社長であり、国会議員でもあるダリウス佐々木が、宿敵でもあるタイガー・ガンジーとの対戦中に亡くなった。自殺なのか、他殺なのか。デビューを控えていた新人レスラー山田聡は、リングに上がる直前に佐々木が「おれは今日で引退する」と打ち明けられていた。聞いたときはいつもの冗談だと思っていたが……。一部ではガンジー犯人説まで流れたが、佐々木の遺書めいた文章が書かれた著書が出版されたことにより、事件は自殺という方向に流れていた。山田は事件に不審を抱き、同期の新人レスラー本庄とともに事件の謎を追う。
 2003年、第49回江戸川乱歩賞。

 読み始めたときからイヤーな気がしていたのだが、ここまでとは……。既に2chなどでは書かれているが、登場人物のほとんどが実在レスラーをモデルとしている。人物像やエピソードまで引用されてしまうと、「パクリ」と言い切っていいかもしれない。しかも10数年前の新日本プロレス(一部大仁田厚が混じっているが)だ。古すぎである。今時シンやアンドレ、スーパースター、キングコング・バンディをモデルにした外人レスラーを出すこともないだろうに。主人公は山田恵一そのもの。実在人物をモデルとすることをパクリという表現で表していいのかどうかはわからないが。
 山田がプロレスの仕組みを教わっていく部分の単語や説明は、悪名高いミスター高橋『流血の魔術最強の演技―すべてのプロレスはショーである』からほとんど引用したもの。他のエピソードも、高橋の他の著書からのようだ(読んではいないが、知っているものがほとんどなため)。北方謙三が絶賛していた「筋肉を作る描写」に至っては、プロレスファンに取って当たり前の内容だ。唯一オリジナリティがあるのは脱税の仕組みぐらいか。よりによってこんな部分だけオリジナルな部分を作らなくてもいいだろうに。プロレスファンを完全に敵に回した作品である。下読みも含めた選考委員に、プロレスファンはいなかったのか。一人でもいたら、最終選考にすら残らなかっただろう。犯行部分以外にオリジナリティは全くない。端役に至るまで実在人物をモデルにするような創造力のない作者に、未来なんかあるはずがない。
 ミステリの部分だけに目を向けてみても、無理が多い。第一の事件はまだしも、第二の事件など無理がありすぎだ。最後のドタバタなんか茶番でしかない。そういう状況下で自分がどのような行動をとるか、考えてみればいい。
 プロレスを知らない読者から見たら、プロレスの仕組みなんかを知ることができて面白いのかもしれない。しかし、プロレスファンが読んだら一目で「パクリ本」とわかってしまうだろう。乱歩賞を全作読んできているが、オリジナリティの無さでは史上最低の一冊である。選考委員はこんな作品を受賞させてしまったことを、一生悔いるがいい。




神山裕右『カタコンベ』(講談社 第50回江戸川乱歩賞受賞作)

 新潟のマイコミ平で大規模な鍾乳洞が発見され、関東のケイビングクラブを中心に調査を行うことになった。ケイビングとは、洞窟探検というアウトドアスポーツである。洞窟の中で撮影された写真の中に、ヤマイヌの頭骨があったことから、鍾乳洞の中に絶滅したはずのニホンオオカミが生息している可能性がある。T大学大学院生である水無月弥生は、研究指導助教授である古生物学者の柳原史郎の誘いで、調査に参加することを決意する。五年前、洞窟潜水中に亡くなった父の形見であるコンパスを胸に。雨の中、弥生や柳原たち5人が入ったアタック班は洞窟の調査を強行するが、竪穴へ下りる途中に崖崩れが発生し、五人は洞窟の底まで落ちてしまう。しかも入口は土砂で完全にふさがれた。五年前、洞窟潜水中に弥生の父を見殺しにしてしまった東馬亮は、救助隊とは別に単身、別の竪穴から弥生たちを救出に行く。竪穴が水没するまでのリミットは五時間。東馬は弥生たちを見つけることができたが、「殺人者」が弥生や東馬たちを襲う。「殺人者」の正体は。その目的は。東馬は弥生たちを救うことができるのか。
 2004年、史上最年少24歳3ヶ月で記念すべき第50回江戸川乱歩賞を受賞。カタコンベとは地下墓場のことをいう。

 最年少受賞ということで期待半分、不安半分で読んだのだが、残念ながら失望した。視点が乱れたり、説明不足の部分があったりといった小説技術の未熟さが目立ち、物語を純粋に楽しむことができない。未熟さを跳ね返すだけの作品のパワーがあればいいのだが、物語そのものが荒削りで未完成という印象しか持てなかった。
 ケイビングという発想は目新しいが、題材を生かし切っていない。カタログや体験談からケイビングというスポーツの知識、魅力などを書き抜きしたような文章では、読者も面白く読むことができない。
 遭難から救助という流れでようやく盛り上がるかと思われたが、いきなり洞窟内で「殺人者」が登場する展開はあまりにも唐突。殺人そのものの計画が杜撰だし、「殺人者」の動機があまりにも弱すぎる。だいたい洞窟内で連続殺人が起きて一人だけ生き残ったとしたら、誰が犯人かすぐにわかるだろう。「殺人者」はそんなことも思い浮かばなかったのだろうか。
 ケイビングというあまり知られていないスポーツ、洞窟探検、遭難、救助、水没というタイムリミットサスペンス、そして洞窟内のパニックシーン、洞窟からの脱出。これだけの題材を取り扱うには、原稿用紙550枚というのはあまりにも少ないと思われる。本来ならもっと丁寧に記述すべき所で書き飛ばしているシーンが多い。文章が未熟なところにもって、題材をこれだけ詰め込みすぎてしまえば、物語が消化不良を起こすのは当然。失敗作といっていいだろう。
 選評を読むと、選考委員もかなり苦しい書き方をしている。5人の選考委員は、それぞれ別の作品を第一候補に挙げていたのだが、いずれも重大な問題点を指摘されたため断念。第50回ということもあるので“受賞作なし”は避けたいと思った講談社側が選んだのが本作品ではないだろうか。



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